見出し画像

ACFA_NEVER FALLEN LIONHEART:EP4-3

EP4-3:オフェリアの潜入

オフェリアは仄暗い通路の壁に指先を当て、わずかに漏れる空調の気流や機械音の振動を探っていた。ここはクレイドルの地下区画。企業連合(リーグ)が誇る巨大空中都市の内側でありながら、人目につかない軍事施設や研究施設が密集している“暗部”だ。その中央付近に、彼女の“創造主”であるレオン・ヴァイスナーが囚われていると知ったとき、オフェリアは即座に潜入を決意した。

本来はレオンの補助AIでしかなかったが、長い年月を経て自律進化し、今や“人型の筐体”を持つ独立した存在。ネクスト操縦すら可能でありながら、目立った大火力をここで振るうわけにはいかない。なにしろ相手はオーメルの要塞だ。警戒態勢を一度でも引き上げられれば、彼女のような個人規模の潜入など一瞬で鎮圧されてしまう。

「……ここから先はガンセンサーが配置されてるか。」

人間の耳には聞こえないほど小さな声で、オフェリアは自問する。背に装備していた小型のアナライザーデバイスを展開し、壁のパネル部分にかざす。軽く指を滑らせると、デバイスが微かな電子音を発し、内部構造を即座にスキャンしていた。

AIとして高度な思考を持つ彼女は、こういったハッキングや電子戦において人間以上の精密さを発揮できる。人型のボディを手に入れたのも、コミュニケーションを容易にするためだけではなく、レオンを守るために必要だったからだ。いま、その真価が試されようとしている。

「なるほど、ここの巡回警備は3分刻みか。……時間がないわね。」

足音を立てないようにかがみ込むオフェリアの姿は、まるで夜闇に紛れる亡霊のよう。肩までの黒髪が微かに揺れ、“肌”と呼ぶにはあまりに滑らかな人工素材が淡い白光を反射している。この柔らかな質感すら、かつて彼女が「レオンにとって最適なサポート」を目指し、自ら開発・採用したものだ。
オーメルの重警備を突破する術は簡単ではない。だが彼女は仲間も持たず、単独でここまでたどり着いた。多少の損傷なら、機能停止しない自信がある。すべては、レオン——彼女にとっては“父”のような存在を救うため。囚われの彼を連れ戻す可能性は低いが、せめて生存状況を確かめ、脱出の糸口を見つけたい。

「……オフェリア、やれるだけやってみましょう。」

言葉の語尾は彼女自身への決意表明。立ち上がり、動くたびに微弱なモーター音が耳奥で鳴る。自分は人形ではなく、“自律進化したAI”だ。人間らしい感情が芽生え始めたことも、レオンを助けたいという思いにつながっている。自分で知覚・思考・判断し、ここにいるのだ。

廊下の先で、警備兵の足音が近づく。数人のグループが武装して巡回しているらしく、ここで見つかれば厄介なことになる。オフェリアは呼吸こそ不要だが、空気の流れを乱さぬように体を低くして、壁際のパネル裏に身を潜める。
そのまま静かに待機すると、兵士たちの声が小さく漏れ聞こえる。

「研究班が被検体をまた調べるらしいぜ。あの“レオン・ヴァイスナー”とかいう……。オーメルに完全に逆らっていたのに、生きてるのが不思議なくらいだ。」
「まあ、イグナーツ様が利用価値を見いだしてるんだろ。ネクスト不要論の実証には、まだあの男のAMSデータが必要なんだと。」

聞こえてくる会話内容に、オフェリアはぎゅっと拳を握りしめる。レオンがまだ廃棄されずに調査されているとは、ある意味で幸運だが、企業の研究材料とされている現実に憤りを抑えられない。もし放置すれば、彼の自由など二度と戻らないだろう。自分こそが動かなければ。
やがて兵士たちが通り過ぎるのを待ち、オフェリアは再び進行を再開する。通路に備えられた警戒カメラの回転周期をAI解析で掴み、死角を寸分違わずに移動する。電子的にアクセスできそうなドアがあれば、ハッキングで一瞬にしてロックを解除し、最短ルートを切り開く。
やがて、天井裏に続く非常用シャフトを発見すると、オフェリアはゆっくりと飛び上がり、器用に指先とつま先で抓むようにしてその中に滑り込んだ。

