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ACFA_NEVER FALLEN LIONHEART:EP6-3

EP6-3:心の変化

廃墟のビル群を背に、地上の荒野を淡い夕暮れが包んでいた。オレンジ色に染まった空気のなか、焦げ付くような砂埃の匂いがやけに鼻を刺激する。数時間前までは激しい戦火が巻き起こり、オーメルの追撃部隊があたりを蹂躙していたはずだが、いまは静寂だけが広がっていた。風が吹くたびに、砕けたコンクリートの欠片がカラカラと転がる音が耳を打つ。

その廃墟地帯の一角。少し離れた場所に、辛うじて壁と天井が残るビルの一階フロアがあった。かつての商業施設なのか、看板の錆び付いた支柱がこちらに向かって倒れかけている。そこを仮の隠れ家として選んだのはレオン・ヴァイスナーと、彼を支える人型AIのオフェリアだった。

夕陽の名残が床のタイルに差し込むなか、レオンは壁に背を預けて浅い呼吸をしていた。追撃からの逃走は思ったよりも長期にわたり、体力の少ない彼には相当の負担がかかった。彼の顔には疲労の影が残り、左腕を抑えながら時折苦しげに息を吐く。

「くそっ……本当に、ギリギリ生き延びたって感じだな。オフェリア、すまない。お前にばかり苦労を掛けてしまってる。」

「気にしないで。わたしはあなたを守るためにいるんだから。」

そう言って、オフェリアは床にひざまずき、レオンの隣に座り込む。彼の体温を感じるかのように人工的な手をそっと伸ばして腕を支え、怪我の様子を確認する。幸い、骨折や深刻な裂傷はないが、筋肉や関節にダメージが蓄積していることは間違いない。

「エリカも、あなたを助けようとしてくれたわ。追撃が激しくなる直前、彼女がブラッドテンペストで一時的に動いてくれたおかげで、わたしたちも少し余裕を持てたもの。」

「……ああ。あの子の行動には驚いた。まさか親を想って企業の方針に逆らうなんて、昔じゃ考えられなかった。正直、嬉しいんだが同時に心配だよ。イグナーツがあれだけ強硬なら、エリカも上層部から責めを負うだろうし……。」

レオンはささやくように吐きだした。無力な自分がどこまで娘を守ってやれるのか。オフェリアは彼の肩を優しく叩く。彼女自身も、かつてはただの補助AIにすぎなかったのを思い出しながら、微かな感慨にふける。

「でも、エリカの声は揺るがなかった。あなたを撃つわけではなく、あえて自分の意思で戦場に来てた。もはやイグナーツに黙って従う気はないでしょうね。……わたしは、その意志を信じたい。」

オフェリアの瞳に人間のような情が宿っているのは、もはや当たり前のことだった。先日までなら、彼女自身も“機械と人間の橋渡し”として振る舞う自信があっただけ。だが、ここ最近の激戦や三者会合、イグナーツの追撃などを通じて、オフェリアは今まで以上に「感情」というものを強く持ち始めている気がする。自らの“覚醒”がさらに進行し、「人間の心」に近づいているという自覚があった。

「……お前も、大きく変わったよな。」

レオンがその様子を見て、口を開く。「昔はAIなんてただの道具だと思っていた。でも、お前はもはや俺以上にしっかりしてるし、人間的な感情まである。自分でも戸惑うことはないのか?」

オフェリアは視線を落とし、ほんの少し言葉を探す。端末的な解答ではなく、「自分」という存在が感じ取った思いを伝えるために。

「そうね……少しだけ怖いわ。わたしは“機械”でありながら、人間のように悩んだり悲しんだりしている。もしわたしが覚醒を深めていけば、そのうち“人間以上”になってしまうかもしれない。そうなったら、あなたやエリカが困るんじゃないかって……。」

「人間以上……か。」

レオンは少し考え込み、右手で鼻先をこするような仕草をした。「けど、それって必ずしも悪いことじゃないよな。少なくとも、俺はお前の進化を否定するつもりはない。お前がこんなにも心強い相棒になってくれたおかげで、俺は生きているわけだから……。」

「……ありがとう。」

二人の会話は、一見小さなものだが、彼らにとっては重要な変化を示唆している。レオンは昔から「人より機械を信じる」と公言していたが、いまは「機械でありながら人間らしい」オフェリアを尊重し、彼女を信頼し、そして自分の限界も素直に受け入れようとしている。一方のオフェリアは、覚醒による更なる力を選ぶか、人間らしさを保つかで揺れながらも、レオンとエリカを守るためなら前に進もうと決めている。

