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ACFA_NEVER FALLEN LIONHEART:EP12-2

EP12-2:イグナーツのその後

地上を焼き尽くした大戦が終わりを告げたあと、人々は荒廃した街並みと灰色の大地を視界に収めながら、次の一歩を踏み出すために動き始めていた。ローゼンタールとラインアークの連合軍は、かつてイグナーツ・ファーレンハイトが率いていたオーメルの各拠点を落とし、企業連合(リーグ)の支配構造を再編する作業に取りかかっている。人海戦術やネクストを駆使し、命を落としてまで勝ち取った一時の平穏である以上、ここで止まるわけにはいかないのだ。

 だが、無数の犠牲や心に刻まれた爪痕が残るなか、イグナーツのその後については多くが知らずにいた。彼が“アポカリプス・ナイト”に乗って繰り広げた最終決戦は、レオン・ヴァイスナーとの対峙によって終結した。それが敵対した企業や兵士たち、あるいは莫大な数の民間人の視点からすれば、「専制と合理の化身」であるイグナーツが倒れたという意味しか持たないかもしれない。

 しかし、実際にその身に何が起き、そして今どうしているのか。多くの者が興味を失ったわけではなかった。彼を憎む者も多かったが、一方で「いくらなんでも死んだままでは片付けられない」「彼は捕虜として裁判にかけられるべきだ」という声もあり、ローゼンタールとラインアークはオーメルへの影響力を踏まえて、彼の身体を捜索・保護する道を選んだ。企業連合の崩壊を防ぐためにも、あまりに残酷な処罰は避けたいという政治的判断があったのだ。


 結論から言えば、イグナーツはアポカリプス・ナイトが沈黙したあと、コクピット内で重傷を負いながらも生存していた。胸や腕、足には深い火傷や骨折、内臓損傷まで及んでおり、特に頭部への衝撃で意識が朦朧としていたが、機体に残っていた生命維持システムが最低限の酸素供給と体温管理を行っていたため、奇跡的に息が途絶えていなかった。

 レオン・ヴァイスナーがアポカリプス・ナイトのコクピットをこじ開けるように確認を行い、最終的にエリカ・ヴァイスナーが旧式兵力を使って担架に乗せ、医療チームへ搬送する。その頃にはイグナーツの意識はほぼ失われていたが、わずかに「……不合理……な……」と呟く様子を見せる程度だった。
 短いフレーズには、彼の中で想定外の敗北がまだ理解しきれていない葛藤と驚きが詰まっているようにも見えた。

 搬送後、イグナーツは地上の仮設医療施設で応急処置を受ける。重体ではあるが、一命を取り留める見込みがあるとの医師の説明があり、ローゼンタールは拘束と治療を並行して行う道を選ぶ。さすがに「戦犯」としての責任を問う声が上がり、裁判にかけるかどうかは後日、大きな政治課題となった。ラインアークの指導者フィオナ・イェルネフェルトも「彼が犯した罪は重いが、死なせておしまいでは解決にならない」とコメントし、彼の“生き様”を公にさせる必要があるという認識を示した。


 一方、イグナーツを中心に動いていた強硬派のオーメルは、一気に主力を失ったことで動揺を隠せずにいた。彼に従っていた将校や技術者の多くは逃亡を図ったり、リーグ内部で責任追及を受けて処罰されたりしているが、一部は「イグナーツを返せ」という声を上げる者もいる。
 彼らはAIによる完全管理戦争に魅了され、あるいはイグナーツの才気を信じていた集団だが、実際の結果は惨敗。戦後処理という不毛な状況で、簡単に姿勢を翻す者も少なくない。しかし「やはり人間は信用できない」「イグナーツこそ正しかった」と主張する過激派が地上に潜伏し、ゲリラ活動を始める動きも懸念されていた。

 こうした混乱のまま、イグナーツが生存していると知れば、過激派が彼を奪還しようとする危険性もある。そのため、ローゼンタールとラインアークは警護を固め、あくまで彼を「裁きの場」へ引き出すため、あるいは政治的な取引材料とするために保持しようという方針を固めた。
 カトリーヌ・ローゼンタールはこう話す。「イグナーツを無条件で消すのは簡単かもしれませんが、それでは彼がやりかけた“AI管理戦争”の真実を曖昧にしてしまう。わたしたちはこれからの企業世界を再構築するためにも、彼に責任を取らせる形で終わらせたいのです」

 結果、イグナーツは仮設病棟での治療を終えたあと、ローゼンタールが用意した地下施設へ移送された。企業連合が立ち会う形で監視を受け、回復し次第、形だけでも法的な裁きにかける――これが大筋のシナリオとなる。ラインアークも賛同し、「彼を表舞台で断罪する必要がある」として政治的プロセスの協力を約束した。


