ACFA_NEVER FALLEN LIONHEART:EP2-2
EP2-2:レオンの劣勢と撤退
闇に沈む廃墟の一角から、遠く砲撃の衝撃が幾度となく伝わってくる。砂と瓦礫が混ざり合った地面はその衝撃を受けて微かに振動し、崩れ落ちたビルの外壁が軋む音が夜気に溶け込んでいた。そこは、先ほどまでネクスト同士が激しく剣戟を交わした戦場の近郊。レオン・ヴァイスナーは機体ヴァルザードを操り、何とか生命線を保ちつつ、身を隠すように荒れ果てた路地の奥へと進んでいた。
ヴァルザードは中量級の機体ゆえ、基礎機動力こそ高いが、先ほどの戦闘で装甲のあちこちに深い傷を負っている。脚部フレームには衝撃の跡、肩部装甲にはミサイルの破片が突き刺さって焦げ跡が残っていた。コクピット内の警告ランプは再起動を終えたばかりだというのに、すでに赤く灯り始めている。
「くそ……あと少しで完全にシステムダウンしていたかもしれん。エリカ・ヴァイスナー……思ったより手強かったな。」
ヘルメットのバイザー越しに映し出されるモニターには、自己診断のリストがずらりと並んでいる。耐久値は限界を大きく削られたものの、まだ機体は動く。だが、正面からの大規模な戦闘をもう一度やれといわれれば、到底勝ち目はない状態だった。
AIの無機質な声が、暗いコクピットに響く。 『脚部フレームに深刻な亀裂が確認されました。脚部左右の駆動系パーツが損傷し、一部機能が制限されています。スラスター出力は50%程度に抑えてください。オーバーロードすると、機体がバランスを崩す恐れがあります。』
「分かってる……急ぐときに限って厄介事ばかり。こりゃあ、長居はできないな。」
自嘲するように苦く笑い、レオンは操縦桿を細かく調整する。脚部ブースターをむやみに吹かせば、転倒やさらなる故障を引き起こしかねない。今は暗い瓦礫の街で身を潜めながら、一刻も早く安全なルートを探さなければならなかった。
――先ほど、彼は“娘”を名乗るエリカ・ヴァイスナーのブラッドテンペストと交戦し、かろうじて互角の応酬に持ち込んだ。だが、結論としては圧倒的な物量を控えたオーメル側に分があり、レオンは支援の到着前に脱出を図らざるを得なくなった。
その場を離れたのは正解だった。もしあのまま戦闘を続行していれば、後続のアームズ・フォート部隊が合流してヴァルザードを完全に取り囲んでいたに違いない。結果的に、今こうして生き延びているのは運が良かったというべきだろう。
(エリカ……本当に俺の娘なのか……。いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。)
そう自分に言い聞かせるように唇を噛み、レオンはモニター上のマップを拡大する。ここから北西方向にはまだ企業連合の勢力下にない地域が広がっており、そちらへ出ればしばらくは隠れながら機体を修理できるかもしれない。ただ、そこへ向かう道中が問題だった。オーメルの部隊はすでに路地裏を捜索している可能性が高い。
――瞬間的に、ビルの谷間を駆け抜けるサーチライトがモニターに映る。どうやらアームズ・フォートに随伴する無人偵察機が、上空を飛び回っているらしい。闇夜に差し込む白い光線が鋭く瓦礫の影を照らし出し、位置を特定しようと徘徊していた。もし捕捉されれば、即座に大部隊が押し寄せてくるだろう。
「……まずい。動きが速いな。追撃部隊が来る前に、どうにかこっちから抜けたいところだが……。」
ひび割れたアスファルトを踏みしめながら、ヴァルザードはゆっくりと建物の陰へ滑り込む。機体の巨体を隠すにはやや心もとないスペースだが、少しでも目立たないように姿勢を低くする。AIが低い声で警告するように報告する。
『付近の電波を断続的にスキャンしていますが、オーメル製と思われる多数の無人偵察機が網を張っている模様です。通信チャンネルもほぼブロック状態にあります。こちらから外部へ連絡するのは困難です。』
「チッ……連絡できないってことは、サポートも呼べないし、依頼主への報告も不可能か。最悪だな。」
