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A ソクラテス

ソクラテス (Sokrates 470-399 BC )
 ソクラテスは、アテネのかつては貴族だった家系に生まれ、父は彫刻師、母は産婆をしていたという。彼は、アナクサゴラスの弟子に自然学を学び、また、パルメニデスをはじめとして多くのソフィストたちからも学んだらしい。
 彼の様貌は獅子鼻に太鼓腹と、大変に醜悪であったが、身体は異常に屈強で、暑さ寒さ、飢え渇きにまったく無感覚、ふだんはボロをまとい、はだしで歩き、酒はいくら飲んでも酔わないというとんでもない鈍感な奴だった。そして、突然に思索を始めると、我を忘れて微動だにせず、一昼夜、同じ場所に立止まったままでいたこともしばしばだった。また、彼は子供のころからダイモン(神霊)の声が聞こえると言い、それに倫理的に導かれていると考えていた。思索の発作からしても、彼になんらかの脳疾患、精神異常性があったのではないか、という人もいる。ついでながら、彼の妻クサンティッペも、最低の悪妻として歴史上にも有名である。
 彼は、ソフィストのひとりではあったが、他のソフィストたちのほとんどが啓蒙的合理主義者であったのに対して、彼は反動的宗教主義者であったという意味では反ソフィスト的であり、また、ソフィストたちが民主主義者で、誰にでも謝礼をとって教えていたことを貴族主義者として軽蔑し、彼はかなり裕福で、働く必要もなかったので、ひまつぶしがてらソフィストたちはもちろん街頭の人々にまでも論争をしかけ、その小賢しさを論破して悦にいり、人々からは〈ソクラテスの皮肉〉と言われていた。こうして良くも悪くも名をあげ、一般にソフィストたちがそれぞれ一匹狼として党派をなさないのに対して、彼は若くして多くの弟子たちをかかえ、民主主義化の傾向に不安を持つ保守反動貴族主義者たちの支持を得てしだいに一派をなすようになっていった。
 とくに、彼が三十五才のころ、弟子のひとりがデルフォイ神殿で「ソクラテス以上の賢者なし」との神託を受けてからのちはますます神がかり、みずから「ディオニソスののりうつり」と称して、人々に哲学、すなわち、純粋に知を愛して〈魂の世話〉をすべきことを説き、これを生涯の使命とした。
 だが、彼はおよそ潔癖で宗教的な聖人君子などではなかった。美少年アルキビアデスをいつも身近にはべらせ、スパルタとのペロポンネソス戦争にも従軍して異様な忍耐力で勇敢に戦い、六十代には参政議員となって政治に参画し、さらに、自分の有能な弟子たちをも権力ある地位に仕官させようと、とても熱心だった。
 政治家となった例のアルキビアデスの失策によって、結局、アテネはペロポンネソス戦争に破れ、貴族主義的なスパルタ傀儡政権が樹立されたが、この反動政府はまさにソクラテスの弟子たちによるものだった。そして、彼らは、戦犯として反対者をつぎつぎと逮捕、処刑する恐怖政治を行い、多くの人々が亡命を強いられた。この中には、ソクラテスみずからが動いたらしい事件もある。また、若きプラトンもこの政権に参加するよう、勧められていた。
 この反動傀儡政府はもちろんとても不評で、亡命者たちのクーデターによってすぐに覆され、スパルタもしぶしぶ承認して、もとの民主制に戻された。その後もスパルタの監視下にあって、こうした裏切者たちに直接的な復讐はできなかったものの、さまざまな言いがかりをつけて糾弾し、迫害する風潮が生じた。そして、このような出来事のひとつとして、ソクラテスの死刑という事件も起こった。
 裁判における彼の弁明は、プラトンによって有名だが、小説化されているために、どこがソクラテス自身の発言の記録で、どこが後のプラトンによるソクラテス弁護なのか、不明確である。いずれにしても、彼は信仰異端と有害な教育という2つの罪で告発されたのだが、彼は、このような告発は彼の思想的活動に対する怨恨に基づくにすぎない、とし、また、自分は政治にはほとんどかかわらなかったし、あの反動政権にも自分は利用されたにすぎず、彼らにはまったく協力しなかった、だから、へたをすればむしろ自分も彼らに殺されていたかもしれない、と弁明した。その真偽の程はともかく、陪審員たちは有罪、死刑の判断を下した。彼は告発者や陪審員たちを呪い、弟子たちによって逃亡の準備が整えられていたにもかかわらず、オルフェウス教の《肉体牢獄説》《魂の不死》を信じて、みずから毒杯を仰ぎ、七十の生涯を終えた。
 彼は、若い頃は、ミレトス派的自然学やソフィスト的論理学を愛好したようだが、後には、きわめて宗教的になり、オルフェウス教の教義に基づいて、肉体という牢獄における永劫の《輪廻転生》から脱して、魂の本来の住み家である天上界に帰るための《魂の浄化》がその中心目的となり、これは、〈無知の自覚〉として実践された。というのも、彼はあの「ソクラテス以上の賢者なし」というデルフォイの神託の意味を真剣に自問し、自分のような愚かな者が人にまさるのは自分の無知を知っているからである、と考え、現世的な小賢しい知識を捨て、魂がみずから生み出す知恵を育む〈魂の世話〉が魂を浄化する手段であると気づいたからである。
 それゆえ、そのような魂が本来、持つべき知恵は、けっして現世的な目や耳から教えることのできるものではなく、ただソクラテスは弟子たちがみずからの魂で生み出すのを助けるのができるだけだとし、このような教え方を《産婆術》にたとえた。しかし、これは、表面的には、自分はなにも考えを出さず、ただ他人の見解を吟味検討し、あらを探すことでもあり、〈ソクラテスの皮肉〉と言われ、多くの人々から反感も買った。
 また、彼は、このような方法によって、天上界的なもの、すなわち、〈真実在〉の知恵をめざし、また、このような〈真実在〉を知ることによって、その魂は〈徳〉を獲得し、〈善〉へと近づくとされた。つまり、彼においては、《宗教》と《哲学》と《倫理》が同一のものであった。
 いずれにしても、彼にとって、魂が永劫の輪廻から抜け出して天上界に帰ることこそ最大の目標であり、哲学はそのための実践的な〈死の練習〉、死の準備、手段だった。それゆえ、彼は本を書かず、ひたすら実践的な問答によって、思想的活動をした。このため、彼の思想は直接には知ることはできないが、しかし、プラトンを始めとする彼の多くの弟子たちの著作や活動から、その独創性をうかがい見ることはできる。とくに、プラトンの作品の多くにおいては、ソクラテスが主人公となって登場し、プラトン自身は登場しないために、それが歴史的ソクラテスの思想であるのか、それとも、プラトンが権威ある師ソクラテスの口を借りて自説を述べているのか、もはや区分できない。