 イグナーツ自身は過酷な怪我から辛うじて意識を取り戻したころ、自分がどこに収容されているのかもわからない状態で目覚めた。体の自由はほとんど利かず、片目は包帯に覆われ、右耳の聴力にも障害がある。四肢も満足に動かず、何日かの放浪を経てこの施設へ運び込まれたらしいが、その過程すら彼は曖昧な記憶しかない。

 「……わたしは、なぜ……生きている?」

 彼が初めて言葉を発したのは、ベッドに固定されている手足をもぞかせながらだった。目の焦点が定まらず、ただ白い天井を見つめ、死の縁から戻ってきた痛みを味わうだけの時間。誰も応えず、静寂が重くのしかかる。
 そのうち看護スタッフが無言で現れ、注射器を打ち、簡単な食事を与える。なんの感情も込められていないように見えるが、それでも処刑よりはずっと優しい対応だ。イグナーツは混乱した頭で、「これがわたしへの仕打ちか」と考えるが、すぐに思考をまとめられない自分にいら立ちを募らせる。

 「……ネクスト……わたしのアポカリプス・ナイトは……どうなった……?」

 誰も答えない。看護スタッフはそっけなく点滴の量を確認し、静かに退出する。重い扉が閉じられる音が“監禁”を想起させ、彼は力の入らない手指を僅かに震わせた。そう、完全管理戦争の覇者として歴史を創るはずだった自分が、いまこの狭いベッドに鎖された身体を置いている。それが敗北の結果であり、非合理を否定する彼にとっては耐えがたい屈辱だった。


 数日後、イグナーツが徐々に会話を成立させるほどに回復したころ、一人の面会者がやってくる。小さなランプと机だけが置かれた無機質な部屋で、彼は車椅子に乗せられ、やや強引に連れてこられた。
 面会者は意外にも、かつて敵対したローゼンタールの実質的指導者であるカトリーヌ・ローゼンタールだった。上品な衣装に身を包みながら、手には分厚い資料を持ち、静かに視線を落としている。

 「イグナーツ・ファーレンハイト……。あなたがここまで生き延びたことは、ある意味で幸運だったと思うわ。多くの者があなたの首をはねろと叫んだけれど、わたしたちはそうはしない。死より重い責任を果たしてもらう」

 イグナーツは口を動かすのがやっとで、細い声で返す。「責任……ふん……。人間の道徳か……? わたしには不要だ……AIが最適解を出す世界であれば……こんな……矛盾など……存在しないのに」

 その言葉を聞き、カトリーヌはほんの僅かに眉を寄せる。「まだそんなことを言うのね。あなたが現実を見ようとしていない証拠かしら。いいえ、もしかしたら理想を捨てきれないだけかもしれないけど、あなたはすでに敗れたのよ。人間の結束とAIの協調にね」

 「結束……協調……くだらない。……わたしの理論なら……ローゼンタールもラインアークも、一瞬で封じられるはずだったのに、なぜ、なぜ……」

 声が次第に上ずり、イグナーツの額から冷や汗がにじむ。かつては天才策士として、企業を手玉に取り、ドラゴンベインやアレスを運用し、アポカリプス・ナイトで世界を変えると思っていた男がここにいる。非合理の勝利を認められず、敗北を消化できないまま葛藤を抱える姿は、皮肉なほどに「人間らしい」弱さを際立たせていた。

 カトリーヌはさらに言葉を重ねる。「……あなたが理解するかはわからないけれど、すべての戦いを通して、わたしたちが得た答えは“どちらも大切だ”ということ。機械と人とのどちらが優れているかではなく、両方が互いを補い合うことで、大きな可能性が生まれる。あなたが生涯を懸けて提唱してきた“AI至上主義”は片側に偏りすぎていたのね」

 「……バカげている……。だが、結果としてわたしが負けた以上、あなたたちに従うしかないのか……」
 イグナーツはうな垂れるように言い、一瞬で視線を落とした。右目は完全に包帯で覆われているため、表情の変化を読み取りにくいが、声には深い苦悩と悲嘆が混じる。

 「従うかどうかは、これからのあなたの態度次第。わたしたちはあなたを生かして、法廷なり企業間合議なりで“自らの罪”を認めさせたい。そして、新しい世界を築くために、あなたの知識を使いたいとも思ってる。AI技術そのものは否定しないわ。むしろ、イグナーツ・ファーレンハイトという才能を罰だけで終わらせるのは惜しい、とさえ言える」

