「金魚坂めいろ人工訛り説」にツッコミを入れる
先月、時間泥棒というアカウントによる以下のようなつぶやきを見かけた。
で、該当のコメントを探してみると以下のようなものであった。3年前のコメントで、確認した時点で2030もの👍がついている。
いちおう要点を書くと、金魚坂めいろの訛りは
基本的に単語の前2音を高く発音し、それが標準語のアクセントと一致してしまう場合は前2音を低く・3音目から高くしている
同じ単語でも文頭にあるときや話のキーワードであるような時と、そうでない時とでアクセントが違う(前2音が高くならない)ことがある
単語固有のイントネーションがない訛りなど存在しないので、1と2から人工的な訛りだと判断できる
といったところだ。
この人工訛り説、結論から言えば完全なデタラメである。まず「単語固有のイントネーションがない方言」は「無アクセント方言」や「無型アクセント方言」と呼ばれ日本各地に存在する。九州では北東部(東京式アクセント)と西南部(二型アクセント)を縦断するかたちで広い地域が無アクセント方言を使用しており、「存在が疑われる」どころかメジャーなアクセント形態の一つである。このような方言では単語ごとにアクセントの付け方が決まっておらず、どのようなアクセントで発声しても正解になる。
もっとも金魚坂の訛りには、(引用に従えば)「前2音を高く発音するもの」と「3音目から高くするもの」の少なくとも2つのアクセントの型があることになるため明らかに「無型アクセント」ではないが、だからといって「無型アクセントではないのに同じ単語のアクセント位置が違っていておかしい」ということにはならない。日本の方言では様々な理由で語のアクセントが変わり得るからだ。
引用中の例だと「しいなかんとく」と「かんとく」でアクセントが違うなどと書かれているが、これは「椎名監督」という「複合語」だから「監督」単体とはアクセントが違っているというだけである。東京式アクセントではあまり意識されないが、京阪式アクセントでも二型アクセントでも複合語化によって構成要素の一方の語のアクセントが消失したり移動したりするのは当たり前の事象であり、不審な点でもなんでもない。Wikiepdiaの「日本語の方言のアクセント#複合語アクセント規則」で詳説されているので確認すると良い。
また引用文中では、最初の「やめる」(文頭)と次の「やめる」(文中)でアクセントが違うかのように書かれているが、私が聞いた限りではどちらも「やめる」( _は中音)で「や」以降が下がっており同じアクセントである。
ただし金魚坂の他の動画もみると、引用で言われているような「前2音を高く発音している語が、別のときにはそうなっていない」という現象はたしかに確認できる。例えば「にじさんじ」が「にじさんじのファン」になるという感じだが、語に焦点が置かれていないときや修飾語として使われているような場合に、本来のアクセントがはっきり出ていない(そこに尻上がり気味のイントネーションが加わっている)だけで、他方の「3音目から上げる」アクセントとの混同や交代が生じているわけではないようだ。文頭の語のアクセントをはっきり発音したり、焦点のない語のアクセントが弱くなったりするのは標準語でも起こっている現象であり、「単語固有のアクセントがない」という指摘が当たっているようには見えない。
まあもっと子細にみていけば明らかにアクセント揺れが生じている語なども見つかるかもしれないが、そもそも金魚坂の訛りは本人によって「いくつかの複合」とか幼少期に祖父母に育てられた影響などと説明されている曖昧なものなのだ。標準語等の影響を受けてアクセント揺れが生じるかもしれないし、「九州方面の訛り」の影響が幼少期に限定されたものなら、とくに幼少期に聞く機会がなかったような新語やカタカナ語のアクセントは不安定になる可能性があるだろう。
また「めいろ的訛りの方法論」といった書きぶりからして、この筆者はおそらく金魚坂の訛りにおけるアクセントが標準語とちょうど逆になる(標準語で前2音が高い場合、金魚坂の訛りでは前2音が低くなる)ことが不自然だと思っているようだが、これも実際には別に不自然なことではない。日本語の方言はアクセント方式が違っていても、単語ごとのアクセントは方言間できれいな対応関係があるため、標準語(東京式アクセント)と一致しないアクセントを持つ方言はだいたいどの単語も一致しないのが普通なのである。
