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ゼーゲとネツァフ:Episode 2-1

Episode 2-1:黄昏の街に向かう列車

 灰色の雲が空を覆い尽くす午後、セラとカイはリセット派の基地を出発した。リセット計画が頓挫し、人々の多くが混乱に陥っている最中、二人は「逃亡した最年少代表エリック」を追う任務を命じられたのである。
 既に世界の秩序は崩れかけており、公共交通機関の大半は停止しているか、運営が不安定だった。けれども、目的地の黄昏の街へ向かうには「高速移動鉄道(Hyper Rail)」の一部区間がまだ動いているという情報があり、その路線を頼りに旅を進めるのが最善だと判断された。

 ふたりが到着したのは、かつて市の玄関口として賑わった大規模な駅の廃墟だった。メインゲートのほとんどは閉鎖され、ガラスドアの割れた破片が地面に散らばっている。駅の外壁はコンクリートが剥き出しになり、鉄骨がむき出しに曲がっている部分もある。時折、風が吹き抜けるたびに砂ぼこりを巻き上げる光景は、いまや“人々が栄えた都市の残骸”を象徴するものだった。

 「本当に、ここに列車が来るんでしょうか……」
 セラは駅舎の正面に立ち、薄暗い空を見上げながら呟く。周囲を覆う雲は厚く、陽光が射す気配はない。
 カイは手持ちの端末で路線図らしきものを確認していたが、その情報がいつの時代のものであるか不確かだった。
 「一応、リセット派が管理している区間がまだ残っていると報告には書いてあった。エリックを追うにしても、この近道を使わなければ、大きく遠回りしなくちゃならない。ここで列車を逃せば、荒れた高速道路を延々と移動するしかないし……間違いなく危険が増すだろう。」

 駅舎の中に入ると、薄暗いコンコースが広がっていた。天井の照明は大半が壊れており、残った非常灯のようなものが数メートル置きに弱々しい光を落としている。壁には古いポスターが何枚も貼られたまま色褪せていて、そこに描かれた「明るい未来を信じて、リセットを迎えよう!」というスローガンが痛々しく思える。
 床には埃が堆積し、足を踏み出すたびにざらついた音が響く。自動改札のゲートはシャッターが半分壊れた状態で、かろうじて通れる隙間が開いていた。ところどころに倒れた案内看板や散乱したチラシが見受けられるが、人の気配は薄い。

 「……まるでゴーストタウンみたいですね。」
 セラは肩に下げた小さなバッグを握りしめ、辺りを警戒するように目を走らせる。これまで基地の外へ出る機会は限られていたため、彼女にとっては“世界がどれほど荒廃しているか”を肌で感じる初めての場面とも言えた。

 カイは彼女の隣を歩きながら、注意深く周囲を伺っている。銃を携帯しているが、訓練を積んだ兵士というわけではないため、不意の襲撃があればセラと協力して対処するしかない。カイの瞳には不安と責任感が入り混じった色が浮かんでいた。
 「……とにかく、まずは駅員がいるかどうか探してみよう。もしかしたら有人運行を維持してるかもしれないし、無人なら無人で、列車が止まっているか確認したい。」

 こんな時代にも関わらず、噂によれば「駅員たちが少人数で路線を動かしている」ケースが稀に存在するという。それは生存をかけた行為でもあり、黄昏の街との物流を細々と支える手段でもあるのだろう。


 コンコースを奥へ進むと、時折スピーカーからノイズ混じりのアナウンスが響くのを耳にする。
 「……まもなく、○○行き列車が発車します……」
 言葉の一部は掻き消され、電子音の歪みが混ざっているため、どの行き先なのかはっきりしない。だが、その声は人のものではなく録音された自動放送らしく、無人の駅に気味の悪い残響を広げていた。

 「列車が発車するアナウンス……残ってるんですね。」
 「ただの残骸システムかもしれないな。定刻放送だけが虚しく流れている可能性もある。」
 カイはそう言いながらも、一縷の望みをかけているようだった。もし本当に運行中の列車があるのなら、時間が経てばホームへ近づく合図になるかもしれない。

 やがて二人は改札を抜け、ホームへと繋がる階段を見つける。その階段は薄暗く、手すりには蜘蛛の巣が絡みついていたが、かすかに足音が下のほうから聞こえてくるような気がした。セラは緊張で喉が渇き、唾を飲みこむ。
 「誰か……いる?」
 「……かもしれない。行ってみよう。」

 階段を一段ずつ降りる足取りは、鈍く重いエコーを生む。セラの心臓は早鐘を打ち、何かあったときにすぐ動けるようにブレスレットに手をやる。彼女はネツァフの心臓部として、生体連動システムが組み込まれたブレスレットを携帯している。それがあれば必要最低限の防御反応や軽い拡張能力を引き出すことができるが、本格的な融合ではないため、過度な期待はできない。
 カイもまた拳銃を手に構え、いつでも撃てる体勢を整えていた。


