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再観測:ゼーゲとネツァフ:Episode 6-1
Episode 6-1:ネツァフの不穏な兆候
リセット派の本拠地に続く夜は、相変わらず重苦しい闇を纏っていた。街の騒乱は治まらず、基地内部でも強行派と懐疑派が火種を抱え続けている。そんな中で、地上十数メートルの高さにある管制塔の一室では、夜勤の技術者たちが黙々とモニターを監視していた。
そこには、リセット兵器ネツァフの稼働状況や、生体データを示す無数のグラフが並んでいる。本来ならばネツァフは痛みなく世界をリセットするための最後の切り札。だが、それを本格稼働させるには、セラを含むパイロットの承認や融合が不可欠……のはずだった。
技術者の一人が欠伸をこぼし、機器の読み取り数値をチェックする。「……また少し揺らいでるな。制御系の波形が乱れてる」
隣の女性が眉を寄せて首を振る。「この数値、先週から微妙に続いてるわよね。まだ“本稼働”には程遠いのに……ネツァフが微弱な自己意志を発しているみたい」
彼らは懐疑と不安を抱えたまま、ログデータを保存していく。ネツァフが単なる兵器に留まらない“何か”であることは、以前から一部の研究者の間で囁かれていた。だが公式見解では「意思の存在などあり得ない」「あくまで融合者を必要とする生体構造物」とされている。
「もしネツァフが独りで動き始めたら、どうなるんだろう……」
誰かの囁きが、重く張り詰める空気を撫でた。まさか――そんな不吉な想像が脳裏をかすめる。制御不能のリセット兵器が、世界に新たな惨劇をもたらすかもしれないという恐怖。その陰の兆候こそが、いま微細に数値として現れ始めているのか。
早朝、基地の研究区画にて、マキ(懐疑派の若い女性研究員)は夜勤の技術者から「ネツァフの挙動がおかしい」という連絡を受けていた。彼女はセラと秘密裏に連絡を取り合い、リセットを強行しようとする派閥に抗い続けてきた一人だ。
モニターを見つめるマキの目には、かすかな震えが映る。「やっぱり……この数値……何かが起きている。セラが“ネツァフを使わない”と公言しているのに、ネツァフ自身が妙な反応を示しているなんて……まるで不満を抱いているかのよう……」
不本意ながらも、マキはデータを整理し、外部へ報告する義務がある。だが、報告先の多くは強行派や上層部へ渡ってしまう。彼らがこの異常をどう利用するか、彼女の心には重い不安がこみ上げていた。
「……セラに伝えなきゃ。ネツァフが不穏な動きを見せていること。下手をすれば、代替手段を使ってでも無理矢理起動させようとするかもしれない……」
マキは唇を噛み、端末を握りしめる。すでに強行派が開発を進める“疑似承認システム”の噂も絶えない。もしネツァフが暴走気味の反応を示しているなら、彼らにとってはリセットを強行する大義名分になるだろう。
(止めないと……私たちが守りたい世界が、本当に一瞬で消えてしまうかもしれない……)
一方、セラは医療棟の病室で、まだ寝たきりのレナを見舞っていた。昨夜の騒ぎでドミニクが一瞬侵入したものの、最終的にレナを連れ去ることなく撤退。今は一時的な平穏が戻っている。
ベッドで横たわるレナは、微弱ながらも意識を保っており、会話もできるようになりつつあったが、まだ激しい痛みに耐える日々を送っている。
「……大丈夫? 苦しくない?」
セラがタオルでレナの額の汗を拭う。レナは苦笑のように唇を歪め、弱々しい声で答える。「苦しいに決まってる……でも、私……まだ生きてるんだね。ふふ……変な感じ……」
その言葉にはどこか自嘲的な響きが含まれるが、生への未練や喜びが消えたわけではない。彼女は戦いで大勢の仲間と敵を失い、自身も瀕死に陥ったが、まだ命の炎は消えていないのだ。
