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再観測:ゼーゲとネツァフ:Episode 1-2
Episode 1-2:リセットの失敗と混乱
人類にとって最後の希望――そう信じられていた「リセット」が、ほんのひとつの破損したスイッチによって頓挫するなど、誰が想像できただろうか。夜明け前、リセット派の本拠地では承認スイッチの破壊とエリックの逃亡によって計画が大きく歯車を狂わせ、混乱の渦が音もなく広がりつつあった。
ホールの中央では、代表たちが絶望と苛立ち、そして疑心暗鬼の色をあらわにしている。先ほどまでリセット計画を粛々と進めるはずだった空間は、一転して騒然とした雰囲気に包まれていた。
「どうなるんだ……リセットは、もう行われないのか……?」 「エリックが逃げ出した以上、スイッチの承認が揃わない。計画は失敗なのか?」 「いや、ヴァルター様なら何か手を打つはずだ。混乱するな……!」 このように、誰もが取り乱し、それでもなお“何か別の策があるのではないか”と期待を捨てきれない。元々、世界各地の代表たちは“消滅”という形で人々を救済することに対して、不安と後ろめたさを抱えていた者も多い。しかし、それでも「今のままでは人類は衰退するばかり」との危機感から、リセットという手段を選んだのだ。それが今になって、一気に雲行きが怪しくなった。 少し離れた場所で、リセット派のリーダーであるヴァルターが部下たちと短いやりとりを交わしている。ヴァルターは灰色の短髪を撫でつけた厳格な表情で、声を荒げることなく淡々と指示を出していた。しかし、その瞳の奥には激しい怒りと焦りの炎が宿っているのが見て取れる。 「――西側ゲート周辺を徹底的に洗い出せ。奴が外へ逃れたなら、すぐに追撃隊を組織して跡を追う。承認スイッチが無くとも、リセットの再開に必要な手段はあるはずだ。どうにかしてエリックを捕らえてこい」 「はっ……! 了解しました!」 私設の兵士たちが一斉に動き出し、ホールから姿を消していく。その様子を代表たちは遠巻きに見守るが、誰も声をかけられない。ヴァルターは視線だけで周囲を制圧し、苛立ちをあらわにすることなく、冷たく沈んだ雰囲気を振りまいていた。
そんな中で、一際目を引くのはセラとカイの存在だった。セラは16歳の少女でありながらリセット兵器「ネツァフ」の心臓部となるべく選ばれたパイロット。一方のカイは30歳の科学者で、ネツァフを含む高度な技術面を支えてきた人物だ。二人は今しがた、西側ゲートでの追跡に失敗し、エリックを取り逃がしてしまった報告を終えたところ。セラは蒼ざめた顔でうつむき、カイは終始眉をひそめながら深刻な面持ちを崩さない。
ヴァルターが二人に視線を投げると、カイは申し訳なさそうに頭を下げた。 「ヴァルター様……エリックがゲートの制御盤を破壊して逃亡しました。現状、再起動は難しく、数時間はゲートを開閉できないかと思われます」 「……そうか。奴の行動は想定外だが、今さら嘆いても仕方がない。やるべきことは決まっている。エリックを捜索し、スイッチあるいは同等の承認機能を確保する。私にはもう一つ、奥の手があるが……まずは奴を捉える方が先決だ」
淡々としたヴァルターの声音だが、その裏に潜む焦燥感はセラにも感じ取れる。セラは唇を噛みながら、先ほどエリックが逃げる際に見せた“家族を守りたい”という叫び声を思い出す。しかし、ここでその話題を持ち出す勇気はなかった。彼女自身もまた、家族と呼べる存在を遠ざけてきた理由がある。今更それを持ち出しても、ヴァルターをはじめリセット派の面々が認めるはずもないとわかっていた。
しばし沈黙が流れる中、ヴァルターはセラの横を通り過ぎ、ホール中央でまだ不安を露わにしている代表たちを見やる。すると彼は少しだけ背筋を伸ばし、ゆっくりと張りのある声で演説を始めた。
「皆さん、混乱していることは承知しています。ですが、これは計画の完全な“失敗”などではない。世界はまだ我々に道を示すはずだ。エリックが逃亡した事実は由々しき問題ですが、彼一人が承認を拒否した程度で、我々がここまで築き上げてきた研究と覚悟が揺らぐわけではありません。諸君には、引き続きリセット計画を支持していただきたい。そして、早期にエリックを探し出すべく、協力を頼みます」
