再観測:ゼーゲとネツァフ:Episode 5-1
Episode 5-1:リセット派内部の動揺
リセット派の本拠地――かつて世界の中枢機関のひとつとして機能していた先進施設を改修し、強固な防壁と監視塔を備えた広大なエリア。セラとカイ、そしてエリックがそのゲートをくぐってからすでに数日が経過していた。
外周には巨大なコンクリートの壁、鉄条網、数多くの兵士が常時警戒に立ち、歩哨が塔の上から敷地内外を睨んでいる。そこはまさしく要塞のような光景だった。
「ここがリセット派の“中心”……」
セラは施設の一画から見下ろすように配置された通路を歩きながら、改めてこの場所の規模を感じ取っていた。かつて自分がいた研究区画とは比べものにならないほど広大で、多層構造の建物が並び、各所にゲートや厳重なセキュリティが配されている。
曇り空の下、灰色の陽光が地面を鈍く照らす。時折吹く冷たい風が、セラの心をひやりと震わせた。ここで、リセットをめぐる最終的な判断――ヴァルターとエリックの直接交渉――が行われる可能性が高い。その緊張感が施設全体を覆っているのか、兵士たちの顔にはどこか張り詰めたものがあった。
「セラ、疲れてないか?」
隣を歩くカイが声をかける。セラは微苦笑しながら首を振る。「大丈夫。……でも、なんだか息苦しいね。この中にいると、空気が重いっていうか……」
カイも視線を巡らせ、低い声で呟く。「リセット派内部で意見が割れているんじゃないかな。ヴァルター様に全面賛成する“強硬派”と、最近増えつつある“懐疑派”とで、対立が深まってるって噂がある。実際、僕らもまだ正式な面談の場を与えられてないし、何か動いてるかもしれない」
セラの胸がざわつく。一方では戦闘に踏み切りたい強硬な将校、他方では「果たしてリセットは最善か?」と疑問を抱く者が増えているのか。そこへエリックの存在が加われば、なおさら衝突は不可避だろう。
(もしかしたら、この内部対立が、私やエリックにとって“足掻く”ためのわずかなチャンスになるかもしれない……?)
エリックは到着直後こそ短い尋問を受けただけだったが、翌日には地下区画の独房に移され、厳重な警戒下に置かれていた。ヴァルターの指示らしく、少なくとも家族の情報が確認されるまでは「不要な接触を避ける」という名目で、セラやカイの面会も制限された。
セラはそれを聞いて反発するが、基地の幹部は冷たく応じる。「君にはまだネツァフのパイロットとしての任務がある。エリックに関わるのは、その後だ。ヴァルター様がお決めになることだ」と。その態度からは、彼らがセラをただの“兵器の要員”としか見ていないのが透けてわかる。
「……あまりにも冷たい。エリックさんがどんな思いでここへ来たか、わかってないの……!」
セラは苛立ちを押し殺して部屋を後にする。カイも苦い顔をして「仕方ない、今は情報収集に徹しよう」と言葉をかける。どうやら、リセット派の意思決定はすべてヴァルターの一存で行われる体制が強化されており、下位の幹部や将校も内心は不満を抱えているようだが、表立っては反抗できない。
セラとカイは、基地内の施設を案内する兵士の許可のもと、いくつかの研究区画を回ることになった。ここには、ネツァフ開発に関わっていた科学者や技術者が大勢おり、セラにとっては見覚えのある人も少なくない。
しかし、その多くがセラを見るなり複雑そうに視線を逸らしたり、あるいは冷淡な態度で「お前はパイロットとしてネツァフを起動しないのか?」と問いただしてくる。まるでセラが“リセットを先延ばしにしている”元凶だと思っているかのようだった。
「……セラ、こっちだ。ここなら少し話せる」
カイが廊下の端へセラを導き、あまり人目のない場所で小声で話し始める。「僕が耳にした話だけど、ヴァルター様の周囲には“すぐに強行起動を図るべきだ”と主張する“強行派”がかなりの力を持っているらしい。承認システムを形だけ残しつつ、エリックや君の同意を無視してネツァフを動かす手段を急いでいるとか……」
セラは身震いし、「そんな……もしそれが完成したら、私が拒否しても……」と声を詰まらせる。すでにエリックがどうこうではなく、“痛みなく消す”リセットを強行してしまうかもしれない。その時は、自分の意思など関係なく、世界が白紙化される――レナやドミニク、エリックの家族、すべてが消えてしまう。
「まだ開発は完了してないと聞くけど、強行派はあらゆる手を使って技術を急いでいるらしい。彼らにとって君は邪魔かもしれない。ネツァフを動かせる存在が“起動しない”と表明すれば、周囲の反リセット派や懐疑派を勢いづけるから……」