カイが隣でバイタルチェックをしながら微笑む。「昨日よりずっと表情がいいよ。医師によると、少しずつ内臓の回復が進んでいるって。焦らなくていいから、ゆっくり治して……」
レナは目を閉じ、かすかに頷く。「……ありがとう。ほんと、君らにはお世話になりっぱなし……。でも、私ができることは、まだ……」
そのとき、病室の扉がノックされ、看護師が「マキさんがセラさんにお話があるそうです」と呼びに来る。セラはカイにレナを任せ、廊下へ出ると、そこにマキが息を切らしながら立っていた。
「セラ……! 大変なの。ネツァフの制御データに“変動”が出てて……強行派が目をつけるのも時間の問題。あなたに先に知らせたくて……」
マキは青ざめた表情でまくし立てる。セラはその言葉に一瞬凍りつく。「ネツァフが……動き出すかもしれないってこと?」
マキは首を振るが、それに近いニュアンスで「何かが自己発生的に起きてる感じ。まるで意思を持ってるように、微弱な振動やエネルギー放出があるの。でも承認も融合もしてないのに……」と力なく言う。
セラの胸に警鐘が鳴る。(承認なしでネツァフが動き出したら……? 痛みなく消すはずのリセットが、制御不能で暴走するなんてことに……)
急な恐怖と焦燥がこみ上げ、セラはマキの肩を掴み、声を震わせながら言う。「わかった。私もすぐに見に行く。場所は研究区画よね? でも、私たちが調べられるかな……強行派が邪魔をするんじゃ……」
マキは唇を噛んで頷く。「たぶん邪魔される。でも、何とかデータを確認して、原因を突き止めないと。もしこのまま強行派が“ネツァフが反応を示しているからリセット準備を急げ”と動けば……もう止められないかも」
セラはレナを見舞ったばかりだが、ここで何もしないわけにはいかない。「わかった。カイにも話して、すぐ行くよ……」
セラは病室に戻ると、レナが不安そうにこちらを見ている。カイはその表情に気づき、「何かあった?」と訊ねる。セラは簡潔にネツァフの不穏な兆候を伝え、急ぎ対処しなければならないと説明する。
すると、レナは苦痛に耐えながら薄く笑みを作り、弱々しい声で呟く。「行って……おいで……セラ……。今の私じゃ……何もできない……」
セラはレナの手を握り返し、「ごめん。あなたを置いて行くのは心苦しいけど……私が動かなきゃ、リセットが暴走しちゃうかもしれない。必ず戻ってくるから……あなたは休んでて」と伝える。
レナは唇を震わせながらも、心配より期待が上回っているように見える。「ありがとう……私を……守ってくれて……ごめんね、力になれなくて……」
カイはレナの枕元にシリンジや医療道具を用意し、「すぐ戻るよ。看護師さんもいるし、万が一の時は通報してくれ。絶対に死なないでね……」と温かく語りかける。レナはわずかに笑みを返し、目を閉じる。
そして、セラとカイは再び廊下へ駆け出す。先ほどの騒ぎは落ち着きつつあるが、反対派の侵入や街の混乱による緊迫感はまだ続いている。このまま研究区画に行けば、強行派と遭遇する可能性もあるが、もう迷ってはいられない。
研究区画へ向かう通路に到着すると、予想通り強行派の兵士が厳重に警戒していた。彼らはバリケードを敷き、通行証を提示しない者は通さないらしい。マキが脇道で待っており、セラとカイが来るのを見計らって声をかける。
「やっぱり彼らが邪魔してるわ……。技術チームも制限されてて、詳細なデータは上層部に流せと言われてる。私たちが見るのは許されないみたい……」
セラは悔しそうに眉を寄せる。「そんな……じゃあ、どうすればネツァフの不調を調べられるの?」
マキは奥歯を噛むようにしながら、「秘密裏にアクセスできる端末がある。一階下の保管室に旧型の制御端末があって、そこからなら上のコンソールにハッキングできるかもしれない。でも、見つかったら終わり……」と囁く。
カイが唇を歪め、「やるしかないね。僕らが本命の制御室に行くのは不可能だろう。ご案内、頼むよ……」と静かに決意を示す。セラもうなずき、「うん、急ごう。ネツァフが暴走すれば、リセット云々の前に多くが死ぬかもしれない……」と意を固める。
