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再観測:ゼーゲとネツァフ:Episode 11-2

Episode 11-2:エリックの再登場

夜明けを迎えつつある廃墟の街。灯りの少なくなった街区には、焼け焦げた建物と瓦礫が並び、人々の足掻きによる“復興”の芽はまだ小さい。それでもESPの導入によって苦痛を分かち合い、助け合いの輪が広がり始めた。少しずつではあるが、生存者たちが力を合わせ、生活を取り戻そうと動いている。

 その一角を、エリックと名乗る男が静かに通り抜けていた。まだ薄暗い街道には、防衛のためにバリケードが置かれ、かつての激戦の名残である弾痕や爆発痕が痛々しく残る。埃を舞い上げながら歩を進める彼は、フードを深く被り、顔を隠すようにしている。仕立ての良いコートは泥にまみれ、ささくれ立った布の端が風に揺れる。

 エリックの足取りは重く、彼の瞳には疲労と覚悟、そしてわずかな戸惑いが混在していた。かつてこの街を出奔し、“リセット”の承認を拒んで逃亡した彼が、どうして再びこの地へ戻るのか。そこには複雑な動機と、現在の危機的状況を打開するための想いがあった。

 エリックは、もともとリセット計画のために招集された各国代表のうちの最年少でありながら、最後までスイッチを押さず、家族を守るために拒否して逃亡した。そうしてリセット計画は不発に終わったが、世界は新たな混沌へと転じ、ネツァフは暴走し、数多くの戦いが繰り返されてきた。

 エリックは逃亡後、妻と幼い子どもを連れて辺境の地区を転々とし、安全を求めていた。罪悪感と後悔、それでも家族を優先してしまった自責の念。世界中がリセットか足掻きかで揺れている最中、自分はどちらにも積極的に関われなかった。そして、街が未知の軍勢〈ヴァルハラ〉との激戦を制し、ESPを導入したという知らせを聞くや、ようやく重い腰を上げたのだ。

 「足掻きを続ける街……そこに私は戻る資格があるだろうか」
 内心、彼は自問していた。かつて救いのために承認を押さなかったことは、結果的に多くの悲劇も生んだのかもしれない。でも今、この街は痛みながらも生き延びている。リセット兵器ネツァフは崩壊し、新たな混迷の中で人々はまだ足掻き続けている。エリックは、そこに手を差し伸べるべきか否か、悩んでいた。

 日はすっかり昇り、薄明りがコンクリートの残骸を朱色に染める。エリックは、かつての街の正門だった場所に差し掛かった。今や門は壊れ、鉄骨だけがむき出しになっているが、そこで反対派兵士が検問のような形で見張りをしていた。

 兵士が声を上げる。「止まれ! ここから先は立ち入り制限がある。身分を示せ」
 エリックは一瞬、身をすくめるが、フードを下ろして顔を見せる。彼は名乗るのを躊躇したが、やがて静かに言葉を絞る。

「私はエリック……リセット計画で代表だった者だ。いまこの街で暮らすセラやドミニク、カイ……彼らに会いたい。敵意はない」

 兵士たちは驚愕して顔を見合わせる。エリックの名は、一部では“リセットを阻止した男”として知られ、また別の一部では“街に混乱を招いた罪人”とも言われる複雑な存在だった。彼らは即座に無線で上官に連絡し、指示を仰ぐ。

 「本当に本人か? 証拠はあるのか?」
 エリックは懐から小さなペンダントを取り出す。それは、かつて会議の際に夫婦でお揃いで持っていたものだと説明する。捏造の難しい細工が施されており、どうやら嘘を言っていないことは確かだと兵士は判断した。

 兵士の無線が、指揮所として使われている仮設施設に届く。そこにはセラとカイ、そしてドミニクが揃って打ち合わせをしていた。ESP導入後の街の状況管理や、真理探究の徒の動向、〈ヴァルハラ〉の再襲撃への警戒など、山積みの課題に追われているのだ。

 その場で、無線兵がドミニクに声をかける。
 「報告です。街の南門で“エリック”と名乗る人物が到着した模様。かつてリセット計画の代表だった……とのことです。ご指示を」

 ドミニクは一瞬目を見開き、握ったペンを落とす。セラとカイも顔を見合わせ、緊張が走る。
 「まさか……あいつが戻ってくるなんて……」
 ドミニクは忌々しげに唇を噛み、思い出してしまう。リセット計画最終段階でスイッチを拒んだエリックが逃亡した結果、計画が不発になったのは事実。その一方で、ネツァフの暴走を引き起こした要因にもなったかもしれない。