その言葉を聞いて、代表たちの中には安堵の表情を浮かべる者もいれば、半信半疑のまま曖昧に頷く者もいる。完全には納得していないようだが、今はヴァルターの力が絶対的である以上、反論するのも難しいのだろう。
「セラ、カイ。そちらも準備ができ次第、私の執務室に来い。新たな指示を与える。……いいな」 ヴァルターがそう言い残して踵を返すと、兵士の一人が彼を護衛するように付き従い、ホールを後にした。
あとには疲労の色が濃く漂う代表たちと、迷いを抱えたまま立ち尽くすセラとカイが残される。
リセット派の施設には、いまだ警報の名残が断続的に鳴り響いていた。銃撃戦の発生した西側ゲート付近は一部が閉鎖され、焦げた火薬の臭いがわずかに漂う。先ほどまでの騒動の痕跡を引きずりながらも、警備兵たちは急いで現場の後処理を進めているようだ。
セラはふと、格納庫の奥にそびえる巨大な人型兵器――ネツァフのことを思い出す。もし承認が揃っていたら、このままリセットが実行されて世界がすべて消えていたかもしれない。だというのに、こうして混乱が生じ、“失敗”という形で延命した世界を見ていると、不思議な感慨が胸を満たしてくる。
しかし、“安堵”とも“失望”ともつかないやるせなさが、セラの心に重くのしかかる。彼女は廊下の壁にもたれかかり、少し呼吸を整えようと目を閉じた。
(もし、あのままリセットが成功していたら……私の家族はどうなっていたんだろう。痛みなく消える、って、本当に救いになるのかな……)
頭の中をいろんな思考が巡る。半年前にリセット派から選抜され、この施設でほぼ暮らすようになったとき、セラは自分の家族にまともな別れの言葉をかけられなかった。両親にも、“世界を救う大事な役目”だとしか伝わっておらず、リセットそのものが自分たちの命まで消し去る計画だとは知らないはずだ。
「セラ……大丈夫か?」
カイが心配そうに声をかける。彼もまた、内心では迷いを抱えているが、科学者としての理性とリセット派での立場がそれを押し隠す要因になっているようだ。
「ごめんなさい、大丈夫です……ただ、少し頭がごちゃごちゃしてて……」
セラは小さく息を吐き、笑みとも苦笑ともつかない表情を浮かべる。
「今からヴァルター様の執務室ですよね。私、うまく話ができるのかな……」
「俺も正直、何を話されるか想像がつかない。エリックのことを突き止めるように命じられるのは間違いないだろうが……」
二人は再び足を進める。通路を曲がり、厳重なセキュリティドアの前に立つと、警備兵が無言で身分証を確認し、通してくれた。中に入るとそこは広い執務室――白く清潔感のある内装で、奥の壁には大型のスクリーンや端末が並んでいる。周囲には機密書類を扱うキャビネットや書架が並び、ヴァルターが普段研究資料と政治関連のデータを扱っている場所だ。
「来たか。……入りたまえ」
ヴァルターは端末の前に立ち、背中越しにセラとカイを呼び寄せた。視線はどこか冷ややかで、それでいて底知れぬ意志の強さを宿している。
執務室の奥には、一枚の巨大なモニターがある。そこには複数の監視カメラ映像が並行して映し出され、施設内外の様子を示している。西側ゲート付近ではまだ作業に追われる兵士たちの姿があり、彼らが無線で何かやりとりしている様子も画面越しに確認できる。
「エリックの捜索がうまくいくかどうか、今は何とも言えない。だが、放置はできん。リセットの承認を得るためにも、あるいは“別の方法”を使うにしても、あの男の存在が邪魔になる可能性がある」
ヴァルターはモニターを見つめながら、まるで独白のように言葉を紡いだ。
セラは少し眉を寄せる。“別の方法”――その響きが不穏であることは明白だ。
「……ヴァルター様、その“別の方法”とは、具体的にどういうものなんですか?」
意を決して問うと、ヴァルターは一瞬だけ目を細める。そして、まるで子どもに世界の仕組みを説明するかのような丁寧な口調で返答した。
「以前から計画のバックアップとして研究されてきた。たとえば――必要な代表が承認しなくても、強制的にネツァフを稼働させる方法や、パイロットたちの融合をさらに強固にする手段などだ。もっとも、それらはまだ実用段階に至っていない」
「強制的に、ですか……」
セラは自分の胸の奥にざわりとした嫌な気配を感じた。ネツァフは本来、三人の少女がそれぞれの意識と身体を融合させることで稼働する兵器だ。自分もそのうちの一人であり、他の二人(リナ、エイミといった仲間)も同様の運命を受け入れてきた。だが、“強制的”という言葉がどうしても無視できないほど重くのしかかる。