研究区画の地下保管室は、使われなくなった古い設備や端末を保管している場所だと聞く。入口はさび付いた扉で、通常時は施錠されており、警備も薄いはず。強行派の兵士はあまりここを気にかけていないらしい。
マキが先頭に立ち、通路の監視を気にしながら地図通りに進む。カイとセラは身を低くして後をついていく。兵士の足音を避け、曲がり角を曲がるたびに心臓が高鳴る。
やがて保管室の扉が見えてきた。さびだらけの鉄扉で、電子ロックらしきものも取り外されているが、大きなチェーンで物理的に縛られている。
「こんなの……どうやって開けるの?」
セラが戸惑うと、マキは工具を取り出してチェーンの錠前をこじ開け始める。硬い金属音がこだまするが、なんとか大きな音を立てずに外せそうだ。カイは周囲を警戒しつつ、「兵士が来ないうちに……」と焦る。
数十秒の格闘の末、錠前が外れる。カチンと小さな音を立ててチェーンがほどけ、扉が開いた。中から、埃っぽい空気がふわりと流れ出す。暗がりの奥に積まれた箱や古い機材のシルエットが見える。
「ここ……だね。急ぎましょう」
マキが懐中電灯を点け、三人はそっと内部へ足を踏み入れる。
保管室は薄暗く、箱や廃材が山積みになっている。壁の奥に設置された大きな制御台のようなものが埃を被って鎮座していた。かつては研究区画のサブ制御端末だったのか、パネルや配線がむき出しのまま放置されている。
マキが懸命に配線を確かめながら、小型のツールで端末を起動させようとする。「この旧型はメインシステムと繋がっていた痕跡があるの……頑張ればアクセスできるはず」と小声で言い、カイも隣で支援する。
セラは周囲を警戒して懐中電灯を照らしながら待機。すると数分の格闘の末、パネルがバチバチと火花を散らし、一瞬明かりが消えかける。
「あ……壊れた?」
セラがギクリとするが、マキは「大丈夫、まだいけるわ……」とケーブルを調整し続ける。やがて端末の小さなモニターがブツンと点灯し、古いフォントで“Loading System…”という文字列が表示された。
「やった……!」
カイが安堵の笑みを見せる。これでメインシステムへの抜け道を確保できれば、ネツァフの内部ログにアクセスして、異常の正体を探れるかもしれない。
端末が起動し、マキがキーボードを高速に操作する。「……パスコードが……やっぱり旧式の暗号。試してみるわ……。助けて、カイ!」
カイもツールを取り出して解析を手伝い、短い時間で何とか暗号を破って内部コンソールに到達する。「よし、ログイン成功……。だがメインシステムには制限がある……不正アクセスに気づかれないよう注意しないと……」
画面に長大なコードやデータが高速で流れ始める。セラは息を呑みながらそれを見守るが、専門的な話がほとんどで理解が追いつかない。マキとカイが数字やグラフを睨みつつ、深刻そうに顔を見合わせる。
「……これは……なんてこと……」
マキが呟き、指を止める。モニターに示される“Netzach Core Activity”の欄には、通常時にはあり得ないレベルのスパイクが点在している。しかも、その頻度が日を追うごとに増しているのだ。
「融合パイロット不在の状態で、ここまでコアが自発的なエネルギー波を放出している……?」
カイが信じられないという表情で画面をスクロールさせる。セラは訳も分からず、ただ嫌な予感を押し殺しながら訊ねる。「つまり、ネツァフが勝手に動き出してるってこと……?」
マキは険しい顔で頷く。「まだ“起動”とは言えないけど、自己意志を持つかのように高まってる。何かに反応しているのか、あるいはパイロットの不在に苛立っているのか……。理論上は無理だと思ってたけど……」
セラはゾクリと背筋が寒くなる。(まるでネツァフ自身がリセットを求めている? 痛みなく消すはずの兵器が、今この状況で……?)
