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妊娠を喜び合える社会に
「なんでこんな時に妊娠なんか」
申し訳無さそうに皆に妊娠の報告をする同僚の女性医師にむけて、誰からともなく舌打ちが聞こえた。
できれば本人には聞こえてないといい。
そう願った。
随分前の話だ。
ちょうど医局人事で我が放射線科の人員削減が決まった頃だ。
放射線科では画像診断管理加算といういわばノルマ制がある。日々押し寄せる膨大な量のCTやMRI検査を放射線科は翌日までに読影しなくてはならない。
もともと検査数に対し放射線科医の人数が足りておらず、毎日夜中まで、時には日が変わるまで残業して対応していた。
そこに人員削減人事の悲報である。皆で対応を苦慮していた矢先、追い打ちをかけたのが先の妊娠報告だ。
妊娠、出産、育児となるとどうしても彼女の担える業務量は減る。
皆に失意が広がるのも無理はなかった。
もちろん誰も悪い人じゃない。みな真面目でいい人たちだ。
ただ、ノルマで疲弊し追い詰められていたのだ。
白状すると、僕自身、同僚の妊娠報告を聞いた瞬間に祝福の気持ちよりも先に絶望感に包まれたことを覚えている。
その自分の心の反応が、恐ろしくて、恥ずかしくて、悔しかった。
医師という命を守る仕事をしながら命の誕生を喜べなくなってるなんて、この社会の働き方はなにかがおかしい。
僕がそう思い始めた原体験がこの同僚の妊娠報告だった。
SDGsは環境問題のイメージが強いが、実は働き方についても目標が示されている。たとえば「働きがいのある人間らしい仕事」もSDGsが目指す目標のひとつだ。
では、妊娠することを申し訳なく思ったり、同僚の妊娠を呪ったりするような働き方は果たして「働きがいのある人間らしい仕事」だろうか。
妊娠を喜び合えるような社会でなければ、働きがいもないし、人間らしくもないし、サステナブルたりえないのではなかろうか。
妊娠する者のためだけでなく社会全体のためにも「妊娠を喜び合える社会」は目指す価値がある。
僕はそう思うのだ。
あれから月日は流れ、最近僕は育児休業を8ヶ月間取得した。
職場は違うけれど、あの時の同僚の妊娠報告の光景が脳裏に焼き付いているだけに、取得に勇気がいった。
舌打ちは聞こえてこなかった。
むしろ同僚の皆さんから応援の声をたくさんいただいた。
「そうやって堂々と男性が育休が取れる社会になってほしい」と言ってくださる方もいた。
あの時との空気の違いに涙が出た。
社会は変わり始めている。
職場と社会に感謝を伝えたい。
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