レオンは苦々しい思いで周囲を見渡すが、当然ながら味方がいるわけもない。この汚染された地上に、彼と同じく企業に属さない勢力がいるとしても、今の状況では大した助けにはならないだろう。
ハッチを開いて白兵戦で隠れてもいいが、ヴァルザードを置き去りにすることになれば、いずれ敵に奪われるか破壊される可能性が高い。彼の戦闘スタイルはあくまでネクストとの連携を前提としている以上、ここをネクストごと脱出するしかなかった。
コクピット内で束の間の沈黙が落ちる。あちこちの装甲が軋む音が止まず、警告音が鳴りやまない。レオンは眉間に深い皺を刻みながら、わずかに目を閉じ、作戦を練る。
(もう一度エリカとやり合うわけにはいかない。今度こそ本当にトドメを刺されるか、あるいは捕らえられるか……。だが、あの娘は俺を殺そうとしているのか、それとも何か別の目的があるのか。)
悩んでも結論は出ない。彼は操縦桿を握り直し、AIに小声で命令した。
「分かった。深く考えてる暇はない。北西方向へ向かう。あまりブースターを吹かしすぎないように注意しながら、偵察機の視界を避けるんだ。小出力のECMを断続的に使ってくれ。バレるかもしれんが、追いつかれるよりマシだ。」
『了解しました。脚部の負担を最小限に抑えつつ、残りのECMエネルギーを散発的に使用します。隠密行動モードを維持。』
一歩、また一歩。ヴァルザードは廃墟の中を忍び足のように進んでいく。ブースターの光は極力抑えられ、機体の外部パネルも暗く沈黙している。それでもネクストの重量感はどうにも消せず、アスファルトが踏み潰されるたびに小さな音が響き、瓦礫が崩れ落ちる音と混ざり合う。
やがて、先ほどよりも開けた道路へ出た。隣には倒壊寸前のビルが傾いでおり、歩道には使い物にならない古い車両の残骸が散らばっている。と、そのビルの窓の一角から、赤外線センサーが捉える小さな光がちらついた。
「ん……人影か?」
レオンは一瞬、民間人か何かかと考えたが、この戦場に民間人がいるとは思えない。様子を探ろうと機体を停め、センサーを拡大する。すると、ビルの影から無骨なライフルを構えた三人の姿が覗いていた。企業の兵士か、あるいは地上の独立傭兵かもしれない。
だが、彼らは躊躇なくヴァルザードに銃口を向け、重火器をぶっ放そうと構える様子が見えた。もしそれが対ネクスト用のランチャーであれば、下手に油断すれば脚部に致命傷を受ける可能性もある。
「こっちはそんな連中とやり合う余裕はないってのに……!」
小さく舌打ちしながら、レオンは咄嗟にECMを局所展開し、相手の照準を狂わせる。ビルの窓から火花が散り、何発かの徹甲弾が飛んでくるが、狙いがずれてアスファルトを穿つに留まった。彼はすかさずスナイパーライフルを構え、電光石火で屋内へ一発撃ち込む。
炸裂音とともに壁の一部が吹き飛び、兵士たちの姿が煙の中に消える。生死はわからないが、少なくともこちらを狙い撃つ余裕は失っただろう。内心、殺意はなかったが、今は仕方がない。無駄に手間取れば、追撃部隊が来て終わりだ。
「悪いがこっちも必死なんだ……邪魔をするなら容赦はできない。」
言い聞かせるように小さく呟き、ヴァルザードを再び前進させる。破損が進む脚部がきしむ音を立てるたび、レオンの神経を逆なでするが、今のところ致命的な動力トラブルには至っていない。
数ブロック先には、高速道路の高架らしきものが崩れかけて横たわっている。その向こうへ出れば、ある程度広い道路が見つかるはずで、そこから北西へ抜けられるかもしれない。そう思って進んだ矢先、再びAIが警告を発する。
『警報。後方よりネクスト級の高速反応を感知。接近速度は中程度ですが、こちらの移動と並行して追跡している模様です。通信チャネルの混線から判断して、オーメル所属の可能性大。』
「またか……! さっきのブラッドテンペストじゃないのか?」
『シルエットが異なる反応を示しています。遠距離から砲撃を仕掛けるタイプの機体か、あるいは軽量級の追撃型ネクストの可能性も考えられます。』