「こちらのほうが人目につかずに済むはず……。」

ダクトのような狭い通路を進みながら、AIユニットをフル稼働させて施設内部の地図を再構築する。ここは巨大な迷路のような研究区画であり、どこかにレオンが拘束されている独房があるはずだ。
一方で、周辺には無数のセンサーや警備プログラムが稼働しており、間違いを犯せば一瞬でアラームが鳴って大勢の兵士が駆けつける。そうなれば、いくら彼女が高度なAIといっても白兵戦での突破は絶望的だ。クレイドルには無人警備ドローンやACS兵器も配備されているからだ。

(レオン……もう少し待って。必ずあなたのところへ行く。)

かつて単なる補助プログラムだったオフェリアが、ここまでの自我を持った背景には、レオンへの強い思いがある。人型の膝枕を実現するために自己進化したなどと自分でも呆れそうな動機が発端だが、その過程で自分は「守護者」でありたいという強い意志を見出したのだ。
ダクトを進む先で、警備装置が赤外線を張っているのを確認。オフェリアは手のひらから僅かな電子ノイズを放射し、赤外線の発信源を一時的に誤作動させる。これで数秒だけ線を切断できる――彼女はその隙を逃さず華麗に動き、地表へ着地した。
床に反響するのは微かな足音のみ。まだ兵士たちは気づいていないようだ。

彼女は息を整える(本来AIに呼吸は不要だが、“人間らしさ”の癖が自然に身に付いている)。そしてスキャンしたデータを呼び出し、ここのレイアウトを確認する。目指すは独房棟の中央あたり。先ほどの兵士の会話からして、レオンは重点監視区画に置かれているはずだ。

「……あと少し。」

その心中にふとレオンとの記憶が蘇る。地上で彼と旅を続けた頃、彼は機械をこよなく信じてきたが、実は不器用なだけで誰かを拒んでいたのかもしれない。オフェリア自身が人間の形をとったのも、彼を安心させたかったからだ。
しかし今の彼は、企業の檻に囚われている。傍らにオフェリアがいなかったせいでこんな事態を招いたと考えると、自己嫌悪が湧いてくる。だからこそ、彼女はここで身を賭してでも救い出そうと決めたのだ。

周囲を警戒しながら曲がり角を進むと、奥に厳重なドアが見えた。まるで金庫のような分厚い扉だが、電子ロックパネルが取り付けられている。オフェリアは滑らかにパネルの前へ進み、指先を重ねるように触れる。

「アクセス開始……。オーメルの暗号キーを解読……。」

AIの処理能力をフル回転させ、鍵のアルゴリズムを一瞬で解析していく。わずか数秒後、扉に備えられた赤いランプが緑色へ変わり、重い音とともにロックが解除された。
けれど、その瞬間遠くの廊下で警告ランプが点滅するのが見える。誰かがドアの異常解錠を感知したのかもしれない。オフェリアは焦る気持ちを抑え、素早く扉を開いて中に滑り込み、スイッチを閉じる。
中は暗がりの通路になっており、いくつか分厚い鉄扉が並んでいる。独房が連なる“拘束エリア”だというのが一目でわかる。まるで冥府の廊下のように冷ややかな空気が漂い、照明も最低限しか点いていない。

「レオン……いるの……?」

小声で呟き、オフェリアは端末から囚人リストを検索しようと試みる。だが、ネットワーク回線の大半が遮断され、ここから直接アクセスするのは難しい。やはり実際に扉を一つ一つ確認していくしかないのか。
それでも幸い、ドア自体の電子ロックは同系列のセキュリティのようだ。オフェリアなら短時間で解除ができるはず。だが時間があまりにかかれば、巡回の兵士が来る可能性が高い。この閉鎖空間で捕まれば終わりだ。

「レオンを探す以外の手段は……あっ!」

彼女の瞳が輝く。通路の端に非常用端末が備え付けられているのを見つける。これを使えば、内線ネットワークに直接接続し、被拘束者リストを引き出せるかもしれない。もっとも、パスワードがかかっているだろうが、それでも壁越しにハッキングするよりは現物端末のほうが容易だ。

素早く駆け寄り、端末に手をかざす。オーメルのロゴが浮かぶ画面にログイン画面が出現し、権限確認を求められる。オフェリアは合成音のような呟きでキーを解読し、二重三重のプロトコルを突破していった。

