ACFA_NEVER FALLEN LIONHEART:EP11-2
EP11-2:イグナーツの動揺
朝焼けが薄く地平線を染めるころ、オーメル本社の上層部に位置する高セキュリティエリアには、苛立ちに包まれた静寂が漂っていた。広大な窓の先にはクレイドルの外壁が続き、その向こうにある地上の戦場がちらりと見える。黒煙と炎の光景こそ直接は確認できないが、先の大敗北により、オーメルの一部が追い詰められつつある事実だけはひしひしと感じられた。
そこではイグナーツ・ファーレンハイトが無機質なテーブルを前に腰を下ろし、冷たく光る瞳で大きなスクリーンを睨んでいた。周囲には数名の技術将校や補佐官が控え、誰もが息を潜めるように小さなモニターを操作している。先のドラゴンベインとアレス量産機による攻勢は思わぬ形で失敗し、事態がイグナーツの想定外へ動いているのが明らかだった。
「……なぜ、そう簡単にドラゴンベインもアレスも撃破された? AIの理論上、おかしいではないか。人間の結束など、我々の制御を超えるほど有効なのか?」
低く通る声が、室内の空気を圧迫する。イグナーツは天才的な頭脳を持ちながら、完全合理主義を貫く。彼にとって“予測外”の結果は許しがたく、この昂りが冷淡な怒りとなって言葉に表れていた。
補佐官の一人が怯えながら答える。「申し訳ございません……。ローゼンタールとラインアークの連携が想像を超えて強力であり、さらにエリカ・ヴァイスナーの人海戦術がアレスの最適フォーメーションを乱したとの報告が……」
「エリカ・ヴァイスナー……。あの娘め……裏切ったと知ったときから排除しておくべきだったか。しかし、わたしのAI管轄が完成する前に大掛かりな動きをするとはね」
イグナーツは指先をこめかみに当て、わずかに苛立ちを深める。地上の戦況を示すホログラムには、オーメルが抑えていた通信拠点や補給施設が相次いでローゼンタールやラインアーク連合の攻撃を受けている様子が表示されている。各地で“AI管理網”の接続が遮断されはじめ、このままでは完全管理戦争の土台が揺らぎかねない。
「想定外、ね……。やはり人間の“非合理性”が強く表れすぎている。とりわけエリカ・ヴァイスナーのように、無謀でも数でぶつかる戦法は数値化しにくいのか。……だが、だからといって放置できないぞ」
やや高い声で吐き捨てると、その場にいた開発チームのリーダーらしき人物が小さく頷く。「イグナーツ様。アポカリプス・ナイトはすでに稼働可能な段階にあります。今こそ、出撃のときを……」
しかしイグナーツはすぐには応じず、立ち上がって窓の外を一瞥する。「アポカリプス・ナイトか……。たしかにわたしが直接出向けば、ローゼンタールもラインアークも一掃は容易だろう。だが、まだ通信網の一部が遮断されている。完璧なAI制御を発揮できる状況にあらず……」
揺れ動く瞳が、不快そうに微かに震える。イグナーツにとって、“人間にAIが屈する”という事態は想像するだけで背筋が凍るような不条理。その可能性を一層排除するためにも、アポカリプス・ナイトは万全の体制で投入したいという思いがある。
そのとき、モニターが急激にノイズを走らせ、別のオペレーターが声を上げた。「イグナーツ様、通信拠点がまたひとつ落ちました! 旧式装甲兵が奇襲し、エリカ・ヴァイスナーの部隊が内部を制圧しつつある模様です!」
「人海戦術……エリカめ、あれほど非合理な方法を取りながら、なぜここまで有効に機能させる……!」
非合理という言葉を繰り返しながらも、イグナーツはどうにも掴みどころのない怒りに苦しんでいた。もともと彼は大量兵器とAIによる制圧が、最も損耗を減らす論理的な戦争形態だと信じていたが、そこへ真正面から刃向かう動きが加速している。人の結束や非合理が、AIの最適解を打ち破るなどと、認められるはずもない。
「イグナーツ様……このままでは、地上にある我々のエネルギー供給ラインや通信施設が次々に破壊され、アポカリプス・ナイトへの支援体制が脆くなります。ぜひとも出撃を……!」
部下の提案にも、イグナーツは一瞬沈黙を置き、それから腰の奥で小さく笑うようにした。「わたし自身の出撃か……。いいだろう。ローゼンタールやラインアークが思うほど簡単に出し抜かせはしない。わたしはヴァルキュリアシステムをさらに強化し、アポカリプス・ナイトを“完全”に稼働させる。そろそろ、リンクスたちを終わらせる時が来たのかもしれない」
