再観測:ゼーゲとネツァフ:Episode 6-3
Episode 6-3:反対派との仮契約
リセット兵器ネツァフの暴走が止まり、数時間が経過していた。ネツァフのコアに逆融合して停止コードを打ち込んだセラは、そのショックで意識を失っていたが、幸い命は無事だった。彼女は基地内の医療棟の一室で安静にされている。
薄暗い照明の中、セラはまぶたをゆっくりと開く。鼻腔に薬品と消毒液の匂いが広がり、ベッドに横たわる自分の身体を認識する。ぼんやりした頭で天井を見つめると、すぐ隣の椅子に座っていたカイが気づき、駆け寄ってくる。
「セラ、目が覚めた……! 大丈夫?」
その声音には安堵と焦燥が入り混じり、表情は険しいままだ。セラは喉がカラカラで言葉にならず、かすれ声で答える。
「……私……生きてるんだね……」
カイは頷き、手を軽く握り返す。「あんな無茶をして……よく助かったよ。医師の話じゃ、脳や神経に大きなダメージはなく、数日休めば動けるようになるって……」
セラは薄く笑って、まぶたを閉じる。まだ身体が熱を帯びているようで、神経の奥が焼けるように痛むが、命の鼓動を感じられるだけで十分だ。ネツァフの過剰な破壊衝動から世界を救うために自分がやった行動が、少なくとも無駄ではなかったのだと信じたい。
「ネツァフは……今どうなってるの……?」
カイは唇を噛み、「今は停止している。コアに深刻なダメージがあるらしく、完全な修復は難しいかもしれない。少なくとも“痛みなくリセット”なんて状態じゃない……。それどころか、強行派の計画はもう破綻だろうね」と述べる。
セラは胸を撫で下ろす一方で、(ではリセットの脅威は去ったのか?)という疑問を抱く。カイはそれを察したかのように苦い表情で続ける。
「……だけど、世界が救われたわけでもない。街はまだ混乱してるし、反対派も戦闘を継続している。ヴァルター様の真意もわからないまま、強行派と懐疑派の内紛だけ残ってしまって……」
外では銃声や爆発こそ小康状態だが、未だに燻っている争いがありありと感じられる。セラは唇を引き結び、「私……まだやることがあるね」とつぶやいて眼差しを強くする。
セラが起きてしばらくすると、マキが慌ただしく病室を訪れる。彼女は息を切らしながら、「セラ、カイ……ドミニクがあなたたちに会いたいそうよ。さっき連絡があったの……」と伝える。セラはベッドを支えに上体を起こし、首をかしげる。
「ドミニク……反対派のリーダーが、またここへ来るの……?」
マキは困惑を隠せない表情で続ける。「どうも“仮契約”を提案しているらしい。リセット兵器ネツァフが事実上使えなくなった今、リセット派は弱体化しているから、反対派としては有利に交渉を進めたいんだと思う。でも、ドミニクは血を流すだけの足掻きを避けたいのかも……」
カイは眉を寄せる。「仮契約、ね……。どうやって会うつもりなんだ? 彼らは基地の外にいるし、互いに深く憎悪しているはずだろう」
マキは頷き、「なんでも、ドミニクが夜に“軍の通路”を使って密かに会いに来るという話。わざわざリスクを負ってまで接触したい。そこでセラたちに協力を頼みたいみたい……」と解説する。
セラは目を伏せ、(ドミニクはリセットを嫌い、ネツァフを憎んでいた。しかし、この混乱を収めるには反対派との衝突だけでは何も生まれない……)と思い返す。レナの姿が脳裏をよぎる。レナも今、反対派の一員だったのに、ここで療養している事実。それをドミニクはどう捉えているのだろうか。
「わかった……会ってみるしかない。ネツァフは事実上封じられてるし、私たちが話をしないと戦いは終わらない……」