【ダイモニオン daimonion】
 (プラトン『弁明』『国家』など)
 〈ダイモン〉的なもの(形容詞中性形)。
 〈ダイモン〉とは、古代ギリシアの民間信仰における超自然的な神霊を意味し、やがて、各人に憑いてその運命を支配するものとみなされるようになった。
 ソクラテスにおいては、このようなものが、彼自身だけに聞こえる声として子供のときから体験されたが、それは彼以前のほとんどだれにも起こらなかったものである。それが現れるのは、いつでも彼が何かをしようとしているとき、それをさしとめるのであって、何かをなせとすすめることはけっしてなかった。彼はこの声によって政治にあまりたずさわらず、哲学に専心することとなったが、しかし、彼はまた、「国家の認める神々を認めず、別の新しいダイモンのたぐいを祭る」として訴えられ、処刑された。

【無知の自覚】
 人間ごときには、完全なる知にいたることは難しい。しかし、〈知〉でも〈無知〉ではなく、正しい〈思い ドクサ〉が無知と知の中間にある。つまり、知らないのに知っていると思っていることこそ、〈無知〉なのであり、これは肉体の牢獄に閉じ込められている状態である。だが、知らないことを知ること、そして、知ることを求めること、これは無知にまさることであり、この活動こそ《哲学》に他ならない。
 つまり、現世的な浅はかで小賢しい知識にまみれ、知っているという間違った思い込みにひたっているではなく、そのような知識が虚妄にすぎないと知り、無知を自覚して魂を浄化し、さらに、正しい知恵を思い浮べようとして、魂を天上界へと向けてこそ、死して後、魂は天上界に帰ることもできるのであり、我々はこのような哲学的努力を怠ってはならない。

【「汝自身を知れ gnothi seauton」】
 (プラトン『プロタゴラス』)
 七賢人の最初の知恵の実りとして、デルフォイのアポロン神殿に捧げられ、その玄関の柱に刻まれていた言葉。一般には[身の程を知れ]という程度の処世訓と解されていた。
 しかし、ソクラテスはその神殿から「ソクラテス以上の賢者なし」という神託を受け、この神託の謎を真剣に考え、この玄関の言葉を[人間はすべて自己の魂を探求すべきものなのだ]と解し、自分が人にまさるのはまさにこの点においてであると理解した。そして、彼はますます自信をもって、哲学的活動を進めていった。

