見出し画像

再観測:ゼーゲとネツァフ:Episode 10-3

Episode 10-3:レナの散華

 廃墟と化した市街地が、朝日を浴びてわずかに紅く染まっていた。つい先日、レナが操るゼーゲの「最終攻撃」により、謎の軍勢〈ヴァルハラ〉の主力機体ギャラルホルンが破壊され、街は辛うじて救われた。しかし、その代償は大きく、ゼーゲは自壊するほどの損傷を負い、パイロットであるレナも再び瀕死の重傷を負ってしまった。
 まだ焦げた匂いが立ちこめる瓦礫の海を眺めながら、人々は勝利の余韻と悲嘆の入り混じった表情を浮かべている。建物の崩壊した壁から陽光が差し込み、血とすすにまみれた地面を淡く照らし出す。半壊の装甲車や散乱する兵士の装備、撃ち落とされた敵量産機の破片が無造作に積み重なり、まるで黙示録の光景を現実に映したかのよう。
 「……静かだね」
 セラは声を震わせながら、救護班のテントから出てきた看護師に話しかける。そこにはいつものような銃声や砲撃音がなく、むしろおそろしいほどの静寂が満ちていた。看護師は疲れきった表情で首を横に振る。「ええ、敵は撤退しましたけど、いつまた別の部隊が来るか……。それよりレナさんが……」
 その言葉に、セラの胸が冷える。レナは医療棟(もとい仮設医療区画)で必死の治療を受けているが、身体的ダメージが尋常ではなく、意識は再び遠のいたままだ。

 医療棟の内部は騒然としていた。大量の負傷者が運び込まれ、血の海のような修羅場が続いている。医師や看護師、ボランティアの市民が連携し、必死に応急処置と治療を繰り返している。
 その一角で、レナは深い眠りに落ち込んだまま、点滴と酸素マスクをつけて横たわっていた。頭には包帯、両腕や胸部にも厚いガーゼや固定具が付けられ、呼吸は苦しそうに浅く乱れている。
 ドミニクは自らも銃創を負っているが、ベッド脇でレナの手を離さない。血色の悪い唇に握り拳を当て、半ば祈るように瞳を閉じていた。セラとカイが近づくと、ドミニクは弱々しい

ドミニクは自らも銃創を負っているが、ベッド脇でレナの手を離さない。血色の悪い唇に握り拳を当て、半ば祈るように瞳を閉じていた。セラとカイが近づくと、ドミニクは弱々しい声で口を開く。

「……レナの容体は限界らしい。いま薬で無理やり延命してるだけだ。医師もどうしようもないと……」

カイが神妙な面持ちでレナの心電図モニターを見やり、淡い波形が不安定に揺れているのに息を呑む。

「オルドの深層から彼女の意識を連れ戻したのに……またこんな危機が来るなんて。ESP(Extended Spirit Program)の恩恵で苦痛は少し緩和されてるっていうけど、それでも身体の損傷は覆いきれないんだ……」

セラはレナの頬にそっと手を添えて、その冷たさに目を伏せる。彼女が一度は眠りの底から浮上し、言葉を交わせるほど回復の兆しを見せたのも束の間、最終攻撃における負荷があまりに大きく、すでに肉体が悲鳴を上げているという事実が痛ましい。

「レナさん……もう一度、目覚めてくれるんだよね……?」

セラの声はかすかに震える。すぐそばにいた看護師が小さく首を振り、ぎこちない笑みを浮かべた。

「このままいけば、あるいはESPを活用して痛みを減らし、少しは延命できるかもしれない。でも、奇跡が起きない限り、身体そのものが……」

ドミニクは拳を強く握りしめ、唇を噛む。これまで何度も死線を越えてきたレナが、こんな形で尽きようとしている現実に対して、彼は何もできない自分を責めるかのようだ。

そこへ奇跡的に、レナがわずかに唇を動かし、目を薄く開いた。セラが慌てて彼女の耳元へ顔を寄せると、かすれた声が聞こえてくる。言葉にこそならないが、何かを伝えようとしている。