ヴァルターはさらに端末を操作し、画面に別の映像を映し出す。そこにはネツァフの格納庫が映されており、幾重にも張り巡らされたケーブルと制御ユニットが映っていた。
「ネツァフ自体は、すでに稼働直前まで調整済みだ。スイッチが揃えば、すぐにでもリセットが実行できる。だが、今回のことで“秩序”が乱れた。だから私は、もう一度この施設を完全に制御し、エリックを始末するなり説得するなり――いずれかの手を打ちたいと思っている」
あまりにも淡々とした語り口に、セラは息を呑む。カイもまた微かに顔を曇らせたが、彼はあくまで科学者として、表立った感情を表すことを控えているようにも見える。
「しかし、まずは混乱の収拾が必要だ」
ヴァルターは鋭い眼差しを向け、セラとカイに指示を下すように言葉を続けた。
「セラには、ネツァフの安定を再確認してもらいたい。特に、心臓部であるお前の精神状態が不安定になれば、ネツァフにも悪影響が出る。今後、どんな形で再稼働させるにしても、お前たち融合パイロットのコンディションは重要だ」
セラは思わず、胸の奥が冷たくなるのを感じた。まるで「兵器の一部」としてしか見られていないと再認識させられたからだ。それを隠すように小さく答える。
「……はい、わかりました」
一方で、ヴァルターはカイに向き直る。
「カイ、お前には施設内外の監視システムを更に強化してもらう。今回の一件で、複数の防壁が破られてしまった可能性がある。エリックを含め、反対派の連中が紛れ込むリスクを軽視するな」
「承知しました。今まで外部からの侵入やスパイ活動は限定的でしたが、これを機に防備を固める必要がありそうですね」
カイは端末を手にしながら、すでに新たなプログラム構築のイメージを組み立て始めているのか、視線を走らせている。
ヴァルターは二人に向けて最後に付け加える。
「協力を頼む。……もはや時間がない。リセットが遅れれば遅れるほど、世界はさらなる混乱と苦痛に巻き込まれていくだろう。それを少しでも早く止めるために、我々は存在しているのだ、いいな?」
その言葉にセラは小さく頷き、カイも微かに「はい」と答える。ヴァルターはそれ以上何も言わず、背を向けて端末に向かい合った。
執務室を後にしたセラとカイは、ともに重い気持ちを抱えながら長い廊下を進む。施設の各所で警備兵や技術員たちが忙しなく動いており、先ほどまでの銃声や逃亡騒ぎがもたらした緊張感がまだ漂っている。
「セラ、先に格納庫に向かってくれ。俺は警備システムの件で管理エリアを回る。何かわかったら連絡するよ」
カイが端末を掲げながら提案する。セラは一度迷った様子を見せたが、すぐに頷いた。
「わかりました。ネツァフの状態を確認してきます……」
カイが去って行った後、セラは一人、複雑な思いを抱えながら格納庫へと足を運ぶ。そこは巨大な空間で、中央に鎮座するのは身の丈数十メートルにも及ぶネツァフの機体――生体をベースにした有機的な外観をもつ人型兵器だ。その装甲はところどころに緑色の脈動を思わせるラインが走り、全体に得体の知れぬ威圧感を放っている。
元々、ネツァフは三人の少女――セラを含む、リナとエイミの融合で真の力を発揮するとされているが、今は“未完成のまま”待機状態が続いていた。リセットが実行される数秒前、各国代表の承認スイッチが押されればこの兵器が起動し、世界を“痛みなく消し去る”はずだった。それこそがリセット計画の最終段階。
(もう少しで、本当に世界が終わるところだった。……けど、それが失敗して、みんな混乱してる。私も、どうしていいのかわからない……)
セラは格納庫の足場をゆっくりと歩き、ネツァフを見上げた。その瞳には、一体どんな表情を浮かべたらいいのか自分でもわからない感情が映っている。巨大な機体は沈黙を守り、まるで“なぜリセットを行わないのか”と問いかけているようにも見えた。
格納庫の端には、ネツァフのメンテナンスを担当する技術スタッフが数名控えている。彼らはセラを見ると、慌ただしい手の動きを一瞬止め、ぺこりと頭を下げた。
「セラ様、ネツァフの定期チェックに入られますか? 一応、主要システムに問題は出ていないようですが……」
「はい、お願いします。私も、融合ポッドの状態を確認したいです」