そう決意を述べると、マキは「大丈夫? まだ体を休めたほうが……」と心配する。セラは痛みをこらえるように表情をゆがめながらも、頷いた。
「何度でも言うけど、私は足掻きたいんだ。レナさんも、ドミニクさんも、きっと納得いく方法を探したいはず……。もう、血が流れるのは嫌……」
その夜、リセット派基地の外壁は警戒を強化しているが、内部では強行派と懐疑派の衝突も続き、監視体制にほころびが生まれている。マキの示すルートをたどり、セラとカイは薄暗い兵舎の裏を抜けた。その先にある小さな倉庫が、ドミニクとの密会場所らしい。
「本当にここで……会うのか?」
カイが暗がりを懐中電灯で照らす。倉庫は錆びた扉が半開きになっており、中からかすかに人の気配がする。セラはそっと扉を開け、背筋を伸ばして踏み込む。
内部には何箱かの軍用コンテナが積まれ、その陰に数名の影が佇んでいる。一人は、傷ついた体に包帯を巻いたままのドミニクだ。反対派のリーダーであり、レナのかつての盟友。そして数人の部下が武器を持って警戒している。
「来たか、セラ……」
ドミニクが低い声で呟き、半ば憎しみを含んだ瞳で見やる。その後方で部下たちが唸るように睨むが、ここで銃を乱射すれば自滅だと理解しているのか、動きはない。
セラは深呼吸し、「ドミニク……レナさんは、意識を取り戻したわ。まだ動けないけど……」と口火を切る。するとドミニクの目が僅かに揺れ、「そうか……よかった。あいつが生きてるのは、せめてもの救いだ」と呟く。
部下の一人が怪訝そうに顔を上げるが、ドミニクは無言で手を上げ、それ以上の発言を制止する。
「しかし、だからといって俺がリセット派に下るわけじゃない。お前たち……ネツァフの暴走を止めたそうだが、こっちはリセット派が弱体化した今こそ、一気に崩壊させたいと思ってる。市街地に広がる戦火を治めるには、あんたたちにも協力してもらいたいが……」
ドミニクは探るようにセラを見つめ、カイにも視線を移す。「さて、“仮契約”という話が耳に入ったろう。こっちにも譲れない条件がある」
倉庫の暗がりで、セラとドミニクは距離を置いて対峙するように立つ。カイは後ろでサポートし、ドミニクの部下は物陰でライフルを握ったまま警戒している。まさに一触即発の状況だが、双方にメリットがあると信じているからこそ、ここに集まったのだ。
「まず、仮契約の内容を教えて……」
セラが静かに促すと、ドミニクは唇を歪める。「シンプルだ。俺たち反対派は、リセット派を直接崩壊させるために全力で攻撃を仕掛けるつもりだったが、ネツァフが狂ったと聞いて考えを変えた。リセット派内部にも混乱があるし、今なら話し合いで“足掻き”をしてもいい。だが、いずれレナを返してもらう。エリックも守らせろ……」
セラは予想したように頷き、「わかった……レナさんとエリックさんは、今は医療棟や別のエリアにいる。でも、危険だから無理に連れ出すのはダメ。もし回復したら、二人の意思も尊重したい」と条件を提示する。
ドミニクは静かに聞き、「そこはいい。無理矢理連れ出して死なれても困るからな。俺が求めているのは“安全と確保”だ。あいつらが望むなら、いつでも反対派と共に歩めるように」と続ける。
次にカイが口を挟む。「では、反対派はリセット派と休戦する形を取るんだね? 市街地の衝突を収め、さらなる血を避ける……そのために協力してくれる、と?」
ドミニクは眉を寄せる。「……まあ、表面的にはな。俺たちは今、街を荒らしてる無法者や盗賊とも戦っている。そこにお前らが加われば、秩序を取り戻せるかもしれない。それが“仮契約”の目的だ……俺たちももう無駄に血を流したくないんだよ」
セラの胸が痛む。ドミニクがここまで言うのは、もはやリセットに対抗するための手段として戦いを継続するだけでなく、実際に街を破壊する戦争を続けることへの疲労や限界を感じている証拠でもある。