「……セラ……最終攻撃……間に……合って……よかった……」

途切れ途切れの声だが、レナ自身が生存していることを理解しているらしい。セラは嬉しさと悲しみが混ざった笑みを浮かべ、そっとレナの髪を撫でる。

「あなたのおかげで街は救われたよ。ありがとう、レナさん……」

レナはまぶたを閉じ、微かに頷こうとする。傍らでドミニクが涙をこらえきれず、低い声で呼びかける。

「……馬鹿野郎、死ぬなって言ったのに。お前がいなくなったら、俺は……」

レナはまた瞼をかすかに開き、ドミニクを一瞥するように視線を向ける。微弱な笑みがその口元に浮かび、言葉にはならない“ありがとう”が伝わる気がした。

ゼーゲの最終攻撃により街はしばしの平穏を得たが、先の戦いで多くの人が傷つき、ESPの起動による精神リンクがさらに進んでいる。苦痛が集団的に緩和されていることで、戦後の混乱は多少やわらいでいる一方、街の各所で奇妙な現象が報告されていた。

ある人は「友人の嘆きが伝わってきて、まるで自分の悲しみと区別がつかない」と混乱する。
また別の人は「痛みを共有しているのに、自分の身体が苦しくない。逆に罪悪感を感じる」と呟く。
それはまさに、苦痛を分かち合うメリットと“自分らしさの損失”との危うい均衡を示していた。ESPの影響下では人々が連帯を実感する一方、個人の境界線が曖昧になる恐怖も否めない。

そんな中、レナは死線にあっても痛みが軽減され、わずかに意識を取り戻せたという見方があった。ESPの恩恵を最も受けている可能性があるのだ。だが、身体は限界であることに変わりはない。

医療棟を後にしたセラとカイのもとへ、ヴァルターから呼び出しがかかる。施設の一室に案内されると、そこには複雑な脳波装置とESPの解析データが投影されていた。ヴァルターは冷徹な眼差しを向けつつ、淡々と切り出す。

「レナはこのままでは長く持たない。たとえESPが苦痛を和らげても、身体の傷はどうにもならない。しかし、“魂”を完全に失わせない方法があるかもしれない」

セラは思わず息を呑む。カイも警戒した表情で問いただす。

「あなた、今さら何を言うんだ? 魂を失わせないって、まさか……」

ヴァルターは画面を操作し、レナの脳波パターンらしきグラフを示す。そこには高いスパイクが刻まれているが、途中から徐々に弱まっている痕跡が見て取れる。

「ESPで多くの人と精神が結びついている今、レナが死を迎えるとしても、意識の断片を“ESPネットワーク”に留められるかもしれない。簡単に言えば、彼女の魂を現実世界で死なせず、仮想空間を通じて繋ぎとめることが可能になる……」

それは、かつてネツァフが人間の精神を取り込んでいたような構造にも近い。セラは震える声で反論する。

「そんなの……結局はリセット兵器の延長じゃない? 身体が死んだら、それは“死人の魂”を閉じ込めるってことじゃ……」

ヴァルターは苦い表情で首を振る。

「ネツァフが目指したのは世界の再構築と痛みの否定。今回のESPは“痛みを共有しつつ個を保つ”形だ。レナの“個”は生きた状態では保てないが、意識がネットワーク内に留まるなら、死んだも同然かもしれないが、完全な消滅とは違う。ただ、それが本当に『レナが生き続ける』ことと呼べるかは、君たちが判断するしかない……」

セラとカイはこの話をドミニクに伝え、レナ本人にも決断の意思を求めようとする。しかし、レナはまともに会話できるほど回復していない。それどころか、ESPで痛みを軽減されているせいで、意識がかすかに浮上してはまた暗い海へ沈むという状態を繰り返している。

