HSPに出会うまで

わたしシリーズ第一弾
お約束はそこに私が存在しているということ。
共感するも理解できないこともひっくるめて。

最近ちまたでよく聞くHSP、かくいう私もその1人ですが知ったのは2018年頃だったかしら
時の流れは早いものです。


その時まではHSPの存在を知る由もなく
病院に行く勇気もなかった為に診断してもらった訳ではありませんが
つらいことを自分なりにネットで調べたら境界性パーソナリティ障害というモノにぶち当たっていました

止まらない洋服の爆買いで欲を満たし
自分の感情の起伏についていけない自分
自分の身体を爪で捻り込んだりグーで殴ったり
いきなり訳もなく頬にボロボロと流れる涙
全員が敵に思える、でも見捨てて欲しくなくて
ブチ切れるなんてしょっちゅう

でもこれらの衝動に対してトリガーになったことを覚えているものは一つもないのです
ずっとパニック状態と言いますかなんというか



幼い頃から集団行動は苦手で感情の波も激しく自分で感情をコントロールをするのは得意ではありませんでした
でも明るい性格がメインとしてあり面倒見が良かった為に学級委員や先生に好かれたりして
要はいい子を演じ、褒められたい欲求を子供ながらに満たしていたのです

高校生くらいの時から周囲の気分に流され意見に合わせ取り繕っている自分とそうでない自分、心の中で自分が2人いたような気分でした
そんな自分に嫌気がさしてきて、"心から笑い合える友達が欲しい" 
表面的な友達だとしても離れるのは寂しいと内面は思いつつそうでないような振る舞いをし
自分を大切にしようと1人でいることを選んだのです
そうなってくると1クラス40人くらいの教室、ぎゅっとしてて雑音と人の圧迫感に耐えられず
音楽室か保健室のどちらかに逃げていました

音楽の専門学校に入学する為に上京
東京にはよく遊びに行っていましたが生活はまた別。
人の多さに圧倒され1週間ほど、電車に乗っては各駅で降りて休んだりそれでも治らないと吐いていました
外出すれば街中のネオンや爆音、色んな匂いが混ざり合う密度の高い電車に疲れ果て外出するのが億劫になりました
学校でも人、教養、芸術性、色んな刺激を受け楽しい反面どっとした疲れ
当時住んでいた1Rではキッチンと対面に冷蔵庫を置いていたので、部屋を真っ暗にしその隙間で体育座りをして心を落ち着かせていました
そうでもしないと壊れるんじゃないかって



自分を守る保つ為に、高校生くらいから境界性パーソナリティ障害を発症していたと自覚していますが
実はHSPだったんだと今は思います
本当に毎日自分が壊れるんじゃないかと思っていましたいかに自分と向き合っていなかったか、ちゃんと見つめ合っていなかったか


ちょっとずつでいい。
進む歩幅が人それぞれ違うのだから周りと比べなくていい。
私は私と手を繋いで死までの道のりを歩いて行く


にんにん🥷🏿

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