 カトリーヌの声が硬質な冷静さを保ちつつも、どこか情の色を含んでいる。彼女自身、企業人としてAI技術の価値を否定するわけではない。エリカやオフェリアが見せたように、人と機械は共存し得るのだから。
 イグナーツは顔を上げ、「は……? わたしを再び利用する気か……」と吐き捨てるが、彼女は淡々と応じる。「利用というより、あなたが償いながらAI技術を“人のため”に生かす道があるなら、そうするべきではないかと考えているの」

 「人の……ため……? くだらない……そんな不合理に、なんの意味が……」
 彼は自嘲混じりに唇を歪め、椅子の背もたれに体を預ける。極端な怪我の後遺症と精神的混乱で、素直に受け入れられずにいるが、孤独と敗北を噛みしめざるを得ない状況が、いずれ彼の考えを変化させるかもしれないとカトリーヌは感じ取っていた。


 さらに数週間が経過し、イグナーツは最低限の回復を遂げて施設内を動ける程度になった。だが、本来なら裁判にかけられるべき段階であり、外界との連絡は極力制限され、特別な監視下に置かれている。
 ところがある日、彼の病室を訪れた技師が何者かの指示によりテロを起こした。イグナーツを強引に連れ出し、車両に乗せて荒野へ逃走を図るという事件が起きたのだ。ローゼンタールの警備網がなお脆い部分を突き、過激派が彼を奪取しようとしたのだろう。
 当初こそ成功しかかったが、車両は荒野を進む途中で故障。過激派も追撃を受けて散り散りになり、イグナーツだけが車内に取り残されてしまった。彼はろくに歩けない身体で、水も食料もないまま砂漠のような荒廃した土地を彷徨う羽目になる。

 「……どうして……こうなる……?」

 足がもつれ、思わず膝をついて砂埃を吸い込みながら苦しげに咳き込む。過激派のテロリストは逃げ散り、周囲には誰一人いない。大量に出血した傷と、乾ききった唇が彼の命を蝕んでいく。いっそ倒れて楽になりたいと思っても、頭の片隅には「こんな非合理な死に様は認められない」という想いが微かに残っている。
 数日間、昼は焼けつく太陽の下をさまよい、夜は極寒の風に凍えながら彷徨った。傷口が感染し、高熱に苦しみ、何度も意識が遠のく。彼が堕ち込んだのは、かつて自分が「不要地域」として切り捨てた地帯だった。資源供給を断ち、人間など住めるわけがないと見なした土地。しかし、そこへ細い水の流れが戻りつつある光景を、朦朧とする視界が捉える。

「……水が……緑が、なぜ……ここは……」

 砂の上に、小さな植物が芽を出している。かつては汚染と戦争で荒れ果てた場所だが、わずかに風が運ぶ種や水が生まれ、そこに新たな生が宿っているように見えた。ぼんやりと目を凝らしていると、遠方で人影らしきものが見えてくる。
 渇きに耐え切れず、倒れ込みながらそちらへ腕を伸ばす。「助け……助けてくれ……」 か細い声が空しく響き、唇がひび割れて血が滲む。もう自力では一歩も進めそうになかった。


 数時間後、目を覚ましたイグナーツが見たのは、簡易テントの天井と、数名の人々の姿だった。服装からして地上の開拓民や小さなコミュニティの住民だとわかるが、彼らは「AIを嫌う者」あるいは「企業に捨てられた弱者」と呼ばれてきた連中のはずだ。
 しかし、目の前で水を差し出してくれたのは、やはりその人々だった。言葉少なにイグナーツの傷を手当てし、喉を潤す方法を提供してくれる。違和感に包まれたまま彼は何とか半身を起こし、弱弱しく問う。

 「……なぜ、わたしを……」

 すると、皺の深い老人が穏やかな笑みを見せる。「あんた、ここに倒れてたんだろう? もしかして敵か味方かは分からんが、困ってるんなら手を貸すしかない。うちの土地だって、昔は殺伐としとったが、“ライオンハート”とかいう緑化技術が普及して、ちょっとずつ人が住めるようになったんだ」

 “ライオンハート”——それは、レオン・ヴァイスナーたちが開発を進めている緑化用の小型ナノマシン技術。汚染を除去し、植物を育む土壌を作り出すための取り組みで、ローゼンタールやラインアークが後押しし、地上の再生を目指している最先端のプロジェクトだった。
 イグナーツはその名をかすかに耳にしながら、何度も“不要地域”だと切り捨てたことを思い出す。こんな場所に人など住めるわけがない、そんな地帯が今、少しずつ緑を取り戻している。しかも、そこにいる人々が自分を救ってくれた。その現実が脳裏に衝撃を走らせる。