実際二型アクセントの長崎型と呼ばれるタイプにはちょうどこのような「前2音を高くする」アクセント型があるが、東京式アクセントで最初の音が低いものの多くが長崎型ではこのアクセントになっている。他の音調的特徴が異なるため長崎弁自体は金魚坂の訛りとはまったく似ていないが、例えばこのようなタイプの二型アクセント方言のうちの特定のアクセントパターンが幼少期からの癖として残り、東京式アクセントの方言と混交して金魚坂のような訛りになる、と考えるのは不可能ではないように思える(し、そうしたものは九州の諸方言の話者からは聞きなれない訛りに聞こえるだろう)。
逆にもし金魚坂めいろの訛りが標準語のアクセントと逆になるよういちいち意識してアクセントを当てはめているだけのものだとすれば(そんなことをしながら生配信で喋れるとは思えないが)、前記のように「焦点の置かれていない単語のアクセントが強調されない」とか「複合名詞化でアクセントが変化する」といった、諸方言においてみられる現象が自然に起きているのは却っておかしいのではないか。意識してやっているのであればこうしたものも「前2音を高く」を貫徹しそうなものである。
なお夢月ロアの方はどうかというと、訛りの特徴がよく出ていた8万人記念配信あたりをみるとたしかに「せんせい」「へんがお」「ほうそう」のように前2音が高い単語が見つかるのだが、他方で「ウインク」「パニック」「うわめづかい」「ヘリウムガス」のように「2音目から」高くなる中高型のアクセントも数多く見つかる。金魚坂の訛りが人工的なものだと言っている者たちからすれば夢月の訛りがオリジナルだからバリエーションが多いのだということになるのだろうが、造ったものか否かという以前にこのようにアクセントの基本型すら一致していないものに対して、なんとなく似て聞こえるというような理由で真似しただの盗んだだのという非難ができたものか甚だ疑問である。
まあともかくこの時間泥棒という筆者は、図書館に出向くどころかちょっとググってWikipediaの「日本語の方言のアクセント」を閲読しさえすれば気づいたであろう「無アクセント」や「複合名詞のアクセント」や「方言間のアクセントの対応関係」も知らないまま「もし実在するなら日本語方言研究に一石を投じる超特殊な方言と言えるだろう(皮肉」などと知ったかぶり、それに対して同じくググりすらしない者たちが大挙してグッドボタンを押したり「すごい(語彙力の低下)」だの「なんだ、ただの有能か」だのといった賞賛をぶら下げているわけで、一言で言って恥さらしの見本市である。
後日の追記
この記事を書いた後、上記動画のコメント欄にも簡略に指摘を行ったところ、元の投稿者(時間泥棒)から以下のような返答があった。
「かんとく」と連呼しているシーンがどこかはわからなかったが、こういう「標準語が出た後に訛り直しているシーンがある」とか「驚いたときに標準語が出たシーンがある」といったことは金魚坂叩きの初期から言われていたもので何も新味はない。「訛り直し」については実際にはむしろ夢月ロアの配信のほうが多く見つかるということは前回記事で述べた通りである。
「コンテンツ提供」というのはボイスドラマ等のことだろうが、標準語を維持したまま小一時間喋ったり台本の類を標準語で読み上げたりするのに問題がないことは金魚坂自身が活動中に自分で(ある意味わざとらしく)示していたことである。それと「訛りのあるライバー」として活動を始めている以上訛りの一貫性をある程度意識するのは当然であって、訛りが自然なものかどうかに係わらず「金魚坂訛りで言い直す理由がない」などと言うことはできないだろう。
さてこうした「訛り直し」の指摘が根本的におかしいのは、金魚坂が「標準語を問題なく喋れる」として、そのことが即「金魚坂の訛りが夢月ロアの訛りの〈パクリ〉である」ことの証明になると思いこんでいる点だ。訛りというものは一度獲得しても薄れたり標準語(東京方言)を含め他の訛りの影響を受けたりすることがあるのだから、「実際には標準語を問題なく喋れる」が真だったとしても、それは「(九州方面の)訛りが全くない」証明にも「緊張などで訛りが出ることがない」証明にも「夢月ロアから訛りを〈パクった〉』」証明にもなっていない。例えば両者が似たタイプの方言の影響を受けていて、かつ標準語の影響を受け、どちらも「訛りキャラ」として非標準語のアクセントを強調することで結果的に似た訛りになった、といった可能性は否定できないのだ。