「わかった……私たちがリセット派内部の強行派を抑えこめれば、あなたたちも攻撃をやめてくれるのね。市民を守るために一緒に動こう……」とセラは答える。
しかし、ドミニクの表情は険しいままだ。「言っておくが、これはあくまで“仮契約”だ。俺たちはリセット派を信用しちゃいない。お前らが裏切れば、すぐにでも攻勢をかける。逆にお前らが誠意を見せれば、俺たちも手を引く……」
セラは力強く頷き、「わかってる……私たちも、強行派を許すつもりはない。レナさんが少し回復したら、あなたとも協力して、街を元の姿に戻せたら……」と述べる。
するとドミニクがキッと目を向け、「甘いな……“元の姿”なんてものはもう存在しないんだ。世界はリセットや戦乱に疲弊して、見る影もない。それでもお前は足掻くのか……?」
セラは胸をえぐられるような痛みを覚えながらも、はっきりと答える。「うん、足掻くよ。レナさんにも教わったし、私はそれを捨てるわけにはいかないから。あなたも足掻いてるでしょう? リセットが嫌だっていう思いは私と同じはず……」
ドミニクは黙って唇を噛む。部下たちが落ち着かない様子で周囲を警戒する中、彼は小さく呟く。「……ああ、俺だって足掻いているつもりさ。レナの気持ちを背負ってるしな。いいだろう、お前と“仮契約”を交わしてやる。まず、街の暴力を収束させるために協力する。だが、忘れるな。俺たちはいつでも“本契約”を破って再戦できるってことを……」
セラは微笑んで「わかった。私はあなたを裏切る気はないよ。……でも、強行派やヴァルター様がどう動くかは、まだわからない」と本音を零す。
ドミニクは鼻を鳴らして「ヴァルターか……あいつが最後に何を考えているのか、俺には想像もつかない。早く決着をつけないと、またネツァフが動き出すかもしれない」と呟く。彼もまたネツァフの恐ろしさを身に染みて理解しているのだろう。
会合は一応の合意で終わりかけた。そのとき、倉庫の入り口でマキが慌てた足取りで戻ってくる。彼女は顔を真っ青にして息を切らしている。「セラ、カイ……大変よ。エリックさんが……失踪したって……!」
セラの目が見開かれる。「失踪……? どういうこと?」
マキが苦しげに言葉を続ける。「医療棟で療養していたはずなのに、夜中にいなくなったそうなの。看護師や警備兵が目を離してる数十分で消えたらしい。何者かが連れ出したのか、本人が逃げたのか、わからない……」
カイは即座に「強行派か、反対派か、あるいは別の第三勢力か……いずれにせよ、彼はもともと“リセット承認を拒んだ代表”として狙われていた。家族の居場所も曖昧なままだし……まずいね」と真剣な表情をする。
ドミニクはそれを聞いて低く唸る。「エリックか……奴は家族を守るためリセットを拒んだ男。もし強行派が奴を拉致してリセット承認を強要しようとしているなら危険だし、逆にエリックが自ら家族を探しに出た可能性もある……」
セラの胸が苦しくなる。エリックはかつて家族を守るためリセットを拒み、世界をこんな状況へ追い込んだとも言われるが、それでも彼は足掻いていた。今も“仮契約”の成功にはエリックが必要になるかもしれないのに、居なくなってしまったら交渉が空振りに終わる可能性が大きい。
ドミニクは思案の末、セラへ向き直る。「おい、セラ……さっきの“仮契約”だが、すぐに動き出そう。街の混乱を抑え、強行派を牽制し、エリックも探す。お前らがリセット派内部で頑張るなら、俺たちも外部から支援する。血は極力流さない……これが条件だ」
