紅白けん玉失敗シーンに見る、典型的な事故発生要因
正月早々、地震が起きたかと思ったら、続いて羽田空港で航空機の衝突事故が発生し、大きな騒ぎとなっています。あまりに辛い出来事のダブルパンチ。正月の祝賀ムードが一気に吹き飛んだ立て続けの悲劇に、多くの方は皆同じく胸を痛めてるのではないでしょうか。
羽田空港の事故については、これから詳細な事故調査が行われると思いますが「一体何が事故の原因だったんだ」と事故のメカニズムや事故予防の方策について皆の関心が高まっているように見受けられます。
そんな「事故とはなぜ起きるのか」に注目が集まってる折ですが、奇しくもついこの間の年末、事故メカニズムの典型例と言えるアクシデントが多くの人々の眼前で繰り広げられてたんですね。
それは、紅白のけん玉失敗シーンです。
もちろん、これが羽田空港の事故原因と言ってるわけではないです。ただ、一般的な事故要因の典型例がちょうどつい最近起きていたというのは、事故防止に関心が高まってる今だからこそ、周知回覧しておいてもいいかなと思い、今日はこのトピックを取り上げます。
実を言うと、江草は紅白を生中継で見ていたわけではありません。みてなかったのですが、妻から「けん玉の失敗シーンがシュールだからぜひ見た方が良い」と聞いて、録画で見てみたのです。(なお、後にも述べますがこの時点で江草は「けん玉は失敗した」という情報を得て見ていることは重要なポイントとなります)
で、2023年紅白のけん玉で何が起きたか。
多くの方はすでにご存知と思いますが、ざっくり説明します。
まず、これはけん玉の連続成功ギネス新記録の達成をしようという紅白恒例企画です。
歌が歌われてる間に、今回は128人の参加者が連続で次々とけん玉をしていくと。で、全員が無事成功すればギネス新記録であったんだそうです。
最初のトライで3人目ぐらいの人がいきなり失敗したんですが、10人未満時点での失敗は一回やり直せるそうで、すぐに一人目からやり直してスタートしました。
ところが、早くも16人目のところで、ミスが出ます。ポロっと玉をこぼして手で掴みにいくシーンが放送上もはっきりと映っていました。
江草は「16人目が失敗している」という情報を知ってましたので「うわー確かにがっつり失敗しちゃってるな」と、これは言い逃れ無理だなと直感しました。
なんですが、番組ではこのまま17人目以降何事もなかったかのように次々とけん玉のリレーが続きます。失敗した16人目の人もすぐにフレームアウトしてもう二度と出てくることはありませんでした。ただただ、特別16人目について触れられることもなく次々と成功するけん玉が続きます。
この時点では「たとえ誰かが失敗したとしても最後まではやり続けよう」という方針だったのかなと解釈は可能です。
そして、最後の1人(歌手の方)まで成功。ここで、なんとガッツポーズが出ます。
いやでも、歌手の方も失敗に気づいてなかっただけかもしれないしーー。
ところが、ギネス審査員の判定はーーまさかの「大成功、ギネス新記録!」。
会場は祝賀ムードで大盛り上がり。
放送当時からSNSでは「いや失敗してね?」みたいな声が出てたそうなんですが、現場での判定は「大成功」とあいなったわけです。
そして、よかったよかったという感じで引き続き番組は進行。
しかし、約1時間後に「映像で確認したところやはり失敗でした」となって、記録が取り消しになったという顛末です。
さて、これはなかなかに教訓的な事故事例だったなと思うんですよ。しかも、この一部始終が国の人口スケールの多数の衆目の前で行われたというのは極めて希少なアクシデントだったかと思います。
何がこのけん玉アクシデントで興味深いかと言えば、それだけ多くの人が見ている中で、ついぞ「失敗したぞ」と(その場では)止めることができなかったということです。
判定が難しい競技であったり、たまたま見てない隙に失敗したり、など失敗自体に気づかない可能性というのは一般的にはもちろんあるでしょう。
しかし、今回の対象はシンプルな競技であるけん玉ですし、しかも割とあからさまに失敗していたので、判定自体が難易度が特別高かったとも言えません。
ところが、会場にも大多数の人がいて、ギネスの判定員までいて、それでも最後まで何事もなかったかのように進行し、挙げ句の果てには一度は成功判定が出たわけです。