技術スタッフの案内で、セラは格納庫内部にあるモニタールームへ向かう。ガラス越しに見えるネツァフの姿は圧巻だが、その内部にはパイロットの意識を共有するための“仮想空間オルド”の端末や、生体融合を促進する特殊な装置が組み込まれている。
「現在、セラ様の脳波とリンクするための準備が整っております。もし精神的な負荷が大きいようでしたら、調整を行うことも可能ですが……いかがいたしますか?」
スタッフの一人が慎重な口ぶりで尋ねる。エリックの逃亡騒ぎで、パイロットの心理的ストレスが高まっているというレポートも出ているのだろう。
セラは少し目を伏せつつも、首を横に振った。
「大丈夫です。……いつでも融合できるように、私自身が安定しているか確かめておきたいんです」
スタッフが操作パネルを起動し、セラが隣のブースへ移動する。そこにはカプセル状のシートがあり、彼女は躊躇いがちに腰を下ろした。ヘッドギアをかぶり、両手首や胸部にも生体センサーを装着する。すると薄い光が彼女の全身をゆっくりと走り、脳波や心拍などのデータを機械に取り込んでいく。
カプセルの蓋がゆっくりと下り、閉鎖空間となった。ヘッドギアから微かな電子ノイズが聞こえ、視界の端に青白い光が広がり始める。セラは呼吸を整え、仮想空間オルドへの軽い接続モード――いわばテストアクセス――を試みる。
意識が少しだけ浮遊感を伴って変容する。周囲には無数の情報の断片が流れ込み、ネツァフの内なるデータが淡い霧のように渦を巻いているのが感じられた。
(リナ、エイミ……あなたたちも、今どんな気持ちでいるのかな……)
セラと共にパイロットを務めるはずのリナとエイミは、それぞれ別の区画で待機している。ふたりとも、セラと同じように一般家庭から選出された少女たちだが、彼女たちは“自分の意志”でネツァフへの融合を承諾していた。少なくとも、表向きには。セラにはまだその真意を掴みきれずにいる。
仮想空間オルドは本来、三人が同時に意識を接続することで完全な共有を果たす場所。今はテストアクセスのため、セラ独自の視点しか得られないが、それでもネツァフの脈動が微かに伝わってくる――深い海底に沈むような静けさと、同時に押し寄せる包み込むような力がある。
(もし、このままリセットをしなければ……ネツァフはどうなるんだろう。私たちが受けてきた訓練は、何のためにあったんだろう……)
ぼんやりとそんなことを考えていた矢先、外部から突如として声が響いた。
「セラ様、緊急連絡です! 格納庫外で銃撃戦の可能性! 安全のため、こちらの接続を一度切断します!」
カプセル内の制御が一気に解除され、セラは反射的に息を呑む。視界の青白い光が途切れ、天井が開いたときにはスタッフが慌ただしく駆け寄ってきていた。
「銃撃戦……!? いったい、どこで……」
セラは上体を起こし、スタッフの説明を待つ。
「警備からの連絡によれば、施設外周部で何者かが争っているようです。もしかすると、エリックを狙う勢力か、あるいは反対派の一部かもしれません。被害拡大の可能性があるため、ネツァフ格納庫の防衛システムを強化します」
セラはぎょっとしながらカプセルを出る。リセットの失敗が外に知れ渡れば、いろいろな思惑を持つ勢力が動き出す可能性は十分にあった。あるいは、リセット派の権力を快く思っていないならず者が、この隙に拠点を襲うのかもしれない。混乱は施設の外にも広がっているのだ。
一方、施設の外周部では、金属パイプがむき出しになった崩落寸前のフェンスやコンクリートの壁面が連なり、その向こう側には荒野と廃墟の街が広がっていた。まだ夜明けの残滓が空を染め、薄い橙色の光と灰色の影が入り混じる不気味な情景が続いている。
そこに、リセット派の私設兵数名が、警戒態勢をとりながら歩を進めていた。エリックの捜索を兼ねて、施設周辺のパトロールを実施していたところ、建物の陰から銃弾が飛んできたのだ。
「くそ、いったい誰が潜んでやがる……!」 兵士の一人が忌々しそうに口走り、壁に身体を張りつける。周囲には散弾の痕があり、地面に弾かれた薬莢が転がっていた。
「こちらに向かって撃ってきた以上、敵対勢力であることは間違いない。反対派か、あるいは武装したゴロツキか……」 もう一人の兵士が小声で応じる。彼らは皆、リセットを“善”として行動する訓練を受けており、施設への脅威を排除するのが役目だ。
また銃声が響く。パン、パン――パンッ!
