自分で自分にブレーキをかける
いやー、猛省猛省。
ここのところ、張り切って長文を書き過ぎました。
実際にはフロー状態と呼べるぐらいノリノリで書き上げていたので本人的には楽しいし満足感、達成感さえあるのですが、冷静に振り返ってみると、ちょっとここ数日の記事は頑張り過ぎてるなと。
だから、ここらでちょいと休憩的な回を挟むことにいたしましょう。チルアウトというやつです。
まあ、おそらくきっかけはいくつか恐縮ながら推薦記事をいただいたことと、それを契機にフォロワーさんが増えたことですね。要するに江草は調子に乗ってしまったわけです。褒められてテンションが上がって、俄然やる気が出て、執筆意欲がマシマシになった、そういう経緯なんですね。
調子に乗ってやる気が出るというのは一見良さそうなようにも思われるかもしれませんが、冷静さを欠いて大変なことをしでがちなのもこういうタイミングですし、それに休むことを忘れた結果、心身の健康を損ないがちなのも、案外本人がノリノリで調子に乗ってる時だったりします。
「サラリーマンより悠々自適なイメージがあるフリーランスや独立起業した経営者の方々の方が実はワーカホリックである」とはよく言われることですが、それは自分の仕事をコントロールしている者が自分しかいないがために、自分のテンションがヒートアップして暴走すると誰も止められなくなるからでしょう。noteの執筆はビジネスというわけではなくとも、あくまで個人プロジェクトであるために、同様にノリに乗った時に自分自身でも止められなくなる側面はあるかと思われます。
あと、サラリーマンの過労も「命令されてなる」という世間的イメージが強いですけれど、必ずしもそうでもないと思うんですよね。もちろん、きっかけは「与えられた仕事」「降りかかってくる仕事」なのでその解釈も間違いというわけではないんですけれど、「頼まれてもないけど頑張っちゃう」とか「何も言われてないけど周りの目を気にして頑張っちゃう」とか、実は自らワーカホリックコースに飛び込んで行ってしまうケースは多いんじゃないかと。つまり、自発的に過労に向かっていく要素は無視できない。
先の甲南医療センター専攻医過労自殺事件でも、亡くなった専攻医の先生は遺書で「周りに迷惑をかけて申し訳ない」みたいな言葉を残されていたそうです。「命令されて追い込まれてこうなった」みたいな恨み節ではなくって「自分が不甲斐ないこと」を謝ってる。根源的な責任が誰にあるかどうかはさておき、少なくとも本人自身は「自分のせいだ」と思ってたわけですね。
つまり、サラリーマンであっても、あからさまに過労を強制されるわけではなく、自ら頑張りすぎるように上手く環境や文化的に仕向けられている。そういう側面があると言えるわけです。実行犯として過労の崖に突っ込む最後のアクセルを踏むのはあくまで本人自身であると。そういう構造になってるんですね。
だから、最後の砦として、自分で自分にブレーキをかけることを私たちは「スキル」あるいは「意地」として持つべきなのだろうと思うんですね。
もちろん、周囲の環境や文化の圧というのは強力ですからなかなか抗うのは大変です。ただ、周囲の期待通り、予想通りの動きをするならそれは結局のところ自由意思とは言えないわけです。周りの環境や期待が自身の行動を決定するならば、本人の自由意思というパラメータを想定することなく、その行動が予想(計算)できてしまいますからね。最終的には周囲の法則から外れることができなくてはそれは自由ではないわけです。
でまあ、過労死とか自殺とか陰鬱な例ばかり出しちゃったのでアレなんですけれども、「褒められた」というむしろ純粋にポジティブな状況において嬉し過ぎて調子に乗ってしまうというのも、やっぱり周囲の影響で自分の行動が左右されてるという意味では似てるところがあるんですよね。
すごくありがたい、ありがたいのだけれども、それで浮ついて暴走することなく、落ち着いてブレーキも踏みながらじっくりとその有り難みを感受する。そういう、しっかりモグモグと咀嚼する感覚の方が、歓喜の声を上げて祝杯の盃を何杯もあおった結果へべれけになって大暴れするよりも、むしろ丁寧で誠実なお褒めの言葉のいただき方なのかもしれないなと思ったのです。
最近読んだ本にも、成功した途端急に色々チヤホヤされるようになった時に調子に乗ってしまい変なことをしでかす人は多いから気をつけろ的なことが書いてありました。
そういう意味で、江草もここのところヒャッホイとテンションアゲアゲMAXになってしまっていたのは、見苦しかったなあとようやく本日に至り反省しているわけです。(それだけ嬉しかったということなのですが)
だから、頂戴したありがたいお褒めのお言葉は、お香を炊いて正座をして木魚を叩きながら繰り返し繰り返しじっくりと音読する、そのような味わい方をさせていただこうかなと思っております。
ありがたやー、ありがたやー。
……うん、これはこれで、やっぱりなんかテンションおかしい気もしないでもない。
ちなみに、この「張り切って書き過ぎたー」の反省は、これまでも何度となく繰り返しているので、江草にとってはバイオリズムや四季みたいなものです。「またこのシーズンがやってきたかー」としみじみしますね。(事実上、反省の色がないやつ)