カイの言葉に、セラは血の気が引く。(私が生きているだけで、強行派にとってはいつか説得できるコマになるか、あるいは排除するべき障害になるか……)
遠くのほうで「起動システムの開発はどうなった?」「エリックの承認に頼らなくても、痛みなく消せると言うが本当か?」などという科学者同士の議論がかすかに聞こえる。セラは耳を澄ますが、詳細まではわからない。ただ、確実に「リセット強行」の兆しが進んでいる――そう感じ取れてしまう。
そんな中、セラが研究区画の片隅で偶然に再会したのは、かつて同じ寮で生活したマキという女性研究員だった。彼女はセラより数歳年上で、リセット兵器の理論面を担当していたことがあるらしい。再会の喜びというよりは、どこか怯えた眼差しで周囲を確認しながら、セラを倉庫の一角へ誘う。
「セラ……久しぶり。無事だったのね……」
マキは声を潜め、手を握り合う形で再会を懐かしむ。セラはマキの表情が憔悴しているのを見て、胸が痛む。「マキさんも……こんな状況で、よく頑張ってるね。リセットが加速しそうって……」
マキは周囲を警戒しながら、低く呟く。「今、基地の中では強行派がいきり立ってる。でも、私たち“懐疑派”は、痛みなく消すことに疑問を抱いていて……。本当にそれが人類救済なのかって」
その声には切羽詰まった響きがある。彼女もまた、セラのようにリセットに対する不安を抱いているが、ヴァルターや強行派に表立って反抗できないらしい。
「私たちも、エリックが捕らえられたと聞いて動揺してる。もし彼を無理矢理に承認させ、君がネツァフを動かせば、もう本当にリセットが起動しちゃうかもしれない。私……この戦いも嫌だし、何より全部を消すなんて……許せないと思う。でも、発言すれば監視されるか、排除されるか……」
セラはマキの手を握り返し、強い決意をこめて言う。「私も同じ。こんな戦争ばかり見てきて、リセットが最善だなんて思えない。家族を守ろうとしたエリックさんや、レナさんの足掻きを見ても、リセットは間違ってると感じる……」
マキは瞳を潤ませ、「セラ、あなたの力が必要よ。私たち懐疑派は、ヴァルターに直接逆らえないけど、少しずつ内部から働きかけてきた。でも、ネツァフのパイロットである君がリセットを拒む姿勢を公に示せば、施設の職員や兵士の中にも賛同する者が増えるかもしれない」と熱っぽく訴える。
セラは驚きと戸惑いで胸がいっぱいになる。自分が声を上げれば、ヴァルターへの抵抗勢力が盛り上がるかもしれない。しかし、それは同時に、強行派にとって明確な裏切りとなり、セラ自身が処罰されるリスクも高い。(でも……やらなければ、エリックさんは利用される。レナさんは戦争の犠牲になる。私に選択の余地なんてないのか……?)
マキはセラの手を強く握り、「怖いのはわかる。私も怖い……でも、君にしかできないの。ネツァフが動かない限り、リセットは完成しない。その“事実”こそが、足掻く最後の砦なのよ……」と声を詰まらせる。
(最後の砦……私がリセットを起動しなければ、世界はまだ足掻く余地がある……)
セラはマキに深く頷き返し、心の中で覚悟を固めようとする。(ヴァルターの前で私は……絶対にリセットを拒む。それがどんな結果を招くとしても……)
マキとの会話を終え、セラとカイは廊下を戻っていると、通りすがりの兵士から「エリックが本格的な尋問を受けるらしい。強行派の将校が自分たちのやり方で口を割らせると言っている」と耳にする。どうやら、家族の情報を探しているのはエリック本人だけでなく、強行派もまた「家族を使ってエリックをコントロールする」算段があるようだ。
セラは血の気が引く。「そんな……もし拷問なんかされたら、エリックさんは……!」
カイも顔を青ざめたまま、「ヴァルター様はそこまで命じてはいないかもしれないけど、強行派は独断で動く可能性がある。エリックの精神が壊れれば、承認など期待できなくなるのに……」と困惑する。
そこでセラの中に怒りが湧き上がる。「もう許せない……。エリックさんをそんな形で追い詰めるなんて。私、絶対に止める!」
カイは驚くが、すぐに肯定するように頷く。「わかった。けど、どうやって? 僕らだけで止められるのか……?」
セラは唇をぎゅっと噛み、「懐疑派もいる。彼らの協力を得て、何とかエリックさんへの拷問を阻止したい。ヴァルター様の耳に入れば、強行派も動きづらくなるはず……」と提案する。