歯ぎしりしながら、レオンはアクセルに相当する操作桿をぐっと押し込み、脚部ブースターを少しだけ噴かした。脚部をいたわらねばならないとはいえ、ここで捕捉されれば戦いが長引く。そうなれば、今度こそ体力も機体も持ちそうにない。
「くそっ、次から次へと……。俺ひとりを捕まえるのに、どれだけ兵力を割いているんだ。まったくご苦労なこった。」
言葉とは裏腹に、内心は焦りでいっぱいだ。もしこのままネクストとの戦闘に突入すれば、今のヴァルザードでは不利すぎる。電子戦や狙撃で一泡吹かせる余地はあれど、脚部が限界で回避機動もままならない状況では、数分も持たないかもしれない。
視界には高架が近づいてくる。巨体のメカが通れるギリギリの高さしか残っていないが、そこを潜り抜ければ何とか隠れられるかもしれない。
「AI、ECMを短時間にもう一度使えるか? 向こうがまだ距離を取っているなら、まとめてノイズで潰したいんだが。」
『エネルギー残量は心許ないですが、一瞬であれば可能です。発動すれば10秒ほどの妨害効果が期待できますが、その後は再チャージが難しくなります。』
「十分だ。その隙に高架の向こうへ逃げこむ。」
レオンはそう決断すると、モニターに映る後方のシルエットを気にしつつ、一気にスロットルを押し込む。機体が限界近くのブーストを噴射し、加速。脚部が悲鳴を上げるが、意外にも持ちこたえた。追撃者も少し遅れて加速し、両者の間合いが狭まっていく。
上空には先ほどの偵察機のサーチライトが照射され、射線がヴァルザードを捉えようとしている。あと少しで完全に捕まる――そんな緊迫感がレオンの呼吸を乱す。
だが、今が勝負どころだ。高架の下へ飛び込む瞬間、彼はECMディスチャージャーのスイッチを叩き込む。ヴァルザードの装甲が展開し、濁流のような電子ノイズが一帯を覆った。
閃光に似た輝きが闇を裂き、偵察機のサーチライトがぶつぶつと点滅して落下していく。追撃してきたネクストらしき反応も一瞬動きが鈍り、照準を乱される。
レオンはその機会を逃さず、高架下を強引に潜り抜けた。瓦礫が崩れる音や鉄骨が軋む嫌な響きが続くが、何とか脆い天井をくぐり切って反対側の路地へ進入する。ほんの数秒の出来事だったが、命運を分けるには十分だった。
「よし……! これで少し距離を稼げる。あのネクストがECMを抜けて追い付く前に、一気に逃げろ……。」
機体を前傾させつつ、できる限りの速度で狭い路地を抜け出す。背後では爆発や破砕音がこだましているが、今のレオンにそれを気にする余裕はない。
脚部が震え、メインフレームから警告音が鳴りっぱなしだ。オーバーロード目前と言っても過言ではない。だが、あと少しで追撃の魔の手から逃れられる――レオンはそう信じて前方へ視線を向ける。
目の前に広がるのは、塀が崩れてだだっ広い空き地のようになったスペース。かつて公園か何かだったのだろうか、木立は枯れ果てているが、足場としては比較的平坦だ。ここを横切れば、さらに荒廃が進んだ無人地帯へ繋がり、オーメルの勢力圏を外れる。
「AI、もう少し我慢してくれ……!」
声にわずかな焦りと、期待が混じる。そのとき、コクピットの端末にわずかな通信ノイズが流れた。何かが周波数を合わせようとしているようだが、きちんと受信されない。
だが、聞こえてくるのは若い女性の声。どこか聞き覚えがあるような響きだった。
「――……応答を……父……ヴァルザード……レオン・ヴァイスナー……」
ノイズに邪魔され、大半が途切れているが、「父」とか「レオン・ヴァイスナー」とか、確実にエリカの言葉を思わせる断片が混じっている。レオンは通信を無視するように端末をオフにする。精神を乱されるわけにはいかない。今は撤退が最優先だ。
「俺が何者かを名乗ったところで、今さらどうなる……。それに、ここで捕まれば命はないか、あるいは最悪の形でオーメルに利用される……。」
