再観測:ゼーゲとネツァフ:Episode 5-3
Episode 5-3:レナとの再会
リセット派本拠地内部。広い敷地を囲む壁の外では、混乱する市民と軍部の衝突が続き、内部でも強行派と懐疑派の対立が深刻化していた。セラとカイは、リセットを止める足掛かりを探し、またエリックを保護しながら奔走しているものの、状況は絶望の二文字に近づいている。
しかし、その陰鬱な空気の中で、一つの報せがセラのもとに届いた。
「レナ……意識が戻りかけているらしい!」
かつて反対派としてゼーゲを操縦し、壮絶な戦いの末に瀕死の重傷を負ったレナ。セラにとっては、リセットを拒み足掻く姿勢を教えてくれた存在とも言える。反面、リセット派に捕虜として扱われ、ずっと危険な状態が続いていたため、面会も制限されていた。そのレナがどうやら回復の兆候を見せている――それはセラにとって大きな希望となる。
「本当なの……?」
セラは半信半疑ながら、医療棟の担当医から短い報告を受けるや否や、カイとともに駆け出した。外の混乱は激しいが、医療棟の一角には厳重な監視がついている。レナは反対派の英雄的パイロットとも言える存在なので、強行派が何を企んでいるかわからないが、セラはそれを恐れていられない。レナが目覚めるなら、何としても会いたい――そう強く願っていたのだ。
医療棟に着くと、案の定、廊下には複数の兵士が立ちはだかっている。強行派とおぼしき者たちが厳しい表情で武器を握り、セラの動向を警戒している様子だ。先日、エリックの救出騒動でセラやカイが反逆まがいの行動を取ったこともあり、彼女たちは「何をしでかすかわからない存在」と思われている。
「通して下さい。レナに面会したいんです」
セラが息を詰めながら言うと、兵士の一人が鼻で笑う。「あんたが来てどうする? この女は反対派の危険人物だぞ。あんたが同情して逃がそうって魂胆じゃないだろうな」
カイが冷静に応じる。「馬鹿なことを。彼女はまだ重傷で、目覚めたばかり。逃がすも何も、体を動かせないはずです。セラはただ、話をしたいだけですよ」
兵士たちは訝しそうに睨むが、ここでセラがネツァフパイロットとしての立場を示す。「わたしはヴァルター様の命令で“街の混乱を収める”と動いてます。そのためにレナから情報を引き出す必要がある……大義名分は、彼女と話すこと。問題ないでしょう?」
この説得が功を奏したのか、兵士のうち一人はしぶしぶ通信機で確認を取り始める。少しのやり取りの後、「……わかった、通せ。だが5分だけだ。怪しい動きがあれば射殺する」とぶっきらぼうに言い、廊下の奥へ案内する。
(また銃を突きつけられるのは嫌だけど、レナに会えるなら……)
セラは胸を少し撫で下ろす。カイも横で深呼吸し、「気をつけよう。レナもまだ本調子じゃないだろうし……」と注意を促す。二人は覚悟を持って病室へ向かう。
レナが収容されている個室は、医療棟の奥まった場所にある。監視カメラや金属扉が厳重に備えられ、重傷用のベッドと医療機器が置かれた、まるでICUのような部屋だ。部屋の外には武装兵が二名、ドアの左右に立っている。
ドアが開き、セラとカイが中へ入ると、そこの光景に息を呑んだ。レナはベッドに横たわり、相変わらず体には多数の包帯や医療チューブが繋がれているが、その頬は先日より血色を取り戻しているようだ。心電図モニターには不安定ながらもしっかりとした鼓動が示され、呼吸補助のマスクの下から唇が少し動いている。
「……レナさん……!」
セラは懐かしく、そして切なげに名を呼ぶ。ベッド脇の看護師が「どうぞ」と一歩退き、「まだ完全に意識が戻ったわけじゃありませんが、呼びかけには少し反応があるようです」と小声で教えてくれる。
カイはセラを促し、静かにベッドへ近づく。
レナの表情はまだ夢の中にいるようで、まぶたを重く閉じたまま。だけど、ときおり眉が微かに動き、口元が僅かに開く。セラが思わず手を取ると、ほんの少し温もりが伝わってきた。
「レナさん……私、セラです……。覚えてる? あなたはゼーゲのパイロットで、私に足掻くことを教えてくれた……」