 階段を降りきると、開けたスペースが広がった。かつて複数の路線が行き交っていたのだろう、ホームは広く、2階建て分ほどの吹き抜け構造になっている。しかし、照明はほぼ死んでおり、天井の高い闇が淀んでいた。レールは錆びつき、ホームの床には水滴が溜まって苔のようなものが生え始めている。異臭と黴の匂いが混ざり合い、むせ返るようだ。

 「誰か、いますか……?」
 セラが静かに声をかける。すると、ホームの奥からゴトン、と金属が落ちるような音が聞こえ、足音が近づいてきた。二人は慌てて柱の陰に隠れ、息を殺す。
 やがて姿を現したのは、やせこけた中年の男だった。駅員の制服らしきものを着てはいるが、上着や帽子がボロボロになっており、胸に名札が付いているものの文字は擦り切れて判読が難しい。男は片手に懐中電灯を持ち、もう片方で何か細長い棒を引きずっている。

 「……誰かいるのか……?」
 男は声を張り上げるでもなく、かすれた調子で独り言を呟いていた。照らされたホームの床には散らかった工具やケーブルが見え、どうやらメンテナンスか何かをしている最中のようにも見える。
 セラとカイは顔を見合わせ、ここで出ていくかどうか迷うが、銃を構えたまま突発的に撃ち合いになるのは本意ではない。意を決して、カイがそっと腰を低くしながら姿を現した。

 「……すみません、駅の人でしょうか?」
 男はギョッとした様子でこちらを振り向き、懐中電灯の光をカイに向けた。「な、なんだ、あんたら……強盗か?」
 カイはすぐに拳銃をホルスターへ収め、両手を上げて無害であることを示す。「ちがいます。ぼくたちはリセット派の……いや、いまはなんて名乗ればいいのか……とにかく、列車を利用したい旅人です。敵意はないですよ。」
 セラも続いて姿を見せ、慎重な足取りで男に近づく。「ごめんなさい、突然脅かすつもりはなかったんです。もしかして、ここで列車を動かしているんですか?」

 男は懐中電灯をセラに向けると、彼女の若さに一瞬驚いたような表情を見せるが、すぐに呆れたようにかぶりを振る。「列車なんて、めったに動かないよ……もう誰も整備しとらん。動かせる区間は限られているし、俺らも細々と補修してるだけさ……」
 それでも男の言葉には「完全に動かないわけではない」という含みがあり、セラはほんの少し期待を抱く。「じゃあ、まったく動かないわけじゃないんですね?」
 「動くか動かないかは、鉄道警備隊や政府関係者からの指示次第だ……昔はリセット派が管理しとったが、いまじゃ有名無実で誰も来ない。乗客なんざ年に数人だぞ。何を好き好んでここへ……」

 男はわずかに鼻をすすり、半ば不審者を見る目で二人を値踏みしている。セラとカイは困りつつも状況を説明しようとした。カイが口を開く。「俺たちは黄昏の街へ行きたいんです。そこに“エリック”という男の痕跡があると聞いて……」
 男は「エリック?」と怪訝そうな顔をする。そこから先はあまり興味がなさそうだが、「ま、行きたいんなら勝手にすりゃいい。ちょうど夜明け前に一本だけ列車が動くかもしれん。それに乗るなら、2番線で待つといい」と素っ気なく告げる。

 「本当ですか? それが運行してるなら……ぜひ乗りたいんですが!」
 セラは身を乗り出し、嬉しそうな笑顔を見せる。しかし男は苦い表情だ。「俺も確証はないんだ。車両自体はあるが、動力が不安定でな……もし運転士が来なけりゃ動かないし、燃料や電力が足りなきゃ発車できない。」
 そう言いながら、男は懐中電灯でホームの奥を指し示した。そこには長い影のようなものが横たわっている。よく見ると、それは電車の車両の一部らしく、3両か4両編成の車体が闇に沈むように止まっていた。

 「とりあえず、そこに行ってみるか……?」
 カイがセラを振り向く。セラは一瞬、「危険では?」と表情で訴えるが、ほかに方法がない以上、列車の所在を確かめるのが先決だろう。二人は男に礼を言うと、ホームの暗闇へゆっくりと足を進めた。


 車両が止まっている場所は、ホームの隅が広く陥没しており、水溜まりのようなものが出来ていた。鉄骨がむき出しになった柱や、配線ケーブルがうねりをもって垂れ下がる天井が醜悪な光景を醸し出す。
 それでも、近づくにつれて車体のシルエットが徐々に見えてきた。白を基調とした外装にブルーのラインが走り、かつては近未来的なデザインで人気を博した車両なのかもしれない。だが今や、ボディには錆や汚れが目立ち、窓ガラスの大半がヒビ割れている。

