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もっと働きたい自由、もう働きたくない自由

目下の自民党総裁選で、残業時間規制の撤回が争点に登場し物議を醸しています。

自民党総裁選では、小泉進次郎元環境相が「労働者の働き過ぎを防ぎ、健康を守るのは当然だが、現在の残業時間の規制は、原則として月45時間が上限。企業からも、働く人からも、もっと柔軟に働けるようにしてほしいという声がある」とし、現行の労働時間規制を見直す考えを打ち出した。


当然、反対の声も上がってます。


こうした残業時間規制緩和論の論拠として定番なのが「もっと長く働きたい人が長く働く自由を認めるべき」というものです。

実際、冒頭の小泉氏の主張はまさに「もっと長く働きたい人が長く働く自由を認めるべき」という考えが背景にあると言えるでしょう。(「柔軟に」という言葉で印象を和らげていますが残業時間規制の文脈なので「長く」という意図であるのは明らかでしょう)

確かに一理あるんですよね。世は空前の自由主義社会ですから、「もっと働きたい」という個人(ないし「もっと働かせたい」という私企業)の希望を国が規制して妨害するのは自由の侵害であり許されないのではないかという議論はもっともではあるんですよね。

この主張には解消すべき細かい問題点の議論が色々あるのですが、それはひとまず置いておいて、大筋として「もっと長く働く自由を認めろ」という主張自体は、自由主義の文脈からすれば何らおかしくはないわけです。

なので、我らが社会の自由主義の大文脈に従って「もっと働きたい自由」を認めることにするとしましょう。

しかし、そうすると、当然ながらそれと対になる自由も認めるべきということになりますよね。

その自由とは「もう働きたくない自由」です。

ここで都合良く「もっと働きたい自由」だけ認めて「もう働きたくない自由」の方は却下というわけにはいきません。今回あくまで根拠としては自由主義の文脈が前提であったわけですから、自ずと全ての自由を尊ばないとならないはずです。

だから、「もっと働きたい自由」を積極的に認めるなら、同時に「もう働きたくない自由」をも積極的に認める必要が出るのです。

して、そもそもの残業時間規制というのは、もう労働者本人としては働きたくない状態であってもなお働かされてしまうという危険な事象(いわゆるブラック労働)の多発が知られていたからこそ、設置されていたわけです。

つまり、「もう働きたくない自由」が侵害されていた事実があったからこそ、「もっと働きたい自由」を(自由主義としては渋々)制限するのと引き換えに「もう働きたくない自由」を保護していたのです。

なので、ここにおいて、確かにこれまで制限されていたと言える「もっと働きたい自由」を解放するために残業時間規制緩和を打ち出すというのであれば、その対になる「もう働きたくない自由」を保護するためのカウンター措置を同時に施さねばおかしいのですね。

自由主義の文脈を貫く時、究極的に言えば、「労働時間無制限」と同時に「労働時間ゼロ」も認めるべきということになるでしょう。「いくらでも働きたい」と言う人の自由と、「全く働きたくない」と言う人の自由をともに認めるわけです。これぞ自由主義というものです。

しかし、そうした理想像と対照して、今現状どちらの自由がより侵害されてるかと言えば、「働きたい」の方よりもむしろ「働きたくない」の方ではないでしょうか。

確かに上限があるとは言え、今既に月45時間もの残業が認められています(ちなみに医師の残業時間は最大年1860時間まで公認されてますが)。

そして、(サービス残業のような明らかな違法状態でないという前提ですが)残業すると対価としてその分の残業代も支払われます。しかも、その残業代は割増料率がかかっているので、「もっと働きたい人」からすれば「もっと働きたい」という個人ニーズも満たせた上で「おいしい報酬」がもたらされるのですから、そう悪くない話です。

また、極論、本気で「いくらでも働きたい」と願ってるのであれば、独立起業すれば誰も止める人はいません。自身が経営者であれば労働基準法の規制外ですから、残業時間規制を緩和するまでもなく、いくらでも好きなだけ働けます。確かにリスクも高いですが、上手くいけばとてつもない高報酬を得られる可能性もありますし、今や起業家を応援する制度や社会の空気も高まってきていますから、「いくらでも働きたい」という人は、十分にいくらでも働ける社会環境下にあるとも言えます。

ところが、他方の「働きたくない」の方。これはかなり渋い状況におかれてます。

確かにパートタイマーなどの非正規社員として短時間の労働で済ませることは現状でも可能です。ところが、皆さんもご承知の通り、一般的には非正規になった途端に報酬相場は激減し福利厚生も貧弱化します。これは、「もっと働きたい」派の人が、その個人の希望通りにたくさん残業をするとその分「多額の報酬」を得られていたのとは対照的です。「もう働きたくない」派の人がその希望をかなえると、逆に金銭的なペナルティを受けるわけですから。