 「ライオンハート、だと……? バカな……こんな土地は、資源価値なしと……切り捨てたはずだ……」

 呆然とつぶやく彼を見て、老人や数名の若者たちが不思議そうに笑う。「企業がどう評価しようと、人間は生きようとするんだよ。緑が戻れば作物も多少は育つ。環境がちょっとでも良くなれば、家族が住める。俺たちはそれで十分幸せなんだ」

 イグナーツは返す言葉も見つからない。かつて“完全管理戦争”を押し進め、自分の理想こそが人類を救うと信じた男が、今こうして“不要地域”に捨てられた人々――いや、逆に彼が捨てた人々に助けられている。その構図が皮肉すぎるほど突き刺さる。
 老人が続ける。「あんたが何者かはわからんが、少なくとも死にかけてたんだろ? 水も食料も少ないが、やれるだけ面倒をみてやる。ライオンハート様様で、少しは土壌が育ってるから助け合えるんだよ」

 「なぜ……そこまで……非合理、だろう……」

 イグナーツはこぼれ落ちる言葉を止められない。老人は肩をすくめ、「人は非合理でこそ生きてるもんだ」と笑うだけだった。


 こうして数日が経ち、イグナーツは開拓民の村で最低限の治療と食事を受けながら、かつて自分が信じていた合理性を大きく揺さぶられる。彼らは企業に見捨てられながらも協力し合い、ナノマシン技術を活かして草や作物を育て、わずかな収穫を分け合っている。明らかに効率が悪く、常にリスクと隣り合わせの生活だが、その中に確かな笑顔や助け合いがあった。

 「……AIが、すべてを管理すれば、こんな苦労も……不要なのに。だが……わたしが描いた未来は、結果的に多くの命を踏みにじり、わたし自身もここで……」

 彼は足を引きずりながら荒れ地を歩き、ナノマシン培養中の小さな植物の芽を見つめていた。あまりに小さく脆いが、それでも地下水を吸って緑の葉を広げようとしている。合理的に見れば些細な努力だが、そこには確かに未来の希望が含まれている。

 かつて“非合理は排除されるべき”と断じた自分が、今その“非合理”な営みに救われているという現実。イグナーツの中に矛盾や後悔が渦巻き、かといって過去の信念を簡単に捨てきれないジレンマがある。
 彼は村人から借りた杖を突きながら、誰とも言わず呟く。「わたしが……間違っていたとは思わない。ただ、……これほどまでに、人が……AI以外の力を発揮するものなのか……」

 その独白に答える者は誰もいない。開拓民たちは、大怪我を負い癒えきらないイグナーツを深く詮索することもなく、ただ淡々と「必需品があれば言ってくれ」と告げるだけだ。


 そんなある夕刻、遠くの空にローゼンタールの紋章を付けた小型飛行機が飛んでくる。村の人々が騒ぎ始め、「どうやらあなたを探してるんじゃないか」とイグナーツに告げる。
 まもなく降下してきたローゼンタールの騎士団が周囲を警戒しつつ、村長らに事情を説明する。彼らはイグナーツの行方を捜索しており、確保のため巡回を続けていた。地上の至る所を探索するうちに、開拓民からの通報でこの場所にたどり着いたのだ。

 「ここにいたのか、イグナーツ……」

 警護兵が呆れ気味に呟き、拘束具を取り出す。以前のイグナーツなら、憤りで暴れ出したかもしれないが、いまの彼にはそんな気力はない。立ち上がるのが精一杯で、汗を浮かべながら頭を下げたままつぶやく。

 「わたしを……どうするつもりだ。殺すのか……?」

 騎士たちは顔を見合わせ、「死なせるわけにはいかない。あなたを法廷へ引き出すのがローゼンタールとラインアークの意向だ。生きて、罪を償うためにね」と告げる。
 イグナーツはそれを聞き、困惑の表情を浮かべながらも力なく笑う。「罪……償う……か。しかし、ここで死ねばどんなに楽か。非合理な連中め……どうしてわたしを殺さない」

 その問いに騎士たちは返答に困るが、やがて一人が静かに口を開いた。「俺たちはあなたが残した爪痕を忘れないが、あなたが何を思ってAIに全てを託そうとしたのかも知りたいと思ってる。もしあなたが、本当に……人間を捨てきれなかったなら、その目でこの地上を見直すのが罰でしょう」