カイは考え込み、「そうだな。じゃあ、まずは懐疑派の科学者や将校を探り、その人たちに“エリックへの暴力はヴァルター様の意向に反する”と働きかけるしかない。時間が勝負だ……」と言葉を返す。
二人は再び科学区画を訪れ、マキを含む数名の懐疑派研究員が集まる一室へ通される。そこには白衣や作業着を纏った男女が机を囲んでおり、セラの姿を見るや困惑と期待の入り混じった表情を浮かべた。
「セラが……ネツァフのパイロットが来たって、本当……?」
背の高い男性研究員が目を丸くする。マキが静かに頷き、「今、エリックが危ない。強行派が尋問名目で手荒な手段を使おうとしているらしい。セラたちはそれを止めたいの」と説明した。
セラは緊張しつつ一歩前に出る。「私もエリックが暴力で承認を強制されるなんて耐えられない。家族を探す方法があるなら、まずはそれを本人に確認させてほしい……。どうか、私に協力して」
研究員たちは互いに視線を交わし、うなずき合う。「実は、こっちでもエリックの家族に関する旧データを探ってるんだ。反対派にいたわけじゃなく、リセット派の内部に支援者がいた形跡があるのかもしれない……。ただ、この情報を表に出すには、強行派の妨害を恐れてね……」
彼はため息をつき、モニターを操作して古いファイルを表示した。そこにはエリックの過去の経歴や家族構成らしき断片的なデータが残っているが、多くが黒塗りや破損で確認できない状態だ。
カイが目をこらし、「これ、補完できないかな? 断片を繋ぎ合わせれば、エリックの家族が本拠内部に移送されていた事実があるかもしれない」と提案する。研究員たちは頷き、協力してファイル復元ツールを走らせる。
セラはホッと安堵しながら「ありがとうございます。こうして手がかりを得られれば、少なくともヴァルター様に虚偽の情報を握られずに済むかも……」と感謝を伝える。
マキは微笑んで「セラ、あなたの意志は大事よ。私たちだって無駄に戦争を煽るなんて嫌だから、リセットの結論を急がないでほしい。足掻く余地があることを多くの人に示して……」と力を込める。
しかし、その言葉を遮るようにドアが開き、兵士の一人が無骨な足音で入室してくる。「何してる、お前ら……こんな所で集まって」
研究員たちは一斉にモニターを閉じ、セラとカイもとっさに嘘をつくような空気になる。兵士はじろりと睨むが、ややあって「セラたちがネツァフに関する追加情報を聞きに来たのか。……余計なことをするなよ」と冷たく吐き捨てて去っていった。
キリキリとした緊張が走り、研究員の一人が細く息を吐く。「……危ない。強行派の兵士はマークが厳しい。あまり長居はしないほうがいい。解析の結果が出たら、私たちが連絡するよ」
セラは深く頷き、「ありがとう、本当に……」と礼を言い、カイとともに部屋を後にした。
廊下を歩いていたセラたちは、偶然にも「これより重要会議が行われる」という会話を耳にし、その場で足を止める。どうやらヴァルターの代行を任された高位将校が複数人集まり、エリックの扱いやネツァフの運用方針を協議するらしい。
「私たちも聞けないかな……」
カイが苦笑しながら提案するが、普通に考えて外部の人間が傍聴できるとは思えない。それでも、セラは「少しでも情報をつかみたい」と願い、カイとともに会議室近くまで忍び寄る。扉は固く閉ざされているが、時おり中から声が漏れてくる。
「エリックを拷問などしても無意味だ! 家族を探すふりをして協力を得るほうが早い!」
「いや、奴が意固地になれば承認を押さないまま死ぬだけだ。なら強行派が研究を急ぐべきでは? ネツァフの替えなど作れる!」
「そんな開発が実用化する見込みは薄い! だったらセラをうまく操ればいいだろう。彼女はまだ若い……リセットこそが世界の救いと説得すれば……」
怒号にも似た議論が続き、セラは身を縮こまらせながら聴く。まさにリセット派内部が“エリックをどう扱うか”“セラをどう動かすか”という問題で真っ二つに割れているのだろう。
「ヴァルター様がお戻りになるまでは決定できないが、我々だけでもエリックへの尋問を強化するべきだ。セラの面会も制限しろ。下手に感情移入されると困る!」
聞こえてくる声に、セラは胸が苦しくなる。カイは唇を噛み、「まずいな……あまり時間がない。早く何とか手を打たないと、エリックが取り返しのつかない仕打ちを受けるかもしれない」と焦りをにじませる。
セラはこくりと頷き、心を決める。(やるしかない。私が足掻いて、この会議をひっくり返す糸口を探そう……。自分の意思を堂々と述べるんだ……)