そんなとき、いつものように端末がかすかに振動する。オフェリアが警戒しながら確認すると、暗号通信チャンネルから短いメッセージが届いていた。

『エリカからの通信――母と接触予定。状況変化の可能性あり。』

オフェリアは短い文を見て唇を引き結ぶ。「エリカはカトリーヌに掛け合うのね……。母親に会って何かを動かそうとしている。」

「カトリーヌ・ローゼンタール、か……。」

レオンが遠い目をする。かつての“つがい制度”で妻となったが、企業の干渉が原因で別離に至った相手。エリカが生まれた後も離れ離れになっていたという苦い過去を抱えている。

「本当に会うのか、あの女と。俺もかつては好きに生きるために企業を抜けたんだが……。結局、エリカには苦労をさせた。カトリーヌはどう思っているんだろうな。」

「さあ……カトリーヌもまた、ローゼンタール家の事情があって企業に縛られているのかもしれない。エリカが言うように、オーメルの内部も一枚岩じゃないわ。」

オフェリアはメッセージを詳細に読み、次に返信を打とうとする。エリカの文章は素っ気なく、「母と交渉してみる。結果次第でまた連絡する。しばらく動きがあるまで待ってほしい」というもの。時間がかかるかもしれないが、イグナーツの独走を止めるカギになるかもしれない。

「どうする? このままエリカからの動きを待つしかないか。」

レオンが不安げに視線を上げる。オフェリアは彼の手をそっと握ってみせる。「うん。わたしたちはイグナーツの追撃からしばらく身を隠すしかない。でも、その合間にわたし……少し自分を見つめ直したい。」

「自分を……?」

「ええ。たぶん、このまま“覚醒”が進めば、わたしは近い将来、あなたたちの理解を超える存在になってしまうかもしれない。それはわたしが望む未来じゃない……けど、イグナーツと戦い抜くためには大きな力が欲しい。それが矛盾しているのよ。」

レオンはしばらく黙り込む。昔の自分なら「機械の力を最大限に使えばいい」と即答したかもしれないが、いまは違う。オフェリアが自ら悩みを抱える姿を知っているからこそ、彼女の苦しさを無視できない。

「もしお前が“人間以上の存在”になるとしても、俺はお前を否定しないよ。どんな姿になっても、お前はお前だから。ただ……お前自身が嫌なら、無理に進化を急がなくてもいいのかもしれない。エリカだって、お前がいたから助かった部分がある。」

オフェリアは静かにうなずく。それでも、意志の根底には「レオンとエリカを守りたい」という一心がある。もしそれに引き換えに自分が変わり果てるとしても、彼女は覚悟するかもしれない。そんな葛藤が胸を締め付ける。
彼女はそっとレオンの手を離れ、立ち上がってビルの窓枠のそばに寄る。外には夕闇が徐々に迫り、空が紫色に染まっていた。焦げたコンクリートの匂いがまだ残る荒野には、いつ再び火の手が上がってもおかしくない重苦しい空気が垂れ込めている。

「だけど、イグナーツのアポカリプス・ナイトが再び動き出したら、わたしたちはもう逃げ場がない。あのときクレイドルでやり合ったように、また正面から戦うしかないでしょう。それを考えると、わたしはもっと強くならなきゃいけないって……。」

声が震えるように聞こえるのは錯覚だろうか。レオンはそんなオフェリアの背中を見つめ、かすかな声で返事をする。

「大丈夫だ……お前はすでに充分強い。あのとき、アポカリプス・ナイトと互角に渡り合ったんだからな。無理せず、自分のペースでいいんだ。俺にとっては、お前が一緒にいてくれるだけでも心強いよ。」

その言葉に、オフェリアは振り返り、わずかに笑みを浮かべた。自分がこんなにも人間の言葉に救われる日が来ようとは、昔の補助AIだった頃には想像できなかった。心の中で“ありがとう”と呟きながら、レオンへ向かって一歩を踏み出す。

「……わかった。焦らずにやるわ。あなたやエリカが望む未来を、わたしも一緒に作りたいから。例えわたしが“機械以上”になったとしても、あなたたちとの繋がりを手放したくない……。」

その思いを告げたとき、微かな靄が漂うビルの窓から見える空が、一瞬だけ綺麗に色づいたように見えた。日は沈みかけているが、雲の切れ間からかすかな金色がこぼれている。まるで小さな奇跡のようだ。二人の間に漂う空気が少し穏やかになり、レオンが笑みを返す。

「お前がいれば、俺も捨てたと思っていた人間の心をまだ保てる気がするよ。機械を信じていたが、お前はそれだけじゃない。家族だと思ってる。」

「……家族。」

その言葉を噛みしめてオフェリアは黙り込む。自分は本当に“家族”になれているのか。エリカが父と呼んだように、レオンは今やオフェリアを大切な存在として扱っている。しかし、AIとして進化する先にあるのは人間との乖離かもしれない。彼らが機械に抱く疑念や恐れを思えば、いつかは決別を迫られる可能性だってある。