 「人間を捨てきれなかった……だと? …………。」

 イグナーツは言葉も出ず、拘束具をまかせるように腕を差し出す。何を言っても、この開拓民に救われた事実は否定できないし、敗北の結果がいまさらひっくり返るわけでもない。
 「すべてが……不条理だ。わたしは非合理に負けたというのか……」

 騎士は「いいや、あなたは“どっちも大切だ”という結論を試す機会を与えられたのかもしれない」と呟き、周囲の開拓民に礼を言いながらヘリへイグナーツを誘導する。彼らは複雑そうに見送りつつ「元気でな……」と声をかける者さえいる。イグナーツには理解できず、また無視もできず、ただ曖昧に首を振るだけだった。


 こうしてイグナーツは再びローゼンタールのもとへ連行されることになる。といっても今度は厳重な監獄ではなく、あくまで「治療を続けながら法廷や企業連合会議の準備を行う」という名目の隔離施設だ。そこはカトリーヌやラインアークが共同で管理しており、いずれはリーグ全体の前で彼の戦争犯罪を問う場が設けられるだろう。
 しかし、それが復讐や粛清に終わるわけではない。レオンの言葉やエリカの行動、そしてオフェリアが示した「人間と機械の両立」という成果が、イグナーツの理想が誤りだったと暴くのに十分な材料だからだ。逆に、イグナーツがAI技術を更に“人の未来”へ転用する道があり得る――そう主張する者も出始めている。

 「これが……わたしに許される最後の選択か。AIを、むしろ人間の幸福のために仕える道具に……? バカな……」

 自室のような狭い病室で、イグナーツは苦悶とともに顔を歪める。理想を追求して失敗しただけでなく、非合理な結束に屈した自分を認めるなどプライドが許さない。だが、あの開拓民が発していた優しさや、ライオンハートの芽吹く緑を思い出すと、“完全管理”がすべてではないと気づき始めている自分もいる。

 ローゼンタールの見張り役がしばしば部屋を訪れ、経過観察を報告してくるが、ほとんどは無言だ。イグナーツを訝しげに見ても、直接侮辱するような態度は取らない。かつてなら企業の論理で敵を容赦なく排除していたはずが、この戦後の空気は少し違っている。多くが「家族や仲間を思う」感情に揺り動かされ、報復をよしとはしない空気を築いている。

 日に日に回復していく体を感じながら、イグナーツはどこかで心の整理を迫られていた。自分が“バカか。どっちも大切だ”と切り捨てたはずの要素を今さら認めるのか、それとも再びAI主義に執着して墓穴を掘るのか。彼は初めて、人としての道を模索する立場に追い込まれているのだ。


 やがて、戦後処理がある程度落ち着いたころ、レオン・ヴァイスナーがイグナーツとの面会を申し出た。無理に会う必要はないのではという声もあったが、レオンはあえて「一度くらい、直接顔を見て言葉を交わしたい」と言い張る。それが戦いの決着を自分の中で完結させる最後のピースだと感じたのだ。

 監視カメラが並ぶ簡素な部屋に車椅子で連れられたイグナーツがやってくる。レオンは椅子に座り、腕を組んで待っていた。先の激戦から彼も治療を受けており、右腕に包帯が巻かれている。互いに負傷者というありさまだが、イグナーツのほうはそもそも両足がうまく動かず、片目も視力を失っている。
 「……わたしに何の用だ、レオン・ヴァイスナー。もう、わたしは負け犬にすぎない」

 憔悴した声でイグナーツが切り出す。レオンは少し息を呑むが、すぐに静かに笑う。「いや、会いたいと思っただけだ。あの戦いの後、お前がどうなったか気になった。……生きてるのが不思議なくらいだが、意外としぶといんだな」

 「皮肉か……。死ねずにこんな姿になって、何をしろというんだ。わたしの理想は崩れ去り、完全管理の夢も……」

 「管理だけじゃダメなんだよ。お前、そんなの十分分かったんじゃないか?」

 レオンの言葉は決して慇懃ではなく、まっすぐだった。かつてイグナーツに拘束され、尋問を受けた立場としては、ここで腹いせをぶつけることもできたが、そんな幼稚な考えは彼にはない。勝敗を超えた先で何を得るかが重要だと悟っている。

 イグナーツは沈黙を保つ。レオンは続ける。「俺は俺で、機械を信用できずに人をも切り捨てた時期がある。だけど……いまは“どっちも大切だ”って言えるようになった。お前だって気づいてるはずなんだ。AIがすべてを完璧にするわけじゃない。人間がすべてを否定するわけでもない」