セラは喉を鳴らして神妙に頷く。「わかった……ありがとう。私たちも同じ目標だよ。エリックさんを守り、レナさんを守り、ネツァフを封じ続ける……」
ドミニクは半ば不満げに顔を背けるが、最後に短く言う。「俺がいうのも変だが、足掻いてくれ。レナを寝取られたままじゃ、俺も顔向けできないからな……」
その言葉には、苦い諦めとわずかな期待が混ざっている。反対派との仮契約はこうして成立した。
セラはホッと息をつきながら、ドミニクの厳しい表情に答えるようにうなずく。「うん……絶対に、世界を壊さない方法を見つける。リセットも、暴走も、もういらない……」
ドミニクの部下が不承不承ながら武器を下ろす。カイが「なら、まずエリックを探すのが先かな? それか、強行派がエリックを使って何かする恐れもあるから……」と提案すると、ドミニクは唸って首を縦に振る。「そうだな。俺たちも手を回して捜索する。家族がいるなら、そっちの手がかりも追うぞ」
夜が明けきる前、ドミニクたちは再び闇に紛れて倉庫を出て行き、基地の外へ戻った。セラとカイは残り、倉庫の扉をそっと閉じてほっと肩を下ろす。
マキは端末を操作しながら苦々しい顔で言う。「リセット派での内戦はまだ止まってないし、街も治安崩壊寸前。反対派と“仮契約”を交わしても、いつ裏切られるかわからない……」
セラは俯きながらも口を開く。「それでもいい。今はこれしかないんだよ……私たちが強行派を抑えて、ドミニクが無法者や盗賊を取り締まれば、少しは状況が良くなるはず……」
倉庫の外に出ると、遠方でサイレンの音が響き、何かしらの衝突が起きているのがわかる。市街地の光景は、まだ炎や煙があちこちで上がり、住民が右往左往しているという情報が舞い込んでいた。
カイが不安げに顔を上げる。「ネツァフを無理矢理使おうとする強行派が出てくる可能性もあるし、何よりヴァルターが何を考えているかわからない……。反対派との同盟で、果たして足りるのか……」
セラは唇を噛むが、レナとエリックを思い出し、わずかに希望を感じる。「私は信じたい……。ドミニクも、レナさんを救いたい気持ちは本物。エリックさんだって家族を探すために足掻いてる。なら、一度はみんなで協力しあえるはず……」
深夜から早朝へ移り変わるころ、セラとカイに今度は「ヴァルター様が会いたがっている」という知らせが届く。懐疑派の将校からの伝言で、「早朝に司令棟の特別室へ来い」と言われているのだ。
セラは胸が騒ぎ、カイと顔を見合わせる。「ヴァルター様って、ずっと姿を現さなかったのに……いきなり何の話を?」
カイは苦笑混じりに肩をすくめる。「あまりいい予感はしないけど、行くしかないかな。強行派を完全に抑えられる権限を持っているのはヴァルター様だけだし……もしかしたら新たな指針が示されるかもしれない」
(ネツァフの暴走が抑えられた今、ヴァルターが何をするのか――強行派を切り捨てるのか、それとも別の形でリセット計画を継続するつもりなのか?)考えれば考えるほど不安が増す。しかし、セラにはヴァルターとの対話を避ける選択肢はない。
朝の薄曇りの空が基地を覆う中、セラとカイは司令棟へ向かう。厳重な警備を抜け、階段を上ると、そこにヴァルターが待ち受けていた。50代半ばほどの落ち着いた男性で、リセット派の最高指導者。以前会ったときよりやつれた印象はあるが、その眼光は鋭いままだ。
特別室は質素なテーブルと数脚の椅子だけで、護衛や将校も最小限しかいない。強行派の兵士が外で待機しているため、室内にはほとんど人物がおらず、静まり返っている。
「……セラ、カイ……来たか」
ヴァルターが静かに言い放ち、手振りで椅子を示す。セラは緊張しながら腰を下ろし、カイがその隣に座る。ヴァルターの前で直に会うのは久々だが、空気に重い圧がある。
