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50代を迎えたロスジェネ氷河期世代の葛藤と挑戦 次は「頭」か?


「なにかやらなければいけない」。そんな漠然とした不安は、私たちロスジェネ氷河期世代にとって避けては通れない感覚だ。特に50代が近づくと、この不安は一層強まる。私も、50歳になる前からこの感覚に突き動かされ、肉体改造に取り組んできた。フィットネスや運動に本気で向き合い、少しずつ体力や筋力が向上していることを感じている。しかし、それでも次の挑戦が必要だと感じるようになった。

肉体改造の先にあるもの

体は変わった。それは大きな達成感をもたらしてくれるし、50代を迎えるにあたって大きな自信にも繋がっている。とはいえ、単に体を鍛えるだけでは足りない気がしてきた。体が強くなると、今度は頭や心も鍛えたいという思いが芽生えてくる。だが、ここで一つ大きな問題に直面している。「勉強が嫌いだ」という根深い問題だ。

学生時代から勉強はどうも苦手だったし、どちらかと言えば面倒くさがりな性格だ。これまでも何かを始めるにはかなりのエネルギーを使い、何度も自分を奮い立たせてきた。だが、加齢とともにその「面倒くささ」はますます強まっている。50代に入ると、さらに何かを始めるには相当な気力が必要になる。

次なる挑戦は「頭」?それとも「心」?

体が少し増しになった今、次に挑戦するべきは「頭」なのか?一見すると、知的な挑戦は歳を重ねるほど必要だと感じる。読書や新しいスキルを学ぶことは、脳の活性化に効果的だと言われている。実際、50代を迎えてからも多くの人が新たな趣味や資格取得に取り組み、人生の充実感を深めている。

しかし、勉強が嫌いな私にとって、知識を詰め込むような挑戦はやはりハードルが高い。そこで、無理に「頭」を鍛えることにこだわらず、「心」を育む挑戦にシフトするのも一つの方法ではないかと考えている。例えば、瞑想やマインドフルネス、クリエイティブな趣味など、自分を見つめ直し、内面を成長させる活動だ。これらは、知識の蓄積とは異なる形で頭と心を刺激する。

何を始めるべきか模索する過程も大切

新たな挑戦を模索すること自体が、一つのチャレンジだと捉えても良いのかもしれない。何を始めるかを考え、試行錯誤することで自分自身に気づき、新たな目標が見えてくる。焦らずに、少しずつでも自分に合った挑戦を見つける過程は、50代を迎える今だからこそ意味があるのだと思う。

フィジカルな挑戦は確かに楽しかった。成果が見えるし、達成感も得られる。だが、次に来るチャレンジはもっと内面的なものになるかもしれない。知識の追求や新しい趣味、そして心の成長。これから始まる新しいステージに向けて、今はその準備をしている段階だと考えれば、何かしらの方向性が見えてくるだろう。

面倒くさがり屋でもできることを見つける

何か新しいことを始めたいけど、どうしても面倒くささが先に立ってしまう。そんな時は、まずはハードルを低く設定するのも一つの手だ。無理をして大きな目標を掲げるのではなく、最初は小さなステップから始める。例えば、一日10分の読書や、軽いストレッチ、あるいは新しいアプリを試してみるなど、できる範囲でやってみるのだ。

重要なのは、「やらないといけない」というプレッシャーを少しでも軽減し、楽しんで取り組めるものを見つけることだろう。頭を使うことが苦手でも、楽しさを見つけることで自然と続けられるようになるはずだ。

50代はまだまだ挑戦の時代

51を迎えるにあたり、私はまだまだ挑戦できる余地があると感じている。肉体的な改造に取り組んできたからこそ、次のステージに向けて頭や心を鍛える挑戦が待っているのではないか。そして、それが必ずしも「勉強」である必要はない。何か新しいことを学ぶ過程自体が自分を成長させるチャンスだ。

来年から何を始めるかはまだ決めていないが、今はその模索が楽しみでもある。年齢を重ねても、挑戦し続けることが私たちロスジェネ氷河期世代にとっての新たな道だと思う。

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