補佐官や将校たちがどこか安心した顔をするのを横目に、イグナーツは再び厳しい表情へ戻った。「しかし、その前に……わたしも少し焦りすぎたか。あえて早期にドラゴンベインとアレスを送り込み、消耗戦へ持ち込むはずだったが、人間の結束がここまでとは思わなかった。AIを過信したわけではないが、予想を超えた展開だ」
指先でつっとテーブルを叩き、背後のパネルに映る地図を見上げる。輝度を失った複数の拠点を示すマーカーは、エリカやエリカの父レオンたちが次々と落としている証拠だ。
「これでは、“AIによる戦争管理”の正しさを示すはずが、逆に人間の無秩序が勝ってしまう可能性が出てきたではないか……。くっ……馬鹿げた非合理論に負けるわけにはいかないのに」
研ぎ澄まされた頭脳を持ちながら、イグナーツはいま軽い混乱を抱えていた。想定外の不確定要素が連鎖的に現れたことで、自身が描く合理的管理のシナリオが崩れはじめている。その焦燥が深く心を苛む。
そこへ別の将校が駆け込む。「失礼します、イグナーツ様! 地上から緊急報告で、ローゼンタールのアームズ・フォート隊とラインアークのホワイトグリント部隊が、さらに別の戦線で我が施設を強襲し始めたとのこと……!」
「知っている! 報告を反復するな……。いいだろう、わたしが出る。アポカリプス・ナイトをこの手で操り、わたしのヴァルキュリアシステムを解き放つ。それが最適解にして最後の手段だ。地上の愚か者どもに、AIの完璧さを示す」
その冷淡な声を聴きながら、部下たちは一瞬目を見張る。イグナーツ本人が出撃すれば、企業連合全体に衝撃が走るだろう。だが、それこそが“完全管理戦争”の頂点に立つ者の覚悟でもある。
「お前たちは残ったアレスの自動生産ラインを稼働させるんだ。設備が多少破壊されていても、緊急稼働モードならまだ量産機を補充できる。わたしがアポカリプス・ナイトで指揮すれば、理論上、あのレオンやエリカの動きすら数時間以内に消せる」
威圧感を伴う言葉に、補佐官たちが慌ただしく立ち回り、モニターを操作していく。すでに内部反乱要素はエリカを筆頭に地上へ動き、クレイドル内部ではイグナーツへの表立った反抗は考えにくい。だが、負の空気が漂っているのを感じていた。
「……イグナーツ様、ひとつだけご報告が。レオン・ヴァイスナーの試作ネクスト“リュミエール”が予想以上の性能を発揮しており、アレスにも対等以上の戦闘力を示しました。もし相手があなたのアポカリプス・ナイトと戦うなら……楽勝というわけには」
「やかましい。このわたしが負けるとでも言いたいのか? レオン・ヴァイスナーは確かにAMS適性が高いが、ヴァルキュリアシステムの完璧な演算に勝てるものか。彼が孤高を捨てただと? 家族を得て絆を結んだだけで強くなったと? 馬鹿馬鹿しい」
イグナーツは深く息を吐きながら、短く手を振る。「だが、侮るなというのは理解した。ネクストの直接交戦で仕留めるには、わたしもリスクを認識しておく必要がある。かえってわたしの意欲が掻き立てられるな……合理的手段で勝てないなど、あり得ないのだから」
部下たちが畏怖の目を背け、誰一人言い返さない。イグナーツの自信には確かに裏付けがある。アポカリプス・ナイトは人類史上最高のネクストとも言われ、AI統制を極限まで活かした“ヴァルキュリアシステム”が大規模戦場を瞬時に管轄する。どれだけローゼンタールやラインアークが工夫しても、相手が真に本気を出せば歯が立たないだろう——そう多くの者が考えていた。
だが、イグナーツの表情には微妙な焦りと動揺が混ざっている。先のドラゴンベイン、アレス大量投入で勝利を確信していたにもかかわらず、これほど早い段階で失敗するとは予想外だった。合理的に考えれば、人間が旧式装備や連携でAIの優位を崩すなど、わずかな可能性しかなかったはず。そこに未知の要素、“家族”や“仲間”が及ぼす力が介在していると感じはじめている。
「……人間は非合理だと言っても、ここまで応用してくるか。レオンやエリカ……オフェリアまで加担して、どこまで愚か者なのか」
愚痴に似た囁きを漏らしたあと、イグナーツは大きく背筋を伸ばす。
「いいだろう。ならばわたしも“決戦”を受けて立つ。アポカリプス・ナイトを徹底的に最適化し、今から数時間後には地上へ降りる。おまえたちはその間、失われた通信網を可能な限り復旧しろ。AI制御の軍団を再編して、わたしの出撃をサポートする」