 「……くだらない。そんな、非合理と合理の融合……妥協じゃないのか……」
 イグナーツの反発は弱く、視線が床に落ちている。言葉で拒絶しても、もうかつての確信がない。レオンはそれを見抜き、小さく息を吐く。

 「お前も人間だろ? 負けを経験したなら、少しは柔軟になれ。それだけのことだ……。もし、AIを“人の幸せ”のために使えるなら、お前の知識が生きるかもしれない。……すぐに納得しろとは言わんが、せめて足を止めて考えてくれ」

 沈黙。それが数十秒続き、やがてイグナーツは手元で震える指先を見つめたまま、「おまえは……何だ。そんなにも変わったのか……」と力ない声を漏らす。
 レオンは苦笑して肩をすくめる。「家族ができたからな、言ってしまえば。俺も昔は“機械だけ信用する”と吠えてたんだ。でも、人間も、機械も、どっちも欠かせないって知ったんだよ。お前にも同じことが言えるんじゃないか?」

 これが二人の最初で最後の本音の対話かもしれない。レオンは、イグナーツが相変わらず自尊心に固執しているのを悟りながら、それでも“完全管理戦争”を起こした男に少しの同情を覚えている。天才的頭脳を持つが故に、自分以外を信じられなかった男。その行き着いた先が、この車椅子の姿だとしたら、あまりに空しい。

 「……理屈では、人間の非合理を認めたほうがいいと……分かった気はする。だが、わたしは……もう何もできないだろう。こんな身体で……何を……」
 イグナーツがぽつりと呟く。その声は初めて弱者らしい哀愁を宿し、レオンは眉をひそめて口を開いた。

 「お前が目指したAI技術そのものは、きっと世界の役に立つ。地上の再生や緑化、あるいは企業間の紛争防止にも使えるはずだ。無理に“戦争の完全管理”に拘らず、もっと違う形で生かしてくれ。お前の頭脳はまだ錆びちゃいないさ」

 その提案に、イグナーツは顔を上げずに硬直する。心のどこかで、自分がやってきたことを大きく否定されながらも、新しい道を提示される意外感があるのだろう。
 どちらも大切だ——AIと人間の共存。こんな甘言が成り立つものか。負けた彼には、今はそれを考える余力がないのかもしれない。しかし、心の一部に芽生える“疑問”——非合理に翻弄された自分が、逆に非合理に救われる可能性を排除できないという感覚。

 「おまえは……大馬鹿者だよ、レオン・ヴァイスナー……。わたしをこうして慰めるつもりか」

 「慰めってほどでもないさ。ただ、同じリンクスとして、お前の力が人類のためになるなら、それもいいだろ」

 イグナーツは言葉を失い、しばらくしてから小さく息を吐く。「……考えておく。だが、わたしを信じろとは言うな。もう、何も信じられない……」
 「それでいい。お前はお前のままで、いつか“非合理”の救いに気づく日が来るかもしれない。……じゃあな、元気でいろよ。お前の頭脳が、本当に世界を良くするために使われる日が来ることを祈ってる」

 レオンが立ち上がり、背を向ける。イグナーツは何も返さず、片手の握力も弱いまま、ゆっくりと視線を伏せる。その表情に絶望だけが残っているわけではなかった。わずかに戸惑いと光が入り混じっている。


 こうして面会を終えたレオンは、施設の外へ出る。そこにはオフェリアやエリカが待っており、「どうだった?」と問いかける。彼は肩をすくめ、「まだ自分の敗北を受け入れられてないようだが、少しは響いたかもしれん」と答える。
 エリカは少し複雑そうに微笑む。「大丈夫よ。あの人は賢いから、いずれ理解するはず。人間には目が届かない部分があるって、あなたが教えてくれたんだから」

 「ま、どうなるかはわからんが……一歩進んだだけでも上出来だろうな」

 後ろでオフェリアも静かに頷く。「イグナーツはあれほどAI至上主義だったけど、今はもうAIに救われる立場でさえあるかもしれない。わたしが見るに、彼が人間を完全に切り捨てる気持ちは、この戦いで折れたはずよ」

 そうして三人は、施設の出口を抜け、ローゼンタールの迎えの車両に乗り込む。外には淡い夕日が落ちる空が広がり、“ライオンハート”による緑化が進む土地がかすかに見えている。この世界は、機械と人間が互いを補い合うことで再生する道を歩み出している。それを止められるほど、イグナーツの完全管理論はもはや力を失っているのだ。
 「……イグナーツがどう変わるにせよ、これで戦いは本当に終わった気がするわ。あとはわたしたちが切り拓く番ね」
 エリカがそう言い、レオンは深く頷く。「ああ、守るべきものを守った。家族とAI、それに地上の人々。全部抱え込むのは不器用なやり方かもしれんが……結局、どっちも捨てられないんだよ」