涙がこぼれそうになるのをこらえつつ、セラが必死に話しかける。すると、レナの唇が微かに動いて「……セ……ラ……?」と掠れた声で呟いたように聞こえた。心臓が跳ねる思いでセラが顔を覗き込むと、レナの瞼がほんのわずかに開き、血走った目が焦点を探すように動いた。
「わかる……? レナさん、私よ……」
セラが目にいっぱいの涙を溜めながら呼びかけると、レナは弱々しく頷き、声にならない声を出す。まだ声帯がうまく使えず、苦しそうに息をするが、その瞳には明らかに意志が宿り始めている。
カイもほっと息をつき、「レナ、あなたは長い間昏睡状態だった。今はまだ動けないけど、少しずつ回復してる……」と優しく声をかける。
レナは視線をカイに移し、苦い笑いに似た表情を一瞬作る。息を荒くしながらも、ほんのかすかな声を紡ぐ。「……私、死んで……ないんだね……ゼーゲは……?」
セラはベッド脇の椅子を引き寄せ、レナの手を握ったまま伝える。「あなたはゼーゲで戦い、重傷を負って……今ここで治療を受けてる。ゼーゲは……今、稼働不能状態にあるみたい。反対派は壊滅的打撃を受けたけど、ドミニクさんたちがまだ足掻いてるの。だから大丈夫、あなたは助かったの……」
レナは苦しそうに瞬きをする。強く呼吸をした後、声を振り絞る。「……足掻く、ね……私、いったい……どこまで戦ったの……?」
その問いに、セラは胸を痛めながら、カイと目を合わせて慎重に答える。「廃工場での大戦闘であなたは倒れ、反対派は壊滅状態。でも、ドミニクさんが生き残りを集めて活動してるわ。あなたが長い間眠ってる間も、世界は戦争と混乱が続いて……」
レナは瞳を閉じ、滴る汗を感じつつ呻く。「そう……あの戦いで、私は何も守れなかったのね……。また、皆が死んで……」
弱々しい声には、自分の無力感と悔しさがにじんでいる。彼女は足掻いて戦ってきたが、結果として多大な犠牲を生んだ。
セラは首を振り、「まだ完全に終わってない。ドミニクさんは再起し、反対派として足掻いてる。でも、血が流れてばかり……私は、リセットを止めるために足掻いてる。あなたが教えてくれたの、諦めないって……」と言葉を重ねる。
レナは微かに瞼を上げてセラの表情を探る。意識が混濁しながらも、彼女の思いは伝わるのか、弱々しく頷く。
穏やかな再会ムードに浸るのも束の間、病室のドアが荒々しく開き、強行派の兵士が顔を出す。見ると、先ほど廊下で見張っていた一団が増援を連れてきたらしく、険しい視線でセラたちを睨む。
「おい、時間が過ぎてるぞ。これ以上レナに接触するのは許可してない!」
怒声を上げる兵士に対し、セラはぐっと感情をこらえ「彼女は昏睡から目覚めたばかり。どうしても話がしたい。ここでしか聞けないことがあるんです……」と訴えるが、相手は一切聞く耳を持たない。
「ルールはルールだ。レナは重傷で危険な反対派パイロットだ。万が一、何かあると困る。とにかく出ろ。警備上の観点からもこれ以上は認められない!」
セラは悔しさで拳を握りしめる。カイが冷静に口を開く。「彼女はゼーゲのパイロットでありながら、もう二度と操縦できる状態ではありません。反対派と連携できる体力もない。そんなに怯える必要は……」
兵士たちは苛立ちをあらわにし、「黙れ。上の命令だ。早く出ろ!」と威圧する。
ベッドの上でレナが悔しそうに眉を動かすが、体が痛むのか口を開けない。セラはたまらずレナの手をもう一度握り、「ごめん、レナさん。また来るわ……絶対にあなたと話したい。きっとあなたの足掻きが、私に力をくれるから……」とそっと耳元で囁く。レナはわずかに頷き、唇を動かすが声にはならない。
(まるで「頑張れ」と言ってるように見える――あるいは、そう願いたいのだろうか。)
セラの胸は今にも張り裂けそうだ。レナが意識を取り戻した喜びと、一方でまた引き離される悲しみ、世界が荒れ狂う現実への嘆きが入り混じっていた。
結局、セラとカイは無理やり病室から追い出される形となった。ドアが閉じられ、内部で看護師と少数の兵士が監視を続ける。廊下に出た途端、強行派の兵士が冷ややかに言う。「レナが足掻きなんてもうできると思うなよ。そんな反対派の英雄気取りはとっくに終わったんだ」