 「これ、本当に走るんでしょうか……」
 セラは半ば不安と半ば期待を込めて呟く。足を止めて耳を澄ませると、車両のほうから微かな機械の作動音のようなものが聞こえる。完全に死んでいるわけではなく、何らかのシステムがまだ稼働しているのかもしれない。
 カイが車体側面にあるドアを懐中電灯で照らす。すると、「2番線 黄昏の街方面」という表示が消えかけた液晶パネルに残っており、近づくとドア下部に設置されたステップが僅かに振動しているのが分かる。

 「どうやら電力は通ってるな。まったくの廃車じゃない……」
 カイは眼鏡を押し上げ、ドアを手動で開けようと試みる。鍵が掛かっているのかと思いきや、少し力を入れるとギギギ……と音を立てて隙間が開き、ドアが重々しくスライドした。
 車内に一歩足を踏み入れると、酸っぱいような湿気がまとわりつき、視界が薄暗いまま。座席にはシートが剥がれかけた部分があり、床にはパイプや工具、金属片が散らばっている。まるで整備の途中で放棄されたかのような印象だ。

 「これは……動かすには大掛かりな修理が要るかも。」
 カイはひとまず車内を進んでみる。運転台にあたる先頭車両を探すべく、連結部分へ移ろうとしていた。その途中、セラが背後を警戒しながらついてくる。どこで何が起きても不思議ではない世界だ。
 連結部を抜け、先頭車両と思しき場所へ入ると、そこには制御パネルや椅子が設置されていたが、モニターの類は割れ、パネルには埃と油汚れがこびりついている。無造作に放置された配線がむき出しになっており、見るからに“今すぐ運転できる状態”とは思えない。

 「うーん……無理なのかな、やっぱり。」
 セラは落胆混じりに天井を見上げる。もしこの列車が動かなければ、次の手段を探すためにまた長い道のりを行かねばならないだろう。
 しかし、その時、カイがあるパネルを押しながら独り言を言う。「ん……主制御ユニットが一応生きてるかもしれん。バッテリー表示が微弱ながら反応してる……」
 「本当ですか? じゃあ、もしかして……」
 セラはカイの隣に身を寄せ、パネルを凝視する。確かに、ごく薄暗い小さなLEDが点滅しており、動力系が完全にオフになっていないことを示唆していた。

 「これが夜明け前に出発するって、あの男の言葉は……いや、整備か補給を待ってるんだろうか。普通なら専門の整備士か運転士がいるはずだが……」
 カイが唸るように言葉をこぼしたそのとき、車外から足音が聞こえた。二人は警戒して身を隠し、ドアの隙間から様子をうかがう。そこには先ほどコンコースで会った駅員風の男がやってきて、誰かと話しているようだ。


 「……おい、ここで何をしてる?」
 低い声が響き、セラとカイは咄嗟に息を潜める。どうやら武装した数名が駅員に詰め寄っているらしく、足音の数や金属音から察するにライフルや刃物を持っている可能性が高い。
 「こ、ここは俺たちの……いや、残された列車を管理してるだけだ。何も奪われたくはない……!」
 駅員が必死に訴える声が震えている。相手は強盗か、あるいは荒れた世界で略奪を行う無法者なのかもしれない。

 カイは小声でセラに言う。「このままだと、あの駅員さんが危ない……どうする?」
 セラも苦悩する。正直、戦闘経験は少なく、相手が複数で武装しているなら分が悪い。だが、放置すれば駅員は殺されるかもしれない。
 ドアの隙間からそっと覗くと、ホーム上に男が3人ほど立っていて、駅員を壁際に追い詰めているのが見える。一人は短いライフルを構え、もう一人は大振りのナイフを手にしていた。もう一人がリーダー格らしく、駅員の胸ぐらを掴んで何か問い詰めている様子だ。

 「こんなところまで来るの、相当物好きだな。列車が動くって噂を聞いたんだよ。お前、知ってるんだろ? いつ走るのか、どこへ行くのか……」
 リーダー格の男が駅員に凄む。駅員は苦しそうに首を振り、「わからん! 本当に動くかどうかも定かじゃない……」と返すが、男は不満げに舌打ちをした。
 「嘘をつけ。夜明け前に動くらしいな? “黄昏の街”へ向かうルートだそうじゃねえか。俺たちも乗せてもらう……いや、その前にこの荷物を積み込むんだよ。」
 男が合図を送ると、離れた場所にいた仲間がいくつかの箱を転がしている。どうやら武器や略奪品を積んで、列車を利用しようとしているのだろうか。

 (まずい……彼らと同じ列車に乗るのは危険すぎる……でも、今ここで駅員が殺されたら、列車そのものが動かなくなるかもしれないし……)

 セラは拳を握りしめ、ブレスレットを僅かに光らせる。カイもまた拳銃を取り出し、小声で「タイミングを見て……まずリーダーを狙う」と作戦を耳打ちしてくる。
 ホームには柱が並んでいるので、うまく死角を使えば不意打ちが可能かもしれない。とはいえ、敵は3人以上。ミスすれば一瞬で反撃を食らうリスクがある。

 (でも、やるしかない……!)