 ローゼンタールの前線拠点では、仲間たちが夕暮れの風にあたりながら一息ついていた。エリカが指揮する旧式兵士は家族に手紙を書き、オフェリアは通信端末でライオンハート関連のプロジェクトデータを解析、カトリーヌが企業連合との交渉に動き始め、ラインアークのフィオナたちも新しい独立協定の案をまとめている。
 一方でイグナーツは、どこか遠く離れた医療兼拘束施設で回復を続けながら、孤独のなかで“非合理”への疑問を抱えている。かつてのように声高に理想を叫ぶ元気はないが、だからと言ってすぐに人間味を取り戻すわけでもない。彼はただ死ぬことすら許されず、思考の中で苦しみ続けているのだ。

 「……バカか。どっちも大切だ、とか。あり得ない。だが……レオン・ヴァイスナーめ……なぜこのわたしを生かそうとした……?」

 折れた心と身体で、かつて切り捨ててきた“人間の情”というものを、ゆっくりとかみ締めるしかない現実。それがイグナーツのその後の日々だ。いつか意義ある形で復帰するか、あるいは裁きの場で処罰を受けるか——まだ誰にも分からない。
 だが、彼の残したAI制御技術が世界再生に活かされる可能性は大いにあり、なにより彼の失敗を踏まえ、人々が“完全管理は真の解決にならない”と学んだことが最大の功績かもしれない。皮肉にもイグナーツが目指した理想の破綻が、新たな“バランス”の道を提示したのだ。


 戦いを終えたばかりの荒れ地で、ライオンハートの技術が徐々に根付き、緑の芽が増え始めている。シモーヌやオフェリアたち技術者は、ナノマシンを使った土壌改良を拡大し、“人間が地上で暮らせるよう”に努力している。
 イグナーツは今、それを遠い噂話として聞きながら、“もしAIと人間が協力すれば地上復興が加速するかもしれない”と想像を巡らせることもある。自分が破壊的戦争に用いた技術を平和に転用すれば、彼の名誉は回復するかもしれない――そんな微かな期待を抱いてしまう自分を、同時に嘲笑する日々だ。

 「結局……わたしが捨てたのは、人間の可変性というやつか。馬鹿らしい……。わたしが馬鹿だったか……」

 誰もいない病室で呟く声が薄ら寒い。外では警備兵が巡回し、彼を脱走させないよう見張っている。非合理の世界に敗れて投げ出された頭脳を、まだ無駄にしようとしない者たちがいるという事実が、イグナーツの誇りと自尊心を逆に刺激する。

 「レオン・ヴァイスナー……おまえが言った通り、世界に機械と人間の両方が必要なら、わたしのAI技術もいずれ……」

 意識が薄れる中、かすかな痛みを感じながら彼は独白を続ける。今はまだ溜息と嘲りを混ぜ合わせた感情しか浮かんでこないが、いつの日か本当にAIを人のために使う意義を認めるかもしれない。その入り口に差しかかったところで、イグナーツは眠気に襲われ、うとうととまどろむように目を閉じる。


 戦後の地上では、散り散りになった企業群やレジスタンスがそれぞれ領域を再生し始め、“人と機械の共存”を探る試みが急速に広まっていた。かつては不毛の地と呼ばれた地域でさえ、ライオンハートのナノマシン技術と頑張り屋の住民たちが緑を取り戻し、少しずつ道や住居を再整備する。
 メカが得意な者は機械やドローンを駆使し、人間が足りない部分を機械が補う。逆にAIが不十分な判断しかできないところは人間の現場力でカバーする。その協調の姿が、あらゆる場所で観察されるようになった。かつてイグナーツが目指した「完全支配ではない形」で、機械と人との歩み寄りが進みつつあるのだ。

 そこにイグナーツの居場所があるのかどうかは定かではない。いまはローゼンタールの施す医療と警備の中で、彼は心身を癒やすしかない立場にある。だが、もし彼が非合理と合理の融合を“受け入れる”日が来るならば、レオンたちと同じステージに立ち、新しい技術を地上に広める役割を担う可能性もゼロではない。

 「お前に足りなかったのは……人生経験か」
 そう、レオンが囁くように言った言葉がどこかでイグナーツの耳に蘇るかもしれない。天才がゆえに未熟だった若き策士が、この荒廃の果てで「人と機械、どちらも大切だ」という結論を少しずつ噛みしめる。その先には、彼が再び地上に足をつけて緑と風を感じる未来があるかもしれない。