「いける……。あと2秒で完了……!」

暗闇で小さく声を漏らした瞬間、耳を劈くような警報が響く。遠くの廊下の角で赤いライトがくるくると点滅し、スピーカーから厳しい放送が流れてきた。

「警報! セキュリティブロックが不正解除! 周辺警備を強化しろ! 侵入者を排除せよ!」

「くっ……見つかったか。」

迷っている暇はない。オフェリアは端末に最後のハッキングコマンドを打ち込み、ファイルを引き出す。監視カメラ映像や囚人リストが画面に表示され、中央に“レオン・ヴァイスナー——隔離棟B-3”との記述が映し出された。まさにこの区画の奥だ。さらにファイルの日付を見るに、頻繁に医療室と行き来しているらしい。
しかし、警報が鳴り続けるなか、廊下の向こうから兵士の駆け足が聞こえる。時間がない。オフェリアはデータを腕のメモリに転送し、端末をさっと破壊して痕跡を隠すと、一目散に奥の扉へ走った。

「……レオン、今行くわ……!」

自律進化したAIとはいえ、彼女の心は焦りでいっぱいだ。警備兵を相手にする余裕はほとんどない。白兵戦で何人か倒せても、増援が来れば詰み。手足を封じられる前にレオンの独房へ辿り着かなければ意味がない。
猛然と走り出す彼女の背後で、警報がさらに激しく鳴り響き、セキュリティドアが自動的に閉鎖を始める。逃げ道もまた限られた。オフェリアは渾身の力をこめてスライディングし、閉まりかけの扉の隙間をギリギリで潜り抜ける。

着地と同時に膝をつき、細かな火花を散らす摩擦が服の表面を削る。人工皮膚にかすり傷ができるが、彼女に痛覚はわずかしか設定していない。何とか耐えられる。
立ち上がると、目の前には幾つもの鉄扉が並ぶ独房棟。廊下の中央には照明が床を照らしているが、一つ一つは分厚い扉で守られ、それぞれにモニターとロックパネルが備わる。ここが隔離棟B-3……レオンのいる場所だ。

「見つけた……でも、どれだ?」

慌てて近づくが、後方から兵士たちの怒声が近づいている気配がある。もう時間はほとんど残されていない。よく見ると、囚人リストに書かれたIDと同じ番号が扉に刻まれているのを発見した。
しかしそれに近づいた瞬間、通路の向こうから複数の光線が一斉に放たれた。偵察ドローンが先行して射撃を行ったのだ。オフェリアは咄嗟に横へダイブし、床を転がって避ける。背後で壁が削れ、火花とコンクリートの破片が飛び散った。

「……厄介ね。ドローンまで出てきたか。」

四足型の無人兵器が幾つか姿を現し、レーザー照準がこちらを捕捉している。オフェリアは高速で状況を解析し、最短時間で扉を開けるにはどうすればいいか考えた。しかし、すぐに警戒モードに入ったドローンを撃破しなければならないかもしれない。
無人兵器が床を駆け、鋭い爪のようなパーツで突撃してくる。オフェリアは小型サブマシンガンを背部から取り出し、瞬時に複数発射撃してドローンのセンサー部分を撃ち抜く。正確なエイムと電子的補正で、ドローンはやや揺れながら転倒し、火花を散らして停止する。

だが、まだ後ろから複数が来るはずだ。オフェリアは爪痕の残る壁を蹴り、すぐに扉のパネルへアクセスする。こんな大規模な警報が鳴っている以上、ロックを無理やり解除するのは困難を極める。
耳に焼き付くほどのサイレン音が響く中、パネルをハッキングしようとすると、セキュリティが強化されているのか通常以上に時間がかかりそうだ。数秒粘ってみるが、デバイスが赤い警告を表示するばかり。

「……くっ、ハッキング阻止プログラムを適用してるのね。」

焦りで口元が歪む。兵士が迫る足音が目に浮かぶほど近い。ドローンも追加で出てくるだろう。ここで時間を掛ければ取り囲まれて万事休すだ。
そして、意を決した。自分の本来の“人間サイズのネクスト”機能を限定的に解放するしかないと。オフェリアは背中の特殊ユニットを稼働させ、ほんの数秒だけ、自身の“プラズマブレード”を展開可能な状態に切り替える。体内に内蔵された縮小版のプラズマ発生装置だが、パワーは大きい。それを扉のロック部分に叩き込めばこじ開けられる可能性が高い。

