北海道一周秘境駅めぐり① 出発~抜海駅
08/09-14の6日間かけて、北海道を一周して秘境駅をめぐってきました。
ルートは以下の図にまとめています。
訪問した秘境駅
抜海(宗谷本線)
糠南(宗谷本線)
雄信内(宗谷本線)
塩狩(宗谷本線)
銀山(函館本線)
比羅夫(函館本線)
釧路湿原(釧網本線)
昆布盛(根室本線)
西女満別(石北本線)
の9駅です。この他、日本最東端の駅・東根室駅にも立ち寄っています。
5泊6日・鉄道での総移動距離1700km以上・6日間での歩行距離90km以上という大旅行になりました。
本記事から順に、旅のあらましを記していきます。
羽田から稚内へ
8月9日金曜日、まずは羽田から稚内へ出発です。
アゴダでチケットを予約したら国内の便でも国際線扱いらしく、国内線としてチェックインできずむちゃくちゃ焦りました。
国際線として予約番号を入れてギリギリでチェックインし、保安検査場を通って搭乗口までダッシュ。
でかいリュック抱えたおっさんの全力ダッシュはさぞかし見苦しかったことでしょう。
そんなこんなで、無事に稚内空港に到着しました。
バスで稚内駅前まで移動し、宿にチェックイン。ドラッグストアで非常食と雨具を、近くのアウトドア用品で熊よけスプレーを確保しました。
熊よけスプレーってドラッグストアでは売ってないんですね。
熊よけスプレーは未開封のものだと1万8000円もするそうです。
ただ、以前お店に「買ったけど使わなかった」とスプレーを返しに来た人がいたらしく、そちらを中古品として5000円で売っていただきました。僥倖。幸先が良いです。
列車まではまだ時間があったため、しばらく稚内駅付近にある防波堤ドームをお散歩していました。
ここにはかつて「稚内桟橋」駅があり、今や異国の地となってしまったサハリン行きの船との接続を担っていました。
駅はもはや跡形もありませんが、かつての賑わいに思いを馳せました。
抜海駅
さて、稚内駅前をぶらぶらしているうちに列車の時間が迫ってきました。18:10稚内発の普通列車で抜海駅に向かいます。
抜海駅に到着しました。1924年に開業し、今年100周年を迎えた最北の無人駅です。
今にも崩れてしまいそうな木造駅舎を見ると、厳しい気候の中で原野に100年間立ち続けてきた事実をしみじみと感じます。
さいはての旅情を存分に感じさせてくれる駅で、4年前にここに訪れたことをきっかけに自分の秘境駅めぐりの旅は始まりました。
そんな抜海駅も来年3月での廃止が報じられています。お礼とお別れを言いに行くような気分で、この駅への来訪を決めたのでした。
さて、駅周辺を歩いてみましょう。
夕方の抜海駅周辺はしんとしており、聞こえるのは自分が歩くたびに鳴る熊鈴の音だけです。
駅前は4年前からあまり変わっていないように見えましたが、駅前通りが道道にぶつかるところに場違いなほど真新しい石碑が鎮座していました。
これは今年の抜海駅百周年を祝って、クラウドファンディングで資金を募り作られたものだそうです。
駅がなくなっても「かつてここに駅が存在した」と記念碑が伝えてくれることでしょう。
道道を稚内方面に少し歩くと踏切があり、そこを渡るといくつか牧場が見えました。
そのほとんどは廃牧場となり自然に還りつつありましたが、歩いていると不意に独特の臭いが鼻をつきました。これはどうやら牛糞の臭いです。
辺りを見渡すと、現役の牧場が一軒だけ確認できました。
これだけの秘境で人の営みを感じると、たとえ牛糞の臭いでもホッとするのですね。稀有な経験です。
30分ほど散策し、駅に戻る頃には日が暮れていました。
帰りの列車まであと30分。待合室には同じ列車でやってきた同業のおじさんとお兄さんがおり、少し話しました。
おじさんは在りし日の白滝シリーズに徒歩で挑んだことがあるとのこと。なかなか年季の入った秘境駅ファンでした。
話し込んでいるうちにすっかり日が暮れ、やがて列車がやってきました。まだ7時半ですが、稚内方面の最終列車です。
乗り込んだら最後、もう二度とこの駅で降りることはありません。
センチメンタルな気分になりながら車内で15分ほどの時間を過ごし、稚内駅に戻りました。
秘境駅を目指す旅の楽しみを教えてくれた抜海駅には感謝しています。廃止になるのは寂しいですが、秘境駅というアンバランスな存在を愛す以上は仕方のないことなのだと思います。
抜海駅が、あと半年ほどの余生を静かに送れますように。
さて、この日は稚内にて宿泊です。
夕食は駅前の居酒屋でニシンをいただきました。地域限定の日本酒・最北航路を頂きながら、明日からの旅に備えて英気を養いました。
明日は、始発で宗谷本線に乗り込んで糠南駅を目指します。
(追記)続きです。
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