誰もみてないとか、誰も気付いてないなんてことはあり得なかったはず。でも大成功になった。
これはなかなかに恐ろしいことではないでしょうか。
たとえば、これがけん玉でなかったと想像してみてください。
なんか部品が足りないなとみんな薄々気付いているけど誰も言わずに「準備OKです」として出荷されたり、なんかこの人の手術部位逆なんじゃないかと気付いているけど、誰も言わずにそのまま手術が決行されたり。
すごい重大な事故につながり得ますよね。
でも、本当にこういう事故経緯は多々あるんですよね。
「違和感はあったけど言い出せなかった」という典型的事故メカニズムです。まさしく、今回のけん玉でも起きた現象です。
で、これは全然、その現場にいた人たちを馬鹿にしてるわけではないんですよ。あくまで江草は後から「結果を聞いた上で」冷静に物事を眺めてるから言えてるだけと自覚してます。
医学領域では「retrospectiveに見て」などと言うところですが、これはつまり「岡目八目」的に有利な立場で第三者が後から見てるだけってことです。別に現場の人が愚かで、外野が賢いとかそんなことはありません。
むしろ、その時その場所にリアルタイムで居合わせていたら、江草だって普通に成功判定を出したかもしれない。
そういう「事故の悪魔」のありありとした姿が紅白の現場に見えることが、このアクシデントから得るべき教訓です。
たとえば、あなたが当時の紅白の現場のギネス判定員の方だったと想像してみてください。
紅白の圧倒的に華やかな舞台の中。普通の人はまず立つことはない非日常すぎる現場です。
そして、チャレンジが始まります。
あれ、なんか16人目の人が失敗したようにも見えたけど、すぐ17人目以降も始まるので目が離せないし、思考も定まらない。
そして、どのプレイヤーも何事もなかったかのようにどんどん成功を続ける。
しかも、最後の歌手の方も、ガッツポーズしてドヤ顔です。
会場の観客も「失敗しただろー!」とブーイングをするわけでもなく、固唾を飲んで見守っている。
「さて判定はいかがですか!?」
全国放送の大変な視聴率の生放送の老舗番組の中で、あなたにすぐさまカメラとマイクが向けられます。アナウンサーも誰も彼も笑顔です。
さあ、ここであなたは「失敗したです!」と言えるでしょうか。
一瞬だったし、見間違えだったかもしれない。何より、会場の他の誰も「失敗した感」を出してない。
番組のリズム的に熟考する時間も与えられてません。即答を求められます。
生放送なので修正もできず、口を開いたらあなたの一言一句を即座に国民が知ることになります。
もちろん、ここであくまで失敗判定を出すのがプロと言えばそうでしょう。
でも、たとえプロでも、ここまでのプレッシャーをかけられて、巨大な認知的不協和の中に置かれたら、それでもなお自分の判断を信じるという決断ができるかはかなり難しいところです。
別に立場を想像するのはギネス判定員でなくてもいいでしょう。
あなたが16番の失敗した方だったと思ってみてください。
「自分でも失敗した、やばい」と頭が真っ白になる。
もうダメだと思っていたら、次の17番目以降の人は何事もなかったかのように続けていきます。
本当は失敗したと宣言した方がいいのかもしれない。でも、普通にとりあえず進行していってるなら、その空気を壊すのも良くないかな。
それにギネス判定員の人がいるんだから、自分から言わずともちゃんと失敗判定を正式に下してくれるだろう。
だから、大人しく判定を待っていよう。
100番目ぐらいの人でもいいですよ。
なんか最初の方の人、失敗したんじゃないかと思ったけど、遠いポジションだったし、他の人が何事もなかったかのように続けてるから、まあとりあえず自分の番が来たら自分の仕事をするしかない。
失敗だったら誰かが言ってくれるだろう。
会場の人でもいいでしょう。
なんか16番の人ミスった気がするけど、ステージから離れてたし、見間違いかもしれない。
それにプレーヤーの人たちは普通に続けてるみたいだし、他の会場の人たちも騒いでないから、まあいいのかな。。。
もちろん、全部、江草が勝手に想像した心理状態ではあるんですけれど、さもありなんなストーリーだと思うんですよね。現に失敗があったのに成功判定が下されてますし。