 セラは深呼吸をし、勇気を振り絞る。これまでは基地の外での本格的な戦闘に慣れていないが、敵の意表を突けば少しは優位に立てるはずだ。カイが目で合図し、二人は車両からそっと飛び出すと、柱を伝ってホームへ移動し始めた。
 駅員は追い詰められたまま顔を歪め、「勘弁してくれ……俺には家族もいないし、ただここで細々と……!」と震えている。武装グループのリーダーは「そんなの知るか。列車が動くなら協力しろ。動かないなら、動くようにしろ。できないなら、お前なんざ生かしておく理由はない」と冷酷に告げる。

 すると、ライフルを構えていた男が急に何かに気づいたように振り向く。「……ん? おい、そこに誰かいるか?」
 既に足音や気配でセラたちに勘付いたらしい。セラは焦りながらも、柱の陰から一気に飛び出す決断をするしかない。カイもタイミングを合わせて構える。
 「そこまでだ……!」
 カイの鋭い声とともに、一発の銃声が響く。弾丸はライフル男の足元を掠め、床に火花を散らした。セラが相棒のカバー射撃に合わせてダッシュし、リーダー格の背後へ回り込もうと試みる。

 「誰だ、お前ら……!」
 ナイフを持った男が慌ててセラを狙うが、セラは訓練で培った身体操作を活かし、低い姿勢のまま懐に突っ込む。ブレスレットから微弱なサポートが身体に行き渡り、反射的な動きをより滑らかにしている。
 ガッ、と男の腕を掴み、関節を極める形でナイフを落とさせようとするが、敵も抵抗が激しい。腕力勝負では互角か、それ以上かもしれない。セラは痛みを堪えながらさらに捻りを加え、「逃げないで……!」と叫ぶ。

 「くそが、こんなガキに……!」
 男は怒声を上げ、無理やり腕を振り回す。セラは一瞬振り払われそうになるが、左足で男の脛を蹴ってバランスを崩させた。痛みと共に男が体勢を崩すと、セラは素早くナイフを弾き飛ばす。ガチャンと金属音を立てて、ナイフが遠くへ転がった。
 同時にリーダー格が駅員を放り出し、拳銃を抜こうとするが、カイが威嚇射撃を続けているため簡単には撃てない。ライフル男も反撃を試みるが、カイが柱の陰に隠れつつ射撃を繰り返し、牽制している。

 銃声が耳を劈くたび、駅員は恐怖に震えながら壁際で小さく縮こまっている。リーダー格は焦りを見せ、「お前ら、何者だ! リセット派の残党か?」と怒鳴る。
 セラはナイフ男を押さえ込んだまま、「リセット派かどうかは関係ない! 駅員さんを脅すのはやめて!」と叫び返す。男は抵抗を続け、セラの腕を殴ろうとするが、セラも必死に身体をひねり、彼の動きを制限する。

 その間にリーダー格が一瞬の隙をついて拳銃を構える。カイは「危ない……!」と声を上げ、セラに注意を促すが、既に狙いは彼女の背中に向かっていた。
 (しまった、避けられない……!)

 だが引き金が引かれる直前、驚くべき光景が起きた。駅員が必死の思いでリーダー格に飛びかかり、その腕を掴んだのだ。被害を出したくないというより、恐怖心に駆られての必死の行動だろう。拳銃は大きく逸れ、弾丸はホームの壁を貫いただけで済んだ。
 「おま……っ、離せ……!」
 リーダー格は駅員を突き飛ばし、腹部に強烈なパンチを見舞う。駅員は苦痛に表情を歪め、倒れこむ。リーダー格は拳銃を再び構え直し、「ちっ、やりやがる……」と舌打ちする。

 (あと一歩で撃たれる……!)