 セラは複雑な面持ちで「たしかにエリックさんがいなかったら、今ごろ世界はリセットされていたかもしれない。でも、あれから彼は行方不明だった。どうして今になって……?」と声を震わせる。
 カイは短く息をついて「とにかく会いましょう。街の状態は彼も知らないだろうし、僕らだって今さら彼を追い返す理由はない……。むしろ“どうして来たか”を問いただすべきだ」と提案する。

 ドミニクは渋い表情のまま、「あいつには苦い思いがあるが、今はそんなこと言ってる場合じゃない。連れてこい」と無線を返す。やがて、エリックが護衛付きで指揮所へ案内されることになる。

 夕方の指揮所。簡易テントが立ち並ぶ広場の一角に、エリックは護衛に囲まれて現れた。顔はやつれ、かつての若々しさは削がれている。服も埃や泥で汚れ、旅人のような風貌になっていた。
 そこで待っていたセラが一歩前へ出る。「エリックさん……久しぶりです。覚えてますか、私を? あの会議で……」
 エリックは面食らったように頷き、かつてのヒロインの面影を思い出す。「もちろん、覚えてる。スイッチを押す前に……君は“足掻き”を選んだ人たちの一人だった。……こんな姿になってしまったが……会えてよかった」

 カイも懐かしそうに声をかける。「僕はカイ。リセット派の研究者だったけど、今は反対派と協力して街を守ってる。あなたが拒否してくれなかったら、本当に世界は消えていたかもしれない……」
 エリックは苦い笑みを浮かべ、「スイッチを押せなかったのは、ただの臆病さかもしれない。それでも、こうして街があるなら……やっぱり、やってよかったと思う」と肩をすくめる。

 兵士たちが距離を取り、周囲の人々も好奇の視線を向ける。エリックは訝しがるように周囲を見回すが、そこにはESPによる穏やかな“共有された空気”と、リセットを免れた人々の苦悩が混在していた。

 そして、ドミニクが姿を現す。包帯を巻いた身体で足を引きずりながら、エリックをまっすぐ見据える。二人の間に重い沈黙が落ち、数秒が過ぎてからドミニクが低い声で話しかける。

「お前……まだ生きてたか。よくも戻ってきたな。リセット計画が潰れたあの日から、ずいぶん時が経ったぞ」

 エリックは居心地悪そうに視線を逸らす。かつてはドミニクの父が反対派の要人だったころからの縁で、多少は言葉を交わしたことがあったが、良い関係とは言えなかった。

「……あれから逃げ続けた。家族を連れて安全な場所を探したけど、世界はどこも混沌としていて……結局、ここが一番まともに“足掻き”を続けていると聞いて、戻ってきたんだ」

 ドミニクは嘲笑に似た笑みを浮かべ、「足掻き、ね。お前がそう言うか……スイッチを拒否して逃げたせいでネツァフが半端に動き、街には多くの死が出た。もちろんリセットが起きなくて救われた命もあるが……」と吐き捨てるように言う。

 エリックはうつむき、唇を噛む。「わかってる。俺の行動がすべて正しかったわけじゃない。けど、それでも、あの瞬間に俺は……」
 言いかけて、視線がドミニクの厳しい瞳と交わる。二人の間には痛ましい過去が横たわっているが、この街の現状を考えれば罵り合っている場合ではない。ドミニクは腕を組み、鋭い口調で問いただす。

「それで、何しに来た? 家族を連れてくるつもりか? それとも“真理探究の徒”にでもなったか?」

 エリックは沈んだ顔を持ち上げ、意を決したように語り出す。

「妻と子どもは、遠くの農村地帯で潜伏してる。安全とは言えない場所だけど、ここほど戦闘はなかったから……。でも、最近は〈ヴァルハラ〉の残党がそちらにも迫ってきてる。仲間が呼びかけてくれたけど、今や頼れる拠点は“この街”しかないかもしれない、と……」

 セラは少し目を潤ませ、「そう……あなたは、家族を守りたくてスイッチを押さなかったんだものね。いま、その家族が追われているの?」
 エリックは頷く。「安全を求めて逃げ続けたが、どこも戦乱や荒廃が広がっていて、まともなコミュニティが機能しているのはここくらいだ。ESPが導入され、苦痛を共有することで社会秩序を作っていると聞いた。もし家族を連れてきたら、受け入れてもらえるんだろうか……」