「まずは……ネツァフを止めてくれたことを礼を言うべきか。あれが完全に暴走していれば、ここだけでなく市街地も壊滅しただろう。……だが」
彼は一拍置き、視線を鋭くする。「リセットという選択肢が事実上、失われた今……人類は再び、自力で足掻く苦痛な道を進まなければならない。私はそれを“救い”とは思えないがね」
セラは胸が痛むが、毅然とした声で返す。「リセットが無理だとしても、世界が壊れるよりずっといい。私やカイ、レナさんも、みんなで足掻けるなら……」
ヴァルターはそっと目を伏せ、「愚かな夢だ。足掻きがいずれ生むのはさらなる戦争かもしれない。私が“痛みなく消す”計画を推し進めようとしたのは、人間同士の足掻きが無意味だと悟ったからだが……」と、かすかな嘆息を漏らす。
「それでも……あなたは諦めない? リセットができない以上、もう強行派を抑えるしかないでしょう?」
セラが問いかける。するとヴァルターは苦い微笑を浮かべ、「ああ、彼らには退いてもらう必要がある。私も無駄な戦いは好まない。ネツァフが破綻した今、新たな手段を模索する時が来た……」と呟く。
セラは心の奥で嫌な予感がする。「新たな手段って……まさかまた何か破壊兵器を?」と問いただすと、ヴァルターはまぶたを伏せて首を横に振る。
「いいや、私はそこまで狂ってはいない。リセットが無理なら、別の形で“世界をリセット”に近い効果を得られないか探るだけだ。……例えば、大規模な生体移民や精神の統合といった分野を、かつての研究で検討したこともある」
「精神の統合……?」
カイが目を見開き、かつてネツァフ開発と並行して研究されたという噂の「精神エネルギー固定化」の話を思い出す。もしそれが実現すれば、肉体を捨てて新たな形で人類を再構築する、などというSFじみたプランもあり得るのだ。
しかし、ヴァルターは苦笑して言葉を続ける。「まあ、実現には長い年月が要るし、今すぐできるわけでもない。私はただ、足掻きという苦痛の中に沈む世界を見ていられないだけだ。……セラ、君はその足掻きを尊いと思うんだろう? なら、今は自由にしてやるよ。私が敗北した形かもしれないが、君が望むなら、市街地の鎮圧や強行派の排除を任せて構わない」
セラは唖然とする。「任せて構わないって……あなたはどう動くの?」
ヴァルターは瞳に疲労の色を宿したまま微笑む。「私はしばし静観する。君たちが足掻く道を見守る形にしよう。ドミニクと“仮契約”を結んだそうだね? それもいいだろう。私はもう一度、世界の流れを見極めたい……」
その言葉には、希望というよりも諦観が混じり、セラは複雑な思いを抱く。(ヴァルター様はリセットを断念したの? それとも新しい形でまた私たちを試しているの……?)
ヴァルターの意向により、強行派が一時的に後退したことで、市街地への衝突は減少した。そこでセラたちは「仮契約」に基づいて、ドミニクら反対派とリセット派懐疑派が合同で市街地を回り、無法者を鎮圧して秩序を取り戻す試みを始める。
もちろん強行派や無法者が完全に排除されたわけではないが、両勢力の合作という前代未聞の布陣で、市民への暴力を抑えるには大きな効果があった。
ある夕暮れ、セラとカイ、マキは反対派の拠点が設置された旧市街のビルに赴き、ドミニクとの合同会談に臨む。ビルの上階は砲撃を受けて半壊しているが、彼らはそこを改修して“暫定指令室”として利用している。
「来たか、セラ……。そっちも人数を集めてくれたか?」
ドミニクが傷を抱えたまま出迎える。部下たちも簡素な地図を広げ、いくつかの地区での暴徒鎮圧状況や物資の分配を検討している。セラの後ろには懐疑派の将校数名と軍の輸送部隊が控えており、一触即発だった両者が同じ場所で言葉を交わしている光景は異様だ。