カイが画面の端末でさらに深いログを読み込もうとするが、「くっ……ここから先はセキュリティが厳重だ。強行派が張った新しい暗号かもしれない。時間がかかるな……」と歯噛みする。
端末を操作していると、不意に警告メッセージが画面を覆う。「Alert: Unauthorized Access Detected」という赤い文字が点滅し、同時に保管室の照明が不自然に揺れて通報音が響き始めた。
「やばい、バレたか……!」
マキが青ざめる。もし強行派が気づいたなら、すぐにここへ兵士を派遣するだろう。
カイが急いでログを保存しようと試みるが、強制シャットダウンのカウントダウンが始まっている。「くそ……まだ全部読み取ってない。せめて直近の波形データだけでも……」
セラは通路から迫る足音を聞き取り、焦りを感じる。「待って……もう来るかも。ここで捕まったらまずい。敵が来る前に逃げよう!」
マキとカイが可能な限りのデータをコピーし、ツールを引き抜く。メインシステムへのアクセスは強制的に遮断され、端末のモニターが暗転する。
「これで十分とは言えないけど、解析すればある程度の予想が立つはず……!」
マキは腕に抱えたノート端末を抱きしめ、セラに目配せする。「早く出ましょう。もう時間がない!」
扉の外で何者かの怒声が聞こえる。「鍵が壊されてるぞ! 誰か中にいるな!」
複数の足音がドドドッと近づき、廊下の空気が殺気立つ気配を放っている。セラたちは急いで保管室の奥にある非常口の扉を探し、闇に紛れて逃げようとするが、錆びついた扉は動かず、どうやら塞がれている。
(まずい……正面から出るしかないのか?)
結局、正面の扉に向かうしかない。セラは息を詰め、カイが拳銃を構えて先行し、マキがデータを守りながら後ろを追う。すると、タイミング悪く外の兵士が扉を開けて突入してきた。数名のライフルを持った強行派が一斉にライトを浴びせ、「いたぞ!」と怒鳴る。
「動くな、両手を上げろ!」
男たちは銃口をセラとカイに向けるが、カイも反射的に発砲し、相手の足元に弾を撃ち込んで威嚇する。「やめろ、撃ち合いなどしたくない!」とカイが叫ぶが、強行派は構わず応射してきた。
ダダダダッ!と火花が飛び、室内に埃や破片が舞う。セラは悲鳴を堪えながら机の陰に伏せ、マキも危うく被弾しかけて倒れそうになる。
強行派のリーダーがいらだちをあらわに「何やってんだ、お前ら! これは機密情報への不正アクセスだぞ! 処分してやる……!」と叫び、ライフルを再び乱射する。
カイは「やめろ、僕らはネツァフの異常を調べてるだけだ!」と声を張り上げるが、弾丸が床と机を削り、言葉など届かない。セラは体を丸めつつ、(どうにか脱出しなければ……!)と頭を回転させる。
保管室は狭く、まともに隠れられる場所は少ない。兵士の数は三名ほどだがライフルで武装しており、圧倒的に不利だ。カイが拳銃を握りしめ、隙を見て相手の足元に向けて撃ち返す。パン、パン……!と閃光が狭い空間を切り裂く。
弾丸が兵士の一人のブーツをかすめ、「ぐあっ!」と悲鳴が上がる。隙を突いてセラが机を押し、壁に立てかけるようにして簡易バリケードを作る。マキは震える手でノート端末を死守している。
「セラ、行け……! 正面突破だ!」
カイが叫び、セラが覚悟を決めて立ち上がる。机を押し出して相手にぶつけるように突進し、強行派の兵士が慌てて回避する瞬間に通路へ飛び出す。マキも後ろから続くが、最後の兵士が「逃がすか……!」とライフルを構え直す。
カイは再び拳銃を発砲し、兵士がひるんだ隙に全員が室外へ転がるように脱出する。狭い通路で何とか体勢を整え、再び走り出す。