 ドミニクは腕を組んだまま険しい眼差しを向ける。「受け入れ? あんたを責める気はないが、街の食糧や物資は十分じゃない。何よりESPをどう思う? ここでは全員が苦痛や感情をある程度共有してるんだ。お前がそれを嫌って逃げるかもしれないぞ?」

 エリックは少し迷ったように眉を曇らせるが、しっかり頷く。「確かにESPには疑問を感じる部分はある。だが、どのみち俺たちがここで生きられなければ……妻も子も、いつ死んでもおかしくない状況だ。足掻きを捨てるよりは、まだ希望がある」

 カイはそれを聞いて一歩前に進み、エリックの顔をまっすぐ見据える。

「君が本気でこの街で生きるなら、いくつかの条件を受け入れてもらわなきゃ。物資の分配は厳しいし、ここではESPの影響でみんなが助け合う体制を取っている。協力してくれる人なら歓迎するよ」

 エリックは唇を引き結び、「協力……具体的には何をすれば?」と問いかける。
 カイは短く息を吐き、周囲の兵士たちと視線を交わしながら説明する。

「街にはいまだ〈ヴァルハラ〉の残党が潜んでいるし、真理探究の徒や他の不穏な勢力もある。僕たちはネツァフの死骸やESPの管理をしながら、街を守って再建を進めている。それに人手が足りないんだ。もし君が援助してくれるなら、家族を受け入れる見返りとして、街の防衛や物流の手伝いをしてほしい」

 エリックは目を伏せて考え込む。かつて逃亡し、苦労の末にここへ戻ったのだから、今度こそ責任ある行動をしたいという思いがある。しかし、同時にドミニクら反対派との軋轢やESPへの疑問が胸をうずかせる。

 エリックの逡巡を見て、ドミニクが苛立ち混じりに声を上げる。

「迷うくらいなら帰れ! そんな中途半端な覚悟じゃ、この街で生き抜けない。そもそもあんたの選択一つで、どれだけの人が苦しんだか……」

 エリックは言い返せず、拳を握りしめたまま耐える。罪悪感と葛藤が表情に浮かんでいるのを、セラは感じ取る。彼がリセットを阻止したこと自体は結果的に世界を救ったのかもしれないが、同時にネツァフ暴走の遠因とも言われている。その重荷を背負うのは容易ではない。

 ドミニクはさらに続ける。

「……それでも、家族のために戻ってきたんだろう? なら、中途半端な躊躇は捨てろ。俺だってレナを失って今、痛みに耐えてる。街のみんなだって同じだ……。お前だけが特別な罪を負ってるわけじゃないんだ。ここで足掻きたいなら、腹をくくれ」

 その苛立ちと悲しみを孕んだドミニクの言葉に、エリックの瞳が潤む。足掻きの象徴であったレナの散華も、彼は伝え聞いていた。英雄を失いながらも街を守る人々に比べ、自分は何をしてきたか――そこに気づかされる。
 「……わかった。俺はここで責任を果たす。家族を連れてきたら、街を守る力になりたい……その覚悟はある」

 こうして、エリックは一時的に街に滞在を許されることになった。ESPへの正式参加をどうするかは今後の判断となるが、とりあえず反対派兵が場所を用意し、治安を見張る形で見守る。
 夜になり、仮設の住宅区でセラやカイがエリックを案内する。そこは民家が焼け落ちた跡地を再利用し、板とテントを組み合わせた粗末なシェルターが並んでいた。避難民や家を失った市民が寄り添うように暮らし、ESPで助け合う独特のコミュニティが広がっている。

 エリックは初めて目にする光景に圧倒される。痛みや哀しみを共有しながら、笑顔すら見せる住民も多い。その光景に、不思議な違和感と安堵を感じていた。
 「これがESPの力……苦しみも、希望も一緒に背負うなんて……そう悪いものじゃない気がする」とエリックはぼそりと呟く。セラは苦笑する。
 「そうだと信じたい。でも、まだ導入してから日が浅いから分からない面もある。足掻きや個人の意思が失われるかもしれない、と怖がる人もいるし……」

 その晩、エリックはシェルターの一角で簡素なマットに腰を下ろしていた。ろうそくの明かりが揺れる中、隣に座るセラに向け、遠慮がちに言葉を交わす。

「明日の朝には俺、また出るよ。家族を連れてくるために……ここは危険かもしれないが、まだ希望があると思う。あの農村地帯には〈ヴァルハラ〉の残党が迫ってきてるから……」