セラは小さく震えるが、あえて反論せず足早にその場を去る。カイがそっと後ろを追っていく。
廊下の角を曲がって人目の少ない場所まで来ると、セラは胸の奥からため息を吐き出す。「……レナさん、本当に生きてた。でも、まだ危険がいっぱい……動けるようになるのかな……」
カイは苦い表情で頷く。「医師によると、奇跡的に脳や主要臓器は致命傷を免れたらしい。でも、完全な回復には長いリハビリが必要だって。そこまで時間があるかどうか……」
(やはり猶予は少ない。リセットが起動されれば、レナが目覚めても、その足掻きは叶わない。苦しむだけで終わってしまうかもしれない。)
セラの目が暗い炎を宿す。レナの微かな声が頭にこだまする。「セラ……君は足掻いて……」と。実際にそう言われたわけではないが、あの口の動きからそう伝わってきた気がしてならない。
一方、ドミニク率いる反対派はまだ市街地で暗躍していると噂される。街の混乱に乗じ、ゲリラ的な襲撃を繰り返すかもしれない。その目的は――リセットを止めるために、リセット派の拠点に決定打を与えることか、あるいはエリックやレナを奪い返すことか。いずれも血を流すだけの足掻きに思えるが、彼らには他に手段がないのだろう。
セラはレナの病室から戻ったあと、通路にぼんやり立ち尽くし、カイとマキが合流してくるのを待つ。マキは急いだ様子で到着し、表情は青ざめている。
「セラ、カイ、ドミニクたちが……この本拠地に潜入する計画があるらしい。噂だけど、少し前に隊長たちが厳戒態勢を指示してた……まさか、まだレナを奪還する気なのか……」
カイは顔を曇らせる。「レナが倒れているというのに、そこまでして足掻こうとしてるのか。……でも、それはリセット派への決死の突入になる。数多くの死者が出るかもしれない……」
セラの胸が痛む。もしドミニクが本拠地に潜入すれば、レナが再び戦火の中心に巻き込まれる。あるいは彼女を連れ出そうとするかもしれない。しかし今のレナでは移動すら困難だ。下手をすれば命を失う。
(どうすれば止められるの……? レナさんだって、まだ足掻きたいと思っているはず。それなのに反対派が強引に攫おうとしたら……)
日が暮れ、基地内は静けさをまとっていたが、その裏では不穏な動きが進んでいた。強行派が夜間警備を強化し、懐疑派やセラたちを厳しく監視している。そして市街地からは度々銃声や爆発音のようなものが聞こえ、ドミニク一派が何か大掛かりな作戦を計画中の噂が渦巻く。
セラはマキやカイとともに食堂で簡単な食事を済ませようとするが、気が気でない。レナがまた危険にさらされるのではないか、エリックは無事なのかと胸を痛め続けている。
マキも落ち着かない表情で「もし本拠地内で反対派が襲撃を仕掛ければ、大混乱になるわ。レナを守るどころか、強行派が『レナを始末しろ』と命じるかもしれない……」とささやく。セラはそれを聞いて愕然とする。
「……絶対にそんなことさせない……。もう二度と、私の目の前で大事な人が死ぬのは嫌……」
セラはかすかな涙を浮かべ、手を握りしめる。カイは隣で肩に手をそっと回し、励ますように微笑む。「一緒にいよう。レナの病室まで戻って、様子を見るんだ。それでもし敵が襲ってきたら、俺たちが守る……」
夜半、突然アラームが鳴り響く。「緊急警報! 本拠地内部に不審者侵入の可能性! 全兵士は配置に着け!」
廊下が赤いライトで染まり、兵士たちがわっと立ち上がって武器を構える。セラとカイは思わず顔を見合わせ、「ドミニク……やっぱり来たのか」と直感する。
「まずい! レナのところへ急ごう!」
カイが叫び、セラは一瞬迷うが「うん」と力強く頷く。マキも同行しようとするが、彼女は研究員で武器も持っていない。「私も行く!」と必死で言い張るが、セラは「危険すぎるから安全な場所にいて」と諭す。
マキは悔しそうに唇を噛むが、最終的に「わかった……でも気をつけて! レナを守って……」と祈るように送り出してくれる。