カイは地図に目を落として「今は西地区で大規模な略奪が起きていると報告がある。反対派とリセット派の混成チームで対応すれば、短時間で制圧できる……」と提案する。ドミニクは頷きながら「あそこは元々スラムに近い地域。住民も武器を持って抵抗するだろうが、手荒な手段は避けたい……」と苦渋を滲ませる。
セラは静かに口を開く。「この街が一度崩壊しかけても、みんなが協力して再建できればいい。そのための“仮契約”でしょう? 私たちも市民を巻き込むのは嫌……最小限の犠牲で済むようにしましょう」
ドミニクは微かに鼻を鳴らしつつ「まったく、お前の理想論には呆れるよ……でも今はそれが必要かもしれない」と嫌味混じりに返す。
翌日から、セラたちは軍の小隊と反対派の部隊を合同で編成し、都市の各地区で暴徒や盗賊を排除する作戦に乗り出す。市民からは恐れと戸惑いの声が上がるが、リセット派と反対派が一緒に警護する姿は、かえって安心感を与える面もあった。
「リセットはもう起きないって本当なの?」「反対派が軍と組んで動くなんて……何が起きてるんだ……?」
住民の疑心暗鬼や混乱が渦巻くが、少なくとも街を荒らす無法者は確実に減っている。雑居ビルや廃工場に潜むギャングを追い出し、人々を殺戮から守る。足掛け数日間の作戦は悲鳴と銃撃に満ちているが、手荒な衝突だけでなく、説得や保護も合わせて行い、犠牲は最小限に抑えられている。
セラ自身は地上部隊の指揮こそ任されていないが、懐疑派の将校と共にパトロールを回り、市民への説得や物資配給の呼びかけを行う。「私たちはもうリセットを使わない! だから一緒に生きてほしい……」と街角で訴える姿に、少なからず人々の動揺は和らいでいく。
カイも衛生部隊を指導し、怪我人の処置を積極的に手伝う。反対派兵も合わせて負傷者を避難させる光景が市街地に広がり、(これこそが足掻きの結果かもしれない……)とセラは小さな喜びを感じる。
ある夜、セラたちは作戦の合間に反対派拠点の屋上で風を感じながら休憩を取っていた。下では僅かに残る銃声が響き、街にはまだ不穏な空気が漂う。そんな中でドミニクがやってきて、セラの隣に腰を下ろす。
「……よく動くな、お前は。リセット派のパイロットなのに、こんな低い任務まで……」
ドミニクは苦い笑いを浮かべ、夜空を仰ぐ。セラは視線を外しながらも応じる。「私がやりたいの。戦場にいるときは何もできないけど、こうやって市民を守る仕事は私にこそ必要……足掻きたいから……」
ドミニクは小さく唸る。「足掻き……もう聞き飽きた言葉だ。だが、レナが好きな言い回しだったな。お前はそれを継いでいるのか……」
セラはレナの名を聞き、かすかな微笑みを浮かべる。「そう。レナさんがあのとき教えてくれたの。“戦うだけが足掻きじゃない”って。世界をリセットから救うためにも、私は動いているんだ……」
ドミニクは黙り込み、夜風に押し流されるような静寂があたりを包む。しばらくして彼は「お前が生きててよかったよ。ネツァフを止めたんだってな。まあ、認めるわけじゃないが……レナが信じた相手だけのことはある」と呟く。
セラは胸が温かくなるが、同時に不安がよぎる。「ねえ、ドミニクさん。エリックさんを探すって言ってたでしょう? 家族の手掛かりを掴んだの? あれから何か……」
ドミニクは唇を曲げて首を振る。「いや、まだ何も。俺の部下が調べてるが、リセット派内部でも情報が散らばっててな。家族がどうやら別の地域に避難してる可能性もある……」
セラは軽く息を吐き、「そっか……見つけたいよね、エリックさんの家族を。あの人の承認拒否が世界をここまで揺るがせたけど……本人はただ家族を守りたかっただけなんだから……」と切なげにこぼす。