鉛の弾丸がコンクリートを砕き、粉々になった破片が兵士たちの防御バイザーを叩く。
「応射! 位置を割り出せ!」 リーダー格の兵士が命じると、仲間が一斉に反撃の射撃を行う。火花が散り、廃墟の金属片が甲高い音を立てるが、敵の姿ははっきりしない。
やがて数秒後、建物の陰から動く影が見えた。逆光に隠れてはいるが、人影が二つか三つほど確認できる。彼らもまた、ライフルのような武器を手にしている模様だ。
「そこにいるのは誰だ! リセット派の施設に対して敵対行為をするなら容赦はしないぞ!」
兵士が声を張り上げるが、返事はない。代わりに投げ込まれたのはフラッシュグレネードらしき閃光弾――カッと目が焼けるほどの光が辺りを染め、耳をつんざく爆音が響いた。
「ぐああっ……!」 兵士の何人かが視界を奪われ、よろめく。敵の方はこの隙に一気に距離を詰めようとする気配がある。やがて、激しい銃声が互いに交錯し、灰色の空気に白い硝煙が渦巻いた。
暗がりと廃墟を縫うように、敵らしき者は素早く移動している。巧妙な手際からして、単なる無法者というよりは反対派の特殊部隊かもしれない。リセット派と反対派は、かねてより対立してきた経緯がある。もしリセットが本当に実行されるとなれば、自分たちの未来を消し去られると信じる反対派が行動を起こすのも不思議ではない。
「くそ、こっちは目が……! 仲間を呼べ、数で制圧するんだ……!」
私設兵たちは必死に体勢を整え、目を焼かれた仲間を庇いながら建物の角を回りこむ。再び短い銃声の応酬があり、乾いた衝撃音が響き合う。
ふいに、敵の一人がバランスを崩したかのように体勢を崩す影が見えた。どうやら兵士の弾が命中したらしい。敵の仲間がそれを支え、声をかけているようだが、距離があり声までは聞こえない。しかし、その隙を突いて兵士たちも態勢を立て直し、集中射撃を行う。
「リセット派に恨みがあるなら、堂々と名乗りを上げろ!」 叫びながら兵士が数発撃ち込むと、金属パイプが弾け飛び、鉄屑が爆散する。敵は閃光弾ほどの派手なアイテムはもうないのか、しばし沈黙したのち、散開するように左右へ走り去っていった。
数秒後、辺りに再び静寂が戻る。かすかな埃の臭いと薬莢が転がる音だけが残った。兵士たちは完全に撤退したのか、それとも追撃の機会を伺っているのか判断しかねる。
「撤退か……? いや、様子を見ているだけかもしれん。油断するな」
リーダー格の兵士が味方にハンドサインを送り、二手に分かれて周辺を警戒する。彼らの中には負傷者も出ており、重苦しい雰囲気が漂った。
「このタイミングで反対派がここまで来るとは……やはりリセット失敗の報が漏れたのか?」
誰かがつぶやき、リーダーは悔しそうに奥歯を噛みしめる。もしリセット派が弱っていると見られれば、他の勢力が一気に攻めてくる可能性もあるからだ。
「とにかく本部に報告する。怪しい連中が施設周辺をうろついている以上、警戒レベルを上げておいたほうがいいだろう」
こうして施設外で起きた小規模な銃撃戦は、結果的に大規模な被害には至らなかったものの、リセット派の私設兵数名が負傷し、敵の一人も出血しながら退却した模様だった。この出来事はすぐさま本拠地の内部に報告され、さらなる警戒態勢が敷かれる。
報告を受けたヴァルターは激怒こそしなかったが、その瞳にはますます冷たい光が宿る。彼は執務室で通信機を取り上げ、カイとも連絡を取りながら迅速に施設防衛の再編に乗り出した。そして、反対派の意図や動きを分析し、必要ならば強攻策も辞さないと考えている様子がうかがえる。
一方のセラは、ネツァフ格納庫に緊迫した空気が流れるのを感じ取りながら、スタッフの指示に従って管制室へと歩を進めていた。
「セラ様、ご無事でしょうか。外部での交戦があったと聞き、格納庫周辺も警備を強化しました」 「ありがとうございます。私の方は大丈夫です。ただ……本当にいろいろなことが一度に起きすぎていて……」
セラはスタッフの言葉に礼を述べつつ、管制室に入り、モニターの前に立つ。そこには先ほど外周部で起きた銃撃の簡単な映像記録が映し出されていた。夜明けの光の中で火花が散る、荒っぽい戦闘シーン。血と硝煙の匂いすら映像越しに感じられそうだ。
「これが……反対派の仕業なのでしょうか」 セラが思わず小さく呟く。スタッフの一人が低い声で答える。 「確証はありません。ですが、タイミング的にはエリック逃亡の混乱を狙った行動と思われます。もしくはエリック自身を確保するために動いた可能性も……」
リセット派が揺らいでいる今こそ、反対派が仕掛けてくる絶好の機会かもしれない。セラはその事実に戦慄を覚える。もし彼らが大規模な兵力を投入してきたら、ネツァフを起動する前に施設が襲われる可能性すらある。
(どうして世界はこんなにも荒んでいるんだろう。リセットしない限り、きっと戦いや混乱は続いてしまう。……でも、本当にそれを“消し去る”しか道はないの?)