廊下に出ると、すでに兵士が駆け回り、銃撃の音が遠くから聞こえる。何者かがゲートや壁を突破して、基地内部で小規模な銃撃戦が起きているようだ。(まさか、ここまで大胆に攻め込むなんて……)とセラの胸が震える。
セラとカイが医療棟へ向かう通路を走り抜けようとしたとき、曲がり角で強行派の兵士が数名待ち構えていた。彼らはライフルを構え、セラたちに照準を向けて叫ぶ。「そっちへ行かせるわけにはいかん! レナを奪う気か!」
セラは驚愕して足を止める。「馬鹿なこと言わないで! 私はレナを守りたいだけ……あなたたちのように殺すなんてしない!」
兵士のリーダーが顔を歪め、「守る? 笑わせるな。あの女が目覚めて再び反対派と繋がればどうなる? ネツァフだって動かないお前らのせいで、リセットが遠のくんだよ!」と敵意をむき出しにする。
カイが一歩前に出て、「ここで戦闘して何になる? ドミニクの襲撃が起きてるというのに、内輪で争ってる場合か!」と声を張り上げるが、兵士たちは聞く耳を持たない。すでに憎悪が煮えたぎっているようだ。
「前進したら撃つ。ネツァフのパイロットだろうが関係ない!」
兵士がトリガーに指をかけ、激しい銃声が廊下を震わせる。セラたちは身を伏せ、カイが「くっ……話が通じない!」と歯噛みする。廊下の壁を弾丸が穿ち、火花を散らして粉塵が舞う。
「いきなり撃つなんて……!」
セラは怒りと恐怖で震えながら、カイと視線を交わす。彼は首を振り、「戦うしかないのか……」と覚悟を決めたようにバッグから拳銃を取り出す。しかし、カイは戦闘のプロではなく、複数の兵士相手では圧倒的に不利だ。どうにか逃げる手はないのか――。
そのとき、急に背後の通路から「撃ち合い? ここか!」と別の声が響き、複数の足音が近づく。強行派の兵士が振り返ると、そこに現れたのは懐疑派の将校数名だ。彼らはおそらく医療棟周辺を警備していたらしく、突如の銃声に駆けつけたのだろう。
「何をやってる、こんなところで撃ち合いとは……強行派め! ここは医療棟だ、患者がいる。派閥争いしてる場合じゃないだろう!」
懐疑派の将校が強い口調で制止し、さらに数名の兵が背後から姿を現してライフルを構え、強行派に照準を合わせる。廊下は一触即発の緊張感に包まれる。
「ふざけるな! こいつらがレナを救おうとしているんだぞ! そんなことさせていいのか、こいつらは反逆者だ!」
強行派の兵士が声を荒げるが、懐疑派の将校は決然と返す。「ここで同僚を撃つつもりか? 今はドミニクの襲撃が起きてるんだ! 内輪で殺し合うなど、本拠地を崩壊させる気か!」
互いに銃を向け合う両派閥の兵士。その間で、セラとカイは身を縮こませながら、レナの病室へ行く道を確保できないかと焦り続ける。数秒の沈黙が地獄のように長く感じられ、やがて懐疑派の将校が大きく息をついて言い放つ。
「セラとカイはネツァフ関連の要員だ。ここで死なせていいわけがない。私の命令で医療棟を通過させる……。何か文句があるか?」
強行派は明らかに不服そうだが、多勢に無勢のかたちになりつつある。「くそ……」と低い声が聞こえ、最終的には睨み合いの末、通路を空けるよう仕方なく兵士たちが後退する。
セラは激しく胸を撫で下ろしながら、懐疑派の将校に深く一礼する。「ありがとうございます……」
将校は無言で首を振り、「早く行け。これで終わったわけじゃない。強行派もすぐに増援を呼ぶだろう……レナを守るなら急げ」と促す。
懐疑派の助けを得て、セラとカイは医療棟の奥にあるレナの個室へ向かう。ドアの前には先ほどとは別の兵士が配置されているが、懐疑派の将校の指示で道を開けさせることに成功した。
扉を開けると、中には一人の看護師だけがいて、レナの状態を観察していた。看護師は焦りの表情を浮かべ、「よかった、早く! レナの容体が変わったの。意識が戻りかけてるんだけど、呼吸や脈が不安定で……」と伝える。
「そんな……!」
セラは衝撃で胸が痛くなり、一気にレナのベッドへ駆け寄る。見れば、レナの顔色は悪く、さっき会ったときよりも呼吸が荒い。目は開いているが焦点が合わず、汗がにじみ、唇が震えている。