 セラが直感した瞬間、カイが意を決して柱の陰から飛び出し、狙いを定めて一発撃った。銃声が轟き、リーダー格の手元が弾けるように動く。どうやら拳銃を持つ手を狙い、かろうじて弾き飛ばすことに成功したらしい。
 「があっ……!」
 リーダー格は思わず声を上げ、拳銃を落とす。血が滲む手を押さえて悶絶し、「この……野郎……」と叫びつつも、武器がない以上は不利だと悟ったのか、周囲を伺い始める。

 するとライフル男もカイの攻撃に恐れをなしたのか、一瞬躊躇している。ナイフ男はセラの押さえ込みで身動きが取れない。こうなると、形勢はカイとセラが優位だ。
 「くそっ、引くぞ……!」
 リーダー格が苦悶の表情を浮かべながら仲間に合図し、ライフル男がカバー射撃を始める。連射音が響き、弾丸がコンクリート柱を叩く。セラは爆音の衝撃に息を詰まらせつつ、ナイフ男から咄嗟に距離を取る。
 男たちはホームの奥へ後退しながら、最後の抵抗をするが、カイも応射して激しく対抗。セラは柱の陰に滑り込み、弾丸を避けた。

 やがてライフル男が「くそ、弾が……!」と叫び、仲間を促す形でホームの暗闇へ逃げ去っていく。彼らは箱を運び出す暇もなく、撤退を余儀なくされたようだ。
 重苦しい沈黙のあと、セラはようやく乱れた呼吸を整えながら柱から顔を出す。カイも同じく拳銃を下ろし、足早に周囲を確認した。どうやら敵は完全に姿を消したらしい。


 「……行ったか。」
 カイは警戒を解き、セラに目配せする。セラもうなずき、さきほどまで押さえ込んでいたナイフ男の気配が消えたことにホッとする一方、体がガタガタと震えるのを感じる。緊張が一気に解けたのだ。
 ふと、駅員を探し目を向けると、壁際でうずくまっている彼の姿があった。血こそ流していないようだが、腹部を殴られた痛みで呼吸が乱れている。セラは駆け寄り、「大丈夫ですか?」と声をかける。

 男は苦しげに頷きながら、「な、なんとか……助かった……」と呟く。ふたりを見て、驚き交じりの眼差しを向けるが、すぐに苦笑を浮かべる。「変わったコンビだな……今どき、他人を助けるなんて……ありがとよ。間違いなく、俺は殺されてた。」
 セラはこくりと頷く。「私たちも、この列車を使わせてもらいたいです。あなたがいなければ、多分ここまで来ても動かし方が分からない……だから、助けるのは当然かなって……」
 カイも肩をすくめ、「まぁ、こうでもしないと旅が続けられないから。あなたこそ命が助かって良かった」と言う。

 駅員はようやく息を整え、少しだけ笑みを浮かべた。「あんたら、妙に優しいな。リセット派か……いや、もうその辺の区別もどうでもいいか。とにかく、“夜明け前に列車が出る”ってのは本当だ。俺らが細々と整備して、何とか一日に一本だけ動かすことができるんだ……黄昏の街方面へな。」
 セラの顔がぱっと明るくなる。「じゃあ、乗れるんですね?!」
 「ああ、ただし完璧に安全ってわけじゃない。途中でトラブルが起きれば、そのまま立ち往生かもしれないし、線路が荒れてりゃ脱線する危険だってある。おまけに、今日の便を運転するはずの仲間がいるんだが、無事かどうかも分からん。」

 駅員は苦い表情で続きを語る。「それでも、あんたらが望むなら……俺が乗せてやるよ。いや、それなりの燃料と補給が必要だから、運行費用は自力で何とかしてもらうが……こうやって助けてもらったし、協力できる範囲で協力するさ。」
 カイは「もちろんだ。必要な物資があるなら手配する。金銭の類いは……リセット派の資材がある程度使えるかもしれない」と答え、セラもうなずく。「私もお手伝いします。整備とか、簡単な補給作業とか、何でもできる範囲で頑張ります。」

 ホームの一角に転がされた箱は、先ほどの武装グループが持ち込もうとしたものらしい。駅員はその中身を確認しに行ったが、どうやら薬物や武器部品のようで、放置するのも危険だという。カイは「ひとまず隠しておきましょう」と提案し、駅員と三人で箱を闇に紛れる場所へ運ぶ。
 セラは運びながら、先ほどの戦いの余韻を引きずっていた。人を殺さずに済んだのは良かったが、ほんの些細な判断ミスで誰かが命を落としていただろう。荒廃した世界の現実は、こうした暴力や略奪が蔓延しているという事実を教えてくれる。