つまり、どの立場の人も、紅白という非日常的な舞台の巨大なプレッシャーと、生放送のために各人に熟慮の機会がなく瞬間の直感だけで判断しなければいけない進行であったこと、そして何より「何事もなかった」という会場の空気を壊してはいけないという配慮から、失敗に気付いても言い出せない条件が揃ってしまっていたと考えられるんですね。「本当に失敗なら他の誰かが指摘してくれるはずだ」と。なんなら「誰も指摘しないんだからきっと自分の見間違いだろう」と自分の認知の方を修正した人も少なくなかったことでしょう。
でも、先ほども述べたように、このように「違和感があったことを誰も報告しない」というのは、大変に危険かつ典型的な事故要因であるわけです。準備不足やミス・エラーがあっても、「多分大丈夫だろう」でGOサインが出てしまうわけですから。
これは、個々人の能力とか態度というよりは、場面設定の魔力に問題があると言えます。
今回の紅白の件で言うと、やっぱりあの大舞台で即座に判定させるのは、あまりに過酷すぎる条件だろうと思います。
いくらギネス判定員の人が訓練されていたとしても、普段あんな高視聴率の生放送のカメラのドアップの状態で判定するわけではないでしょう。むしろ、プロのプロとしての技能を活かしきれない特異な場面であったと言わざるを得ません。
こうした矢継ぎ早にすぐさま判断させる危険性は医療現場でも知られているので、「タイムアウト」というステップが導入されています。手術執刀前に一回全員が手を止めて重要事項を確認するステップです。バタバタとしながら手術を開始することがいかに医療事故を誘発するかを知ってるからこその知恵ですね。プロでも正確な判断には一回、冷静になる静寂の時間が必要なんです。
紅白けん玉でも一瞬止まったとは言え、ガッツポーズに続くあの喧騒の流れの中でいきなり最終判定を求められる形でしたから、タイムアウト並みの冷静な静寂さの環境が得られたとは言えないでしょう。
ああいう即断のプレッシャーがいかにプロの判定の正確さをも歪ませうるかがありありと映し出されたのが今回の紅白だったんじゃないでしょうか。
というわけで、以上、紅白けん玉から見る事故要因の典型例の解説でした。
羽田空港の事故もこうした何かしらの典型的な事故要因が出てくるかもしれませんね。「多分大丈夫だろう」的な何かが。
これもヒューマンエラーとか個人の能力の多寡に原因を押し付けずに、構造的な問題をぜひ炙り出して欲しいものです。
失敗することそのものよりも、失敗から学ばないことの方がより大きな失敗なのですから。
参考文献
こうした事故や失敗から学ぶことの大切さを知る上でオススメなのがこちら『失敗の科学』。
江草の粗い説明よりも、より丁寧に詳細に失敗や事故のメカニズムを解説してくれてます。
また、「多分失敗してないんだろう」的な共同幻想(集合的幻想)の恐ろしさを知る上でオススメなのがこちら『なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術』。(邦題より原題の『Collective Illusions』の方がカッコよくて好き)
感想記事も書いてます。
医療安全の古典で言うと『人は誰でも間違える』ですかね。
ヒューマンエラーはどうしても起こってしまうものだから、個々人の不注意や能力のせいにばかりしてると、次の事故防止はままならないよという教訓を広く知らしめた名著です。
ただ、流石に絶版なのか、もう普通には流通してないかも。
江草の過去の学び的に印象的だった書籍なので、一応挙げときました。
後日談(2024年1月30日追記)
この件、紅白けん玉で失敗した16番の方のコメントが読める続報が出てました。
これによると「失敗した時の動き」と「成功判定が出た時の動き」は事前に決まっていたらしく、この方はそれに従って失敗したけどジッとしていたし、成功判定が出たらガッツポーズをした、という経緯であったようです。
つまり、彼は番組内で個人の意思を発露することはそもそもできないような取り決めになってたということですね。生放送の番組であるということを勘案するとやむを得ない取り決めではありそうですが、構成員が意見を言えないシチュエーションがいかに大きく道を誤りうるかを物語る裏事情であったとも思えます。