カイは医療の基礎知識を活かして看護師に「バイタルは? 血圧や脈拍が異常に高いとか……」と訊ね、機器を確認する。モニターにはアラートが点滅しており、血圧が上下に乱高下しているのがわかる。
「くっ……ショック状態かもしれない。感染症のリスクもある。何らかの合併症が出ている可能性が……」
カイが苦い顔で青ざめる。看護師は急いで医師を呼ぼうと通信を試みるが、外は襲撃騒ぎで対応が混乱しているらしい。「医師たちが足止めされてる……このままだと大変なことに……」
セラは焦りの中でレナの手を握りしめる。「お願い……死なないで。あなたが今いなくなったら、私は……。あなたの足掻きが、まだ必要なんだから……!」
しかし、レナの呼吸が荒く、目の焦点がどこか彷徨っている。唇が動いても声にならず、その姿は苦痛に満ちている。セラはどうすることもできず、涙が溢れそうになる。
カイは看護師とともに手早く対応を始める。酸素吸入量を増やし、血圧低下に備えて点滴の成分を調整し、抗生物質や鎮痛剤を投与する。機器も手動で設定を変更し、レナの体を支えて体位を少し変えるなど、できる限りの処置を行う。
セラは不安で胸が張り裂けそうだが、ひたすらレナに呼びかけるしかできない。「レナさん……目を開けて。大丈夫だから、もう少し頑張って……!」
数分の緊迫した医療作業ののち、モニターのアラートが徐々に落ち着き、レナの呼吸も少し緩やかになる。看護師が安堵のため息をつき、「ひとまず峠は越えたかも……でも、まだ油断できません」と呟く。
セラは胸を撫で下ろし、レナの顔を覗き込む。すると、先ほどよりも瞳に意志が宿っている感じがして、彼女の口からかすれ声が絞り出された。
「……セラ……」
セラが顔を寄せると、レナはうっすらと瞼を開き、視線を合わせようとする。まだ呼吸が苦しそうだが、微かに口角を上げたようにも見える。
「私……まだ、生きてるんだね……」
セラは涙ながらに頷き、「うん、生きてる。私が守るから。あなたが戦わなくても、あなたの足掻きは私が受け継ぐから……」と囁く。レナの唇が少し震え、声にならない言葉を紡ぐ。
「戦い……まだ終わらない……? ごめん……私、何もできない……」
カイが優しくレナの肩に触れる。「あなたが動けなくても、まだ足掻く道はある。セラがリセットを止めるために、街の混乱を何とか収めようとしている。レナが教えた“生きる意志”を胸に……」
レナはうっすら笑みを作りかけて、また咳き込む。苦痛の波が襲うのか、体が震えるが、意識は保っている。「セラ……ほんの少し、聞かせて……世界が……どうなってるか……」
セラは言葉を選びながら、ここまでの情勢を伝える。リセット派内部の対立、エリックの立場、ドミニクの抵抗、そして街の大混乱――足掻く者と諦める者の狭間で世界が崩れそうな現状を、涙をこらえつつ説明する。
レナは弱い呼吸を継ぎながら、その言葉に反応するように僅かに頷く。苦しそうな声で合間に言葉を挟む。
「そう……ドミニクは、まだ戦ってるのね……。あいつらしい……。ゼーゲは……動かないか。私も……もう、乗れない……」
その瞳には、かつて反対派のリーダーとして戦った誇りと無力感が同居している。ゼーゲが破壊され、彼女自身も瀕死の怪我を負った以上、最前線に立つ術はない。しかし、足掻く意志が完全に消えたわけでもない。
セラはレナの手を握りしめ、「あなたが戦えなくても、私たちがいる。私もネツァフを“動かさない”戦いをやり抜きたい。だから……生きていて。まだ終わらせないで……」と訴える。
レナは目を潤ませ、苦しげな息を吐く。「馬鹿ね……そんな綺麗事で……この世界はどうにも……。でも……ありがとう……」
その一言に、セラは胸を熱くする。レナは戦場でセラに足掻きの価値を教え、今も微かな希望を示してくれている――それを感じ取るだけで、セラの心に灯が生まれる。
感動の再会も束の間、廊下から荒々しい足音と怒声が響き始める。「ドミニクたちがこの棟に侵入した形跡がある! 捜せ!」という叫び声がはっきり聞こえる。どうやら反対派が医療棟付近にも来ているということか。それとも強行派がそう思い込んでいるだけか……いずれにせよ騒動が迫っているのは確かだ。