会議が終わった後、セラとカイは廊下に戻ってしばらくして、今度は別の一角から人の叫び声が聞こえてきた。慌てて駆け寄ると、強行派の兵士が数名、白衣を着た研究員を壁際に追い詰めているのが見える。何か言い争いになっているらしく、兵士たちは研究員を押さえつけている。
「お前、さっき懐疑派の連中と何か図ってたろう! データを勝手に触っているのを見たぞ!」
兵士が荒々しい声を上げ、研究員を殴ろうとする。セラは驚き、「やめてください!」と飛び出しかけるが、カイが慌てて制止する。下手に介入するとセラ自身も危険だ。
研究員は怯えながら必死に否定する。「違う……何もしてない、ただ指示されたデータを整理していただけだ……!」
兵士の一人が嘲笑して「嘘つくな。どうせエリックに関わる情報を集めて、懐疑派に渡そうって魂胆だろう。俺たち強行派をなめるなよ……!」と拳を振り上げる。
セラは耐えきれず、「やめて!」と大声を上げて駆け寄る。「そんな暴力はやめてください! ヴァルター様の意向でもないのに……!」
兵士たちはセラに目を向け、一瞬たじろぐ。ネツァフのパイロットという立場があるからだろう。
「……セラ? お前こそ懐疑派の連中とつるんでるって噂じゃないか。いいのか? 裏切りとみなされるぞ?」
兵士が居丈高に言い返すが、セラは気迫を込めて言う。「わからないんですか。ヴァルター様の意向は、エリックに協力を求めること……こんな形で研究員を虐げてもメリットなんてない!」
兵士が舌打ちし、研究員の胸ぐらをつかんだまま「黙れ。俺たちがやってるのは内通者狩りだ。懐疑派はリセットに水を差す裏切り者だ!」と吠える。
カイが落ち着いた口調で「そんな乱暴をしても、あなたたちの立場を悪くするだけだ。落ち着きませんか?」と制止を試みる。
兵士たちは顔を見合わせ、戸惑ったように唸る。ネツァフパイロットのセラに強く出れば、後でどんな処分が下るかわからないのだろう。最終的に、彼らは研究員を手放し、乱暴に吐き捨てた。
「……クソッ。次に怪しい動きをしてみろ、命はないと思え!」
そう言い放って立ち去る兵士たち。地面にへたり込んだ研究員は震えており、セラとカイが慌てて助け起こす。
「だ、大丈夫ですか……?」
研究員は顔色を失いながら「あ……ありがとう。まさか君たちが止めに入ってくれるとは……」と涙混じりの声で礼を言う。セラは固い笑顔で「そんな当たり前のことです……でも、これからもっと警戒を……」と答える。
内心、(もうリセット派内部はギリギリの状態なんだ)と痛感する。強行派が暴走を始めている一方で、懐疑派が怯えながら裏で動き、どちらも互いを疑心暗鬼で見ている。まるで、いつ内乱が起きてもおかしくない空気だ。(これがヴァルター様の望む姿なの……?)
研究員を見送ったあと、セラとカイはしばし廊下の隅で立ち止まる。カイが苦渋の表情で「セラ、覚悟はできた? 僕らはもう明確に強行派の敵になりつつある。そうなれば、ヴァルター様の反感も買う可能性が高い」と問いかける。
セラはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷く。「……怖いけど、私にできることは決まってる。リセットを起動しない。そのために、エリックさんを守る。そして、レナさんがまだ生きているかぎり、彼女の足掻きを無駄にはしない……」
そこには覚悟の光が宿っている。「どんなに阻止されそうになっても、私がネツァフの起動を拒否すれば時間が稼げる。エリックさんが家族を人質に取られても、私がそれを止めれば……」
カイはセラの手を握り、静かに言う。「わかった。僕も最後までサポートする。……ただ、ヴァルター様がどんな罠を張っているかはわからない。注意して動こう」
翌日、基地内ではさらなる混乱が巻き起こる。深夜に何者かがエリックの独房近くへ侵入しようとした形跡が見つかり、警報が鳴ったという。強行派は「懐疑派がエリックを逃がそうとした」と声を荒らげ、懐疑派は逆に「強行派の自作自演だ」と怒鳴り返す。
もはや、施設のあちこちで小競り合いや言い争いが起き、セラたちが通る通路でも怯えや苛立ちが満ちていた。
マキからは連絡があり、「家族情報の解析が進んでいるが、アクセス権限の問題やデータ破損が深刻。すぐには明かせない」という。また、将校レベルの懐疑派にも繋がりを持つが、彼らも強行派との衝突を恐れて表に出られない状態とのこと。
まるで、リセット派の内部が見えない炎に包まれ、今にも崩壊しかねない――そんな不穏な空気をセラは肌で感じる。(こんな状況で、ヴァルター様はいったい何をしているの? どうして姿を現さないの……?)