 セラは小さく頷く。「そう……気をつけて。街から護衛を出してもいい。今はあちこちが無法地帯になってるし、家族を守りながら戻るのは大変でしょ?」
 エリックは感謝を込めて微笑む。「ありがとう。俺一人じゃ不安だけど、助けがあるなら心強い。……ここでやり直せるなら、家族にも足掻きの価値を伝えたいんだ。スイッチを押さず逃げた俺でも、まだ役目があるかもしれないって思うようになった」

 セラはその言葉に胸を打たれる。(かつてのエリックは家族第一で逃げた。その結果、世界はリセットを免れ、多くの悲惨を招いたとも言えるが、一方で足掻く世界を存続させたとも言える。)
 「うん……待ってるよ。きっとドミニクも、少しずつ受け入れてくれるはずだから。おやすみ、エリックさん」
 そう言うとセラは立ち上がり、夜の冷たい風に揺れるテントの外へ出ていく。エリックはしばし頭を垂れ、膝に顔を埋めて過去の後悔と明日の希望を噛みしめていた。

 翌朝、まだ薄暗い夜明け前に、エリックはシェルターを抜け出し、簡単な荷物をまとめて街の外へ向かおうとしていた。カイが数名の兵士を連れて護衛に付く算段だ。ところが、その前にドミニクが姿を現す。
 ドミニクは足を引きずりながらも、エリックの進路を塞ぐように立ちはだかる。
 「お前が行くんだな……」
 エリックは視線を伏せるように答える。「ああ。妻と子どもを連れてくる。もう何も失いたくないし、この街なら生きられるかもしれない」

 ドミニクは腕を組んで苛立ちを滲ませながら、しかし目を伏せる。「そうか……。正直、まだお前を許せない自分がいる。でも、レナやセラが足掻きを捨てなかったように、俺もいつまでも過去に縛られてられない。……気をつけろ。あちこちで兵器の残骸や盗賊、〈ヴァルハラ〉の残党が出没してる。安易に移動すれば命が危ないぞ」

 エリックは短く頷き、「忠告ありがとう。家族のもとへ行く道中、相当なリスクがあるのは承知してる。……俺も覚悟はできてる」と決然と言う。
 ドミニクは複雑な表情で、「足掻きを選んだなら、それでいい。帰ってこられたら、改めて話そう。そのときこそ俺もはっきり言いたいことがある」と肩越しに呟く。
 エリックはわずかに微笑み、無言でドミニクの手を握ろうとするが、彼はそれを拒むように腕を組む。それでも嫌悪の意思はなく、どこか照れくさいような目つきを向けるだけだ。

 その後、エリックはカイと護衛の兵士数名を伴い、街の正門へ向かう。わずかな車両と限られた弾薬、食料を整え、準備万端とは言えないが、急がないと家族が危機にさらされる。
 セラは門のところで見送る。「気をつけて。もし危なそうならすぐ戻って……家族を救いたい気持ちはわかるけど、命を賭けても無駄死にしないで」
 エリックは苦い笑みを浮かべ、「ありがとう。必ず戻る。家族と一緒にね。そしたら、俺も街の再建を手伝うよ……」と返信する。

 カイが運転席に入り、エリックが助手席に腰を落ち着ける。後部に兵士たちが乗り込み、エンジン音を響かせながら車がゆっくりと門を出ていく。その背中を見送るセラは、(足掻き続けることに意義を見いだしたエリックさん……今度はどんな決断をするのだろう)と思いを巡らせる。

 街を後にして数時間、カイが操縦する装甲車は荒野を走り抜けていた。かつての高速道路は崩れ、砂や瓦礫で形を失っているため、行き先は遠回りのダート路を行かなければならない。
 エリックは窓から外を見やり、思い出が胸をざわつかせる。「いつも逃げてばかりだったな……リセット計画からも、足掻きの現場からも。だが、家族だけは守りたい。今度こそ胸を張って街で生きてみせる……」と自分に言い聞かせる。

 護衛兵士は周囲を警戒しており、銃を窓から構えている。カイは端末で地図をチェックしつつ、兵士と低い声でやり取りする。
 「ここから先、〈ヴァルハラ〉の残党が通ったらしき痕跡がある……車両の轍(わだち)が何本も。まだ新しい跡だ」
 エリックは背筋を伸ばし、「敵が俺の家族がいる農村方面に向かったという情報もあったし……急ごう。もし何かあったら……俺は戦えるだろうか」と不安を吐露する。

