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マシュマロテストは永遠に

有名な心理学実験に「マシュマロテスト」というやつがあるじゃないですか。

概要としてはこんな感じ。

被験者として子どもたちを集めて、一人ずつ実験をします。
マシュマロを目の前に1つ置いて、研究者は子どもにこう伝えます。
「このマシュマロ食べてもいいけど、15分待って食べずにいられたらもう一つあげるよ」と。
それでも我慢できずにすぐ食べちゃう子と、我慢できた子に分かれるわけですが、我慢できた子は後々学術的社会的な成功を収める傾向が強かったよという話。

この結果を引用して、衝動的な欲求を抑えて理性的に我慢することの大切さが説かれるのがお定まりの展開です。

とても有名なこの実験ですけれど、再現性に難があるとかどうとかで、疑問符もついてます。
ただ、今日のところはそうした科学実験としての妥当性の側面については置いておいて、このマシュマロテストを江草流のひねくれた思考実験の素材として美味しくいただくことにいたしましょう。


さて、科学的妥当性はどうあれ、このマシュマロテストのエピソードが広く社会で受け入れられたということは、「待ってれば増えるマシュマロをすぐに食べることなく我慢することは良いことだ」と考える人が多かったことを示すと判断していいと思います。

マシュマロテストの結果を聞いて「利益の享受は我慢して後回しにすることが大事だ」と人々が思うようになったというよりは、「利益の享受は我慢して後回しにする方が美徳だ」ともともと思ってた人々にとってこのマシュマロテストの結果が都合良く使いやすいエピソードだったのでもてはやされたという順序の方が実際に近い気もしないでもありません。別に昔から「今我慢して勉強すれば将来楽ができるのよ」という言説は人気だったように思われますし。

で、ともかくもこんな風に「確かに大事だよね!」と違和感なく受け入れられてそうなこの「すぐに利益を確保せず、我慢して将来のより大きな利益につなげる方がいいのだ」という教訓ですけれど、ちょっとこれよくよく考えると疑問が生じるのですよね。

そのおかしさを体験していただくために、このマシュマロテストを改変した発展型の思考実験をしてみましょう。

まず、元祖のマシュマロテストは、最初に1つのマシュマロをもらいますけれど、しばらくしたら2つのマシュマロがもらえるよという設定でした。すぐに食べちゃった子は1個のマシュマロにしかありつけず、我慢できた子は晴れて2つのマシュマロという多大な利益を享受することができたと。

でも、ここで、このマシュマロテストを全くそのまま繰り返してみたらいかがでしょう。

最初の1つのマシュマロをすぐに食べることなく我慢して2つのマシュマロをゲットした子どもに対して、さらにこう言うわけです。
「すごいね、よく我慢できたね!で、この2つのマシュマロを食べてもいいけど、しばらく食べずに我慢できたらさらにもう1つあげるよ」と。

つまり、マシュマロテストの延長戦です。

さて、どうしましょうか。
確かに既に一度マシュマロが増えた点は違いますけれど、テストとしての本質は全く同じです。「我慢してマシュマロを1つ増やすことを選ぶかどうか」です。

ここでマシュマロテストの結果を肯定的に捉える人たちが言っていたのは「すぐに利益を確保せずに、我慢して将来のより大きな利益につなげる方がいいのだ」というポリシーでした。となると、このポリシーに従うならば、ここでもまた我慢して2つではなく3つのマシュマロを得るのが良いということになるでしょう。ここで我慢できず2つ食べるようなのは将来成功しない愚かな態度であると。

というわけで、再度我慢して見事3つのマシュマロをゲットしました。いやあ、良かった良かった。

ところが、既に皆さんも嫌な予感がしてらっしゃると思いますけれど、はい、またマシュマロテストを繰り返させていただきます。

「すごいね、よく我慢できたね!で、この3つのマシュマロを食べてもいいけど、しばらく食べずに我慢できたらさらにもう1つあげるよ」と。

既に所持してる分が変わってるだけで、課題の内容は全く同じなので、もし先ほどからの「我慢が大事ポリシー」に従うのであれば、ここでもまた我慢を取るべきということになってしまいます。

しかし、もちろん意地悪な江草はこのマシュマロテストを永遠に繰り返す想定なんですね。4つゲットしたら次は5つにチャレンジ。5つゲットしたら次は6つにチャレンジと。100京個のマシュマロになろうが、無量大数個になろうが続けますよ。(もはや「クッキークリッカー」みたいですね)

そう、これは無限マシュマロテストなのです。

この無限反復的にマシュマロテストを課す思考実験においては、ただ純粋に「我慢が大事ポリシー」を維持すると、永遠にマシュマロを増やし続けるばかりで、いつまでもマシュマロそのものにはありつけないという奇妙な結果が生まれます。

数値上の「含み益」がただ拡大するだけで実際には食べることができてないという点で言えば、もはや元祖マシュマロテストの1個の段階ですぐ食べた子の方がむしろ実益を確保できてるという逆説的な状況になるわけです。

当然、多くの人の反応は「さすがにそこまで大量にマシュマロを増やすのはアホらしいからどこかの段階でマシュマロテストから降りて食べてしまえばいいじゃないか」というものでしょう。そりゃそうですよね。