そんな思いが胸を刺す。真実から背を向けている自覚はあるものの、彼に選択肢などほとんど残されていなかった。
と、そのとき、視界の隅に再び赤い警告ランプが点滅。脚部の振動がさらに激しくなり、フレームが耐えきれない軋みをあげる。
『脚部装甲が限界値を超過。これ以上の高速移動は破断を招きます。』
「持ってくれ……頼む……!」
すでに出力を落としているにもかかわらず、ダメージの蓄積が限界に達しようとしていた。地面が不規則に崩れている地帯を抜けるまで、あと数十メートル。そこへ辿り着けば、あるいは隠れ場所が見つかるかもしれない。
機体が何とか踏ん張り、瓦礫を乗り越えていく。レオンは息を呑んだ。左脚部のモーターがまるで悲鳴のような音を響かせ、数歩先でついにブースターが停止してしまう。機体が重心を崩し、がくんと片膝をつく形になった。
「……っ!」
辛うじて転倒こそ免れたが、これでは移動がままならない。レオンは操縦桿を精いっぱい握り、システムの再起動を試みる。だが、部品が焼き付き始めており、警告が停止する気配がない。
『脚部フレームに深刻な物理破断の兆候。現在の姿勢を維持するのが精一杯です。このままでは移動力をほとんど失います。』
AIの報告は容赦がない。もしここで足止めを食うのなら、追撃してくる敵にじわじわと包囲される危険が高い。
レオンは大きく息を吐き出し、コクピット内で顔を上げた。ハッチを開いてでも逃げるか――だが、ネクストを失えば、もはや戦場を生き延びる術も少ない。誰か助けを呼ぶにも、通信妨害がかかっている。そもそもこの地上に味方などいない。
(終わり、か……。馬鹿げた話だ。こんなところでジリ貧に陥るなんて、らしくもない。)
苦い諦念がこみ上げてくる。だが、彼は懸命に頭を振ってそれを振り払った。諦めれば全てが終わる。少なくとも、カスタマイズしたヴァルザードにはまだ電子戦と狙撃という武器が残っている。もし敵が追い付いてきたとしても、一瞬の隙を突いて一矢報いるくらいはできるかもしれない。
「……くそっ。エリカだけは嫌なんだ……。あの娘と戦うくらいなら、他の誰が来てもいい。」
そう呟いたとき、不意に周囲の闇が揺れたように感じた。まるで風のうねりが耳元をかすめ、霧のような砂埃が舞う。
視界の端には、ビル陰から滑るように姿を現す大型の影がある。一度はECMで巻いたはずの追撃ネクストか、それとも別の機体か――。いずれにせよ、完全に隠れるだけの猶予はもうなかった。
レオンは残された兵装、すなわちカスタムスナイパーライフルとプラズマブレードを交互に眺める。どちらを使うにせよ、踏み込みや後退が必要だが、脚が利かない今の状態では満足に動けない。
最悪の場合、敵が接近してきたところを狙撃して足止めをし、自分はハッチを出て白兵で脱出するしかない。ヴァルザードを見捨てる選択肢が頭をかすめ、心が鈍い痛みを覚える。
(あれほど「機械だけが信頼できる」と言ってきた俺が、こんな形で相棒を見捨てる? ……馬鹿げてる。)
思いが交錯するが、事態は待ってはくれない。モニターに映った影は、細身のフレームを携えたネクストのシルエット。どうやら中量級か軽量級で、高機動を得意とするタイプに見える。ライフルのような武装を携えているようだが、細部まではわからない。
それでも大きな前進音やブースターの噴射が聞こえないあたり、慎重に接近しているのは間違いない。おそらくはヴァルザードを取り逃がさぬよう、周囲を警戒しながら狩りに来たのだろう。
「勝負か……やるしかないか。」
呼吸を整え、レオンは肩のカスタムスナイパーライフルを準備する。もし相手が距離を詰めてくるなら、至近でブレードを振りかざすか、逆にライフルで先制射撃を当てるか。いずれにしてもこちらの脚が動かない以上、当たらなければ終わりという状況だ。
コクピット内に汗がにじみ、警報ランプがまだ点滅している。そんな嫌な静寂の中、相手機のシルエットがわずかに動いた。