通路を奔る途中、突然、基地全体が揺れるような不気味な震動が走った。まるで地震のように壁や天井が振動し、照明が一瞬明滅する。セラは思わず立ち止まり、「な、何……!」と恐怖に身をすくめる。
カイも血の気が引いた顔で「爆発か? でも、今の振動は上下方向の揺れだった……もしかしてネツァフ関連かも……」と狼狽する。マキはノート端末を抱え、震える声で「データから推定すると、ネツァフが大きなエネルギー波を発した時に似たログが……もしかしたら……」と口を塞ぐ。
再び廊下がゴゴゴ……と低く唸り、何らかのエネルギーがこの施設を内部から揺さぶっているように感じられた。天井の蛍光灯が点滅し、警戒サイレンが耳を裂くように響く。「緊急事態! ネツァフの保管区画に異常反応あり! 全員退避を!」というアナウンスが飛び、兵士たちが混乱に陥る様子が見える。
「ネツァフの……不穏な兆候……いよいよ本格的に始まったの……?」
セラは頭が真っ白になりながら、カイと目を合わせる。もしネツァフが本当に自己意志を持ち、起動前の暴走を起こすなら、世界がどうなるかわからない。痛みなく消すどころか、コントロール不能な破壊を撒き散らすかもしれない。
アナウンスを受けて、廊下の兵士が大声で動き回る。「ネツァフ区画へ急げ! 強行派は制圧態勢に入れ! 懐疑派や民間人は排除だ!」などと指示が飛び交い、すでに内部は大混乱。
セラたちの行く手にまた強行派兵士が立ちふさがり、「こんな時にどこへ行く! お前らこそ騒ぎの犯人だな!?」と詰め寄ってくる。
「違うわ、私たちはネツァフを……!」
セラが反論しようとするが、相手は一切聞かずに銃を構える。発砲こそしないが、圧倒的な殺気が伝わる。「動くな。お前らは拘束だ……!」
このままではまた囚われてしまい、ネツァフの暴走を止めるどころではない。
そのとき、廊下の奥から別の声が響く。「待て、彼らは私の許可のもと行動している」
現れたのは、マキと同じ懐疑派の将校だ。先日セラを助けた人物とは別人だが、どうやら同じグループらしい。彼は強行派と対峙するように進み出て「ネツァフが不穏な動きを見せているなら、ネツァフのパイロットであるセラが状況を把握するのは当然だ」と声を張り上げる。
強行派兵士は忌々しそうな目で「ふざけるな……貴様が上官づらをしても、この緊急時に余計な行動を認められるか!」と噛みつく。だが、将校は軍服の襟章を示し、「私はヴァルター様直系の会議に参加する身だ。いまは混乱を鎮めることが先決。セラに拘束令は出ていない……」と語気を強める。
ぐっとにらみ合う二人だが、激しい銃撃が廊下の反対側で鳴り響き、「ドミニクだ! 侵入者がまだいる!」という怒号が巻き起こる。強行派兵士がそちらを気にして焦り出し、この一瞬の隙を突いて懐疑派将校が合図を送る。
「今だ、走れ!」
セラたちは将校の庇護のもと、廊下を突破する形で走り出す。強行派は追おうとするが、別の方向から銃撃がかかっているらしく一瞬対応を迷い、結局セラたちを取り押さえる余裕がない。
一連の騒ぎを抜け出し、セラとカイ、マキは基地深部へ向かう。ネツァフが封印されている区画は、巨大な地下ドームのような場所であり、そこに立ち入れるのはごく限られた許可が必要だ。通常ならセラも入室には厳しい審査を受けるが、いま施設はパニック状態で、それどころではない。
通路を進むほど、振動が断続的に起こり、天井から埃が落ちてくる。何かが内部で脈動しているかのようだ。「こ、これ、本当にネツァフが発するエネルギー反応なの……?」
セラは息を詰まらせ、カイがうなずく。「あの制御データと符合するなら、そう考えるしかない。承認や融合を経ずとも、ネツァフが自発的にエネルギーを放出してる……」