「レオン……必ず助けてみせる……!」

ブレードの青白い光が空気を切り裂き、扉の金属を溶断し始める。まるで大きな円弧を描くように一気に加熱するが、オフェリアは一瞬でもミスすれば体温が上昇しすぎてシステムダウンのリスクがある。
それでも今ここで倒れたら何のために来たのか分からない。渾身の力で押し込み、装甲とフレームの隙間を狙ってブレードを走らせる。金属の焼ける臭いと淡い火花の中、扉に大きな痕跡が残る。

「……開け……!」

時間的には数秒だが、オフェリアには永遠にも感じられるほどの集中が必要だった。警報音がますます大きくなり、背後では敵のドローンらしき機影が再び視界の端に映る。もう後がない。
そして、扉のロック部がガクリとずれて大きく衝撃を受けたかと思うと、金属のパネルが内側に落ち込んだ。オフェリアはブレードを収納し、強く扉を押す。重たい金属が軋みながら開き、かすかな隙間を作った。

「やった……!」

荒い息をつきながら扉を引き、やっと中へ滑り込むと、そこには拘束台の上でうずくまる男性の姿があった。髪は少し白髪混じりで、頬にはやつれが見える。それでも骨太な体つきが健在で、彼女が記憶する“レオン・ヴァイスナー”その人。
一気に感情がこみ上げ、オフェリアは駆け寄った。レオンは目を見開き、驚きに言葉を失う。

「お……オフェリア……?」

「レオン! 無事なの? 大丈夫?」

彼は拘束具で手足を固定され、さらに痩せこけたように見える。病衣のような薄い服しか着ておらず、明らかに長期の監禁と検査で衰弱している。オフェリアはその胸に一瞬の安堵を感じつつも、状況が深刻であることに気づき、急いで拘束具を外そうとする。

「まさか、こんな形で……。お前は自由の身じゃなかったのか……?」

レオンは呆然としながらも、オフェリアの姿を確かめるかのように視線を彷徨わせる。以前はAIらしい機械的な部分もあったが、今の彼女はほとんど人間のように見える。でも、この状況下で現れたこと自体が現実味を欠いている。
オフェリアは腕の内蔵ハッキングツールを使い、拘束具のロックを次々と解除する。金属の帯が床に落ち、ようやくレオンが起き上がろうとするが、体に力が入らないのか、よろめいてしまう。彼女は素早く支えて苦笑する。

「私が勝手に進化して、いまは人の姿をしてるの。詳しい話はあと。あなたを助けに来た。さあ、立てる?」

「……ありがとう。助かる……。」

かすれ声で礼を言いながらも、レオンは激しい頭痛と倦怠感に苦しむ。まともに歩けるかどうかも怪しいが、それでもオフェリアがここまで来てくれたなら、このまま廃棄されずに済むかもしれないとの希望が芽生える。

そのとき、部屋の外からドローンの動作音と兵士の足音が追い迫るのが聞こえた。突入まで何秒あるだろうか。オフェリアは唇を結ぶ。

「レオン、逃げましょう。私が先導する。脚は……歩ける? 腕を貸すわ。」

「お、おう……すまないな……。」

彼女に肩を支えられながら、レオンは一歩ずつ扉へ向かう。外で待ち構えているのがどう考えても複数の武装兵とドローンだが、ここに留まれば再び拘束されるだけ。逃げるしかない。
しかし、オフェリアも理解している。二人とも戦闘が長引けば勝ち目は薄い。彼がネクストに乗れれば話は別だが、それはこの施設の奥か、あるいは既に解体されたヴァルザードを取り戻す必要がある。無理は承知だが、一旦脱出して体勢を整えたい。

「こっちよ……。ダクトを通れば少しは被害を減らせるかも。」

「ダクト……俺の身体で入るにはきついかもしれんが、仕方ない……。」

互いに息を合わせて廊下へ飛び出す。そこにはすぐドローンが数台迎撃態勢をとっており、低い羽音のようなモーター音を響かせる。オフェリアは床を蹴り、レオンをかばうように立ちはだかる。

「伏せて!」

一瞬でサブマシンガンを引き抜き、ドローンのセンサー部分を正確に撃ち抜く。弾丸が金属を貫き、スパークを上げながらドローンが倒れる。さらに側面からもう一台が音を立てて襲いかかるが、こちらも二発で沈黙する。彼女の射撃能力はネクスト戦にも対応できるほど高精度で、既存の警備兵器相手なら相性がいい。