しかし、その刹那――どこか遠方から、けたたましい砲撃音がまた鳴り響く。大口径のアームズ・フォート砲だろうか。その衝撃波が地面を揺るがし、建物の残骸を震動させる。砕けそうな瓦礫が上空から降ってくるような音を立て、粉塵が舞い上がった。
その粉塵に紛れ、相手機の姿が消える。どうやら不意の衝撃で位置を変えたか、あるいは隠れたかもしれない。
「何だ……? もしかして、あいつも砲撃に巻き込まれそうになって退いたのか?」
レオンは戸惑いつつも、これを好機と捉える。粉塵が晴れないうちに、何とか姿勢を変えて移動を試みなければ。脚部が損壊している以上、まともな速度は出せないが、この混乱で相手が攻撃をためらうならば脱出の可能性はわずかに高まる。
彼は心を決めて操縦桿を操作し、機体を引きずるようにゆっくり動かす。もはやブースターは使えない。歩行だけで十分離れられるか分からないが、とにかく動かなければ何も始まらない。
「AI、最低限の出力でいい。脚部の反転ギアを起動してくれ。少しでもこの場を離れるんだ。」
『承知しました。脚部フレームの負荷が限界に近いため、移動可能距離は短いと推定されます。覚悟をお願いします。』
「分かってる……。少しでも離れて、ビルか何かの影に隠れるんだ。」
ヴァルザードは甲高い金属音を響かせながら、ゆっくりと後退を始める。左脚部がきしむたびにレオンの胸は冷える思いだが、進まないわけにはいかない。
視界を覆っていた砂煙が少しずつ晴れ、そこに廃墟の黒い影が浮かび上がる。まるで深海魚の口のように開いた崩落箇所が見え、そこへ足を運べばどうにかして身を隠せそうだ。もし敵ネクストが再び姿を現しても、即座に狙撃や接近戦を防ぎやすくなるかもしれない。
「もう少し……頼む、持ってくれ……!」
必死の思いで脚部を動かし、ようやく瓦礫の陰へ潜り込む。まるで強引な“撤退”と呼ぶのが正しいだろう。背中では装甲が外れかけ、油がこぼれて地面にじわりと滲んでいる。
相手機は……どうやら追ってこない。もしかすると、あちらも砲撃か何かで足止めを食っているのか、あるいはエリカの部隊との連携が取れていないのか。何にせよ、今のレオンにしてみれば僥倖だった。
やがて瓦礫の陰にヴァルザードが完全に隠れると、レオンは大きく息をつき、スイッチをオフにしてコクピットを最低限の省エネモードにする。周囲にバレにくくするためでもあり、機体を落ち着かせる必要もあった。
「まさかこんな形で“劣勢”に追いやられるとはな……。あいつら本気で俺を仕留めに来てるのか、それとも捕まえる気なのか。どっちにしろ、最悪だ。」
ヘルメットを軽く外し、冷えた額を拭う。先ほどまでの激しい戦闘で全身に汗がにじみ、神経が張り詰めていた。だが、これで終わりというわけではない。むしろ、まだ通過点に過ぎないだろう。この先もおそらく逃げ回る羽目になるか、あるいはより大きな戦いに巻き込まれるか。
そして頭の片隅に浮かんでは消えないのが、エリカ・ヴァイスナーの存在だった。彼女は自分の娘かもしれず、それゆえに戦場で言葉を交わそうとしてきた。なのに、レオンは逃げるように無視した。正体を問う彼女の問いに答えず、ただ戦い、そして今は逃げ延びることだけを考えている。
「もし……あの娘が本当に俺の……。いや、こんな状況で何を考えているんだ。」
情けない苦笑がこぼれる。彼は目を閉じ、コクピットの狭い空間の中で数秒だけ呼吸を整えた。機体はボロボロ、状況は最悪。このままでは次に遭遇する敵に対抗する手段はほぼないに等しい。
――そこへ、またしても砂塵を切り裂く爆発音がどこかで響き渡る。砲撃か、それともネクスト同士の衝突か。廃墟の夜はなお深く、企業戦争の火は衰える気配を見せない。
レオンはわずかに目を開き、前方モニターの暗闇を睨みつけた。絶望だけでなく、わずかな執念の炎がその瞳に宿っているようにも見える。
「撤退といっても、まだ安心はできない。少し休めば脚部を応急修理できるか? いや、工具や部品も十分じゃない。くそ、どうにかしないと……。」