カイが焦りながらセラを見る。「まずい……ここで戦闘になればレナが危ない。彼女はまだ動けないのに……」
セラは歯がみして周囲を見渡し、看護師に小声で言う。「レナさんを移動できませんか? どこか安全な個室や裏口があるなら……」
看護師は困惑顔で「移動はリスクが大きい。今この状態で揺らしたらショック状態に戻るかもしれない……」と震えた声で返す。
「じゃあ、私たちが守るしか……」
セラは決意を固め、カイもうなずく。レナを放置して逃げる選択はできない。やがて廊下に何人かの兵士が駆け込む音が聞こえ、何かが倒れる衝撃音がして「くそっ、いないのか……」といった怒りの声が響く。
「大丈夫、ドアはロックして……」
カイが素早く扉を閉め、内側から閂をかける。やがて、外で踏み込む足音が通り過ぎたり近づいたりを繰り返す。
セラはレナの顔を見下ろし、そっと前髪を撫でる。レナはもう限界なのか、目を閉じて浅い呼吸を繰り返している。
数分後、突如として扉を激しく叩く音が響いた。外から「レナ、そこにいるのか! 返事をしろ!」という低い男の声……それはまさしくドミニクのものだった。
セラは凍りつく。やはり、反対派がレナを奪還しに来たのか。ドミニクが本当にここまで侵入してきたということだ。
「ドミニク……どうして……」
カイが絶句する。もし扉を開ければ、ドミニクたちが強行派と撃ち合いになるかもしれない。一方で、このまま閉ざしておけば、ドミニクは力ずくで突入しようとする可能性がある。どちらもレナにとって危険だ。
「くそっ、レナ……。お前はまだここに囚われたままなのか? 大丈夫なのか……!」
ドミニクの声には切迫感が滲み、扉をガンガンと打ち付ける音が聞こえる。その騒音に反応して、廊下の奥で兵士たちが叫ぶ声が近づく。「不審者はあっちだ! 撃て!」という怒鳴り声に、銃声が始まる。ドミニクたちが応射し、さらに激しい銃の火花が廊下を照らす。
「やめて……! ここは病室なの……!」
セラが声を上げるが、外の激戦は止まらない。ついに扉のすぐ外で乱戦が起きているようで、火薬臭が室内にも漂い始める。ドアが衝撃で揺れ、凄まじい衝突音が響いた後、ドンッ!という爆音とともに閂が吹き飛ぶ。
「……!」
一瞬の閃光と煙で視界が奪われ、セラは咳き込む。カイがレナを庇うように布を被せ、看護師が悲鳴を上げる。煙が薄れたとき、そこにはドミニクらしい男の姿が立っていた。数名の部下もいて、銃を構えたまま室内を睨んでいる。
ドミニクの服は埃や血で汚れ、右腕に銃創があるのか痛々しく血がにじんでいる。それでも、その目は鋭く、レナを探すように視線を走らせる。「レナ、いたか……! 生きてるんだな……!」
彼は感情がほとばしるように言葉を吐き捨て、セラの横を強引に通り抜けてベッドの傍へ駆け寄る。
「レナ……! おい、聞こえるか……俺だ、ドミニクだ……!」
ドミニクはライフルを脇に置き、レナの肩にそっと手を当てる。レナは薄れた意識のまま、うっすらと目を開けるが、焦点が合わない。「ドミニ……ク……?」と、蚊の鳴くような声で囁く。かすかな笑みなのか、あるいは痛みに歪んだ苦悶なのか。
セラは思わず震える声で叫ぶ。「ドミニク、やめて! レナはまだ動かせない……このまま連れ出そうとしても危険すぎる!」
ドミニクは苦渋の表情で唸る。「わかってる……でも、リセット派にこれ以上囚われては……。彼女は反対派の象徴でもあるんだ。俺たちはレナが必要なんだよ!」
部下の一人が苛立ちをあらわにする。「隊長、ここは長居できない! 廊下で敵が迫ってる!」
銃声が再び近づいてくる。どうやら強行派が人数を増やして制圧に来たらしい。ドミニクは焦り、唇を噛む。レナを抱えられるかどうか――彼女はまだ昏睡に近い状態で、運んだら命の危険が増すのは明白だ。
「くそっ……どうすれば……」
ドミニクが思考を巡らす中、セラは決死の思いで言葉を投げかける。「レナさんを無理に連れ出せば死んじゃうわ……わかるでしょう? そんな足掻き、意味がない。あなたも本当はわかってるんじゃないの……」