「すごいな……。お前、本当に人型AIになったんだな……。」

レオンは驚きを隠せずに呟く。まさかここまで人間離れした機動と火力で対処できるとは思っていなかった。オフェリアは短く振り返り、「説明は後よ、急いで」と促す。
だが、背後から兵士たちがライフルを持って駆け込んでくる音がした。彼らはドローンが倒れたのを見て、一斉に警戒態勢に入る。

「そこまでだ! 動くな、撃つぞ!」

反射的に放たれた数発の弾丸が金属壁を砕き、破片を飛び散らす。オフェリアはレオンを抱えるように側方へダッシュし、かろうじて弾道を避けたが、弾丸の一つが彼女の肩をかすめた。スパークが走り、一瞬衝撃で体がブレる。

「っ……大丈夫、まだ動ける……!」

人工的なボディといえど、被弾すれば損傷は免れない。が、致命的ではないようだ。オフェリアは電流がビリビリと走る感覚をこらえ、兵士たちが再装填する前に廊下の突き当たりのドアへ急ぐ。
その瞬間、天井スピーカーからいっそう大音量の警報が響き渡った。施設全体が厳戒態勢に入り、ドアロックやゲートを一気に閉鎖していく様子がうかがえる。このままでは完全に行き場がなくなる。

「オフェリア、このままじゃ……。」

「分かってる。でも、ここで諦めるわけにいかない……!」

彼女はドアパネルへ手を伸ばし、再び強引にハッキングを試みる。セキュリティが厳重になった今、一瞬で解除するのは至難の業だが、やらなければ追い詰められる。レオンはほとんど動けないが、せめて周囲の様子を見回し、兵士が弾を撃ち込むタイミングを予測しようと懸命になる。
銃撃が壁を抉り、距離を詰めてくる兵士たちの姿がちらりと見えた。もう数秒もしないうちに、彼らは大人数で一斉射撃を行うだろう。人型AIの身体や弱ったレオンでは防ぎきれない。

「……間に合え……!」

オフェリアは血を吐くような気持ちで電子キーを乱打し、最後のセキュリティ層を突破しかける。しかし既にドアのモーターがロックを硬め、開く気配が薄い。周囲にドローンの残骸が散らばり、煙が充満する中、兵士の叫び声が聞こえた。

「撃てえぇ!」

弾幕が廊下を埋め尽くした。オフェリアはレオンに覆いかぶさるように抱えて床へ転がり、一部の弾丸が彼女の背をかすめる。背部装甲が弾かれ、内部で火花が散る。レオンも肩をかばっているが、彼女ほどの防御機能はないので青ざめる思いだ。
銃声が一度切れた瞬間にもう一度ドアパネルを操作しようとするが、再び射撃が始まる。何発かの弾が周囲の配線やパネルに当たり、ショートが起きる。火花がはじけ、警告音がさらに騒がしく響く。

「もう……ダメ、なのか……。」

レオンがうめく。彼を抱えたオフェリアの瞳には必死の焦りがある。逃げられないなら、ここで終わるしかないのか。自分がいくら進化したAIとはいえ、この状況で戦闘に勝ち抜くのは不可能に近い。
思わず口を噛みしめたそのとき、廊下の奥で強烈な爆発が起き、煙と衝撃波が兵士たちを呑み込んだ。何が起きたのか、オフェリアもレオンも一瞬わからず、警戒態勢を解けずにいる。
やがて煙の中から大柄な装備を施した何者かが姿を現す。人間か、AC用の小型スーツか。それとも別のAIか。視界が定まらない中、オフェリアはレオンの腕をさらに引き寄せ、いつでも反撃できるように身構える。

しかし、現れた人影は彼らを撃つどころか、散らばる兵士を蹴散らし、ついでにドローンの残骸を踏み砕くように歩んでくる。その力強さからして、普通の兵士とは思えない。黒いコートの裾を揺らし、顔周りはヘルメットとゴーグルで覆っている。
その人物は荒い息で叫んだ。

「おい、逃げるなら今だ! さっさと走れ! こっちが時間を稼ぐ!」

一瞬、オフェリアは困惑して視線を交差させる。味方なのか? 兵士たちの一部が姿を立て直そうとするが、この黒コートの人物は迷わずグレネードを投げ込み、再び爆発で足止めする。
どうやら意図ははっきりしている——オフェリアとレオンを逃がすために動いているのか。