 駅員がポツリと呟く。「夜明け前までに、あと数時間ある。今のうちに列車に燃料を入れ、水や食料も積み込まないとならない。運転士のヤツを探してこなきゃ……あいつは駅舎裏の宿舎で寝てるはずだが、最近治安が悪いからな。」
 カイが静かに頷き、「俺たちも手伝います。エリックを追うにはどうしてもこの便に乗りたいんです」と言う。セラも同意を示し、「やれることがあるなら教えてください」と申し出る。
 駅員は小さく笑って、「あんたらに助けられた借りがある。遠慮はいらん。列車が動けば、あんたらは黄昏の街へ行けるわけだし、俺らも乗客がいるほうが心強い」と返す。そうして三人は打ち合わせを始めた。

 まず、列車の車体にある燃料タンクを点検し、不足分を補う必要がある。貨物ヤードには使えそうな燃料のドラム缶がいくつか保管されているらしいが、そこは荒くれ者が出没する危険地帯だという。先ほどの武装グループがうろついている可能性も否定できない。
 「もし奴らがまだ近くに潜んでいたら……また戦闘になるかもしれませんね。」
 セラは腕をさすりながら呟く。ここまで来て引き返すわけにもいかないが、怖さがないわけではない。
 駅員は渋い顔で「俺一人じゃどうしようもないが、あんたらがいれば……少なくとも牽制にはなるだろう」と肩を竦める。かくして三人は協力して燃料を取りに行くことを決めた。


 夜はすぐそこまで迫っていた。駅構内の外れにある貨物ヤードは巨大な倉庫や積み荷用のクレーンが並ぶ区画であり、薄暗い照明が僅かに残るだけ。コンクリートの地面には亀裂が走り、雑草が生えている。あちこちに停まったままの貨物車や錆びついたコンテナが不気味なシルエットを作り出していた。
 駅員が指し示す方向には、ドラム缶が5〜6本ほど転がっている。「あそこに一部がまだ残ってるんだ……運が良ければ中に油が入ってるはず。全部じゃなくても、2〜3本あれば列車を動かすには十分だろう。」
 セラは辺りを注意深く見回す。武装グループが戻ってくる危険は大いにある。カイも拳銃を片手に握りながら、もう片手で懐中電灯を照らして先行する。

 廃れた貨物車の影から、夜風が冷やりと吹き抜ける。砂埃が舞い上がり、視界がわずかにぼやける。三人は物音を立てないよう足を運び、ドラム缶のある場所へ着いた。
 試しに駅員が一つの缶を転がしてみると、チャポンという液体音が聞こえる。「よし、入ってるな……しかも重油か軽油か、どっちかだろう。列車の燃料に使えるはずだ。」
 それぞれのドラム缶を確認すると、幸運なことに3本ほどに油が残存していた。あとはこれをトロッコやキャリーを使って列車のホームまで運ぶ必要がある。

 「こんなに重いものをどう運ぶんでしょう……?」
 セラが不安げに言うと、駅員は鼻で笑う。「トロッコがあるさ。レール状の搬送路がまだ残ってて、転がせばホーム近くまで行ける。問題は時間と騒音だが……仕方ない。」
 カイは少し考え、「騒音が出るなら、先ほどの連中に察知されるかも。早く作業しよう」と提案する。三人は息を合わせ、ドラム缶を転がしてトロッコへ載せ始めた。金属同士が擦れる音が辺りに響き、心臓がドキドキする。これ以上、目立ちたくないのにと焦りつつも、作業を進めるしかない。

 しかし、嫌な予感は的中する。暗闇の向こうでガラスの割れる音がし、声らしきものが聞こえた。セラが目を凝らすと、さっきの武装グループとは別の人影がうごめいているようだ。「違う奴ら……?」
 小型のライトが複数点滅し、こちらを探すように揺れている。「あそこだ……物音がするぞ!」という怒鳴り声まではっきり聞こえ、足音が近づいてくる。
 駅員が「くそっ、こんなとこにも盗賊が……」と呟く。カイは拳銃を構え、「セラ、守るから、早くトロッコを押して!」と声を上げる。セラはブレスレットの光を僅かに強め、力を振り絞ってトロッコを押し始めた。

 ガランガラン……と車輪がレールを転がる音が大きく響く。ドラム缶の重さが加わり、セラと駅員だけではスピードが出ない。カイが後ろで援護射撃をしながら、足音のほうを警戒する。
 数発の銃声が闇を裂き、弾丸がコンテナを貫き、火花を散らした。どうやら相手も銃を持っている。カイはトロッコの後方につき、一発ずつ丁寧に牽制射撃を繰り返す。「あまり弾は使いたくないが……仕方ない!」
 セラは全身の筋肉に力を込め、トロッコを押す速度を上げようとする。駅員も歯を食いしばりながら手伝う。車輪の音が激しく鳴り響き、それは同時に敵に位置を知らせる合図にもなる。しかし止まれば袋の鼠だ。

 (せめて、ホームまで行けば……!)