ドミニクはレナの顔を見下ろし、握り拳が震える。「俺は……足掻き続けると言った。だが、レナを失うのはもう嫌なんだよ……!」
セラは一歩進み、「だったら、ここでレナさんを守って! 私も守る。ヴァルターと戦うなら、あなたが無理に連れ出すより、一緒に足掻いたほうがいいはず……」と必死に説得を試みる。
部下の兵士が怒り混じりに「そんな綺麗事、信じられるか! ここは敵の本拠だ!」と銃を上げかけるが、ドミニクが「やめろ!」と一喝する。「セラ……お前はリセット派のパイロットだろうが、あの戦いで俺たちを救おうとした。本当にここでレナを守ると言うのか?」
セラは涙を目に浮かべて強く頷く。「私はネツァフを絶対に使わない。レナが教えてくれた足掻きを無駄にしたくないから……。だから、ここで彼女を治療し、守り抜きたいの……!」
ドミニクはそれを睨むように見つめ、言葉を失う。そのとき廊下の方からさらに激しい銃撃音と「早く突入しろ!」という強行派の怒鳴り声が聞こえ、時間がないことを思い知らせる。部下の一人は血走った目で「隊長、ここはもう……撤退しかない!」と促す。
ドミニクは歯を食いしばり、表情を歪める。レナを連れて行くなら、手術装置や生命維持が必須だが、反対派の逃亡経路ではそんな設備を用意できないし、移動中に死ぬ恐れが高い。それを無理に奪還すれば、レナも反対派も大勢死ぬだけ――彼はそれを理解しているはずだ。
「レナ……くそっ、こんな形で放置するなんて……」
レナはかすれ声でドミニクの名を呼び、掴もうとするが腕がうまく動かない。ドミニクがその手を握り返すと、ほんのわずかな力が戻る。二人の視線が交差し、血の通った時間が一瞬だけ流れる。
「……すまない、レナ。俺はお前の意志を継いで、足掻くよ。たとえここに置き去りにしても、お前を見殺しにするわけじゃない。いつか必ず助けに来る……!」
それは苦しく、切ない誓いだった。彼女を今すぐ救えなくとも、ドミニクは足掻きを捨てるつもりもない。セラはその言葉に胸を打たれる。(レナさん、きっとわかってくれるはず……)
レナは微弱に首を振り、唇を動かす。かろうじて「勝手……ね……」と聞こえた気がして、ドミニクは苦い笑いを漏らす。「そうだな……勝手だ。でも、俺たちはまだ戦わなくちゃいけないんだよ。ゼーゲがなくても、足掻く手段はある……」
部下が再度「隊長、敵が近い!」と声を上げ、激しい銃撃の音が廊下に響く。ドミニクはレナの額にそっと触れ、「待ってろ……いつかまた会おう、レナ……」と囁く。そして、そのままライフルを構え直して部下たちを従え、廊下へ駆け出した。
セラはその背を追う余裕もなく、「ドミニク……!」と声を上げるが、すでに姿は煙の中へ消えている。狭い廊下で火花が散り、強行派の射撃が激化しているらしい。反対派が駆け込む怒号と閃光が遠のいていく一方で、やがてまた静寂が戻る。
廊下が沈黙を取り戻すと、病室に戻ってきたセラとカイは息も絶え絶えだ。レナは浅い呼吸を繰り返しながら、ドミニクが去ったこともわからないように微かにまぶたを動かすだけ。
看護師が忙しく酸素や点滴を確認し、「また負荷がかかったのか……レナさんの容体が安定してません」とため息を吐く。
「ごめん……騒ぎに巻き込んで……」
セラは看護師に頭を下げる。看護師は首を振り、「いえ、あなたがいなかったら、ドミニクたちが強行してレナさんが連れ去られ、命を落としてたかもしれない。それだけは避けられた……」と感謝を示す。
レナの握る手は弱々しいが、確かにセラの存在を感じている気がする。セラは潤んだ瞳で、その手をそっと撫で続ける。(少なくとも、あなたはまだここにいる……ドミニクさんも、あなたを諦めていない。私も絶対に、ネツァフを起動させずに足掻き続ける……)
カイは扉の付近で呼吸を整え、「強行派がまた来る前に、看護師さんと連携を取ってレナの保護を強化しましょう。ヴァルターが何と言おうと、レナの治療は最優先だ。リセットを動かすにしろ止めるにしろ……彼女を安全にしておかなければ」と提案する。
セラは力強く頷く。「うん……。レナさんがせめて安定すれば、私も安心して街の混乱を何とかする行動がとれる。彼女が背中を押してくれる気がするんだ……」