さらに、パートタイムや時短のレベルを超えて、「働きたくない」派の究極の状態「労働時間ゼロ」を目指そうとすると、なおさら大変な境地に立たされます。

何をするにもお金が必要になったこの世の中で、労働時間がゼロだと無報酬なので、ほとんど何も出来なくなるんですよね。もちろん、金銭のやり取りを介さないコミュニティの助けなどがあれば、色々と可能性は広がるのですが、そうしたコミュニティが今や衰退の一途であることは周知のことでしょう。

もちろん、この場合、「生活保護を受ける」という手もあります。ところが、この「生活保護を受ける」という行為がいかに社会的に蔑視され抑圧されてるかもまた皆さんご承知の通りでしょう。「いかに生活保護を受けさせないか」に腐心する行政、フリーライダーとして生活保護受給者に侮蔑の目線を向ける市民達。

このような、「全く働いてない」生活保護受給者に対して社会から向けられる冷たい目線や仕打ちは、「身を粉にして働いている」経営者たちを応援し憧れ賞賛する社会の態度と、全く真逆です。


つまり、「もっと働きたい」は、報酬がもらえるし、社会的支援もあるし、社会的名誉も得られる。一方の「もう働きたくない」は、困窮するし、支援も冷たいし、社会的に不名誉扱いと。

かたや、インセンティブ。かたや、ペナルティ。

「働きたい」と「働きたくない」。こうして見れば、どちらの自由が現状より厳しい状況に置かれてるかは明らかでしょう。

だから、ここにおいて、「もっと働きたい」という自由を認めるために残業時間規制を緩和するだけというのは、「もう働きたくない」の自由の保護を怠ってる片手落ちなのです。

なるほど、自由主義の文脈においては「もっと働きたい」自由を認めるべき。それはもっともです。ですが、それならば同時に「もう働きたくない」の自由も保護するべきです。

具体的には、短時間労働者、無労働者に対する金銭的支援、社会制度的支援を付与した上で、そして名誉も回復させる。現状の「自由のバランス」の偏りを考えるに、まずはそうした「もう働きたくない人」の自由の解放を実施してから、「もっと働きたい人」の自由を解放する方が自然でしょう。


おそらく、こう言うと「働いておらず社会に貢献してない者を支援するなんておかしい」という反論の声も出うるでしょう。これ自体にみっちり再反論もできるのですけれど、特に本稿においては、そうするまでもありません。

なぜなら「働かない者を支援するべきではない」という主張は、既に自由主義の文脈から外れてるからです。それはただ「働いてることが偉い」とする勤労主義の見方であって、「個人が自身の活動を自由に決められることを尊ぶ」という自由主義の見方ではありません。

そのように「働いている者が偉いのだ」と言いたいのであれば、最初からそう言うべきなのです。それはそれで一つの見方ですから尊重されてしかるべきですし。

しかし、冒頭に述べたように、労働時間規制の緩和はしばしば「もっと働きたい人がいるのでその自由を認めるべき」という自由主義の文脈が用いられます。

ただ、その本音としては勤労主義の文脈で労働時間規制緩和を支持しているのであれば、それを隠さずちゃんとそのように言うべきです。たとえば「この世の中では長時間働く者こそが偉いのだから残業時間規制は緩和すべきだ」などと。

それをあたかも「もっと働きたい(働かせたい)という希望があるので」などと自由主義の文脈を模して誤魔化すというのは、それは誠意のない姑息なやり口としか言えないでしょう。

本稿はあくまで「言われてるような自由主義の文脈に従うならば」という形の議論なので、そうではない勤労主義の文脈を持ち出すなら、それはまた改めて別の話ということになるのです。



関連記事

付録として江草が過去に書いた関連記事を挙げておきます。


これは、本稿でもちらっと触れた残業代の割増率の強化が長時間労働のインセンティブ強化になり得ることを懸念して、残業税というラディカルな案を提言してみた記事。


これは本稿でも焦点となっている「もっと働きたい」という声は本当に「働きたい欲」なのかについて追求した記事。実際には「働きたい」のではなくって「お金が欲しい」なのではないかと。


これは、働き方改革とは、「働きたくない」という人たちのためだけでなく「もっと働きたい」という人たちのためでもあるのだということを指摘した記事。

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江草 令
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