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天下のゆとリーマン「日東駒専落ち、Fラン大学に入った男の末路」を視聴

有名YouTubeチャンネル・俺たち天下のゆとリーマンの最新作、「日東駒専落ち、Fラン大学に入った男の末路」を視聴しました。比較的私の胸にグサッと刺さる内容でしたので、当時のことを振り返ってみましょうか。

動画はこちら


一度目の大学受験

一度目に通った大学の学科は当時の偏差値表で調べると、この通りでした。
河合塾偏差値 57.5
代ゼミ偏差値 58
なんだ全然悪くないどころか、MARCH下位レベルじゃないかと思った皆さん、1990年代は日東駒専が同じぐらいの偏差値あったんですよ・・・。実際私は、現役時に日東駒専4大学では東洋大学のみ受験して不合格になっています。穴場狙いでたとえば明治農などを受けましたが、これらのどこかには引っかかるっしょと思っていたこともあります。

結果として、1年宅浪の末、進学先大学と國學院大学文学部の2つしか合格できず、失意の大学生活が始まったわけです。
ただ、うちの親は貧乏だけど宅浪なら飯代以外何もかからないから2浪ぐらいまでならしてもいいと話す呑気な人でしたので、この考え方は私にも非常によかったし、親自身も結果として20年後・30年後の生活が安定しました。現役限定だったら帝京か桐蔭横浜か流通経済あたりに行っていたのでしょうかね、私。まあ、浪人時一切勉強してなかったけど、いつもSNSやnoteで主張する「2回の受験機会」によって救われただけです。

失意の大学入学

さて、1浪で大学入学後はそれはもう優等生扱いでした。数学アレルギーの人も多かったので数字を使う科目などは皆さん私に質問に来ていました。
よく発達障害の年齢は2/3といいますから、実質13歳だったので「私はこの大学にとどまる人間ではない。2年後は早稲田に行く」と自己紹介して、ドン引きされていました。
ただ、動画に出てくるテングほど人あたりは悪くなかったのでそれなりにコミュニティには入れていたのと、私のnoteの最初の記事に書いたように、真っ先に部活に入る行為を実践したおかげで、その団体内の中心人物で最後まで居続けられた、これは大学生活を成功させた財産となりました。

就職活動の成功

毎年冬になると大学受験をしていた生活は、一度目の学生時代も今も変わらずですが、2年生の時に受けた早稲田大学3年次編入は英語40、国語81で合格最低点122点という1点差不合格で非常に悔しい思いをしました。あれで合格していたらと思いますが、慢心して就職氷河期で就職が決まらなかったり、ブラックに行って意外と予後不良を起こしたかもしれませんね。
そんな超氷河期の就職活動、当然に100社落ちを経験するわけです。当時は珍しいことではありませんでした。逆に大学の同級生で早々に決めた人は、大卒でそんな会社行くのかみたいなところばかりで羨ましくもありませんでした。ご存じの通り、奇跡の早慶相当の内定を勝ち取って、ゼミでは唯一の正規雇用内定者(本当にこういう時代だった)として鼻高々でありつつも、皮肉なことに2年で辞めると公言していた大学の学位記を受けとることになりました。
100社落ちしてメンタルは大丈夫だったかって? 就職氷河期でどうせ採る気ないんでしょって感じだったし、就職は一般入試と違って相手の都合で決まるものだから悩むこと自体ナンセンスであるとASD的に考えていました。よく選考に落とされた原因を分析などと言いますが、せいぜいサッと考えるにとどめ、就職活動は徹底した他責思考でいくべきです。

大学生活全般

部活やゼミを頑張ったのか?と言われると全然そんなことはなくて、しかし部活では少し難易度の高い作業部分を私が対応するなどでフォローしたりはしていました。学園祭の模擬店とかは、自分自身も部員も「接客などできるわけがない」というコンセンサスができて、逆にネタに昇華されるレベルだったので担当を外してもらいました。
ゼミ合宿は、手抜きで作っていった私の研究(学部生レベルですからTwitterで皆さんがよく私にそんなのは作文だとかお気持ち表明だとか叩くレベル)を持っていったら、おいおい実質遊びのゼミ合宿の研究発表でお前だけ何マジに発表しているんだよと笑われたものです。他の学生は「何も持ってきませんでした」「サザエさん一家の過去を調べました」みたいな内容でしたかね。
あと、ゆとリーマンの動画のFランク大学で「先行研究が…」という場面が出てきましたが、私らの時代で文系が先行研究なんて言葉を使いだすのは大学院からでしたし、正直言って学部生だと相当ハイレベル大学の学生でないと言葉すら知らないと思います。それとも今って剽窃などの回避のために、初年次ゼミとかで書き方を教えるらしいので、そこでちょこっと紹介したりするんですかね。

学歴活動再燃まで

就職活動がうまくいってしまった私は働くことになりましたが、当時ようやくインターネットというものが普及しだした頃、ネットの学歴厨な知り合いに釘を刺されました。
「そんないい就職をしたら、お前の学歴活動が停滞する」
結果としてこの予言は当たりました。屈折した学歴コンプレックスが一時的に緩和されてしまって、一応は受験を継続していたものの、その活動は鳴りを潜めました。途中、奇跡の早稲田合格を経ながら、ドラゴン堀江企画まで参加賞的な大学受験活動になっていくわけです。

そして、コロナの時代が到来し、仕事が落ち着いている中ですることを失い、YouTubeでも観るかとなり、学歴系チャンネルなどというものがあることに気づきました(私、意外かもしれないけどwakatte知ったの2021年ですからね!)。
そこから知識が拡がって、学歴BARなるものがあるのかと告知を見て、行動だけは東大生並に真面目と言われてきた私が、バーなんて40代で初体験でしたが行ってみることに。有名な9浪はまいさんにどのような方ですか?とプロフィールを聞かれて、え、どうしよう…。

「大学受験25浪です」

この日から、当アカウントがスタートしました。

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