そんな動揺が最高潮に達しつつある昼下がり、突如として基地のアナウンスが鳴り響いた。重厚な声とともに、スピーカーから「ヴァルター様による声明」が流れ始めるのだ。兵士や研究員、皆が動きを止めて耳を傾ける。
「……人類が最後の岐路に立ってから、すでに幾度の流血があったか。エリックが承認を拒み、反対派が足掻いた結果、争いは絶えず、多くの命が失われた。私はこれ以上、無用な犠牲を出したくはない。ゆえに、再度告げる――
リセットが必要だ。
痛みなく消す。それが人類をこれ以上惨めにしない唯一の道だ。」
その声には抑揚は少ないが、確固たる信念が感じられる。セラは背筋を凍らせながら続きの言葉を待つ。もし“即時起動”の布告なら、もう世界は……。
「しかし、リセットを完成させるためには複数の承認が必要だ。エリックの存在は大きい。彼が協力するなら、世界は速やかに救済される。だが、彼が拒むならば、やむを得ず強行策を講じるしかない。
私は、もうしばらく待つことにしよう。
エリックには数日の猶予を与え、その間に自らの家族の所在を探すのを許可する。もし家族を確認でき、納得して承認を行うなら、これ以上の血は流れずに済む。……それが私の“最終譲歩”だ。」
アナウンスはそこで一瞬止まり、兵士や職員は息を呑むように静まり返る。セラの心臓が大きく鼓動し、(家族の所在を探すのを許可……)というワードに反応する。(本当に許可してくれるの? でも、彼の協力を引き出すための罠では……?)
「それでもエリックが承認を拒むなら、やむを得ない。ネツァフの強行起動を実行する。……そろそろ時間はない。我々には残された手段が限られているのだ……」
そこまで語り、放送は終了する。重い沈黙が敷地を包んだまま、誰もが顔を見合わせる。強行派は「やった、ヴァルター様もいよいよ動くぞ」と呟き、懐疑派は「本当に家族探しを認めるの……?」と疑念を抱く。
セラは混乱の渦に引きずり込まれるように立ち尽くし、ついに「数日の猶予」のカウントダウンが始まったと悟る。
声明から少し経って、強行派の兵士が再び研究員を締め上げている光景を目撃したり、懐疑派の職員が隠れるように動き回ったり、基地内はさらにカオスを深める。セラとカイはもう、静かに行動するしかなく、自分たちで動いてもすぐ監視が入り、エリックとの面会も制限されている。
(猶予がある、と言われても、その間に強行派がエリックに拷問や圧力をかける可能性は高い。どう防げばいいの……?)
ある夜、セラが独りベッドで休もうとしていたところ、ドアがノックされる。警戒して開けると、白衣姿のマキが青ざめた顔で立っていた。
「セラ、急いで……。どうやら強行派が今夜、エリックに“尋問”する気らしい。ヴァルター様の許可があるかどうかは不明。でも、動きがあるのは確か。……早く阻止しないと!」
セラの心臓が激しく脈打つ。(またもエリックが危険にさらされる……こんなにも不安定な状態で、どうにかしないと……!)
カイも隣室から出てきて事情を把握し、即座に作戦を考える。「監視の兵士が必ずいるから、正面からは行けない。マキ、裏口か通路を知ってる?」
マキは首を縦に振り、「医療棟の地下連絡通路からなら、独房棟へ繋がるかもしれない。私が同行する……」と提案する。
セラとカイはしばし迷うが、(もう時間がない)と判断し、冒険的な行動に出ることを決める。万が一バレれば反逆の罪を問われるかもしれないが、エリックを救うためには行動せずにいられない。
深夜、懐疑派研究員マキの案内で、セラとカイは医療棟の裏手から階段を降り、薄暗い地下通路を進む。そこは老朽化した配管が走り、ところどころに配電盤や倉庫があるが、人の気配は薄い。
マキがライトを手に、足音を極力抑えて先導する。「気をつけて……この先を曲がったら独房棟の地下連絡口に出るはず……」
不意に背後から足音が聞こえ、セラはドキリと振り返る。そこには管理部門の兵士が巡回しているらしく、ライトが壁に映っているのが見える。
「まずい……隠れて!」
マキが小声で叫び、一同が陰になった隙間に身を潜める。兵士が周囲を照らしながら通過し、ほどなく足音が遠ざかるまで、セラは心臓が爆発しそうなくらい緊張した。
「一歩間違えば逮捕……こわいね」
カイが吐息混じりに言い、セラは苦笑いする。「でも、エリックさんが拷問されるのを見過ごせない。早く行こう……」
マキも同意し、再び先へ進む。
やがて奥の扉に辿り着き、そこには「独房棟連絡口」と書かれたプレートが見える。電子ロックが掛かっているが、マキが研究員用のIDを使って開錠しようとする。「たぶん施設全域で有効なはず……」
ドキドキと息を詰めながら数秒後、カチッという音とともに扉が開く。湿った空気が流れ込み、独房棟へ繋がるらしい細長い通路が続いていた。
独房棟は薄暗い通路と無機質なコンクリート壁が広がり、重厚な鉄扉や監視カメラが設置されている。セラが足を踏み入れた瞬間、思わずぞわりと嫌悪感が走る。ここでは反対派の捕虜や内部の裏切り者を“調整”していると噂を聞いていたからだ。
マキが指さして小声で説明する。「尋問室はあの先。……でも、セラ、何か物音が……」
通路の奥から、「ぐああっ!」という低い呻きと、何人かが押し問答するような声が聞こえてくる。セラは体がすくむが、エリックを思って前に進む。カイも覚悟を決めた様子で後に続く。マキは怖そうに震えながら、二人をサポートする。
曲がり角を曲がると、そこには鉄扉があり、中から鈍い衝撃音と男の怒声が漏れてくる。「白状しろ……家族はどこにいる! リセットに協力しないなら、ここで死ぬだけだぞ!」
耳に刺さる言葉に、セラは間違いなくエリックの尋問が始まっていると確信する。ついに来てしまった――。
「急ごう……!」
カイが駆け寄り、扉に耳を当てる。鍵が掛かっている。中で複数の人間がいて、エリックを痛めつけている様子がうかがえる。断続的な鈍い音と、苦しげな声が聞こえるたび、セラは胸が引き裂かれそうだ。(もう一瞬も我慢できない……!)