マキが震える声で言う。「私たちの理論では、ネツァフは完全封印中に外界の刺激を受けないはず。でも、この混乱……ドミニクの襲撃や市街地の暴動……世界の悲鳴が影響しているんじゃないかと思えて仕方ない……」
まるでネツァフが“痛みなく消す”ためのリセットを急かしているかのよう――あるいは、その逆に破壊衝動が芽生えているかもしれない。想像が膨らむほど不安だけが増す。セラは頭を振り、(今はとにかく事実を見なきゃ……!)と足を速めた。
やがて、警備兵が殆ど配置されていない通路を降りきると、巨大な円形の扉が目に入る。ネツァフの保管区画へ繋がる入り口だ。通常は厳重なロックが施されているはずだが、非常事態のためか扉が半分開いており、内部から微かな振動が漏れ出している。
「ここが……ネツァフの眠る場所……」
セラは息を呑む。カイとマキが頷いて、注意深く扉を押し広げる。中に入ると、暗闇が支配しつつも、どこか不穏な光が揺らめいているように感じられる。
中心には巨大な円形ステージのような台座があり、そこにネツァフが横たわっているはずだ――生体装甲を纏った巨大な機体が、融合を待たぬまま仮眠状態を続ける形で封印されている……これが本来の姿。
しかし、その封印が今まさに揺らいでいるのか、ブオォン……という低周波の音が空間を満たし、コンクリートの壁面に振動が伝わっている。セラは身体を震わせながら、薄暗いライトをかざして奥を覗く。すると、仄かな緑色の輝きが散発的に走っているのが見えた。
「ネツァフ……こんなに光を放ってるなんて……!」
セラが驚愕の声を漏らす。半ば人型の巨大なシルエットが、地面に半分沈むように固定され、重厚なケーブルや管が繋がれている。だが、その表面からは神経系にも似た有機的な煌めきが走り、心臓の鼓動のように脈動している。
カイが端末を開き、近くの制御パネルに接続を試みる。マキもサポートしながら、状況を観察するが、制御系はエラーを連発し、ログインすらままならない。「やっぱり強行派が何か仕掛けたのか……」とマキが呟く。
セラはネツァフのすぐ手前まで歩み寄り、その巨体を見上げる。生体組織と金属フレームが一体化したその姿は圧巻で、本来なら融合パイロットを受け入れるための胸部コアが閉じられているはずだ。だが……うっすらとそのコア付近から熱と微光が漏れているように見える。
「何……この音……」
セラは耳を澄ますと、不気味なうめきのような低周波が感じられる。まるで巨大生物が寝息を立てながら不満を漏らしているかのようだ。痛みなく消す“優しい”兵器とは程遠い、凶暴な息遣いのようにも感じる。
そのとき、ネツァフの胸部あたりが脈動し、ズズン……という小さな爆発に似た揺れが起こった。周囲の床が震え、セラは悲鳴を上げて後ずさる。「キャッ……!」
カイとマキも慌てて駆け寄り、セラを支える。「平気……? 今の、何だ?」
振動のあと、ネツァフの肩あたりから微かな放電が走り、青緑の光がすっと消えかける。
すると背後から急な足音が響き、複数の強行派兵士がドームに突入してくる。「何をしてる、お前ら……! ここは立入禁止だ!」
見ると、そのリーダー格の軍人は高圧的な口調で続ける。「やはり不正アクセスはお前らの仕業か! ネツァフが反応を示したのは貴様らのせいだな……!」
セラは言い返そうとする。「違う、私たちは暴走を止めようと……」 しかし強行派は耳を貸さず、銃を向ける。「もう十分だ。ここから先は軍が制御する。お前らは捕虜だ!」
マキが震えながら「捕虜って……私たちはリセットを止めたいだけで……!」と声を上げるが、相手は「黙れ! リセットを妨げる工作員が何を言う!」と一蹴する。