セラの胸中には、エリックが口にした「家族を守りたい」という言葉がくっきりと焼き付いている。もしリセットを断行すれば、家族どころか、すべての命が等しく消える。一方、リセットをしなければ、この混乱が止む保証はどこにもない。焦燥と恐怖の狭間で、セラは押しつぶされそうな思いだった。
時を同じくして、本拠地ホールの一角では、世界各地の代表として集まってきた人々が再び集まっていた。先ほどの承認スイッチ破壊からある程度の時間が経過したものの、状況が好転していないことは明らかだった。
「リセット派の兵士が外で交戦した? 何が起こっているんだ……」 「エリックが逃げたせいで、世界はこのまま滅びるしかないのか……?」 「一刻も早くリセットを再開できないのか。私たちはもう、この苦しみを引き延ばしたくないんだ」
代表たちの口々からこぼれるのは、疲弊しきった声。そして、リセットに対する依存にも似た執着だ。彼らの多くは、世界が既に手遅れであると悟っているからこそ、苦しみから解放される道を選んだのだ。今さら引き返せと言われても、先の見えない闇と向き合う覚悟など残っていない者が多い。
そんな中、わずかに光を見出そうとする人もいる。
「本当にリセット以外に方法はないのか。まだ科学技術でなんとか修復できる部分もあるんじゃ……」
だが、その声は周囲の嘲笑や半ば諦め混じりの説得にかき消される。
「何度同じ失敗を繰り返せば気が済む? 人類は愚かなんだ。リセットこそが答えだ」
「世界を再生する技術なんて、もうとっくに枯渇してる。時間の問題だよ」
代表たちは不安と憔悴のあまり、相互に不満をぶつけ合う形での口論を始める。怒りや嘆きがホールに満ち、マイクを通じて落ち着いて話をしようという試みすら噛み合わない。まさに“混乱”の極みと言ってもいい光景だった。
一方、カイは執務室から出た後、警備システムの管理区画で複数の技術者とやりとりしていた。端末のコードを解析し、防御フィールドや監視カメラを再調整するためだ。しかし、エリックの逃亡による内部混乱でシステムが部分的に停止しており、思うように作業が進まない。
「ここのログファイルが破損してる……なぜだ。誰か意図的にいじった可能性があるぞ」 技術者が怪訝そうに声を上げる。 「いや、こちらは夜間のバックアップが正常稼働していたはず……。まさか、内通者がいるってことか?」 カイは難しい表情を浮かべつつ、端末のモニターを見つめる。リセット派にも反対派のスパイが潜んでいる可能性は否定できない。あるいは、エリックが何らかの知人や共犯者と連絡を取り合っていたのかもしれない。
(ここまで混乱が大きいと、もうどうなるかわからないな……。それに、セラやあの子たちの融合は本当に正しいのか? リセットなんて、本当に“救い”なのか……)
カイは科学者として、リセット兵器「ネツァフ」の開発過程に深く関わってきた。脳科学や生体融合技術の最先端を応用し、人類の“次元上昇”とも言える大規模なリセットを可能にするための研究。だが、研究を進めるほどにカイ自身は疑念を抱えていた。世界を一度終わらせるとは、一体どういうことなのか。何が“救い”で、“救われる”とは何なのか。
しかし今は、そうした哲学的な問いを考えている余裕はない。施設がこのまま外部からの攻撃を受ければ、ネツァフすら破壊されてリセットが永遠に不可能になるかもしれない。あるいは、反対派がネツァフを奪おうと狙ってくる可能性だってある。 「カイ様、こちらの防御システムは復旧させました。一定範囲内に侵入者があればアラートが鳴るようになっています」
技術者が安堵の表情を浮かべながら報告する。カイは頷き、続いて別のモニターに視線を移す。そこでは外周の監視カメラ映像がリアルタイムで映し出され、先ほどの銃撃現場がかすかな煙を上げている。
(エリック……あなたはいったい、どこへ行ったんだ?)