 銃声が重なり、コンテナの金属が弾かれる鋭い音があちこちで反響する。夜の貨物ヤードは一瞬、戦場と化す。セラはうっすら涙がにじむほど恐怖を感じていたが、それを振り払うように必死でトロッコを押し続ける。
 「カイさん……大丈夫ですか……!」
 「こっちは何とか持ちこたえてる……敵は4〜5人いるみたいだ。早くホームへ……!」
 カイは狙いを定め、相手の足元や障害物を撃つことで前進を阻み、時間を稼いでいる。敵も巧みにカバーを取りつつ撃ち返してくるが、正確にこちらを捉えているわけではないらしい。音と火花の応酬が耳を痛めつける。

 それでも十数メートル進んだところで、ようやくホームへ続く搬送路が見えてきた。そこは半壊したゲートの先にスロープがあり、トロッコごと乗り入れ可能なレールが敷かれている。駅員は息を切らしながら、「あそこだ……あと少し……!」と励ます。
 だが、トロッコが段差に差し掛かった瞬間、車輪の嵌まりが悪くなり、ガクンと鈍い音を立てて止まってしまった。「あ……まずい!」
 セラと駅員が力を込めても動かない。一体レールに何かが詰まっているのか、あるいは車輪の軸が歪んだのか。後方からは銃撃音と叫び声が迫ってくる。カイも「そっち大丈夫か!?」と叫ぶが、どうにもこうにも押せない。

 「くそ……何か引っかかってんのか……?」
 駅員がトロッコの下に潜り込み、何とか状態を確認しようとする。セラは焦りで頭が真っ白になりそうだ。そんなとき、物陰から姿を現した一人がライフルを構え、狙いをこちらへ向けていた。
 (撃たれる……!)
 セラは半ば咄嗟にブレスレットに意識を集中する。強制的に身体の一部神経を加速させ、横へ飛び込む形で駅員とトロッコを庇うように身を呈する。バーン!という銃声が響き、弾丸がセラの脇を掠め、地面に激しく火花を散らした。

 「セラっ……!」
 カイが叫ぶ。セラは転倒しながらも、すぐさまライフル男に向き直り、腰のホルスターから小型のハンドガンを引き抜く。狙いを定める余裕はなかったが、相手の威嚇にはなるだろう。バン、と一発。弾は外れたが、男が驚いて身を引くのを感じる。
 「今だ……トロッコ押せるか……?」
 カイが加勢に駆け寄り、車輪の下を確認すると、どうやら金属片が挟まっていたようだ。カイが手を差し込み、ぐっと引き抜くとガチャンと音を立てて外れた。

 「いける……セラ、駅員さん、今一気に押すんだ!」
 セラと駅員は声を合わせ、「せーのっ!」と最大限の力を込めてトロッコを押し込む。車輪が軋みながらもレールに乗り、ガタンという衝撃とともに再び動き始めた。
 敵はなおも追撃の銃弾を浴びせてくるが、カイが必死にカバー射撃を続け、弾を避けるように移動を援護する。トロッコがスロープを上りきればホームまであと少し。金属の車輪がレールを叩く音が響くたびに、脳内がクラクラするが、二人は歯を食いしばって前進を続ける。

 ようやくホームの段差を超え、トロッコがレールの終点で止まる。セラは全身汗だくで立ち止まり、カイも肩で息をしている。駅員はどっと床に座り込み、「助かった……」と震える声を漏らす。
 「相手はまだ遠くにいるみたいだが、このままではまた襲われるかも……列車に積み込むから、急いで!」
 カイの指示で、セラと駅員は三本のドラム缶を列車近くへ移動させ始める。銃声は次第に遠ざかり、どうやら敵は追撃を諦めたのかもしれないが、油断はできない。


 そんなこんなで、危険を顧みず三人が奮闘した結果、何とか燃料を列車へ積み込むことに成功した。ホームにはライトらしきものを設置して、暗い中でも作業が進められるように工夫している。駅員は仲間を呼ぶために駅舎裏へ向かったが、まだ戻ってこない。
 カイとセラは車両の脇に腰を下ろし、荒い息を吐く。
 「ふう……エリックを追うのって、こんなに大変だとは思わなかったな。」
 カイは苦笑し、銃を点検しながら弾の残量を確認している。「こっちも弾があまり残ってない。次の戦闘になったら厳しいぞ。」

 セラはブレスレットを見つめ、先ほどの自分の行動を振り返る。ネツァフの力を部分的に引き出し、危うく被弾しそうになりながらも動いた。
 「……怖かったけど、私はあの駅員さんを助けたくて……」
 淡々と言葉にするセラの瞳には、少しの達成感と大きな不安が混じっていた。リセット派で育てられたころ、彼女は「任務のために戦う」訓練こそしたが、「誰かを守るために戦う」という経験はほとんどなかったのだ。