どうやって扉を開けるか迷うが、マキがIDカードを差し込もうとする。しかし、扉がロックされていて彼女のアクセス権では通れないらしい。「くっ……レベルが足りない……」と悔しげに呟く。
カイは扉を叩き「開けろ! セラだ、ネツァフのパイロットだ。ヴァルター様の意向を無視して、勝手に拷問するつもりか!」と声を上げる。
数秒の沈黙の後、扉の内側で人の動きが止まり、ガチャリと鍵が外れる音がする。ゆっくり扉が開き、そこには血塗れのエリックが椅子に縛られたままうなだれ、数名の強行派兵が振り返っていた。
「……何だ、お前ら……」
リーダー格と思しき男が苛立ちをあらわにして銃を持ち、セラたちを睨む。尋問の道具が散らばっており、エリックの顔には殴打の痕や流血が残っているのが目に入る。
セラはエリックの姿にショックを受け、絶句する。唇を噛み、自分がここで行動しなければ、エリックが殺されるか精神を破壊されるかもしれない――そう強く感じる。
「やめて……! ヴァルター様が数日の猶予を与えたはずでしょう! こんなことして何になるの!」と声を張り上げる。
兵士のリーダーが銃を突きつけ、眉間に皺を寄せる。「黙れ、セラ……お前がネツァフを動かす意志がないなら、こいつから情報を引き出すしかないんだ! 家族を餌に承認を押させるもよし、あるいは代替策を急がせるもよし……いずれにせよ、こいつはリセットに必要だ!」
カイが前に出て、冷静に説得しようとする。「馬鹿なことを……ヴァルター様の承認も得ず、無断で拷問すれば処罰されるぞ! このままではエリックが死ぬか、承認どころじゃなくなる!」
兵士は舌打ちし、「だからこそ、痛めつけて家族の居場所を吐かせて、逆に奴を脅迫するんだよ。それが一番早い。ヴァルター様には後で報告すればいい!」と苛立ちをあらわにする。どうやら何らかの支持者が背後にいるのかもしれないが、今ここではそれを証明できない。
「もうやめろ!」
セラが半ば悲鳴をあげて、エリックに駆け寄ろうとする。しかし、兵士の一人が銃を向け、「近づくな! 邪魔をすればお前も撃つ!」と喉を鳴らす。
エリックは呼吸もままならないほど弱っているが、口から血を垂らしながら必死に言葉を絞る。「セラ……来るな。俺は……大丈夫じゃないが、こんな奴らに屈しない……」
兵士のリーダーは怒りを爆発させ、「ほう、まだ強がるのか。ならもっと痛い目を見せてやるぞ……!」と拳を振り上げる。カイが「やめろ!」と叫び、セラも飛び出そうとするが、複数人が銃を構えて制止しようとする。
その緊迫の瞬間――バン!という鋭い銃声が室内に響いた。セラは思わず身をすくめるが、自分に弾が当たったわけではない。見ると、銃を構えていた兵士の手首が撃ち抜かれて、ライフルを落としている。
「誰だ……!?」
全員が振り返ると、マキが扉の隙間から拳銃を片手に震える姿を見せた。彼女は普段は研究員だが、非常用の訓練を受けており、どうにか一発だけ狙いを定めたのだろう。
「セラに手を出すな……! ……わ、私だって……戦いたくないけど、あなたたちを黙らせるしかない……!」
マキは涙をにじませながら銃を向けるが、他の兵士たちが驚きで一瞬動きを止める。カイがその隙をついて兵士の手元のライフルを蹴り飛ばし、「セラ、エリックを!」と叫ぶ。
セラは果敢にエリックへ駆け寄り、拘束具を外そうとする。しかし、強固な金属ベルトで固定されているらしく、簡単には外れない。