ドミニクは苦い顔のまま、レナの枕元に座り込む。セラが隣に立ち、カイも様子を見守るが、誰もが言葉を発せずに沈黙する。ようやくドミニクが唇を動かす。

「もし身体がダメでも、魂だけネットワークに留める……そんなの……生きているとは言えないんじゃないか? いや、でも、少しでも一緒にいられるなら……」

セラは歯を食いしばりながら、レナの頬を拭う。

「レナさん……どう思うの? 本当は嫌かもしれない。でも、あなたが望むなら、私たちは何だってするよ……」

しかし、レナは意識朦朧としたままで、はっきりした意思表示はできない。医師が「身体が限界を超えている。ここ数日が正念場だ」と告げるだけで、ドミニクの拳は震える。

街の外縁では、まだ散発的な衝突が続き、〈ヴァルハラ〉の残存部隊が後退しつつも一部でゲリラ的な抵抗をしている。反対派と懐疑派の連合軍が防衛線を固めるが、完全に安定しているとは言いがたい。

レナの命があとわずかという現実は、セラにとって残酷なタイムリミットを突きつける。もし“魂”だけでも救う手段を使うなら、すぐにヴァルターのESP拡張ネットへ接続しなければならない。ドミニクも自分の感情と格闘し、カイは冷静な態度で状況を分析するが、どちらも決断には慎重だった。

「レナが嫌がるかもしれない。だって、身体が死んだまま魂だけがネットに閉じ込められるなんて、ネツァフと変わらないのかもしれない……」
セラの言葉に、カイは眉を寄せつつ、「でも、このまま放置すれば本当に死んでしまうよ。もう時間がない」と答える。

そんな膠着状態が続く数時間後、レナが突然薄く瞳を開き、セラとドミニクを呼ぶように指を動かした。医師も驚き、慌てて二人を呼び寄せる。

「レナ……聞こえてる?」
ドミニクが耳を寄せると、微かな声が漏れた。

「……私……たぶん、もう限界……身体、動かない。ごめん……でも……ありがとう……」

その声は弱々しく、けれど感謝と愛情が滲(にじ)んでいる気がした。セラは涙をこぼしながら、思いきって尋ねる。

「レナさん。あなたの魂をネットワークに残す手があるの。身体は救えなくても、ESPを使えば意識だけ繋ぎとめられるかもしれない。……それって、あなたはどう思う?」

レナは苦痛の笑みを浮かべ、震える唇で小さく言葉を綴る。

「……分かんない……でも、私……もう……足掻く余裕が……ない……。あなたたちが……いいと思う方に……」

その呟きはまるで、自分の意思を二人に預けるような切なさを伴っていた。ドミニクはうつむき、唇を噛み、セラは胸が張り裂ける思いで、レナの手を握りしめる。

ドミニクは深く息を吐き、レナの額にそっと触れる。頬は骨張り、肌は冷たさを増している。血圧も低下しており、心電図モニターは不規則に震えている。ドミニクは強く目を閉じ、苦渋の面持ちで言葉を搾り出す。

「レナ……最後にお前の足掻きに付き合うべきか、それともここで散らせてやるべきか……俺は……」

セラがぐっと肩を押して声を張る。

「レナさんは生きたい気持ちがあった。足掻き続けたいと思ってた。身体がだめでも、意識だけでも繋がれば、いつかまた別の形で帰ってくるかもしれない……!」

だが、ドミニクは苦笑して首を振る。

「それは本当に“生きている”と言えるのか? あいつは、足掻くのは“自分の身体で、自分の命で”だと、ずっと言ってたんだ……」

カイも口を挟む。

「ただ、ESPによる魂の繋ぎ止めは完全な洗脳や支配とは違うはず。レナが心のどこかで望めば、新たな姿で生きられるかもしれない。それは“散華”ではなく、一種の“転生”かもしれないんだ……」

ドミニクは両手で顔を覆い、歯を食いしばる。周囲の看護師たちも息を飲んで見守っている。

意識を取り戻したレナが、再びまぶたを震わせる。ドミニクもセラも飛びつくように彼女を覗き込む。レナの瞳はどこか遠くを見ているようだったが、薄紅色の唇がかすかな笑みを形作る。

