「ありがとう」を唱える
八月最終週。
スマホでネットサーフィンしてしまう時間を止めようと思った。
自分の内側に繋がりたい。
自分の内側にある声を聴きたい。
自分の内側にある衝動をキャッチしたい。
そんな思いから、静かに過ごそうと思った。
初日の月曜日。
完全に失敗した。
八月も終わりを迎えることに対して
ものすごい焦りと不安が一気に押し寄せたようだ。
以前よりは客観的にそれらを眺めることはできるのだけれども、
頭の中では色んなこと、これから起こるであろう不安を
早急に処理しようとしているようだ。
一日経って振り返るとわかるけど、
その時は恐れと一体化するので、全く止まれない。
スマホを片手に、色んな情報を集めて、1日が終わった。
私の自我は外側からの情報収集によって安心する傾向がある。
時には自分の胸にグサッとくる答えが見つかるので、
それが悪いわけではない。
ただ、無意識のうちに、駆り立てられるように夢中になって調べてしまうので、
自分の内側にある声なんて聴けるわけがない。
わかっているのに、月曜日はスマホを握りしめて過ぎていった。
夜中、なかなか眠れない。
いつもなら録画してある好きなドラマやアニメを観たり、
スマホ観たりしていたが、
さすがにもう辞めようと思い、瞑想することにした。
呼吸に意識を向けて、呼吸を感じる時間。
だが、昨日はアレルギーが出ており、鼻水が止まらない…
集中がもたず、瞑想を諦めた。
次にただぼーっと座っていようと思ったのだけれども、
カーテンを開ければ隣の家があるなか、
星空も見上げられるわけでもなく、暗い部屋で壁しかない。
目をつぶっていても、じーっとしていることが苦痛でたまらない。
時間が経つのが究極に遅い。
たぶん何もしない時間は1分ももっていないだろう。
スマホに目がいく。
テレビに目がいく。
これらは絶対に避けたい。
そうだ!「ありがとう」を唱えよう!
ふと思った。
以前もやろうと思って
100均でカウンターを買っていた。
今週の目標は10万回だ!
暇な時はありがとうって言いまくろう!
そんなことを思いついたのだ。
初日は3000回あたりで眠気がきて、
ベッドに横になっても唱え、
3500回あたりで眠りについた。
なかなか良い発案だと思った。
一日経って目が覚め、今日も続きをやっている。
合間に別のことももちろんする。
そんな時間にふっと言葉がやってきた。
深刻味があるものは、脳内ストーリーに過ぎない。
単なる妄想だ。
頭の中で脚本家がさもリアルに物語を作っているだけ。
師の言葉だ。
昨日は「生きることは楽しいことなのか」そんな記事を書いたのだけれど、
かなり深刻味があった(笑)
書いている渦中には全く気付かないのだけれども、
完全なる妄想。脚本が走っている。
恐れに駆り立てられて、
起きてもいない、起きるかもわからないこと、
そしてそれはとても嫌なことであり、
嫌な重いエネルギーを抱えている状態で
永遠と考えているのだ。
わたしはこの自我の妄想に振り回されてしまう。
リアルさがあるように感じるので、そこに留まり続けてしまう。
かなり腕のある脚本家だ。
でも、これはわたしにとってリアルであり、腕のある脚本家だと思うのだけれども、
外側からみたら、すごいストーリーだねって。
火曜サスペンスすらこんなぶっ飛んだ脚本使わないよっくらい
お粗末な物語りなのだ。
これに気づき、体が一気に軽くなる。
この罠に気づき続けるしかない。
今回この罠に気づいたのは、
内側から気づきを起こしてくれたから。
そしてそれをキャッチできたのは
「ありがとう」と唱えることで、思考をストップさせていたからだと思う。
このありがとうを唱えようと思ったことすら
起きてきたことだ。
とりあえず続けてやってみようと思う。
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