カイが拳銃に手をかけようとするが、すでに数人がライフルを構えており、絶対的に不利だ。ここで抵抗すれば即座に射殺されかねない。
緊張がピークに達する中、再びネツァフがゴゴゴ……という不気味な音を響かせる。ドームの照明が一瞬暗転し、床がバラバラと軋む。強行派の兵士たちも驚きで振り返り、その隙にセラは一歩下がる。
「見て……ネツァフが何か変だ。あなたたちも感じてるでしょう? このまま起動すれば制御不能になるかもしれないのに……!」
兵士のリーダーは戸惑いを隠せず、「そんなことあるか……ネツァフは痛みなく消すための最高傑作だ。承認を押しさえすれば、平穏にリセットが……」と呟くが、明らかに不穏な現象が進行している。
「承認も融合もなしに、こんなエネルギー反応を示すなんて……!」
別の兵士が恐怖で顔色を失い、銃を下ろしかける。そこへリーダーが一喝する。「動揺するな! ネツァフを起動すれば全てが救われるんだ……」
しかし、説得力を欠くその言葉は、ネツァフの脈動音に掻き消される。ここで本当に承認を強行すれば、誰がその結果を制御できるのか――不安は兵士たちの間にも蔓延しているようだ。
セラはもう迷わない。ここで後退すれば、強行派が無理やりリセットを起動しようとする可能性がある。彼女は心の奥にあるレナの言葉やエリックの願いを思い出し、ネツァフの暴走を止めるために立ち上がる。
「聞いて! 今、ネツァフは不穏な兆候を見せてる。承認なしで暴走する恐れがあるわ。そんな形でリセットしても、本当に“痛みなく消える”かどうかわからない! 制御不能の破壊で世界中を巻き込むだけかも……」
声を張り上げるセラに、一部の兵士がたじろぐ。リーダー格の男は苛立ちを隠さず、「黙れ……!」と銃を上げるが、その手が僅かに震えているのが見て取れる。
マキが端末を掲げ、「データがあるの! あなたたちも見て! ネツァフが自発的にエネルギーを蓄積し、異常値が出ている! もしこのまま起動すれば、どうなるかわからない……!」と証拠を提示する。
兵士たちは戸惑い気味に顔を見合わせるが、リーダーは「嘘だ! どうせ捏造してリセットを邪魔したいだけだ!」と聞く耳を持たない。
弾き出すようにリーダーが再びセラへ銃口を向け、「お前らは反逆罪で拘束する。もう話は終わりだ!」と引き金に指をかける。セラは声にならない悲鳴を上げ、カイが庇うように身体を投げ出そうとする――。
だが、その瞬間、ネツァフの胸部コアがバチッと強い放電を発し、閃光が空間を切り裂いた。ドーム内に高周波の衝撃波が広がり、兵士もセラたちも耳を裂かれるような音に襲われ、「ぐあっ……!」と各々倒れ込む。
ズズン……と凄まじい衝撃で床が揺れ、コンクリートのひび割れがドーム壁に走る。まるで巨大な地震のようだ。
轟音と閃光が収まると、ドームの中央でネツァフがうっすらと光の脈動を増幅させているのが見える。その光のリズムは激しく、心拍数が極度に上がった生き物のように荒い。
セラは床に倒れたまま息を整え、目を上げると、ネツァフの右腕にあたる部分が僅かに動いたように思えた。まるで「悲鳴」と「渇望」が混じった叫びを視覚化したかのようだ。
周囲で強行派の兵士が何名か失神や耳鳴りを訴え、這いつくばっている。リーダーはまだ意識を保つが、ライフルを落として耳を押さえて苦悶の表情を浮かべていた。「な、何だ……今のは……」
カイが苦しい呼吸をしながら、マキの状態を確認し、「大丈夫か……マキ……」と声をかける。マキも頭痛に顔を歪めつつ「平気……」と小声で答える。