AIが状況を読み取ったかのように、静かな声で提案してくる。 『近隣の建物内部を調べれば、最低限の金属パーツやケーブルが見つかる可能性はあります。ただし、外部での白兵戦が発生する恐れが高いです。』
「それしかないか……機体がこんな状態じゃあ、一刻も早く直すしかない。いいだろう、やってみる。ここでじっとしてても、見つかれば終わりだしな。」
決意を固め、レオンは操作パネルに指を走らせる。コクピットを開放し、自分が降りられるように最適姿勢を取ると同時に、AIボットへの遠隔指示を設定する。もし有人部隊やオーメルの偵察兵が近づけば、ヴァルザードがECMの残余や自動警戒を行う。
やがてコクピットが開き、冷たい夜風と瓦礫の臭いがレオンのもとへなだれ込んできた。彼は躊躇なく地面へ降り立ち、防塵マスクを装着する。ネクストの巨体が瓦礫に隠れているとはいえ、いつ敵に見つかるか分からない。急いでパーツを確保しなければならない。
「その辺りのビルを漁るしかない。戦闘が起きたばかりの場所は危険だが……多少のリスクは承知だ。」
闇に紛れてビルの入り口へ向かうレオン。手には小型のサブマシンガンと、簡易ツールバッグを携えている。以前、企業研究員だった彼は、メカニックとしての技術も持ち合わせていた。最低限の資材が見つかれば、自分で応急処置を施すこともできる。
破損したヴァルザードを見捨てるわけにはいかない。逃げ回るための「足」を直し、再び戦場をかいくぐる術を得なければ、ここで終わるしかないのだ。
瓦礫だらけの床を踏みしめながら、レオンは内心で苦い思いを噛みしめる。なぜ自分がここまで追い込まれているのか。すべてはオーメルの猛追と、何より戦場で再会したエリカの存在が、その混乱を加速させているようにも感じられた。
娘――しかし、今はどうしようもない。負ければ全てを失う。ここで撤退しなければ、いつか再び戦うときが来るかもしれないが、今は生き延びることが最優先だ。
そうして廃墟のビルに足を踏み入れたレオンは、ゴーグルの暗視モードをオンにする。もともとは企業施設だったのだろう、朽ちた受付カウンターや転がったデスク、壁には企業ロゴの剥がれ跡が見える。天井が一部崩落し、夜空がかすかに覗いていた。
銃声や砲撃が遠くで鳴り響く中、彼は壁に積もった埃と瓦礫をかき分けて何か使えそうなものを探しはじめる。鉄筋の欠片や金属配管、ケーブル類など、ネクストの脚部応急処置に転用できる部材があれば僥倖だ。
しかし、外の戦況が気にならないわけではない。民兵か偵察兵か、あるいは別の企業の傭兵がビル内に潜伏している可能性もある。いつ白兵戦が起きてもおかしくはない。
(早く済ませて戻らないと……この姿勢じゃ、ヴァルザードが危ない。)
脳裏にそんな思いを抱きながら、レオンは自分を奮い立たせる。ここで中途半端にやめれば何も変わらない。多少の危険を冒してでも、機体を修理して“撤退”を完遂しなければ、次の戦いすらやってこないのだ。
そして再び、耳を裂くようなアームズ・フォートの砲撃音が夜空を切り裂く。さっきよりも遠くなった気もするが、まだ地上のどこかで激戦が続いている証拠だ。レオンはその音を聞きながら、ひとり言のようにそっとつぶやく。
「待ってろよ、ヴァルザード……何とか持ちこたえろ。俺がお前の脚を再び動かしてやるから……。」
夜風が吹き込み、崩落した天井の隙間から月の光が差し込む。そこに浮かぶレオンの横顔は、焦燥と意地が入り混じりながらも、どこか寂しげに揺れていた。外ではまだ追撃の足音が迫っているかもしれない。それでも彼は立ち止まらない。
後に“レオンの劣勢と撤退”と呼ばれる一幕――それは、苦い敗北感と、しかしなお抗う意思とで彩られた夜だった。冷えた瓦礫の街に、砲煙と電磁ノイズが漂うなか、孤高のリンクスはわずかな希望の糸を手繰り寄せるべく暗闇をかき分けていく。
どれほど時間が経てば、この苦い逃走劇から解放されるのか。レオン自身にも分からない。ただ、エリカの姿を再び思い出すたびに、胸の中の痛みが鈍く広がり、夜の廃墟の静寂がそれを覆い隠していくのだった。