あいうえおnote【あ】
「お姉さん、チョコレート落としましたよ」
新幹線を降りて地元駅の改札を抜けると、アーモンドチョコを持った男にナンパされた。
アーモンドチョコ
「...いえそれ私のじゃないです」
「え、違いました?じゃああげますよ〜」
「いや誰のかわからないチョコレートもらえないでしょ!てか何してるのお兄ちゃん!」
「つれないな〜お前は」
兄はチョコの箱をカラカラと鳴らし、楽しそうに笑う。どうやら迎えに来てくれたらしい。
「おかえり、陽菜」
「ただいま!お兄ちゃんお迎えありがとう」
今日から三連休、久々の実家だ。
・・・
「お前も食うか?チョコ」
携帯から顔を上げると、赤信号の間にさっきのアーモンドチョコを開けたらしい兄が、助手席の私に向かって箱を差し出していた。
「もらう。ありがとう」
箱を開けて一粒、取り出して口に入れる。歯を立てると、カリッと音を立てて香ばしさが口の中に広がった。
「陽菜ももう25だっけ。早いな」
「ちょっと、アラサーとか言わないでよ」
「言ってねえよ!というかそれは30歳である俺への嫌味か」
久々に会う兄との相変わらずなやりとりに楽しくなる。大学進学を機に上京してから、そのまま東京で就職した私とは違い、兄は地元に戻ってきて就職した。所謂「Uターン就職」ってやつだ。今は親が定年後に始めた飲食店を手伝っている。
「陽菜も大人になったなあと思ってさ。昔アーモンドチョコ食べれなかったじゃんか」
「何年前の話よ、それ」
「『このチョコたね入ってる〜』って言って、いつもアーモンドだけ残してたよな。ここが一番おいしいのに」
「あったね、そんなことも」
父と母と、5つ年上の兄。家族の中で末っ子だった私は、たいそう甘やかされて育った。好き嫌いがあって、自己主張ができず、打たれ弱い子だった。アーモンドチョコは当時の好き嫌いの一つだ。
上京してから、自分が社会の中でとても弱い存在であることを知った。そしてそれでも生きていけたのは、周りが大切に守ってくれていたからだということも。家族に恩返しすべく、弱い自分を克服しようと東京でのOL生活に奮闘する毎日だけど、最近は泣きたいことも多くなって、気分転換すべくこの連休に実家に帰ってきた。
結局、私はあの頃の打たれ弱い私のままだ。
「お兄ちゃんはさ、今の生活楽しい?」
不意に投げた質問に、兄は私を一瞥し少しの間考える素振りを見せて、答えた。
「うん、楽しいよ」
いつもふざけている兄にしては珍しい、穏やかな顔だった。
「そりゃあ、自営業だから未来が約束されてるわけじゃないし、あっちで就職したやつの話とか聞いてそういう自分を想像したりもするけどさ。でも俺は、この仕事をしてる今の生活が楽しいよ」
助手席に差し込む斜陽のせいだろうか。兄が少し眩しくて、羨ましいと思った。
「そっかあ...」
「でもな陽菜、俺が楽しいからって、この生活がお前にも楽しいとは限らないぞ」
「え?」
いつの間に着いていたのか、サイドブレーキを引き上げると兄はこちらに向き直り、真面目な顔で続ける。
「俺の『楽しい』が、お前の『楽しい』とは限らないぞってこと。お前は昔から何だって俺の真似をしたがったけど、その全部がお前にとっていいものではなかったろ」
「...うん、そうだね」
開けて数回しか遊ばなかったレゴブロックも、口をつけた瞬間苦くて顔をしかめたブラックコーヒーも。私の持つ箱の中でコロコロと転がるこのアーモンドチョコだって、そうだった。
「お前がこのまま東京で働き続けるのがいいのか、それともこっちに戻ってくるのがいいのか、俺にはわからない。それはお前が見つけて、決めないといけない。だけどさ、」
一瞬、言葉を区切り、優しい表情で私の頭に手を乗せながらこう言った。
「お前は、東京でも立派に生きていけるよ」
「それがお前にとって楽しいかはわからないし、別に強要もしない。でもお前が、またいつもの悪い癖で『私なんかにはもう無理だ』って思ってるなら、それは違うよ。お前の一番側で育った兄ちゃんが言うんだから、間違いない!お前はちゃんと東京でも、生きていける」
もう、限界だった。いつも職場でしているように奥歯を必死に噛み締めたけれど、堪えきれず涙が溢れた。
「お兄ちゃん〜...」
お父さんもお母さんも、日頃から「辛くなったら会社を辞めていつでも帰っておいで」と言ってくれる。それは本当にありがたいことだし、嬉しい気持ちも確かにある。だけど反面、その言葉を掛けられるのが苦しかった。いつだって地元に戻りたいと思うし、それは逃げじゃないってわかっているのに、どうしてもそうできない私がいた。
もしかしたら、私は故郷に逃げ道を残してもらうよりも、東京で生きることに対して「大丈夫」と背中を押してほしかったのかもしれない。
「東京でも立派に生きていけるよ」
私自身気づいていなかった、私が何よりも欲しかった言葉を与えてくれた兄に撫でられながら、私はその日、子どものように泣きじゃくった。
・・・
「じゃあね、3日間ありがとう。次は年末かな」
3連休はあっという間に過ぎ去り、また東京に戻る日がきた。
「身体には気をつけてね。家着いたら連絡するのよ」
「うん、わかった。ありがとう」
お母さんと軽いハグをして改札を潜ろうとした時、兄に呼び止められた。
「陽菜!これ持ってけ」
渡されたのは、まだ封を切っていないアーモンドチョコ。
「だーいじょうぶ、お前はやれるよ。アーモンドチョコもいつの間にか食べれるようになってたしな?」
また涙が溢れそうになり、慌てて口を開く。
「ありがとう、お兄ちゃん!こんなに優しいんだからそろそろ結婚しなよ!」
「うるせっ」
優しく笑った兄に、頭をぐしゃぐしゃにされた。ひとしきり笑い終えた後、鞄を肩にかけ直す。
「...じゃあ、そろそろ行くね。ありがとう!」
送り出してくれる家族に背を向け、晴れやかな気持ちでホームへ向かう。箱の中で転がるアーモンドチョコが、もう弱いままの私じゃないってことを、教えてくれているような気がした。
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