「は、はい……!」
部下たちは次々と退室し、命令を実行するため奔走する。ここから先は時間との勝負。ローゼンタールやラインアークが一挙に攻めてくる前にAI体制を再構築すれば、イグナーツはアポカリプス・ナイトで一網打尽にする腹づもりだ。
ただし、気になるのはエリカ・ヴァイスナーが内部に張り巡らせた工作。監視体制を掻い潜り、多数の兵士を連れ出した時点で大きな痛手を負っているのは事実だ。あの娘がまだ残している“スパイ”が妨害をしかける可能性も否定できない。
「副官、社内の監視は徹底しろ。エリカ・ヴァイスナーのような裏切り者がほかにもいたら、容赦なく始末していい。わたしの計画に邪魔はさせない」
「了承しました。しかし……イグナーツ様が出撃される場合、クレイドルの防衛が手薄になる恐れがあります。もしラインアークの機体がここを狙ってきたら、AI主導のコントロールが……」
「それでも構わない。わたしがその場でアポカリプス・ナイトを動かし、全世界を制圧すれば、クレイドルの一部が破壊された程度で問題はないのだから」
激情を抑えきれないかのようにイグナーツは語気を荒らげ、通信端末を手に取る。目が据わっているのは、すでに相当な動揺を抱えている証拠だ。理想の完成手前で邪魔をされる屈辱は計り知れない。
「レオン・ヴァイスナー……貴様が“孤高”を捨てて得た力がどれほどか、確かめさせてもらおう。家族だか仲間だか知らぬが、あらゆる非合理を計算で潰してやる。AIが最適解を出したとき、おまえたちは成す術もないはずだ」
誰に聞かせるでもなく、独りごちるイグナーツ。その眼差しは歪んだ狂気と論理が同居し、不気味な冷ややかさを漂わせる。彼にとって自分の敗北などあり得ないが、これだけの事態を引き起こす不確定要素が増殖している現状は苛立ちを生む。
それが“動揺”として表面化し、アポカリプス・ナイトを早期に起動せざるを得ない状況になっているとも言える。完璧を期したかったのに、ローゼンタールとラインアークの反撃は強烈で、エリカやレオンの存在がさらに拍車をかけている。
「わたしが……出る。AIは人間より優れていると、世界に示す。完璧に管理された戦争で、いかに貴様らが無力か……証明してやる」
そう呟いたとき、イグナーツの拳が小さく震えていた。恐れなのか、怒りか、あるいは理解不能な感情か。それは彼自身も気づかないほど深層にあるものだったかもしれない。天才でありながら若すぎる指揮官は、初めて直面する現実——“人間に対する完璧な勝利が近くなく、しかも非合理に振り回されつつある”ことに苛立ちを抑えられないのだ。
こうして、イグナーツはアポカリプス・ナイト出撃の準備を本格化する決断を下した。AI対人間の最終章が近づくなか、ローゼンタールとラインアーク、そしてエリカやレオンたちの“逆転への布石”が正真正銘の命取りになるか、まだわからない。
イグナーツの動揺は、彼の冷静な計算をわずかに狂わせつつあるが、同時に“最後に理論の頂点を見せつけてやる”という決意を助長する。完璧な演算を行うAI統制ネクスト、アポカリプス・ナイトが目を覚ましたときこそ、人間の意志との最終決戦が始まると言えた。
その闇の静寂に、クレイドルの機械音がどこか不気味に響く。イグナーツは無表情で視線を横に向け、かすかにそびえ立つアポカリプス・ナイトのフレームを見つめる。そのフレームを完全に稼働させるためにあらゆる改修が進み、ヴァルキュリアシステムが最適解の一歩手前にある。
「わたしは負けない……。どんな非合理が集まろうと、AIの計算こそが人類を進化させる最適解だ。それを示すために、すべてを賭けてでも勝利を奪う……!」
低く嚙み締めるように誓いを立て、イグナーツは踵を返し、出撃ブリーフィングを行うための制御室へ向かう。理性と感情、どちらも大切だと説く者たちを排除するために——そして、すべてを手中に収めるために、彼は動揺を隠し切れぬままにアポカリプス・ナイトとの最終決戦へと歩むのだ。
その足音は、まるで深い奈落の底へ向かうように鈍く響く。この先で待ち受ける運命を、イグナーツ自身も分かっているつもりだが、もう引き返すことなどできはしない。冷たい光の下で、天才策士は苦い唾を呑み込みながら、自らの理想を燃やす焔をよりいっそう燃え上がらせるのだった。