ドミニクは遠くの街明かりを見つめながら、「家族……か。レナと同じように、あいつにも守りたいものがあったんだろう。しかし、この世の中じゃ守りきるのも難しい。お前が足掻くっていうのなら、それも助けてやれ……」と低く言葉を置く。そのトーンには微かな哀愁が混じっている。
穏やかな夜風に包まれるわずかな時間が終わりを告げる。突如としてビルの内部から兵士の怒鳴り声が聞こえ、「強行派が市街地へ侵入! こちらに向かっている!」という緊急報が走る。
ドミニクは素早く立ち上がり、目を鋭くする。「やはり来たか……連中め、この“仮契約”をぶち壊す気か?」
セラも胸を強打されたような思いで「どうして……まだ懲りないの?」と焦りを露わにする。
下階へ降りると、反対派や懐疑派の隊員が大慌てで準備を始めており、地図上では強行派が南西エリアの検問を突破し、このビル付近へ迫っていることが示されている。
カイが冷ややかな表情で「強行派は、ネツァフを失っても暴力でリセット派を支配する気なのか……?」と吐き捨てる。
ドミニクはライフルを握りしめ、「そうだろうな。奴らはヴァルターすらどうでもよくなっているかもしれない。リセットが不可能になったなら、武力で支配するしかない、という考えに走るんだろう」と憤りを見せる。
やがて街の一角で銃撃と爆発音が激しく鳴り響き、反対派と強行派の激突が始まったらしい報せが相次ぐ。セラたちがビルの一階に降りる頃には、外は真夜中にもかかわらず閃光が走り、建物が砲撃で炎を上げる。
「こんなの……また戦いを繰り返すの……?」
セラが絶望的につぶやく。カイが肩を叩き、「ここで退けば市街地が再び地獄だ。ドミニクと“仮契約”をした以上、僕らも足掻こう。強行派を食い止めるんだ」と力を込める。
ドミニクの部下が「隊長、どうします? 奴らが重火器まで使ってるかもしれない……」と聞くと、ドミニクは険しい表情で「奴らもろとも攻撃するしかないが、セラはどうする?」と振り向く。
セラは少し考え、「私は戦闘よりも住民の避難誘導がしたい。強行派に巻き込まれる人が出ないように、何とか最前線を抑えて……」と提案する。ドミニクは疑問を浮かべるが、「まぁいい。じゃあ俺の部下を数名つけてやる。下手に死ぬなよ……」とだけ言う。
こうしてセラは、カイとともに少数の反対派兵を引き連れて市街地の避難誘導に回る。強行派が侵入した南西エリアから逃げ遅れた住民を救い、安全なルートへ誘導する作業だ。
夜の街には燃え上がる建物や銃撃の残響が反響し、人々は悲鳴と怒号に包まれている。
「こっちです! 急いで!」
セラが大声で呼びかけ、母親に抱かれた幼子がすすで汚れた頬をこすりながら走ってくる。背後では強行派が撃ち合いを行い、弾丸がレンガ壁を抉り飛ばしている。カイが先に立って視線を配り、「撃たれるぞ……伏せて走って!」と指示する。
建物の陰を経由して住民を誘導し、一人でも多く助け出したい。セラは汗まみれになりながら、呼吸を切らして走り回る。こうした“足掻き”が無駄かもしれないと思う瞬間もあるが、それでも人々の命を救えるならと手を差し伸べ続ける。
「足掻いてるね……セラは本当に……」
カイがふと小さく微笑むが、その声をかき消すように近くの建物がドンという爆発で炎を吹き上げる。反対派の兵士が「危ない!」とセラを抱き込み、破片から庇ってくれる。ガラスの破片が舞い、道路が揺れるほどの衝撃。
暗い夜空には黒煙が立ち上がり、瓦礫が散乱する。セラはぐっと堪えて起き上がる。「逃げましょう、ここを抜けて……!」