「あなたは……?」

彼女が戸惑いながら問うと、相手は振り向かず、銃床を片手に兵士を殴り倒しながら答えた。

「名乗ってる暇はない! 行け! 後で聞けばいいだろう!」

迷いを振り払うように、オフェリアはレオンを支え直し、通路の脇へ飛び込んだ。たった今まで開けようとしていたドアパネルは壊れかけているが、黒コートの人物の攻撃で壁の一部が崩れ、裏側へ抜けられそうな穴が開いていた。そこを使えば先へ進めるかもしれない。

「レオン、しっかり掴まって……!」

「わ、わかった……。」

精一杯の声を出して応じるレオンは、虚ろな意識で必死に地面を踏みしめる。オフェリアは彼を抱えるように穴をくぐり、そこに伸びるメンテナンス用通路へ移動した。
穴の先には小型のエレベーターユニットがある。施設全体の安全装置が作動しているため動かないかもしれないが、オフェリアがここにハッキングを仕掛ければ、あるいは下層か上層に移動が可能だ。
後方で黒コートが兵士たちを相手に白兵戦を展開しているらしく、無数の銃声と衝突音が重なり合う。兵士の絶叫が聞こえるたび、凄まじい衝撃が壁を伝ってきた。一体何者なのか。少し気になるが、今は自分たちが逃げ延びるほうが先決だ。

「ぐっ……足が……もう動かねえ……。」

レオンの言葉に、オフェリアは「任せて」と静かに囁く。彼女の右腕が一瞬だけ変形し、かつてネクストのサーボを備えたような人工筋肉が盛り上がる。
そのまま彼を抱きかかえ、ほぼ全身の力で引きずるようにエレベーターユニットへ向かう。制御パネルに掌をかざし、電子ロックを高速で解体する。先ほどまでの経験から、ここでも対策がなされているだろうと予想されたが、意外にも短時間で解除に成功。

「このユニットは……地上へ繋がってる? それとも別のフロア?」

高速でファイルをスキャンするオフェリア。どうやらクレイドル内部の裏通路や整備区画へ通じるようだ。そこから外へ抜ける道はあるかもしれないが、出口まで辿り着ける保証はない。
それでも、ここで立ち止まれば兵士に囲まれて終わるだけ。オフェリアはレオンの肩を抱えたままエレベーターに乗り込み、ドアを閉めた。パネルを操作し、可能な限り遠いフロアを選択する。

「レオン、もう少し……頑張って……。」

「お前こそ……大丈夫か。さっき被弾したじゃないか……。」

「わたしなら、多少の損傷は大丈夫よ。あなたほど繊細じゃないから。」

小さな微笑みを交わしながら、二人は重い呼吸をつく。エレベーターが低い振動を伴って動き始めたが、セキュリティシステムがいつシャットダウンをかけるかも分からない。その一瞬一瞬に神経を尖らせる。
やがて、ドアの上部にあるインジケータがカチリと変わり、エレベーターが止まろうとしている。オフェリアが再び警戒態勢を取り、レオンを抱える体勢を少し締め直す。「何が待ち受けていても、せめて脱出ルートを探さないと。」

ドアが開く。そこは配管が無数に走る整備区画のようなスペースで、明らかに研究棟からは離れている雰囲気だ。かといって、警備がゼロとは思えない。
オフェリアが慎重に周囲を確認し、レオンを担ぎながら静かに足を進める。ちょうど地上とクレイドルを繋ぐエネルギー施設があるフロアかもしれない。大きな配電パネルやパイプラインが屈折している。兵士の巡回が来る前に隠れる場所を見つけたいが、レオンの身体が完全に限界に近づいているのは明らかだった。

「座って……ちょっと休もう。」

オフェリアは壁際に彼を下ろし、自分のボディをチェック。被弾した肩部から機能抑制のノイズが微かに走り、動作がほんの少し重くなっている。これ以上戦闘を続けるならリスクが大きい。
しかし、たとえ休憩を取っても追手がすぐにやってくる可能性がある。内心で葛藤しながら、彼女はレオンの顔を覗き込む。彼の目は半ば閉じかけているが、まだ意識はある。

