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複雑な世界の単純化
「世の中を単純に考えすぎなんだよ。世界はもっと複雑なのに」みたいなコメントはしばしば見られます。「○○の原因は△△なんだ!」みたいな断定的な主張に対して「単純化しすぎ」と批判する形で出るケースが代表的ですね。
実際、確かにその通り、世界は複雑なんです。あまりに正論なので、正直、江草も時々用いてるロジックかもしれません(すぐには思い出せないけど多分使ってそう)。
なのですけど、この「単純化しすぎ」というロジックにも注意点があることは意識しておくべきでしょう。
というのも、先ほどこのロジックを「正論」と評しましたけれど、これ、本当に「常に正しい」からこそ困りものなんですね。
確かに「○○の原因は△△なんだ!」みたいなドが付くほどの単純な形式の主張に「単純化しすぎ」と言う場面は妥当性の度合いが大きいでしょう。
ところが、これ、たとえ「○○の原因は△△と□□が××を介した結果アルファがベータをカッパらってイプシロンするからだ。そして更に他の要因として……」みたいなそこそこ長くて難解な論理の主張をしたとしても、「それでも世界を単純化してとらえすぎだ」と否定できてしまうんですね。
なぜなら、言葉や論理で世界の現象を説明しようとしてる時は、その時点で、どうしてもどこかを単純化してるところがあるからです。というより、むしろ具体的な実物そのままでは世界という代物が複雑すぎて理解しがたいからこそ、人が理解可能な形式にまで抽象化し単純化するのが言葉や論理の役割なんですね。
そこに「単純化しすぎだ。世界はもっと複雑なんだぞ」と言われても、それは確かに正論ではありますが、「そんなことは分かってるんだけど、それじゃ到底理解できないからこうやって議論してるんじゃないか」と嘆息されてしまうでしょう。
つまり、ある程度は物事を単純化しないと理解や把握が追いつかないので、常に人は物事を単純化しているのです。だから、「世界はもっと複雑なのに単純化しすぎ」という批判は常に正しくなるんですね。ある意味、どんな主張にも打ち勝てる無敵論法です。でも、だからといってそれを言い過ぎたら、議論も何もできない、身も蓋もない話になっちゃうというところが注意点なわけです。
話が抽象的すぎる気がしてきたので、何か具体例も出しましょう。
先に、人は世界を見るときに単純化してると言いました。これは「それぞれ世界を見るための固有の解釈モデルを使ってる」とも言い表すことができます。ここでのモデルというのは「世界はこういう風になっている」という解釈の型ですね。先ほどは言葉や論理の役割に注目しましたけど、実際には感覚的にも私たちはモデルによる単純化を行っています。
たとえば、「蛇口をひねれば水が出る」という現象。皆さんも自然に当たり前にそのように認識されてると思いますが、冷静に考えたら、そういう解釈モデルを後天的に身につけたに過ぎないですよね。物心ついたばかりの時には「蛇口をひねれば水が出る」なんて関係を知りませんし、そもそも蛇口と水が出る箇所は空間的には離れてますからそれらが関係してると疑うこともないでしょう(そもそも子どもは「関係してる」という概念もまだ定かでない可能性もあります)。
しかし、私たちは成長し人生経験を積んでいく中で、「蛇口をひねれば水が出るんだな」と学習していきます。そうして、脳内に「蛇口をひねれば水が出る」という解釈モデルが構築されて、もはや全く意識すらすることなく私たちは蛇口をひねって水を出して手を洗っているわけです。
ここでの「蛇口をひねれば水が出る」はあくまでモデル化によるパターン思考なんですよね。実際、「蛇口をひねったらなぜ水が出るのか」皆さん説明できますでしょうか。恥ずかしながら江草もぶっちゃけ全然説明できません。
そう、本当はもっともっとややこしい複雑な仕組みが背景にあってこそ水が出るようになってるのが蛇口です。しかし、それを「蛇口をひねれば水が出る」と単純化して私たちは認識しています。これぞモデル化ですよね。物事をすごく単純な形に落とし込んで理解している。
そして、さらに付け加えて言えば、最近いわゆる「ひねるタイプ」の蛇口を使えない子ども達が増えてるらしいんですね。どうもレバーを上げ下げしたり、手をかざせば自動で水がでる水道が普及したためらしいのですけど、これもまさにモデル化が後天的であることの証拠でしょう。
こうした単純なモデル化が行われるのは、そうすると理解しやすいというのと省力化が図れるというのがメリットです。複雑な世界を複雑なまま認知することは困難ですし、過剰に複雑なメカニズムを把握するのは労力もかかるし知識の維持も大変です。
だから、世界についての解釈モデルを出来る限り単純化した上で、十分に実践上の実用に耐えるのであればそれでOKという、プラグマティック(実用主義的)な感覚の下で、私たちは普段生きているわけですね。
そんなわけで、モデル化による「世界の解釈の単純化」というのは私たち人間にとって無くてはならない相棒的な営みなのです。
だからこそ、「単純化しすぎだ」と人の解釈モデルを攻めるのは常に正しくなってしまう批判となります。強力で便利に思えるかもしれませんけれど、それだけではちょっと野暮なんですね。せめて「そんな単純化した解釈ではモデルの実用性としても問題が生じている」という実用上のニュアンスも込めた方が良いでしょう。
モデルが物事を単純化していて、必ずしも世界そのものを正確に表すものでないことは、ハナから分かりきってることなのですから。
というわけで、以上、「単純化しすぎ」という批判もまた単純化しすぎだよという話でした。
……あれ?いや、ちょっと待てよ。「単純化しすぎ」という批判は単純化しすぎという批判も、いささか現実を単純化しすぎかも。。。
…。
……。
うん。いやあ、世界って複雑ですねえ。(まさかの極めて単純な結論)
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![江草 令](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/159442884/profile_6a38fb1225eabbdb89e8f63612818e5b.png?width=600&crop=1:1,smart)