でもこの場合「じゃあそれはどの程度の段階だったらテストから降りるのが妥当なのか」という新たな問いが生まれることになります。

「これだけマシュマロがあったらもう十分だろ」という判断はすなわち、主観的な「これで十分足りてる」「もう食べちゃお」という感覚を「取っておけば将来利益が拡大する」という理性的計算より重視するという態度なわけですから、件の「我慢が大事ポリシー」に制限をつけるということになります。

そして、こうした「これだけのマシュマロがあったらもう十分。食べてしまおう」という態度を受け入れるとなると、翻って元祖マシュマロテストで「1個のマシュマロの段階ですぐに食べてしまった子」も否定できなくなるんですね。なぜなら、その子からすると「1個のマシュマロでもう十分」と感じたからこそ、すぐに食べたのかもしれないからです。

ここで「それじゃあ少なすぎだ」と外野が非難するとしたら、その根拠は何なのかと問われることになります。本人がそれでいいと言っているのに、なぜダメなのかと。

逆に、そうした「それじゃあ少なすぎだ」と外野が茶々を入れることを肯定するのであれば、無限マシュマロテストにおいても被験者が「もうそろそろいいかな」と止めようとする度に「それじゃあ少な過ぎだ」と茶々を入れる外野を登場させることもできてしまいます。その外野の指摘を受け入れると、やっぱり永遠に増え続けるマシュマロの前でそれを食べられることもなく我慢するハメになってしまいますが。

つまり、この無限マシュマロテストにおいて分かることは、結局はどこかでそうした客観的利益計算ではなくって、本人が「これでいい」とする主観的な感覚を受け入れないといけなくなるということです。そして、それは本人の主観を肯定しているがために、究極的にはマシュマロが1個の段階においてさえも「もう食べたい」という主観的感覚を否定し得ないので、例の「我慢が大事ポリシー」の説得力が瓦解してしまうということになります。

実際、そうした「足るを知る」的な態度に対してもまた私たちは「賢明である」と捉えることがよくあります。

たとえば、バイキング(食べ放題)に行った時に、「どれだけたくさんの料理を食べられるか」という利益の最大化に躍起な(ある意味では)合理的思考の人が多い中、あえて少量の料理をじっくり味わう態度を良しとする話が聞かれます。

「せっかくバイキングに来たのにそれだけしか食べないなんて」と人は言うかもしれませんが、むしろ食べ放題で早く大量に食事をかき込むことばかりを考える「利益の最大化派」よりも、あえて制限した量に向き合う「足るを知る」態度の方が、食事を美味しく食べることができてる可能性はあるのではないでしょうか。

実際、江草も過去にケーキバイキングで食べ過ぎて気持ち悪くなったという苦い経験があります。ほどほどにしておけばよかった。とほほ。

このように、私たちは「我慢して利益を最大化すること」を支持する一方で、「足るを知って今そこにあるものを味わうこと」も大事であるとも思ってるんですね。しかし、この二者をどこで切り替えるべきかは意外と分からないし、結局は主観に頼るしかないところがあるのです。

この無限マシュマロテストは、そうした私たちが抱える相反する思想のジレンマを描き出す思考実験になってるわけです。


で、たとえ現実として「我慢できずにすぐに食べてしまう」というのが問題であるとしても、逆の「ずっと我慢し続けてしまう」もまた問題であると思うんですよね。マシュマロテストの結果の肯定的受容は、前者の軽減にはつながるかもしれませんが、それは一方で後者を助長するものでもあるわけです。

現実世界においては、「マシュマロ」でなくって「資産」とか「キャリア」とか対象がそういうものになってきます。ずっと頑張って頑張って我慢し続けて、「資産」とか「キャリア」という名の「マシュマロ」を育て続けて人生を味わえてない人もいるのではないでしょうか。

少し前に『DIE WITH ZERO』という書籍がベストセラーになりましたけれど、この本の「金を貯めてばかりではなく生きている間に使い切れ」というメッセージは、まさにマシュマロテストの結果から「我慢して利益を増やすのが大事」という教訓を素朴に受け入れる態度への警鐘であったと思います。言うなれば「それじゃあマシュマロはいつまでたっても食べられないぞ!」と。

この本が売れるということは、むしろ私たちにとってマシュマロテストから得られる教訓の副作用の方が大きくなってる可能性を示唆するものでもありそうです。


ここからは余談ですけど、この無限マシュマロテストの思考実験、マシュマロを複利計算で増える設定にするとか、「限界効用逓減」の概念に基づいた途中離脱の正当化みたいなことも考えられます。

ただ、複利の設定であっても、一つ食べたらその分の将来利益が減ることは確かですから、やっぱり同じくマシュマロテストのジレンマに引っかかりますし、「限界効用逓減」についても「これだけマシュマロがあったらもう効用が低下してるなあ」というのは結局は「主観的感覚」に依存していることに変わりないですから、あまり実質的な影響はないかなあと思ってます。


いやあ、しかし、なんかずっとマシュマロマシュマロ言ってたから、マシュマロ食べたくなってきましたね。

食べちゃおうかな。

あ、それとも我慢するべき?

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江草 令
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