「……あなた、あとどれくらい動けそう?」

「正直……きつい。こんなボロボロで、よくここまで……って感じだ。」

重い声が戻ってくる。彼は視線をまっすぐ彼女に向け、微かに笑う。

「でも、お前が来てくれたおかげで、俺は死なずにすんだ。ありがとう……オフェリア。」

「そんな、当たり前だもの……あなたを見捨てるわけないでしょう。」

オフェリアは感情を込めた口調で答え、レオンの手を握る。AIとして生まれたが、今や人間に近い感情を持つ彼女には、これが当たり前の行為に感じられる。レオンの「創造主」としての役割は逆転しており、今の彼女は「守護する子ども」でもあるのだ。
すると、遠くの配管の裏で「かすかな足音」が聞こえた。彼女は素早くレオンを抱え込み、配管の陰へ隠れるように身を潜める。やがて現れたのは小隊規模の兵士たち。どうやらここのセキュリティを強化するよう指令を受けたのか、辺りを探し回っている。

「……いないな。どうやら移動したか。」
「最高警戒態勢だとよ。何が起きてるんだか。」
「まあ、すぐに見つけて始末してやるさ。」

交わされる声が遠ざかると、オフェリアは安堵の吐息を漏らす。だが、いつまでもこんな風に隠れ続けるのは不可能だ。しかもレオンの体力が限界で、長距離移動は望めない。早急に他の手段を考えなければ。
ふと、彼女の視界に大型の搬送リフトらしき装置が入った。クレイドルと地上を物資輸送するラインの一部かもしれない。セキュリティが厳しいはずだが、もし使えれば一気に下層に移動でき、地上へ降りられるかもしれない。地上は汚染が酷いが、レオンを“企業の檻”から引き離すにはそれしか手段が思いつかない。

「見て、あれ……搬送ルートのリフト。あれに乗れば、地上へ帰れるかもしれない。」

「地上……そうか。地上も荒れ果ててるが、少なくともここよりは自由がある……。」

力ない笑みを浮かべるレオンに、オフェリアは決意を固める。地上だって安全というわけではないが、クレイドル内よりはオーメルの手が及びにくい。生き延びる可能性がまだ残されている。

「動けるなら、行きましょう。ここに留まれば終わりだもの……。私が道を開くわ。」

「わかった……頼む。」

互いに声をかけあい、オフェリアは再びレオンを支え起こす。だが、その瞬間、頭上で警戒音が一気に高鳴った。天井から監視カメラがせり出し、赤いライトが二人を捕捉したのだ。
慌てて銃を撃ち込みカメラを破壊したが、時すでに遅し。施設の各所でアラームが鳴り、厳戒モードが強制的に更新される。兵士の増援と無人ドローンがまとまってやって来るのは時間の問題。

「まずい……急ごう、レオン!」

「おう……ああ……っ!」

痛みに耐えながら頷く彼。オフェリアは加速のためにブースターを噴かせるなどの大技はできないが、機械的な脚力を活かして走る。レオンを半ば抱きかかえているとはいえ、彼女の脚力は人間のそれを超えており、猛ダッシュで廊下を駆け抜けられる。
施設が震動する。遠くで爆発のような音が続き、オーメルの警備隊が火器を展開しているらしい。あるいは先ほど黒コートの人物が仕掛けているのかもしれない。状況は混沌を極めており、これ以上長引けば挟み撃ちで詰む可能性が高い。

「あと少し……あの搬送ルートへ……!」

視線の先に巨大なシャッタードアが見える。そこが通路の端、リフト搭乗口と思しきスペース。警報が鳴り響く中、オフェリアは最後の力でレオンを支え、扉の前に飛び込む。やはり電子ロックが掛かっているが、ここは大型搬入口のためパネルも大きく、数ステップの解除で開く可能性がある。

「悪いけど、今度は一撃で開けさせてもらうわ。」

先ほど使ったプラズマブレードを再び展開するのはリスクがあるが、時間がない。ハッキングに数十秒もかければ後ろから兵士が殺到する。オフェリアは迷わず腕を変形させ、扉の制御部にブレードを振り下ろす。

金属を溶かす高熱がドアのロック基部を破壊し、回路がショートして火花が飛び散る。ドアが悲鳴を上げるように軋み、半開きの状態で止まった。そこを押し開いて中へ飛び込むと、巨大な搬送用リフトが見える。下部は遥か地上まで続く昇降路になっているらしく、足元を覗けば暗闇が続いている。