カイの脳裏には、先ほどセラが語ったエリックの表情が鮮明に焼き付いている。“家族を守りたい”と叫んだあの姿は、リセット派の理屈では割り切れない、強烈な人間の感情だ。カイ自身もまた、もし自分に守るべき家族がいたら、同じようにリセットを拒絶するかもしれないと想像してしまうのだった。
こうして施設の内外で様々な動きが進行する中、夕刻が近づくにつれ、暗雲のように重い空気が漂い始めた。リセット派の兵士たちは交代で警備に当たりつつ、負傷者の治療や防備の強化に追われている。代表たちはホールでの話し合いをまとめられず、一部は自室に戻って閉じこもってしまった。
セラはネツァフの格納庫で、ふと外の空を見上げる。施設の屋根には大きなガラス状のドームがあり、薄い橙色の光が差し込み始めている。リセットの失敗がここまで混乱を引き起こすとは想像していなかったが、それはつまり、世界がまだ“リセットなし”でも生き延びようとしている証なのかもしれない。
(でも、それもいつまで持つんだろう……。反対派の攻撃が激化したら、ヴァルター様は躊躇なく別の手段を使うかもしれない。その時、私は――)
カプセルの中で行ったテストアクセスの感触が、まだセラの身体に残っている。ネツァフに意識を接続すると、不思議なまでの高揚感が得られることもある。あたかも世界を掌握できるような錯覚さえ与える。それは、足元の不安や恐怖を吹き飛ばす魔力のようでもあった。
だが同時に、そのまま身を委ねれば人間としての自分が消えてしまいかねない――そんな危うさもある。リセット派はそれを“幸福な統合”と呼ぶが、セラはどうしても腑に落ちないのだ。
やがて、管制室の扉が開き、カイが息を切らせて入ってきた。
「セラ、ひとまず防御システムが再稼働した。だけど、まだ不安定要素が多い。今後のことをヴァルター様に報告しようと思う。……お前はどうだ、ネツァフのチェックは?」
「大丈夫、特に問題は見つかっていません。私自身のデータも……平常値だって」
「そうか……よかった」
そうは言うものの、カイもセラの顔に疲れと迷いがこびりついているのを見逃さない。しかし、今は深く問うている暇もなく、施設全体が危機に瀕している状態だ。
カイとセラは連れ立って格納庫を出て、再度ヴァルターのもとへ向かおうとする。長い廊下を歩く間にも、兵士が慌ただしく通り過ぎて行き、警戒態勢のまま内部を巡回していた。誰もが神経を尖らせており、小さな物音にも反応するほどだ。
「カイ様、そちらはどうですか?」
すれ違いざまに兵士が問いかけ、カイは簡潔に答える。
「防御システムは復旧した。今後は施設外周の監視を強化すべきだ。反対派が襲撃してくる可能性がある」
「わかりました、ありがとうございます」
歩きながら、セラはふと廊下の窓越しに空を見やる。夕闇がゆっくりと落ちてきて、風が砂塵を巻き上げているのが遠目に見えた。廃墟となった都市のビル群がオレンジ色から濁った茶色へと変わり、あたりを不気味に染め上げている。この光景は、リセット以前の滅び行く世界そのもの。そこには人々が力なく生き延び、あるいは反発し、あるいは絶望している姿がある。
(私は本当に、この世界を……どうしたいんだろう。リセットが全ての答えだって、まだ信じ切れるかな……)
セラの胸には、何か大切なものを失いかけているような感覚と、まだ見ぬ何かに縋りたいような願望がせめぎ合っている。エリックが必死に守ろうとした“家族”という言葉が、頭から離れない。彼だけが特別ではないはずだ。リセット派の兵士たちにも家族がいたかもしれないし、この施設で働くスタッフたちにも、それぞれの大切な人がいるだろう。
その日の終わりが近づくころ、本拠地のホールには再び代表たちが集められた。今度はヴァルターからの“方針説明”が行われるという。まだ外周での危険は去っていないものの、混乱を放置すれば内部崩壊を招きかねないと判断したのだろう。
ホールのステージ上に立ったヴァルターは、照明が落とされた空間の中で、大勢の代表の視線を一身に浴びる。その視線には焦りや疑念が含まれているが、ヴァルターはあくまで落ち着いた口調で語り始める。
「皆さん。本日はリセットの実行ができず、さぞや不安を感じていることでしょう。しかし、このまま計画を捨てるわけにはいきません。私どもは、いくつかの手段を検討しています。たとえエリックの承認が得られなくとも、リセットを成し遂げる可能性は十分にある――そう確信していただきたい」
