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自然と人のダイアローグ
はじめまして
この一文から始めさせていただきます。
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現在、国立西洋美術館で行われている「自然と人のダイアローグ」という展示会。なかなかに刺激をもらった企画展だった。
前までは出掛ける際に紙とバインダーを持って行き、感じたことや考えたことを箇条書きしたり、スケッチしていた。アウトプットトレーニングの一環だった。noteを毎日書くようになりアウトプットが増えてから、いつのまにかメモを取らなくなっていた。今回は出掛ける前になぜかメモが必要な気がして、一式持って出かけた。
最初は特にメモするつもりはなかったため、普通に見ていた。しかし、思ったよりも考えながら見ていることに気づいた。このペースだと終わったころに全部忘れてしまうと思い、メモを書き始めた。それを元にこの記事は書かれている。
建築を学んでいるせいか、平面作品よりも立体作品の方が好きである。そういった意味では平面作品である絵画には正直そこまで興味はない。あまり期待せずにいったため、いい意味で裏切られた展示であった。
美術のなかにも流行り廃りがある。なんでもかんでも好き勝手に描いているわけではない。美術史というものがあり、○○主義というものがたくさんある。ほぼ素人知識だが、印象主義(印象派)や写実主義くらいの知識はある。そして今回見ていて気付いたことは印象派の作品が比較的好きであるということだ。
写実主義のように、見たものを見たままに描ける技術は想像を超えるものだ。しかし、印象派のように作者の感性で大きく変わる作品の方が、私の感性も一緒に刺激してくれている気がするのだ。そしてそれは抽象画のようなものとは違う。印象派の特に風景画は「私は世界がこう見えています」「こんな風に世界を見るのはどうですか?」と投げかけられているように感じる。
現実的すぎず、抽象的すぎない。そのバランス感が印象派の風景画が好きな理由だろう。もちろん印象派の風景画なら全部好きなんてことも、その他の主義の作品が嫌いなんてこともない。時々、印象派の色使いが好きなだけなのではないかと思うこともあるが、そうだったとしても別にいいだろう。ブルーピリオドという漫画のセリフに「芸術って”食べられへん食べ物”やと思うねん」というものがある。その言葉を反芻していた。
絵画の鑑賞は写真の勉強にもなる。特に構図の取り方だ。写真を撮るときに画面を9分割したように意識するといいとよく聞く。9分割に限らず、構図がどうなっているかを意識するだけでも作品の見え方がガラリと変わってくる。そして見ながら、写真のようにアスペクト比が制限されてしまうと作品表現そのものが制限されることになるのだと感じた。
正確なパースを描くのは技術がいる。それ以上に、パースをあえて崩しつつより伝わるパースを描くのはより高度な技術が必要だ。そしてその技術は、ある種の妄想世界を描くのを得意とする、現代の漫画家やイラストレーターだ。美術館にあるような絵画たちは基本的にパースが綺麗にとられている。その分、歪んでいるものが悪目立ちしているようであった。
昨年、ある作品を知人と見に行った際に「基本的に作品の説明文は読まない」と語っていた。特に理由は語っていなかったが、私は「作品理解のために絶対説明読んだ方がいいやん」と思っていた。様々な作品に触れていくうちに説明文を読まない理由がなんとなく分かってきた。
作品というものは作者の手を離れた時から、作者の物ではなくなっていると私は考える。もちろん、作者の作品であることには変わりないのだが、それを評価するのは消費者や利用者だろう。その評価に対して、「これはこう意図で作っているからその評価は間違っている!」などという作者が時々いる。
どんな意図であったとはいえ、作品として伝わっていない以上言葉で説明するというのは無粋としかいいようがない。そんなことを思ってから説明文をあまり読まなくなった。もちろん釈明と説明文は全く異なる。それでも想像の余地を狭められてしまう気がしている。
解説や知識があった方が分かることが勿論ある。しかし、知らない状態で見るという経験はその時にしかできない。あまり物事をしらない幼稚園児だから出てくる突飛な感性や思い付きがある。それが大人になるにつれて無難になってくる。まっさらな時の感性は大切にしていきたい。
他人の言葉で感想を補完してしまうと、自分の感性を信じられなくなる。自分の感性を信じられなくなったら、自分が死んでしまう気がする。他人の説明文や感想を参考にすることはあるが、自分の言葉でアウトプットすることは怠らずに行っていきたい。
さて次は何を見て、何を感じ、どう言葉を紡ごうか。
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手の届く範囲にいるあなたが
幸せでいることを願います