「くそ……どこかに鍵が……」
カイが焦りながら周囲を探し、机の上にあるキーを発見する。兵士の一人が気づいて銃を取り戻そうとするが、マキが「動かないで!」と威嚇射撃をして何とか押しとどめる。
「急いで、カイさん……!」
セラが必死に縛られたエリックの腕を支え、カイがキーを挿し込みロックを解除する。カチリ、という音が複数回鳴り、エリックの身体が椅子から外れる。が、彼はかなりのダメージを負っており、立ち上がろうとすると大きくふらついた。
「エリックさん……大丈夫!? 早くここを出ないと……!」
セラが肩を貸す形で支えようとするが、体力の限界に近いエリックはまともに歩けない。カイも片腕を貸して引きずるように移動させようとする。
しかし、マキが銃を構えたまま兵士たちを睨む状況にも限界があった。敵は三、四人おり、そのうちの一人がさっとマキの死角に回りこんで反撃を狙う。「てめえ……よくも俺の仲間を……!」
マキもすぐには対処しきれず、銃声とともに弾が壁を跳ね返す。火花が散り、マキが悲鳴を上げて転倒する。カイが焦って「マキ!」と叫ぶが、エリックを抱えているため身動きが取れない。
「終わりだ……!」
兵士が銃口をマキに向けた瞬間、カイが思い切って近くの椅子を蹴り飛ばし、その兵士の手元を乱そうとする。椅子が当たって兵士がバランスを崩し、銃弾は天井を撃ち抜いた。
「くっ……」
兵士は体勢を立て直して銃を構えるが、セラが絶叫に近い声で「やめてーっ!」と体当たりして横から押し倒す。激しい衝撃が床に伝わり、兵士ともみ合う形となる。
「離せっ……このガキが!」
兵士はセラの腕を振り解こうとするが、セラは必死に組み付き、相手の手首を押さえる。銃口は床を向き、不発のままカチャカチャと動く。兵士が大人の力を振り絞って上から押さえつけようとすると、セラは苦痛で声を上げる。
ちょうどそのとき、背後からカイが兵士の後頭部を拾った椅子で殴打し、兵士が気絶するように前へ倒れ込んだ。床に身体を崩したセラは茫然と深呼吸し、「か、カイさん……ありがとう……」と声をかすれさせる。
小さな部屋の中は混戦状態だったが、他の兵士たちもマキの威嚇射撃や混乱で動きが取れなくなっている。やがてマキがなんとか銃を掴み直し、「全員動くな……!」と震える声で睨みを利かせる。兵士のリーダーは歯を食いしばり、「クソッ……」と床に倒れた仲間を見やるが、抵抗が難しいのだろう。
セラは肩で息をしながら、エリックが座り込んでいる場所へ這い寄り、「大丈夫? 歩ける?」と声をかける。エリックは顎に多くのあざができ、血を流しながらも頷いてみせる。「ああ……頑張る……。君らにまで世話をかけてすまない……」
カイがなんとかエリックを支え、マキが銃を構えたまま兵士たちを牽制する。そしてセラが囁く。「このまま出口へ急ごう。別の兵士が来る前に……」
幾人かの兵士が悔しそうに「待て……逃げても無駄だ!」と唸るが、マキは「あなたたちが先に無許可で拷問したのが悪いんでしょう! ヴァルター様に知られたら大問題になるわ!」と一喝する。
誰もが一瞬身動きできない僵局の中、セラたちはエリックを連れ、尋問室から外へ出る。廊下にはまだ他の兵士たちがいるかもしれないが、このままじっとしていては何も変わらない。(少なくともエリックを別の安全な部屋へ移し、傷の手当てをしなきゃ……!)