セラは意を決して、ふらつく足取りで立ち上がる。「ネツァフ……私には聞こえるの。あなたはもう、痛みなく消すなんて優しさを失っているんじゃないか……」と、呟くように言葉を紡ぐ。もちろん答えがあるわけではないが、目の前の光景は、ネツァフが狂おしい何かを訴えているように見える。
ドーム中央の高台にいるネツァフまで距離は数十メートル。床にはケーブルやパイプが散乱し、先ほどの衝撃で天井からコンクリ片が落ちてきている。危険だが、セラは決心し、カイも後を追う。「セラ、やめろ……そんな近くに行けば……」
セラはかぶりを振り、「私がパイロットだから……このまま放置すれば、もっと悲惨なことになるかもしれない!」と叫ぶ。
疲弊した強行派兵士たちは動けず、懐疑派の姿もない。マキが遠巻きに「気をつけて!」と叫ぶが、セラは恐怖を押し殺して進む。
ネツァフの足元まで近づくと、その威圧感は圧倒的だった。大きく裂かれた胸部装甲の一部から、緑や蒼の有機光が周期的に迸っている。まるで生き物の動悸が増幅し、呼吸が浅く暴れ出しているかのよう。
セラの頭に、ビリビリとしたノイズ混じりの痛みが走る。(声がする……? ネツァフの……?) なんとなく耳鳴りが響き、脳の奥が震える。まるで彼女自身が“融合”しそうな錯覚すら起きる。
「やめて……私はもう、あなたを使わない……人々を傷つけたくない……」
意識が朦朧とする中、セラは目を閉じ、ネツァフに向けて心の中で問いかける。すると、再び脈動が大きくなり、一瞬眩い光が胸部から漏れる。ドーン……という衝撃が空気を振動させ、セラの髪がなびく。
「セラ! 危ない!」
カイが叫んで駆け寄り、彼女を抱きとめるように覆う。次の瞬間、ネツァフの胸部から微細なビームが数条放射され、何かを探すように床を削る。ジュウゥという焼け焦げる音に、セラは悲鳴を上げるが、かろうじて回避できた。
ネツァフの放射が止み、ドーム内の揺れも小康状態となる。セラは動悸がおさまらないまま、カイの腕の中で震え、マキが青ざめた顔で駆け寄ってくる。
周囲を見ると、強行派兵士たちは完全に呆然とし、誰一人として「リセットを今すぐ起動しろ」などと言えないほど怖気づいている。ネツァフが本当に人類の味方かどうか、疑念を抱いたに違いない。
「ネツァフ……これが、“不穏な兆候”……?」
セラは恐怖と哀しみで声を震わせる。あの兵器が自己の意思で世界を救う術を求めているのか、それとも破壊を求めているのか、確信が持てない。しかし、承認なしでこうした発光・放電を行う以上、何か重大な変化が進行しているのは確かだ。
廊下の外から懐疑派の将校らしき声が響き、「セラ! カイ! 大丈夫か!」という呼び声が近づく。どうやら援軍が来てくれたのだろう。セラは体の力が抜けて、カイにもたれかかりながら、ドームを見上げる。ネツァフは再び静かな息を潜めるように暗転し、薄ぼんやりと青白い脈動だけが続いている。
ネツァフが示す異常な挙動は、単なる暴走の予兆か、それともリセットの準備段階としての自然な動きか――誰もその答えを知らない。セラがネツァフを拒む限り、従来の“痛みなく消す”は完成しないはず。だが、このままネツァフが独自の意思を持って動き出せば、人々はリセットどころか制御不能の破壊に飲まれる恐れすらある。
街の混乱は収まらず、ドミニクの反対派も侵入を続け、リセット派内の強行派・懐疑派の対立は激化。さらに、エリックやレナをめぐる状況も予断を許さない。
不穏な兆候を示すネツァフが目覚めるとき、果たして世界はどうなるのか。セラとカイは、レナやエリック、そして足掻く人々を救うために、次なる行動を模索する。すべての歯車が加速し、リセットという運命に向けて、物語は新たな危機へ突き進んでいく。