【魂の世話 epimeleia pysuche】
 (アリストテレス『ニコマコス倫理学』)
 魂ができるだけ善くなるように世話することこそ人間にとってもっとも大切なことであり、これは本来の〈徳 アレテー〉ないし〈知 ソフィア〉への世話であり、哲学の営みにほかならない。そして、このことこそが、「汝自身を知れ」というデルフォイの言葉の求めるところであり、それはまた、自己の〈無知〉を知ることである。
 しかし、このような発想は、[徳は知慮 フロネーシス であり、説理 ロゴス であり、悪は無知にほかならない]とする《主知主義》として批判されるところとなる。また、[諸徳は、己自身を善にする配慮として一にして不可分である]という《快楽主義》ないし《功利主義》として批判されるところともなる。

【魂の浄化 カタルシス】
 【死の練習 melete thanaton】
 (プラトン『パイドン』)
 哲学とは、死の練習、準備である。魂が天上界に戻るには、一生の間、自分から肉体と協動せずに、肉体を避けて、自分自身の魂へ集中し、清浄な状態で肉体を離れればこそである。
 ところが、肉体という牢獄は、人間の肉体的欲望、情念を利用することによって、捕らわれている者自身がすすんで自分を束縛するよう、協力させるような仕組みになっている。
 しかし、《哲学》は、そのような魂を肉体から遠ざけ、魂を浄化してくれるのである。というのは、魂が純粋に自分だけで何かを考察する場合には、魂は知恵としてあの〈真実在〉へとおもむき、そして、そのような存在と同族であるがゆえに、もはや情念に動かされてさまようようなことをやめ、それとともに常に同一にして不変な状態を保つことができるからである。
 それゆえ、我々は、この肉体の牢獄の巧妙さを知り、哲学によって魂を浄化して、いつも死でもよいように、死を準備、練習しておかなければならない。

【問答法 dialektike】
 (プラトン『ゴルギアス』『パイドン』『国家』等)
 問答によって、相手の魂がが自ら知恵を産むよう導く方法。
 ここにおいては、相手は、妥協せず思うままに、かつ、イエスかノーか端的に、問われたことにのみ答えることが要求される。そして、それぞれの場合に、最も確実と判断する論言 ロゴス を前提にして、その前提と一致すると思われるものを真とし、一致しないと思われるものを偽とする。
 ソクラテスは、この問答を通じて、相手の不明確な点を矛盾として明らかにし、相手がより高次の明確な一般的規定を見出すよう導いた。
 プラトンによると、それは、もとにおかれていた仮設を棚上げにして、直接にその始元にさかのぼり、確実性をめざす唯一の上昇の道であり、このような方法によってこそ、模造品ではなく、本物の真実あるがままあらわに示されるから、それはもろもろの学問の頂点に置かれるべきものである。そして、なぜこのような方法をとるかというと、〈真実在〉をはじめから直接に見ようとすると、日食を直接見ようとする人が目を痛めてしまうように、魂を痛めてしまうからであり、それゆえ、いったんは論言 ロゴス のなかに逃れて、〈論言 ロゴス の中での考察 en tois logois skepsis 〉として、事物の影からそれのあずかっている真相へと迫る必要がある。

【産婆術 maieutike】
 (プラトン『テアイテトス』)
 ソクラテスは哲学における自分の役割を、自分の母の仕事である産婆にたとえた。すなわち、第1に、自分には知恵を産む力がないこと、第2に、人の精神に宿った知恵を安定・促進させること、第3に、仲人として相応しい教師を紹介すること、第4に、産れた知恵が育てるに値するか否かを判断すること、である。つまり、ソフィストのように知識を授けるのではなく、相手が自ら知恵を産むように導くのであり、これ方法が《問答法 dialektike》である。

【ソクラテスの皮肉 ironia Socratica】
 ソクラテスは、本来的な知恵は、目や耳からの現世的な方法では教ええず、むしろ、ひたすら魂が肉体的なものから離れて、純粋に思索してこそ魂は浄化されるのだ、と考えた。つまり、知識を持つことより、知恵を求めているその実践的活動、すなわち、知への愛(哲学)にこそ意味があるとした。
 ところが、これは、別の面から言えば、自分はなにも考えを出さないくせに、ただ他人の見解のあら探しばかりすることにほかならず、彼はこれを徹底して行い、相手が何も言えなくしてしまう「しびれエイ」とも呼ばれ、まして、「ソクラテス以上の賢者なし」というデルフォイの神託が有名になっていたこともあり、世間では、自分の賢さを鼻にかけた高慢な「ソクラテスの皮肉、いやみ」と言われた。
 今日もプラトンの著作からソクラテスのさまざまな主張を読みとこうという努力が営々としてなされてはいるが、実際のところ、彼との討論においては、およそ生産的な結論など出てきはしなかったように思われる。というのも、彼の議論の目的は、ソフィスト的な有益な結論などではなく、もともと破壊的に現世的な知識の小賢しさを暴き出し、無知を自覚することにあったのであり、その破壊的議論をすること自体が、魂の純粋な思惟として〈魂の浄化 カタルシス〉に役立つと考えていたからである。

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