何とか住民をある程度誘導したあと、セラたちはドミニクが陣取る前線に戻る。そこでは反対派と強行派の戦闘が激しく展開され、街路には複数の装甲車が並ぶ。強行派は数と火力で優位に立っていたが、反対派は地形を活かしてゲリラ的に食い止めているらしい。
「隊長、奴らが中央通りを制圧しようとしてます! あと数分でここも包囲される!」
兵士が報告し、ドミニクが歯を食いしばる。「ちくしょう、こうなるなら……。セラ、何か手がないのか? リセットがダメになった今、お前らに秘策なんてないだろうが……」
セラは苦しい表情で首を振る。「ネツァフは使えない……反対派とリセット派の懐疑派は一応協力してるけど、強行派の火力に対抗する兵力が足りない……」
カイが地図を見て唸る。「それでも反対派や懐疑派が合流すれば、数的には互角かもしれない。問題は……強行派の戦意が尋常ではないこと。彼らは“世界を掌握する”とまで言い出しているとか……」
ドミニクはため息を吐き、「奴ら……リセットがダメなら、自分たちが人類を導く支配者になるつもりか……。こんな茶番に付き合うのも限界だが……」と忌々しそうに顎を撫でる。結局、暴力でしか物事を変えられないと思い込む強行派がいる限り、戦いは続く。
そんな絶望感が漂う中、突如として無線が入り、「リセット派懐疑派の大部隊が街へ到着した!」という知らせが舞い込む。ヴァルターの静観を受けて、懐疑派が主導権を握る形で軍の一部を動かしたという。どうやら、本拠地内で強行派の影響が弱まった影響もあるのかもしれない。
「懐疑派が……ここへ?」
セラは目を見張る。すると遠方の大通りから多数の装甲車や兵士が押し寄せ、反対派と合流して陣形を整え始めた。街路の両脇で銃声が響き、強行派は一気に挟撃される格好となり、混乱に陥る。
ドミニクが呆気に取られたように目を丸くし、「リセット派の一部が味方に回る……これが“仮契約”ってわけか。まさか、こんなに早く動くとは……」と驚嘆する。
カイは通信機で確認し、「どうやらヴァルター様が事実上、強行派を抑える形で懐疑派に指揮権を委譲したみたい。ネツァフも壊れたし、彼にとって強行派は足枷でしかないんだろう……」と推測する。
こうして、反対派とリセット派懐疑派の大規模部隊が共同戦線を張り、強行派の掃討が本格化する。いよいよ激戦がクライマックスを迎え、市街地の通りでは装甲車同士の衝突が繰り返され、ビルの窓から激しい銃撃が行き交う。
凄まじい破壊音と閃光が夜空を切り裂き、数時間の激戦の後、強行派はついに力尽きて降伏の道を選ぶ者が多数出始める。リーダー格の将校たちは捕縛され、一部は逃亡を図るが、反対派と懐疑派の網にかかり、徐々に追い詰められる。
市街地はまた大量の瓦礫と血を浴びたが、かろうじて街ごと焼き払われる最悪の結末は回避された。
朝日の光が差し込む頃、セラは戦いの終わりを実感しながら廃墟の街路を歩く。たった数日で、どれだけ多くの破壊と犠牲が積み重なったのか――それを目の当たりにしながら、しかしリセットもネツァフの暴走も起きなかった事実が、微かな救いになっている。
ドミニクが血に染まったジャケットを脱ぎながら近づいてくる。「……終わったな。強行派は壊滅。ヴァルターがどうするか知らんが、少なくとも俺たちは街で無駄な戦いをする理由がなくなった」
セラは疲労で足が震えながらも微笑む。「よかった……これで市民がまた一歩、平穏に近づける……」
カイが懐疑派の将校らと合流し、「一応、反対派との“仮契約”は成功と言えるね。リセットの脅威は去った。今度は足掻きをどう続けるか……」とつぶやく。
セラはうなずき、(これがゴールではない……レナやエリックを取り戻し、街を再建し、本当の意味で足掻き続ける道を作らなければならない)と心に刻むのであった。