「……足掻きは……自分の足でやるもの……ネツァフとも……ESPとも違う……。私……もう十分……やった……」

セラは慌てて「違うよ、あなたが諦めるなんておかしいよ。まだ希望がある」と説得するが、レナは首を振って続ける。

「ドミニク……セラ……カイ……みんな……ありがと。私……最後に……ゼーゲと、街を守れて、嬉しかった……」

その瞳は穏やかで、苦痛は感じられない。ESPの効果で痛覚が大幅に緩和されているせいだろうか。周りの医師や看護師の視線が、サッと涙に濡れ始める。

「レナさん、駄目だよ……ESPであなたの魂を救えるかもしれないよ……!」

セラは取りすがるが、レナはそっと微笑んで、声はほとんど出ないまま唇を動かす。

「……それじゃ……私じゃなくなる……。私の足掻きは……ここまで……」

ドミニクは震える腕でレナの頬をさすり、「勝手に決めるな……お前はまだ……」と押し殺した声を出すが、レナは静かに目を伏せ、短い息を繰り返していた。

数分が過ぎ、レナの呼吸が一層浅くなる。モニター上の心拍数が急激に落ち、医師たちが救命処置の準備をしようとするが、ドミニクは咄嗟にその手を止める。

「やめてくれ……あいつの望みを聞いてやってくれ……」

セラは泣き崩れそうになるが、レナがほんのわずかに首を振る仕草を見て、(これが彼女の足掻きの終わり……)と受け止めるしかない。誰も彼女を傷つけないように、ただ見守る。人々がかたずを呑んで見届ける中、レナは最後の力を振り絞って唇を動かす。

「ありがとう……愛してる……」

その言葉がかすれた呼吸に溶け、数度の脈動を残して、心拍数はゼロへ近づいた。モニターが「ピー……」という平坦な音を響かせ、レナの瞳がかすかに開いたまま光を失う。

「ああっ……!」

ドミニクが思わず声を上げ、崩れ落ちるようにレナの身体を抱く。セラは涙で視界が滲(にじ)み、カイも拳を握りしめ沈黙する。周囲にいた医師や看護師、兵士たちは頭を垂れ、一様に悲しみを分かち合う空気が漂う。ESPで痛みが緩和されている分、その悲しみも人々の心に静かに拡散していくかのようだ。

レナが息を引き取ったという事実に、街は一瞬沈黙する。事実上の英雄であり、ネツァフとの戦いを勝ち抜いた象徴が、その生を散華という形で終えた。ESPが稼働する現状において、多くの人がレナの死を同時に実感したかのように胸を痛める。

医師たちはレナの身体を丁寧にシーツで包む。彼女の顔は安らかな表情を保っており、苦悶は感じられない。ドミニクは震える唇で「もう少し……一緒にいてくれたら……」と呟き、セラは隣で声を殺して泣く。カイも少し離れた位置でまぶたを閉じ、うなだれている。

「あの人が足掻き続けてくれたから、私たちはここまで来られた。ネツァフも未知の軍勢も……」
セラは泣きながら言葉を絞り出す。ドミニクはうなずき、レナの額に唇を寄せてから、そっと棺となる担架に乗せさせるよう指示する。

ドミニクの提案により、レナをいったん医療棟ではなく、かつて彼女が命を賭けて操縦したゼーゲの残骸のそばへ連れていく。最後の別れを、機体と共に行いたいという気持ちだった。

再び朝焼けの広場。完全に沈黙したゼーゲの主フレームは、あちこちが焼き焦げ、歪んでいる。最終攻撃の衝撃で周囲にはクレーターができ、血と鉄片が散乱していた。そこへ静かに搬送されたレナの亡骸が、ゼーゲの前に安置される。

セラとカイが並んで立ち、ドミニクは痛む体を引きずりながらレナの傍に膝をつく。周囲には兵士たちや市民が集まり、沈黙のうちに祈るように見守る。ESPの力で皆の悲しみが緩和されているはずなのに、むしろ更なる涙と痛みが胸の奥から湧き出て止まらない人々もいる。