会場のあちこちからささやき声が起こる。“本当なのか”“どうやって”“むしろもっと早くやれ”などの声が交錯する。そんな中で、一際高い声を上げたのは年配の女性代表だ。
「ヴァルター様、あなたは『別の手段』という言葉を口にしていましたね。具体的にはどんなものなのか、私たちにもわかるよう説明していただきたいのです。もしそれが、さらに無理な方法や危険を伴うものならば……」
彼女の言葉は途中で途切れた。ヴァルターが静かに見つめ返すだけで、まるで威圧感を受けたかのように声をのみこんだのである。ヴァルターは短い沈黙の後、低く響く声で応じた。
「――リセット兵器ネツァフには、いくつかの制御モードが存在します。本来は厳密に承認を得ることが望ましい。しかし、やむを得ない状況では強制的に稼働させるオプションも準備していた。それが私の言う“別の手段”だ」
「強制的に……?」
ホールの空気が凍りつく。代表の間にも、ネツァフが完全に生体融合型の兵器であることは知られている。強制的に稼働させるなど、パイロットへの影響が計り知れないのではないか――そんな懸念が脳裏をかすめる。
しかし、ヴァルターは表情ひとつ変えない。
「我々は、世界を救うためにここまで努力してきた。もちろんパイロットたちをいたずらに傷つけるつもりはない。だが、時間がないのだ。外の世界は混乱を極め、反対派も動き始めている。もしこのままリセットが行われなければ、人類はゆっくりと死へ向かうだけなのだからね」
言い切ると、代表たちは押し黙る。誰一人としてはっきりと反論する者はいない。なぜなら、全員が同じ不安を抱いているからだ――今さらリセット以外の選択肢を探す余力など、人類に残されているのか、と。
会場の片隅でこのやりとりを見守っていたセラは、全身が冷え切るような感覚に襲われていた。強制的な稼働とは、具体的にどのような苦痛を伴うのか。自分やリナ、エイミはそこに巻き込まれるのか。想像するだけで息が詰まる。だが、声を上げることはできなかった。自分こそが“リセットを成し遂げるための存在”として選ばれたパイロットだからだ。
ヴァルターはさらに続ける。
「皆さんには、もうしばらく本施設で待機していただき、状況を見守ってもらいます。反対派がどのように動くか、エリックがどう出るか、二~三日もすれば方針が定まるでしょう。その間、無用な混乱を招かないためにも、くれぐれも独断行動は控えていただきたい。以上、私からの伝達は以上です」
そうして、短いが重苦しい集会が終わると、代表たちは沈黙を保ったままそれぞれの居室や会議室へと散っていった。誰もが納得しているわけではないが、他にできることがないのだ。ヴァルターの強硬な方針に抗う手段を持たない以上、黙って従うしかない。
ホールに取り残されたセラは、壁際に立ち尽くす。リセット派の兵士がホールの整備を始め、椅子や備品を片付けているが、その喧噪をよそに、セラの心は深い闇に沈んでいた。
「セラ……」 振り返ると、そこにはカイが立っている。優しい表情ではあるものの、彼もまた苛立ちや不安を隠し切れない。
「大丈夫か? ヴァルター様がああ言う以上、強制稼働の計画が進む可能性は高い。……お前にとっても、他のパイロットにとっても、覚悟が要る話だと思う」 「覚悟……そう、ですよね。私たち、パイロットは何のために選ばれたのか、改めて突きつけられた気がします……」
セラは無理に笑おうとするが、口元が震えてしまう。カイはそんな彼女の様子を見て、少しだけ眉尻を下げた。
「もしかしたら、エリックが見せてくれたあの迷いこそが、俺たちにとって本当は必要なものなんじゃないかと、俺は思う。……だけど今は、どうしようもないな」
「はい……」
二人は短い会話を交わしたきり、お互いに言葉を失う。施設の中で夜が更けていくにつれ、リセット派の人々が抱える不安はより一層深まっていく。外には反対派の脅威と荒廃した世界、内には崩れかけた秩序と危うい強硬策。どれもが危険な駆け引きを迫ってくる。
「リセットの失敗」は、まだ始まったばかりなのかもしれない――。
こうして、混乱の一日が終わろうとしている。セラたちは次なる朝を迎える前に、果たしてどんな決断と行動を迫られるのだろうか。西側ゲートから逃げ出したエリックが、外の廃墟や人々とどう関わり合い、リセット計画の歯車をどれほど狂わせるのかは未知数。
しかし、確かなことは一つ。世界がリセットされていない以上、まだ“終わり”は訪れていない。その事実が、足掻くことをやめようとする人々の心に、一縷の光を差し込んでいるのかもしれない――。