夜が更け、ドミニクの侵入騒ぎも一段落した頃。セラは病室に残り、カイは一時的に医療物資を集めに出かけている。看護師は隣室に取りに行ったまま戻らず、廊下で誰かと口論しているようだ。強行派が落ち着かないのだろう。
室内に二人きりになった瞬間、レナが微かに目を開き、視線をセラに向けて掠れ声を出す。「……セラ……」
セラは思わず椅子から身を乗り出し、「レナさん、しゃべれるの? 大丈夫、痛くない……?」と問いかける。レナは苦しげに唇を動かし、か細い声を絞る。
「ドミニク……来てた……よね……」
セラは息を詰まらせる。「ええ、ほんのさっきまでここに。あなたを連れ戻そうとして……でも、あなたが危険だってわかって、諦めて撤退したわ……」
レナはまぶたを伏せ、安堵なのか無念なのか、感情をつかめない微妙な表情で、「……そっか……」と零す。しばし沈黙が流れるが、セラは思い切って聞いてみる。
「レナさん……あなたはどう思ってる? リセットが近いかもしれない。私、ネツァフを動かしたくないけど、足掻く道も血が流れすぎて……。あなたがいたら、どうしたと思う……?」
レナは苦痛で歪んだままの顔をこちらに向ける。呼吸を整えるように数回胸を上下させ、ほんの少し声を出す。「私は……ゼーゲで、たくさんの血を流した。自分でもわからないよ……これ以上、戦っても失うものが増えるだけかもしれない。でも……」
苦悶の中、レナは必死に目を開いてセラを見つめる。「それでも、私……死にたくはなかった。仲間を失うのも嫌だった。だから……足掻いてた。たとえ……無駄だと思われても……」
セラは涙を浮かべ、しっかりとレナの手を握る。「その足掻きを、今は私が受け継ごうとしてる。でも、苦しい……戦いとリセットの板挟みで……」
レナは喉を鳴らしながら、弱い声で答える。「私……ゼーゲで戦い続けても、世界を変えられなかった。でも……お前(セラ)はきっと違う。ネツァフを……使わないで止めるなら、私の足掻きとは違う形だけど……期待してる……」
その一言が、セラの心を強く打つ。レナ自身が、足掻きを続けて破滅を味わった末に、なおセラへ託してくれているのだ。セラは唇を震わせ、「ありがとう……わかった。もう迷わない。私はあなたの意思を背負って、ネツァフを起動させない。戦争だけでもない、別の道を模索する……!」と誓いを立てる。
レナはかすかに微笑み、再び目を閉じる。意識が遠のいたように見えるが、その表情は安らかだ。「……足掻いて、セラ……」という囁きがかすかに聞こえた気がして、セラは涙を拭って頷いた。
廊下では再び兵士が走り回り、ドミニクの襲撃の余波がまだ収まらない。外の街も騒動が絶えず、リセット派内部でも強行派がセラとカイに疑惑の目を向けている。この世界はなお混沌の中にある。
しかし、セラはレナとの再会というかけがえのない一瞬を得た。昏睡から目覚めたレナは、足掻く価値をまだ捨てていないと示し、セラに背中を押すような言葉を遺した。
「たとえ戦えなくても、足掻く意志は死なない……」
そのメッセージはセラの胸に深く刻まれ、より強い決意へと変わる。エリックや市民たちを救い、リセットを止めるための戦い――それは必ずしも火器や兵器によるものだけではなく、言葉や意志による“足掻き”だ。
外では夜明け前の闇が広がり、基地の外壁を照らす稲光が遠くの空を切り裂いている。嵐の前触れか、あるいは新たな戦いのシグナルなのか。セラとカイはレナを看護師に任せ、再び外へ出て、今後の行動を固めることを決意する。
エリックの家族捜索、市民の混乱収束、強行派との対峙――すべてを乗り越えなければ、リセットの起動は止められない。レナが目を覚ました今、残された時間はますます限られるだろう。
次なる章で、セラはより積極的に“街の混乱”を抑え、ヴァルターの要求に応えるために動き出す。そこで彼女が見出すのは、さらに多くの障害と血の予感。それでも、レナという存在の復活が、セラを一歩も退かせない理由になる――きっと、足掻きは無駄ではないはずだ、と信じて。