「この機体と一緒に、レナを送ってやりたい……」
ドミニクは苦しそうに呟く。セラが驚くように顔を上げ、カイも戸惑いをにじませる。

「でも……この機体はまだ修理すれば使えるかもしれないのに……。そんな大事な戦力を失っていいの?」

するとドミニクは首を振り、灰色の瞳でゼーゲを見つめる。

「もうこれは動かせないよ。フレームが限界を超えた。新たに造り直す方が早いし……ゼーゲは、レナと共に散っていったんだ」

街には本格的な火葬設備はないが、ドミニクや兵士たちはゼーゲ周辺に薪や廃材を集めて巨大な火葬台を作るよう段取りを進める。ESPNETによって痛みを分け合う今の世界でも、レナを如何に弔うかは人々の真摯な思いに委ねられていた。

「本当に火葬するんですか……? ゼーゲはかつて私たちを守ってくれた大事な機体だから、廃棄するにしてももったいないですよ……」
ある兵士が苦渋の表情で意見するが、ドミニクは静かに首を振る。

「レナと共に散華するのが、ゼーゲの最後にふさわしい。あいつが命を賭けて守った街だからな……最期くらいは、心ゆくまで眠らせてやりたいんだ」

セラも内心、寂しく思いながらもドミニクの意向を受け止める。レナはゼーゲと一体となって大いなる敵を打倒したのだから、この上ない散華の形かもしれない、と。

夜になり、街の復興作業が一段落すると、レナとゼーゲを葬る儀式が始まった。焚火が組まれた広場の一角に、壊れた機体と白布に包まれたレナの身体が寄り添うように安置され、周囲には町の人々、兵士、懐疑派、そしてヴァルターの研究員までもが集まる。

セラはカイと共に最前列に並び、ドミニクが松明を手に歩み出る。周囲の灯火が風に揺れる中、ドミニクは静かに松明の火をゼーゲの下部に移し、そこに撒かれた燃料が燃え上がる。やがて機体全体に炎が走り、レナの白布を巻き込む形で火柱が高く昇った。

「……レナ、ありがとう。お前の足掻きは……きっとみんなの未来を救った……」
ドミニクは声を押し殺して涙を流し、頬を濡らす。セラはそれを見て唇を噛み、カイも寄り添うように肩を貸す。人々は一様に頭を下げ、哀悼の意を捧げているが、その悲しみと感謝はESPによって繋がり、集団的な穏やかな追悼の雰囲気へと変容していく。

「君の足掻きで、世界は一歩だけ前へ進めたんだね……」
セラは闇夜に映える深紅の炎を見つめ、心の中でレナに呼びかける。ネツァフを倒した彼女が、最後は未知の軍勢も退け、ゼーゲと共に燃え尽きる――残酷な運命だが、それだけの尊い役割を果たした証でもある。

炎はどんどん勢いを増し、ゼーゲの金属部分が激しく赤熱化する。装甲が弾け飛び、骨格が溶け落ちるさまは痛々しいが、同時にとても神秘的でもあった。火花が夜空へ舞い上がり、星のように煌めいては消えていく。その光景はまるで、レナとゼーゲの魂が天空へ帰る姿を映しているかのよう。

人々は黙したまま、ある者は涙を流し、ある者は手を合わせている。ESPの効果で、悲しみが皆に波及しつつも、それが絶望に転じるほどの重さにはならない。むしろ、みんなが共有する“痛み”が静かに街の空気を満たし、「よく頑張ったね」「もう休んでいいんだよ」という優しい感情が浮かんでいる気がする。

セラははらはらと涙を零し、カイに支えられながら、胸の奥でレナの笑顔を思い返す。ネツァフや未知の軍勢と戦い続けた彼女の姿が脳裏に鮮明に蘇り、誇りと寂しさがないまぜになる。

ゼーゲがほぼ崩れ落ち、レナの遺体も炎の中で姿を消そうとしているとき、ドミニクは片膝をつき、愛する者を想うように頭を垂れる。声にはならない言葉を紡ぎながら、最後の敬礼を捧げる。その姿に周囲の兵士たちも倣い、広場中が静かに頭を下げる光景が生まれる。