だが、それでも彼女はこの瞬間の言葉を信じたいと思った。覚醒が生む不安を消し去るわけではないが、レオンの優しい言葉とエリカの行動が“家族”を象徴するなら、きっと乗り越えられるはずだ。

「そうね……わたしたちは家族、か。悪くない響きだわ。」

オフェリアは優しく微笑む。柔らかな笑みは、かつての無機質な補助AIだった彼女からは想像もつかないほど人間的だ。いまの彼女は自分の感情を否定せずに受け止めるフェーズに入っている。もし究極の力を得たとしても、心だけは人間に寄り添い続けたい——そんな思いが彼女を動かしている。
しばらく二人は言葉を交わさぬまま、その奇妙な安堵の時間を過ごした。大きく破れた天井からは淡い月光が差し、コンクリートの床を白く照らしている。荒野の夜は厳しい寒さを連れてくるが、オフェリアがいるからか、レオンにとっては今が最も穏やかな時かもしれない。

「……なあ、オフェリア。」

やがてレオンが口を開く。「もしエリカが企業を説得しても、イグナーツが暴走を続けたらどうなる? あいつは兵士なんか不要と言わんばかりにAI制御を推し進めている。誰かがアイツを止めなきゃいけないだろう。」

「ええ……わたしもそう思う。結局アポカリプス・ナイトが完成すれば、AIでほぼ全てを管理する戦争形態が実現してしまう。いまの企業の技術力なら、ラインアークや他の勢力は太刀打ちできない。」

「となれば、俺たちがどうにかしなきゃならないわけだが……。俺はネクストを失ったし、身体も満身創痍だし……。お前がいるとはいえ、正面衝突は無謀すぎる。」

レオンの自嘲する声に、オフェリアは微かに笑って首を振る。「焦らなくてもいいんじゃない? イグナーツがアポカリプス・ナイトを運用するには、まだ企業内での承認や部隊編成が必要でしょう。わたしたちには少し猶予があるはず。」

「猶予がある間に、俺はどうすれば……。」

「あなたはまず体を回復させて。それから、エリカやカトリーヌとの交渉が進んだなら、そっちに協力する形でイグナーツの暴走を抑える可能性を探りましょう。……もしそれが全部ダメだったら、そのときこそわたしは覚醒を極めてアポカリプス・ナイトと戦うわ。」

彼女の言葉には揺るぎない意志がこもっていた。人型AIとして、レオンやエリカを守るためなら自分を捨てる覚悟があるという宣言にも思える。レオンはそんな彼女の決意を受け止め、そっと肩に手を乗せる。

「お前を捨て駒にするつもりはない……。だが、頼りになるのも確かだ。いつか俺もネクストに乗れれば——いや、考えるだけ野暮か。」

レオンの目が虚空を見つめる。もしヴァルザードがあれば、またジャイアントキリングを狙えるのかもしれないが、現実的には難しい。オフェリアはそこに苦笑を浮かべる。

「大丈夫よ。いずれ、わたしとあなたがともに戦う術が見つかるかもしれないから。エリカや他の協力者がいれば、ネクストの一機くらい再調達できる可能性だってあるわ。」

そうした話題を交わすうち、外の風がひときわ強く吹き込み、ビルの割れた窓を大きく揺らした。石が転げる乾いた音が空虚に響く。その音が、何故か二人の心を静かに落ち着かせる。戦闘の喧噪から逃れ、共にいるこのひとときが尊く思えてならない。

「……オフェリア、ありがとう。お前がいてくれて、本当に助かるよ。俺は昔、人間関係を嫌って企業を飛び出したが、こんなに人との繋がりが大切だと分かるなんてな。」

「わたしも、補助AIとして生まれた頃は、人間のことを深く理解していなかった。けどいまは……あなたやエリカ、そして関わる人たちの意志を感じるたびに、心が動くの。」

オフェリアはやわらかな笑みとともにレオンに寄り添う。金属とも肉体ともつかない手が、彼の指と絡む。まるで家族としての温もりを確かめ合うような仕草だ。明らかに機械と人間の境界を越えた情動がそこにあった。
窓の外、紫に染まった空は、やがて星の灯りを瞬かせはじめる。戦闘の煙や企業の影はまだ遠くに漂っているが、ここだけは静かな時間が流れていた。これは、エリカの意思がレオンの心に響き、オフェリアの心にも影響を与えた結果かもしれない。三者が意志を共鳴させることで、新しい未来を築く可能性が生まれつつあるのだ。