 カイは静かに微笑む。「お前は変わりつつあるんだよ、セラ。昔は迷いなくリセットを信じていたけど、こうして外の世界で“足掻く人々”を見て、少しずつ考えが変わってきてるんじゃないか?」
 セラははっと息を飲む。たしかに、拷問されたエリックの姿や、黄昏の街に向けて生きている人々の話を聞き、心が揺さぶられている。それが今の行動に繋がったのかもしれない。

 やがて駅員が戻ってきて、二人に声をかける。「運転士の兄ちゃんがいたよ。夜明け前には必ずここに来るってさ。乗りたいなら準備はしておいてくれ。」
 セラとカイは顔を見合わせ、安堵の笑みを浮かべる。先ほどまでの過酷な戦闘もあったが、ようやく列車が動く見込みが立った。
 駅員は苦労を共にした仲間意識が芽生えたのか、少し柔らかな口調で続けた。「ま、無理にとは言わんが……ここまで頑張ってくれたし、列車に乗りたいってのは本当だろう? あんたらがエリックとかいう奴を追う事情はよく分からないが、黄昏の街へ行きゃ手がかりがあるのか?」
 カイはうなずき、「ああ、彼がそこを通ったという情報があるんです。リセット派の承認を拒否して逃亡した裏切り者……だけど俺たちには捕まえるというより、問いただしたいことがある」と説明する。駅員は「ふうん……」と曖昧に返すが、あまり深入りはしたくないらしい。


 夜明けまであと数時間。セラとカイは車内で簡易的に休息を取りつつ、列車の発車を待った。ホームには破れたベンチが残っており、そこに腰掛けて水を飲む。駅員は運転士と打ち合わせを始めており、車体の試運転や最終チェックが行われるらしい。
 列車の車内には、作業灯がちらほら置かれ、夜の闇を若干払っている。外はまだ武装グループが潜んでいる恐れがあるため、警戒を怠れない。カイは「俺が見張りをするから、セラは少し仮眠をとれ」と提案してくる。

 「でも……私も手伝います。疲れているのはお互い様ですし……」
 セラはそう言いながらも、瞼が重く感じる。戦闘の緊張と作業の疲労が一気にのしかかっていた。カイは「大丈夫だ、後で交代しよう。今は少しでも休め」と背中を押す。
 ホームの端に座り込みながら、セラは意識を落としていく。うとうとと夢うつつの中で、彼女はリセット派の訓練施設での日々を思い出す。無機質な訓練室、ネツァフとの融合試験、そして「世界を救うため」という名目——。しかし、いま自分が戦っている理由はまったく違う。誰かを守りたい、自分で選びたい——そんな想いが芽生えている。

 列車が夜明けに向けて動き出す頃、彼女はどんな景色を見るのだろうか。黄昏の街は本当にエリックが通ったのか。リセット派が崩壊しつつある今、セラの選択はどこへ導くのか——その答えはまだ闇の中だ。
 カイの「大丈夫か? 寒くないか?」という声に目を開けると、わずかに空が青みを帯びている。夜明けまでの時間はあまり残されていない。駅員と運転士が小さく会話を交わす声が聞こえ、車両のエンジンか何かが低く唸りを上げる。

 (本当に、列車が動きそう……!)

 セラは急に胸が高鳴る。この旅はまだ始まったばかりだ。黄昏の街へ着けば、新たな出会いや危険が待ち受けているかもしれない。逃亡した代表エリックを捕らえる使命はあるが、もはや単純に「捕まえる」だけでは終われない気がする。自分の中に生まれた疑問と迷い、それを確かめるための道行き——そんな予感が胸を締め付ける。

 カイがセラに微笑みかけ、「行こうか。夜明けの出発はすぐそこだ」と声をかける。セラはうなずき、改めて立ち上がる。疲労はあるが、不思議と足取りが軽い。
 ホームの先頭には、ふつふつとエネルギーを灯し始めた列車が待っている。ヘッドライトが暗い線路を照らし、夜明け前の静寂に小さな灯火を投げかける。駅員と運転士が最後の調整を行い、いよいよ走り出すための準備が整えられていた。

 こうして、**Episode 2-1「黄昏の街に向かう列車」**は幕を引く。
 泥臭い戦闘と混沌の中、セラとカイは荒廃した駅を舞台に奮闘し、僅かな可能性にすがって列車を確保することに成功した。夜明けとともに列車が走り出せば、彼らの旅はさらに深い闇と希望の狭間を進んでいくことになる。リセットの挫折と不安定な世界を背景に、セラの心は「足掻きこそが未来を作るかもしれない」という新たな想いを少しずつ確信へと変え始めていた——。

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