「……ありがとう、レナ。俺はお前を誇りに思う」
ドミニクは微かにそう呟き、拳を固く握りしめる。ひっそりした空気の中、火柱が生み出す輝きがドミニクの影を伸ばし、彼の背にレナの面影を重ねるような奇妙な錯覚をセラは感じる。ESPの影響で、皆がレナの魂をそこに感じているのだろうか――そんな風にも思える。

人々がレナの散華を見守る中、ヴァルターは遠巻きに腕を組んで立ち尽くしている。彼がかつてリセットを推進していた頃の冷徹さは鳴りを潜め、今はただ淡々と炎を見つめるだけ。セラとカイはそちらに視線を向けつつ、彼の胸中を測りかねている。

ESPの起動によって、人々の痛みは確かに軽減され、街には不思議な静穏が漂い始めた。多くの人がレナの死を深く悲しむ反面、その悲しみすら共有されるために、集団的に受け止める力を得ているかのよう。それは足掻きの否定なのか、あるいは新しい形の助け合いなのか――まだわからない。

「これで、レナは完全に散った……いや、魂は繋がっているのだろうか」
カイが小声でヴァルターに問いかける。ヴァルターは一瞬首を振り、短く答える。

「ESPで精神リンクがあっても、死んだ身体から魂を引き留めるのは難しい。もし残留意識があったとしても、それは完全なレナとは言えないかもしれない……。結局のところ、人間は限りある肉体を持った存在だ」

その言葉にセラは胸を締めつけられる。――レナがESPで救われる可能性はわずかだったが、彼女自身がそれを選ばなかったのかもしれない。尊厳ある散華を選んだのだ、と。

レナの葬送が終わり、街には一時的な哀悼の空気が広がる。しかし、戦いは決して終わったわけではない。〈ヴァルハラ〉が完全に姿を消したわけではなく、その本拠や真の目的は依然として謎に包まれている。連合軍の兵士がちらほらと警戒を続け、負傷兵や市民たちは瓦礫を片付けながら今後を憂慮している。

ESPの導入によって、一部の人々は確かに救われた。レナの死さえも共有されて、皆が優しく涙を流す。ただ、その裏で反対派や懐疑派の中には、「意志の統制につながるのではないか」という疑念が広がりつつあった。

「もし〈ヴァルハラ〉がESPの裏をかき、ネツァフ由来の技術をさらに改造したらどうなる……?」
「ヴァルターがまた“支配の道具”を握るつもりなら、この街はレナを失った今、どうなる?」

希望と不安が混ざり合い、人々の足掻きはまだ終わらない。レナの散華はひとつの節目でありながら、新たな苦難の幕開けでもあった。

Episode 10-3「レナの散華」は、ここで幕を下ろす。
ネツァフとの闘いから、未知の軍勢への対抗、そしてゼーゲの最終攻撃まで――レナはその命と引き換えに、街を、仲間を、そして足掻きという希望を守り抜いた。そして今、その身体は炎と共に消え去り、魂は静かに街を見守るかのようだ。

ドミニクとセラ、カイをはじめ、多くの仲間がレナに深い感謝と哀悼を捧げる。その死は、人々にとって再び「足掻くとは何か」を問い直す契機になるだろう。ESPという新たな道具がもたらす光と闇、未知の軍勢が潜む次なる脅威、そしてネツァフやリセットを越えた未来――レナの散華が遺した課題は重く大きい。

しかし、足掻きを繋いだその意志は、確かにセラやドミニク、街の人々の中に宿った。ESPで痛みを共有する中でも、人々は個々の意思を完全には捨てず、レナのように命を燃やす勇気を学んだのだ。
炎が消えゆく広場に、一陣の風が吹き抜ける。煙と灰が淡い光に溶け込んで消え、星が瞬く夜空にはいつしか月明かりが差し込んでいた。そこにはレナが愛した、まだ足掻き続ける世界が広がっている。

――英雄の散華は悲しみと尊厳をもって迎えられ、明日へ繋がる大きな足音を残してゆく。レナの死が“最終的な決着”ではなく、人々が未来を切り拓く上での大いなる一歩であることを、足掻き続ける者たちは忘れない。彼女の名を胸に刻み、世界はまた新たな夜明けを迎えるのだ。

いいなと思ったら応援しよう!