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サブスク時代の罠  「所有」から「利用」へ、ロスジェネ氷河期世代の視点で考えるサブスクリプションの世界


今や生活の隅々までサブスクリプション(以下、サブスク)が浸透し、「所有」から「利用」へのシフトが加速している。音楽、映画、車、ゲーム、ニュース、さらには車や家具まで、あらゆるものが定額料金で利用できるようになったこの時代。しかし、ロスジェネ氷河期世代としては、この「サブスク万能主義」に少し違和感を感じている。なぜなら、私たちは「所有」という価値観の中で育ち、それにこそ個人の自由や楽しみがあったからだ。


サブスクの台頭と「所有」の消失

サブスクが主流になる前、私たちはモノを「所有」することにこだわっていた。音楽はCDで手に入れ、映画はビデオやDVDを、ゲームもカートリッジやディスクを買って集めた。これらは単なる物理的なメディアではなく、そこに記録された思い出や感情も含まれていた。

ファミコンのカートリッジを棚に並べる喜び、CDのジャケットを眺めながら音楽に浸る楽しみ、これらは「所有」という形を通して、私たちにとって単なる商品以上の価値を持っていた。

しかし、今のサブスク時代では、そうした「所有」する喜びが失われつつある。すべてがデジタル化され、手に触れることができない「利用権」として提供されている。この変化は、便利さを追求する一方で、何か重要なものを失っているのではないだろうか?


ロスジェネ氷河期世代としての違和感

ロスジェネ氷河期世代 就職氷河期を生き抜いた私たちは、モノに対する執着や、限られた中で工夫して楽しむことを身につけてきた。経済的に苦しい状況の中でも、手に入れたものを大切にし、所有する喜びを知っていた。そんな私たちにとって、サブスクの世界は「手軽さ」と「便利さ」が全面に押し出されているものの、それがもたらす空虚さも感じている。

例えば、かつては音楽を一枚のアルバムごとに購入し、そのジャケットや歌詞カードを眺めながら一曲一曲を丁寧に楽しんだ。それが今では、音楽ストリーミングサービスの膨大なライブラリにアクセスできるようになり、数百、数千もの曲がすぐに手元にある。しかし、果たしてその全てを深く味わっているだろうか?車の残クレというサブスクで高級車アルファードが街に溢れているが、かなり危険に感じてしまう。最後まで何事もなく行ければいいが事故にあったり、傷ついてしまったり過走行してったりで思いがけないことになってしまう危険すらある。


サブスクの「所有しない」ことが生む不安

さらに、サブスクの特徴として「所有しない」ことが挙げられる。これは一見合理的だが、一方で不安定さも感じさせる。サブスクの契約をやめた瞬間、利用していたコンテンツやサービスにアクセスできなくなる。また、サブスクはプラットフォームに依存しており、サービスの提供が終了したり、内容が変わったりすると、それに影響を受ける。お金を払い続けるというのも辛い。

私たちロスジェネ氷河期世代は、何かを手に入れたらそれを大切に使い、使い続けるという価値観で育ってきた。それがデジタル化されたサブスク時代では、常に新しいものが供給され、古いものは無価値となる消費サイクルに組み込まれている。この変化は、物やサービスに対する愛着を薄め、結果として人々の心を不安定にしているように感じる。


サブスクに潜む「監視」のリスク

さらに、サブスクは「便利なサービス」という表向きの顔の裏側に、「監視」という側面を秘めている。利用履歴や嗜好、行動データがサービス提供者に蓄積され、アルゴリズムによって個々の消費行動が操作されている。私たちは気づかないうちに、サブスクのサービスに自分の行動や思考が左右されているのだ。

かつて、私たちは自分の意志でモノを選び、買い、楽しんでいた。今は、サービスの提供者が推奨するコンテンツを「おすすめ」として押し付けてくる時代だ。ロスジェネ世代は、自分の手で選び取る自由を失い、流されるままに消費することへの警戒心を抱く世代でもある。


サブスク社会への反動  「所有」の価値を見直す時

サブスクの恩恵は計り知れない。しかし、それが全ての答えではないことも事実だ。特に、私たちロスジェネ氷河期世代にとって、「所有」することの楽しさや満足感、そしてそれが生む自由や安心感を再評価する必要があるだろう。

たとえ手に取れるモノが減り、全てが「デジタル化」されてしまっても、自分で選び、自分で大切に使うという行為は、時代が変わっても尊重されるべき価値だ。私たちにとっての「所有」とは、単なるモノの支配ではなく、そこに宿る思い出や経験、そして自己表現の一部でもある。


最後に  サブスク時代に逆らうことの意味

サブスク時代の利便性は否定できないが、ロスジェネ氷河期世代としては、「すべてが簡単に手に入ること」が本当に良いことなのか、改めて考えたい。所有の価値、選び抜いた一つのモノへの愛着、そしてそれを通して得られる自己満足感は、サブスクでは決して手に入らないものだ。ゲームならばダウンロード版、本ならば電子書籍といった具合に買い切りならばまた違うのだけどサブスクはリースでしかない。

この混沌としたデジタル時代において、私たちロスジェネ世代が持つ「所有」への価値観こそが、未来に残すべき大切な教訓かもしれない。すべてが流動的で手軽な時代だからこそ、逆に「所有」することの意義が際立つのではないだろうか。

これからも私たちは、流行に流されず、自分の手で選び、自分の人生をしっかりと「所有」していくべきだ。

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