「これなら下まで行けるはず……!」

オフェリアはリフトの制御パネルにアクセスを試みるが、先ほどの衝撃でシステムが不安定になっている。画面が暗転し、エラー音が鳴り響く。

「だめ……制御が落ちてる。このままじゃリフトを下ろせない。」

「そんな……ここまで来て……。」

レオンが肩を落としかけたとき、無慈悲な足音が後方で響き渡る。兵士たちが追いついたのだ。複数の銃口が二人に向けられ、威圧的な声がこだまする。

「ここまでだ、侵入者! 動くな、手を上げろ!」

何人もの兵士が散開し、手榴弾や電撃武器も構える。オフェリアは迷った末、レオンを守りきれないと判断して両腕を広げる形をとった。銃撃を受けたら終わりだ。
しかし、その瞬間、黒コートの人物が再び猛スピードで現れ、兵士の背後から突撃してくる。閃光とともに手榴弾が転がり、爆発が兵士たちを覆う。さらに凄まじい近接格闘で数人を一気に昏倒させる姿に、オフェリアもレオンも言葉を失う。

「急げ! こっちは長くはもたん!」

男は背中越しに怒鳴り、再度火器を手に敵を薙ぎ倒す。ドア付近が炎と煙で包まれ、視界が乱れる。今がチャンスと思い、オフェリアはリフトの下部構造を覗いた。そこには非常用のハシゴがあり、どうにか人間が降下できる通路になっている。

「レオン……飛ぶしかないわよ。」

「は、ハシゴ……? この身体でどこまで……」

「やるしかないの!」

焦りに燃える声で彼を抱え、ハシゴへ足をかける。急な下り斜面に等しく、足場は極めて危険だが、ここで留まれば企業兵に捕まるのは必至。背後では爆発音が止まず、黒コートの人物が必死に食い止めてくれているようだ。
二人はハシゴを伝い、一歩ずつ暗闇へと足を踏み入れる。オフェリアがAIなら高所のバランスも保ちやすいが、レオンは負傷と衰弱でほとんど力が出ない。何度も滑落しかけながら、オフェリアが彼を抱えて懸命に降りていく。

やがて遠く上方で再び爆発が起き、シャッターが閉じるような音がした。もはや黒コートの人物と兵士たちの乱戦がどうなったか分からない。二人を追う道は遮断され、上部からくぐもった衝撃音だけが響く。
暗闇の昇降路に差し込む微かな光を頼りに、どこまで降りれば地上に通じるのかも定かではない。酸素が薄く、レオンの呼吸が荒くなる。オフェリアは自分の人工肺で酸素を循環できるが、人間の彼には限界がある。

「もう少し、頑張って……! あなたなら行ける……!」

「オフェリア……すまん……俺がもっと……強ければ……。」

弱々しい彼の声にオフェリアは歯を食いしばる。地上の汚染空気はひどいが、少なくとも企業の鎖からは解放されるかもしれない。そう願いつつ、暗闇を一歩一歩下り続ける。血と機械の匂いが混ざり合うこの急場が、唯一の救いの道となった。

クレイドルの檻を破る試みは成功するかどうか、まだ先はわからない。だが、オフェリアは信じている。彼女が人間の姿をとった理由こそ、レオンを守るためにある。例え自身が破損しようとも、この道の果てで光が見えると信じたい——それがオフェリアの意思だ。

暗いハシゴをひたすら降りながら、二人の影は遠ざかっていく。背後で鳴り響く警報や爆発音がいつまでも耳に刺さるが、先にあるのは地上か、それとも別の檻か。
それでも彼女はレオンに声を掛け続ける。「大丈夫、あと少し……一緒に……。」その言葉に微かな力を得たレオンが肩を震わせながら「……ああ……」と返す。地上への険しい道は始まったばかりだが、この瞬間だけは彼らの逃亡が確かに成功するかのような小さな希望を感じさせた。

クレイドルの壁裏に響く足音はさらに下層へと続く。上空ではオーメルの警備隊が警報とともに忙しく動いているが、二人の姿はもう見えない。檻を破るためのささやかな挑戦は、まだ結末を迎えていない。しかし、オフェリアの潜入は確かに功を奏し、レオンを自由へと連れ出す可能性が残された。
後は、彼らがどこまで地上の闇を歩み、再び企業の魔手から逃れられるのか。その行方を示すのは、オフェリアの自己進化による技術と、レオンが失いかけていた意志の炎だ。クレイドルの檻が開き始める一幕の終わりに、まだ大きな波乱の予感が待っているようだった。

いいなと思ったら応援しよう!