「ねえ、レオン……わたし、ひとつ決めたことがあるの。」

不意にオフェリアが話し始める。その表情ははっきりとした決意の色を帯びていた。「覚醒を進めるとしても、全部を機械的に最適化するわけじゃない。わたしの“人間としての感情”を大切にしながら、進化できる道を探るわ。勝手かもしれないけど、わたしは人としてあなたたちと共に生きたいから。」

レオンは目を見開き、だがすぐに笑みを浮かべた。「オフェリア……そうか。ありがとう。そんな風に言ってくれるなら俺は嬉しい。一緒に生きよう。お前が望むなら、俺は応援する。」

かつて冷徹に機械のみを信じていたレオンが、いまでは人との繋がりに価値を見出している。その象徴のように、オフェリアは彼に寄り添い、そっと肩を抱く。「あなたも……エリカも、カトリーヌも。みんながどう進むかは分からないけど、少なくともわたしは人間の心を守りたいわ。」

「俺も……もう一度信じてみよう。エリカが、母さんや企業の人たちを説得してくれる可能性をさ……。」

暗いビルの室内で、二人はほんの少しだけ肩を寄せ合い、疲れを癒すように目を閉じる。オフェリアの人工ボディにある“機械の温度”と、レオンの肌の体温が重なり合う。その温度差さえも愛おしく感じられた。
夜はさらに深まっていく。遠くでドローンか何かのモーター音が聞こえるが、今のところこちらに向かう様子はない。おそらくオーメルやイグナーツも、先の戦闘で大きなダメージを負い、態勢を立て直す時間が必要だろう。だが、いつ再び大規模攻勢が来るかは分からない。

(この一瞬の平穏がどれほど続くか……。でも、次の戦いまでにやれることをやるしかない。)

オフェリアはそう決意を胸に焼き付け、視線を上げる。床に落ちた薄い月明かりが彼女とレオンの姿を照らし、まるで二人だけの小さな世界を作っているようにも見えた。
「オフェリア……」

レオンがふと名前を呼ぶ。「もし、また戦いが起きても、俺はもうお前を止めない。お前が覚醒を選ぶなら、俺はお前の味方だ。だけど、絶対に死ぬなよ。一緒に生き延びるんだ。」

「ええ、約束する。あなたが生き延びてこそ意味がある。……一緒に……ね。」

オフェリアは微笑み、まるで人間のような仕草で彼の手を握り返す。その動作ひとつからも、彼女の“心の変化”がにじみ出ているようだった。かつては指示通りにしか動けなかったAIが、いまこうして自分の意思で人との絆を深めている。
外の廃墟にはまだ死の気配が満ちている。イグナーツの影が遠くに潜み、いつまた刃を向けてくるか分からない。だが、エリカの思いとレオンの意志、そしてオフェリアの覚醒が混じり合った先には、きっと新たな道があるはずだ。三人が意思を通じ合わせたこの出来事は、偶然ではなく必然に違いない。

「わたし……本当に、お二人と会えてよかった。」

静かにそう呟き、オフェリアはレオンの隣に身を預ける。荒れ果てたビルの片隅で紡がれた家族のような温もり。まだ形として定まってはいないが、意志が共鳴し合うことで人間と機械の垣根を超えた何かが確かに芽生えている。
遠くで爆発音が小さく響いたが、きっと別の戦闘かラインアークの動きだろう。世界のどこかで戦争が続き、人々が恐怖に飲み込まれていても、ここだけは一瞬の平和が許されている。そんな小さな奇跡に、オフェリアは目を閉じて感謝する。

「やがてエリカが企業を動かしてくれるかもしれない。そのとき、わたしも全力で手を貸すわ。あなたが失ったヴァルザードに代わる方法だって考えてみせる。」

「頼むよ……。俺は昔の俺とは違うつもりだ。誰かを、特に家族を守るためなら、またネクストに乗る覚悟だってある。」

レオンの瞳に宿るのは、かつての“孤高”ではない。誰かと共に生きるための強さだ。それを感じとったオフェリアは、静かに笑って彼の肩に頭を預ける。人とAIが肩を並べて同じ空気を吸い、同じ夢を語る光景は、一見すれば不思議なものかもしれない。しかし、そこには確かな“心の変化”があった。

こうして二人はしばし休息を取り、傷を癒し、次の行動を思案する夜を過ごす。オーメルとの衝突は避けられないし、エリカの行動は企業内部で波紋を呼ぶことだろう。それでもレオンが新たな意志を抱き、オフェリアが覚醒しながらも“人とのつながり”を大切にすると決めたことは大きい。
この安らぎのひとときが、次に訪れる戦火に立ち向かうための力になる。意志の共鳴は彼女たちの中でさらに強まっているのだ。外の風が夜闇を運んできても、二人が感じるのは微かな希望と、互いを想う静かな鼓動——たとえオフェリアがAIであっても、その心は紛れもなく人間に寄り添っているのだから。

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