なお「金魚坂は標準語を喋ると過呼吸になると言った」というような話がデマであることや、金魚坂が(「ジモ方言」を使用した)意図的な「訛りキャラ」である可能性は前回の記事に書いている。方言のアクセントについてググりすらしていなかったこの筆者は当然「ジモ方言」という概念すら知らないだろうが、訛りやアクセントについて基礎的な知識を踏まえなければ「どういう可能性がありうるか」も検討できるはずはなく、そんな蒙昧さで「全てに説明がつく」とか(引用に続く部分で)「蓋然性を高める説明」などと息巻いているのだから笑止である。前提知識がなければ想像で穴を埋めたストーリーを事実性が高いと思い込むものだ。
またこの筆者は私について金魚坂を信用している・嘘を言っていないと考えていると思い込んだようだが、私はそもそもこの件に関して誰かが誰かより信用できるなどという観点でものを書いていない(この筆者はどうやら違うようだが)。
私が金魚坂の訛りについて言いたいことはまず第一に「訛りなどという不確実なものに対して、動画などの限られた情報だけで「パクリ」などと確定できると思っている奴らは物識らずの阿呆だよ」ということだ。「ジモ方言」などの可能性を言っているのはこうした素人検証がいかに穴だらけであるかを示すためにすぎず、別に金魚坂の訛りが絶対そうに違いないと言っているわけではない(し、逆に可能性の低い事象を論っているわけでもない)。確定的でない根拠で〈蓋然的に〉他人を誹謗するのは、こういう者たちが憤っている「夢月ロアをいじめなどと中傷した」者たちと矛先が違うだけでやっていることは同じだと言っているのだ。
第二に「金魚坂の訛りと夢月ロアの訛りは実際にはそこまで一致してないよ」ということ。大前提として、たとえ創作されたものだろうと訛りや口調に対する個人の権利などはなく、その意味で「訛りのパクリ」(=権利侵害)などというものは成立しえない。もちろんキャラクターとしての口調を含めてまるっきり「夢月ロア」の口調で喋っていたりすれば権利の問題はなくともビジネス上の支障は発生しうるが、そんなレベルで酷似していたのであれば真っ先に視聴者側が問題にしているし配信も成立していないだろう(実際には裏側のトラブルが露見するまでは表立ってパクリなどと言われていた形跡すら容易に発見しがたい、ということは前回の記事で触れた)。
要はたとえ夢月ロアの「魔界訛り」が苦心して作り上げられたものであろうと、それに「似たと評価され得る」というだけのものに夢月が口出しをする権利などないということだ。その点は金魚坂の訛りが実際には夢月から影響を受けていてそれを隠していようと、偶然似ていただけのものであろうとどちらでも変わりはない。イラストにしろ口調にしろ似ている要素があるだけのものを、あたかも重大な権利侵害が行われたかのように「パクリ」などと評している印象操作の詐術を批判しているのである。
もちろん、「似ている」点があることは互いにとって不利益になりうるから差異化のための提案や相談をもちかける、というだけのことなら何の問題もなかっただろうが、それは「人気を確立している先輩が新人のデビュー翌日から1カ月も無言で配信活動を停止しながら運営伝いに要望を送る」というものでない条件下でなくてはならなかっただろう。これに対して「いじめ」とは言い難くても「嫌がらせの域に届きそう」という金魚坂の所感は妥当なものだったように思える。
なお「自分のことをロアと言ってしまう金魚坂めいろ」とかいうバカ検証動画に対するツッコミは前回の記事でやっているのでそちらも参照されたい。
参考文献
・『日本語アクセント入門』松森晶子、新田哲夫、木部暢子、中井幸比古編、三省堂、2012年
・郡史郎 『日本語のイントネーションーしくみと音読・朗読への応用』大修館書店、2020年
・児玉望「鹿児島タイプ二型アクセントの音調句」2005年
・坂口至「長崎方言のアクセント」2001年