読書の途中離脱はなぜ起きるのか
江草はここnoteでそこそこ読書感想文を書いてきましたけれど、もちろん、読んだ全ての本の感想を書いているわけではありません。あくまで「感想書きたいぞ」と思ったものだけ選りすぐりでピックしたものなので、読んだ本の一部ではあるんですね。
良い本だったけど、タイミングが悪かったりとか、江草が咀嚼しきれてないとかで、感想書けてないものもあります。
そして、読み切った本ばかりではなく、当然読み切れてない本も多々あります。つまり、途中で読むの止めちゃった本ですね。
もっとも、買ったのに読み始めることさえも出来てない積ん読本はそれ以上にあるのですが、ともかくも、そうした「全く読めてない積ん読本」と「一通り目を通した読後の本」の間に「途中で離脱しちゃった本」があるわけです。
で、こうした「途中離脱した本」って自分にとってどういう本と言えるのかなあと、ふと疑問が湧いたのです。
ある程度は読み進んでるので、興味関心はあったはずなわけです。それでいて、数ある積ん読本と違って、読み始めるきっかけや意欲、あるいは余裕もあったと。でも、最後までは読み切れなくて止まってしまった。
はてさて、これは何故か。
まず、考えられる理由は「つまらなかった」というものでしょうか。確かにこれはままありますね。テーマが好きなので読み進めるけれど、なんかこう面白くなくって、途中で止めちゃうと。本稿では具体的な書名は出しませんけれど、あるあるですね。
しかし、興味もあって好きなテーマにもかかわらず「つまらない」というのは、何なんでしょうね。
書き手の文体が悪いのか、説明の仕方が悪いのか、テーマと関係ない話題が多すぎるのか。意外と、こうした「つまらない」の原因って感じてる自分自身でも分からないものですね。
だいたい、仮に「つまらない」としても、ざざざっと速読で最後まで読み切っちゃってもいいはずなんですよね。実際、そうやって速読で終わらせちゃう本もしばしばあります(これは一応「読後」の判定)。
でも、途中離脱する本というのはそうやって「速読で概要ぐらいは把握しておこう」とさえ思わなかったと。
たとえば、映画と比較してみると違いがあります。江草は見始めた映画はだいたい最後まで見るんですね。映画館だと当然大金はたいてるからサンクコスト的に最後まで見るインセンティブは高いですが、サブスクで映画を見てる時でさえも、一応最後までは見てる気がします(と、書きながら途中で離脱した映画をひとつ思い出しちゃいましたが)。
映画だと通しで見るのに読書だと止めちゃうのは何ででしょうね。読書の方が平均的には所要時間が長いからでしょうか。映画だと1、2時間我慢すれば終わりますから、忍耐も持ちやすいですけれど、読書は何時間、下手すると二桁時間もかかりますからね。
あとは、認知負荷が読書の方が高いのもありそうですね。ぼーっとしてても映画は進んでいきますが、読書はぼーっとしてたら1ページも進みません。
それで読書中に「つまらない」判定が一線を越えた時に、残りが長いのと労力がかかるというイメージから「最後までざざざっと速読すること」さえ億劫になって離脱すると。
まあ、こんなところなのかもしれません。
あと他に考えられる理由はなんでしょうね。
そうですね、「つまらない」わけではないけれど、「今じゃない」と思ったとか。
大著では特にありがちなんですけど、読むのに日数が要るので、読んでるうちに他の事に対する興味関心が湧いて、他の本の読書が急に割り込んで来ちゃうことがある。「また続きはこの(割り込んだ)本を読んでから後で読もう」と思っていたけれど、そのまま忘れて途中で止まったまま放置されちゃう。
「今読む本」としての優先順位が他の本に取られちゃった。すなわち「今じゃない」という扱いになった。面白いし、興味がないわけじゃないけれど、他を優先するからと。
うん、このパターンもあるあるですね。
これ、そこそこ読んでしまってる時に、後から思い出して「もったいないー」って悔やむパターンなんですよね。時間が経つとさすがにそこまでの流れをこってり忘れてるので、また優先順位が回ってきたとしても最初から読みたくなっちゃうんですよね。
仕方ないと言えば仕方ないですし、別に再び最初から読んで学びや楽しみは十分あると思うので、必ずしも悪い話ではないのですが、この「途中まで読んでたのに忘れた悔しさ」は、読書再開のハードルを上げる心理的効果があるので、結局事実上の「積ん読」行きになりやすくなるんですよね。なんとも切ない。
できればこのパターンは避けたいなあと思うけれど、意識せずとも勝手に起きちゃう事態なので必要悪なのかもしれません。
他の理由はあるかなあ。「つまらない」でもなく「今じゃない」でもなく。
あ、そう考えてみると、「大事にしすぎて」というパターンもありますね。
面白いし興味関心もあるけれど、それゆえに張り切りすぎて「万全の時にメモとか取りながらじっくり読むぞー!」と思って、かえって手が止まっちゃったみたいな。スキマ時間に平行で読んでた他の本(そこまで気持ち的に重みを置いてない本)の方がどんどこ進捗しちゃうという皮肉。
読み始めて、「これは重要な本だ!」と思ってしまうと、それが逆説的に途中離脱リスクになると。
これもあるあるですねえ。
そんなのささっと一旦読み切ってしまえばいいはずのものなのですが、「面白い!」「ここ重要やな!」みたいなポイントが矢継ぎ早に登場すると、ついつい歩みが遅くなるのが人情というもので。
結局、「万全の時に読む」という理想的な読書環境にこだわるがために手がつかず、いつしか先ほどの「途中まで読んでたのに内容忘れちゃった」のトラップに陥ってしまうのです。
自分的に注目の本であるがゆえに、こうなるのはかなり切ない。
このパターンはほんとにもったいないので避けたいのですけれど、正直なところ、いやあ、時々やらかしてますね。
とまあ、つらつらと考察してきましたけれど、とりあえずこんなところで。
こうしてふと理由を考えてみたおかげで、「そんなこんなで読書離脱というのが発生しちゃうんだなあ」と中断本に対してしみじみとした愛着的な気持ちが湧いてきました。
良い機会なので、新しい本にばかり手を出さず、中断した本に再チャレンジしてみようかな。