 現在、イグナーツはまだ自由には動けないが、わずかに回復しては書類や端末を手渡され、ローゼンタールやラインアークのルールに沿って記録を取る作業を行っている。それは彼にとって屈辱的な“事務仕事”かもしれないが、人間とAIが再生した世界の一部を学ぶ機会でもある。
 「わたしは……敗者……。非合理な世界に、理想を砕かれた……」
 ときにそう独白しながらも、視線の端で開拓民が農地を耕し、旧式ACが補助している映像を見ると、切なさと安らぎが同居した感情を抱いているのに気づく。決して認めたくなかった“人の意志”の力が、AIでは到達し得ない不思議な温もりを生み出している。
 やがて時が経てば、イグナーツがあの「どっちも大切だ」という言葉を思い返し、自分なりに再構築を試みるかもしれない。人生をやり直す余地があるという点で、あの戦いで命を落とさずに済んだことは、皮肉にも彼にとって最大の救いとなっているわけだ。


 ライオンハートの技術が広がり、ローゼンタールとラインアークが企業連合を再編し、エリカやオフェリアたちが新しい社会のかたちを模索する――そんな未来が動き始めている。イグナーツという名前は「かつての反逆者」として史書に記されるのか、「未完の天才」として技術開発に協力するのか、今はまだ定まっていない。

 いずれにせよ、“アポカリプス・ナイト”が沈黙し、“AI完全管理”が崩れ去った現実は、彼を孤独と苦悩の道へ誘う。しかしそれと同時に、もし“非合理”を受け入れる日が来たならば、彼もまた新たな形でこの世界に貢献し得るだろう。
 彼が“どちらも大切だ”という価値観を心底理解できるかはわからない。それでも、いま生き延びた彼の人生にはまだ余白があり、そこに一縷の可能性が宿っている。

 夕暮れ時、拘束施設の一室で彼は窓から微かな緑を見下ろす。ナノマシンにより少しずつ再生が進む荒野の光景だ。そこにはかつて彼が斬り捨てた“不要地域”が、確実に命を宿している事実が横たわる。
 「AIと人間、どちらかではなく、どっちも……か。馬鹿げている。だが、レオン・ヴァイスナーが見せた現実を無視はできん……。わたしは……今さら何をすれば……」

 独り言が虚空に溶けていく。答えはなくとも、その声にはわずかな変化がある。“なぜ”や“どうして”と問う自分を責めるのではなく、“これから何をするか”を初めて模索する自分がそこにいる。企業や戦争を動かす理論を捨て、一個人としての苦悩を噛み締める。これほどの天才でありながら、人間としてはまだ幼い面を持っていたイグナーツの、遠回りの学びとも言える。
 遥か遠くではレオンやエリカ、オフェリア、そしてカトリーヌが地上復興に向けて新技術を磨き、企業連合を新しい形に導こうと奔走している。それはイグナーツが望んだ“効率的な管理”ではなく、“人と機械が支え合う世界”かもしれない。彼が苦しみのなかでもう一度立ち上がり、その新世界の一端を担うなら――それは本人にとっての贖罪であり、救いとなるだろう。

 戦火がやんだ街に一条の光が射し込み、「どっちも大切だ」という言葉を回想するたびに、イグナーツの胸には得体の知れない焦燥と、奇妙な安心感が同居している。AI制御万能という神話は崩れたが、彼が築いてきた技術が誤りだったわけではない。ただ“孤高”にも“絶対”にもなりえないからこそ、人間の非合理が関わる余地が生まれる。

「……わたしに足りなかったのは……人生経験か。いや、まだ……終わっていないはずだ……」

 かすれた呟きが夜の帳に溶けていく。隣室では看護師が巡回し、廊下には騎士が見張りを続ける。世界はこの男を“罪人”として裁こうとしながら、同時に彼の中に残る才能を、いい形で拾い上げる可能性を探っている。
 そう、“イグナーツのその後”は決して破滅だけで終わるわけではない。人としての苦しみを抱え、“AI”を愛した天才が、非合理と合理の両面を認めるまでの道のり。彼が再び立ち上がる日が来るかどうかは、まだ静かな夜の奥に眠っているかもしれない。

 けれど、一度は死線を越え、その命を救われた以上、彼に与えられる選択肢は増えている。“ライオンハート”で緑が芽生える荒野のように、イグナーツの荒れ果てた心にも小さな芽が出るのかもしれない。あれほど拒絶した「どっちも大切だ」という真理を、いつか心底から理解する日は――遠い未来の可能性として、確かに存在しているのだ。

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