マキが先頭を行き、カイがエリックを支えて、セラが後方をカバーするように走る。扉を開き、長い通路を駆け抜け、曲がり角を曲がると、足音が聞こえる。正面から兵士の一団が近づいてくるのを見て、思わず立ち止まるが、マキが咄嗟に脇道に滑り込むよう指示する。
「ここから医療棟へ行ける!」
息を詰めながら駆け続け、どうにか警戒の薄い裏手から医療棟の一室へ入った。そこは書類や医薬品が雑然と置かれた倉庫のような場所で、しばらくは隠れられそうだ。
エリックを床に横たえ、セラが慌ててタオルや消毒液を探す。「まず止血と応急処置を……」
カイも医療知識を活かし、エリックの殴打箇所を確認しながら腕を見て「あばらにひびが入ってるかも」と冷汗をかく。短時間で済ませるには限界があるが、やれることをやるしかない。
マキは見張りをしながら、肩を落として「このままじゃ基地内で逃げ回るしかない……。セラ、どうする? いずれ騒ぎになるよ」と問う。
セラも息を荒げたまま答える。「正面切ってヴァルター様のところへ行くしかないわ。この状況を説明して、強行派が無茶をやってるって……でも、私がヴァルター様を説得できるのか……」
数分後、外で警報が鳴り始めた。どうやら尋問室での騒動を知った兵士たちが捜索を開始したらしい。通路に走り回る足音が響き、「エリックが脱走した!」とか「セラが連れ出した!」などの叫び声が混じって聞こえる。
マキが蒼白になり、「まずい……このまま捕まれば、私も君たちも謀反の疑いをかけられる。強行派が内戦状態に持ち込みかねない……」と震える声で言う。セラとカイは混乱しつつも、しかし「エリックを傷つけられるよりはマシだ」と意志を曲げない。
エリックが痛みに耐えながらうめく。「すまない、セラ、カイ……迷惑をかけて……。でも、ありがとう、まだ……生きていられる……」
セラはエリックの手を握り、「生きて。家族を探さなきゃ。あなたがここで死んだらリセットはもっと加速しちゃう……」と微笑もうとするが、涙がにじむ。
どうやってこの事態を収拾するか。セラの頭には「ヴァルター様に直接訴える」「懐疑派の将校を動かす」「強行派を暴走させないように公開の場で告発する」などアイデアが浮かぶが、どれもリスクが高い。
(でも、やるしかない……)
少し考え込んだ末、セラは心を決めたように顔を上げる。「私が……ヴァルター様と面会の場をこじ開ける。たとえ強行派が阻止しようとしても、私はネツァフのパイロットとしての権利を行使する!」
カイが目を見開く。「権利……? 確かに君は特別な存在だが、彼らがそれを認めるかどうか……」
セラは強い眼差しで頷く。「ヴァルター様が求めているのは“形だけでも承認を得ること”。私が『今すぐ会って話さなければネツァフを起動しない』と明言すれば、あちらも軽視できないはず。今は内乱を起こす余裕もないでしょうし……」
エリックは苦しそうに頭を上げ、弱い声で問いかける。「危険じゃないか……? 強行派に消されるかもしれない……」
セラは唇を引き結ぶ。「もうそんな脅しには屈しない。たとえ殺されても、私は足掻く。ドミニクやレナ、あなたが見せてくれた足掻きを無駄にしないために……」
瞳が潤んでいるが、その中に強い光が宿る。カイは静かに微笑み、「わかった……僕も最後まで一緒だ。行こう。ヴァルター様へ直接かち合いにいくしかない」と宣言する。
マキは顔を曇らせながらも、「私が通路のルートを案内するわ。上層階の会議フロアにヴァルター様がいるはず。だけど、警備が厳しい……」と協力を申し出る。
医療棟倉庫で応急処置を終えたエリックは、痛みに耐えながら立ち上がり、セラの肩を借りて歩こうとする。カイがマキとともに先導し、可能な限り警戒の薄い通路を使ってヴァルターのいるエリアへ向かおうとする計画だ。
しかし、強行派の捜索や兵士たちの足音が迫ってくるのがわかる。誰かが内通しているのかもしれないし、いずれにせよ時間はない。わずかな猶予のうちにヴァルターの前へ行き、セラは「ネツァフを動かさない」決意を伝え、エリックも「家族を探す意思」を示す必要がある。
ガンッ! と扉が遠くで開く音が響き、兵士の罵声がこだまする。「エリックがここにいるのか……! 探せ!」
マキが急かすように囁く。「こっちの非常階段を使いましょう。警備が薄いはず……」
セラ、カイ、そしてエリックは行き場のない重圧を抱えながら、闇に包まれた廊下を走る。足音が絡み合い、心臓が煩いほど鳴り響く。
「ヴァルター様のフロアに行けば、きっとあちらも本腰を入れてくる。下手すれば銃で撃たれるリスクもある……」
カイの言葉に、エリックはかすかな笑みを浮かべる。「そうなったら俺はここで死ぬだけだ。でも少なくとも……家族や世界がどうなるか、最期まで見届けてやる……」
セラは歯を食いしばり、足を止めない。「死なせない。ここまで来たんだから、私たちは足掻くよ。たとえヴァルター様が何と言おうとも、私はネツァフを使わずに済む道を……いや、この世界が足掻く道を探し続ける……!」
足掻く者たちの思いと、リセットに傾く強行派の策略。ヴァルターはどちらを選び、どんな未来を描くのか。セラとエリックが巻き起こす運命の波紋は、基地の深部へと向かいながらさらに大きな衝撃を呼び起こすだろう――。