 カイは短く首を横に振り、「大丈夫さ。君は護衛が付いてる。銃の扱いが不安なら、僕が援護するし……」とさりげなく背中を押す。エリックは無言で感謝の視線を返す。

 道半ばになった頃、装甲車が細い峠を通り抜けようとした矢先、崖上から銃撃が突然降り注いだ。「バババッ……!」という激しい衝撃音が装甲車を叩き、車体が揺れる。
 兵士たちが即座に応戦し、「敵だ! 数は不明、崖の上に潜んでる!」と大声を上げる。カイがハンドルを切って遮蔽物を探し、車両を岩の陰に滑り込ませる。エリックは体を低くして頭を守りながら、(まさかこんな早くに襲撃に遭うとは……)と息を呑む。

 盗賊のような一団か、それとも〈ヴァルハラ〉の残党か。詳細はわからないが、銃弾がバラバラと降ってきて岩に当たり、火花を散らす。兵士が装甲車から外に飛び出し、ロケットランチャーで牽制をかけるが、敵も散開しているのか姿をはっきり捉えられない。

 「落ち着いて、エリック!」
 カイが叫ぶ。エリックは震える手で銃を握り、車内から顔を出して応射しようとするが、慣れない動作に手間取り、危うく頭を撃たれそうになる。兵士が間一髪で援護射撃をしてくれ、敵の弾道を逸らす。
 「くそ……!」
 エリックは悔しさを噛み締めながら、(やっぱり自分は戦いに向いていないのか)と思い知らされる。

 敵は岩や崖の上を拠点に優位な位置を取っているため、簡単には突破できない。カイは端末で地形をスキャンし、兵士に指示を飛ばす。

「崖の上を狙える位置に車両を移動する。スモーク弾を撃ち込んで攪乱するから、その隙に一斉射撃で制圧しよう!」

 装甲車がエンジンを再起動し、崖の影を利用しながらぐるりと回り込む。敵も気づき、さらに激しい射撃を加えてくるが、兵士たちがスモーク弾を発射。あたりが灰色の煙で覆われ、視界が一気に遮られる。
 「今だ……撃てえッ!」
 一斉射撃が崖の上に集中し、火花や爆発が散る。混乱した敵側は悲鳴を上げ、銃声が途切れがちになる。そこを突いて装甲車が一気に前進し、より安全な岩陰へ移動する。

 エリックはそれでも銃をぎこちなく構え、車窓から敵影を探す。しかし煙でほとんど見えず、戦闘は兵士らのプロフェッショナルな動きに任せるしかない。数分後、銃撃がぱたりと止み、兵士たちの声が響く。

「敵をあと数名追い払った。数人は倒した。残党が逃走してる!」

 煙が晴れ、崖上には負傷した盗賊と思しき男が倒れている。兵士が近づいて武器を取り上げ、身元を調べるが、一介の無法者か難民かわからない。〈ヴァルハラ〉の標章は見当たらないようだ。
 エリックは溜め息をつき、肩を落とす。戦闘が終わったことでほっとしながらも、自分がまったく役に立てなかったことに言いようのない羞恥と無力感を感じていた。

 カイが車両を降りてエリックに近寄り、「大丈夫? 怪我はない?」と気遣う。エリックは首を振り、苦い笑みを浮かべる。

「平気だよ……でも、俺は何もできずに守られるだけだった。家族を助けるために戻ったんだが、こんな腕じゃ……」

 カイは静かな口調で励ます。「いいんだよ、みんなが兵士向きってわけじゃないし、誰かが守って誰かが生きていくのが街の形だろ。あなたにはあなたの役割がある」
 エリックは複雑な面持ちでうつむく。「ありがとう……でも、街に戻って力になれるかどうか、不安になってきたよ」

 兵士たちが崖をざっと調べ、敵の残党が完全に退散したことを確認する。小競り合いで数名の兵士が軽傷を負ったが、深刻な被害は出なかった。この辺りにはまだ盗賊や無法者が多く潜んでいるようだが、とりあえず峠を越えればエリックの家族がいる農村地帯へ近づける。
 カイが地図を確かめながら告げる。「あと半日ほど走れば農村に着くはず。日が暮れたら危ないから、これ以上の戦闘は避けたいね」
 エリックは頷き、「頼む。妻と子どもの無事を確かめたら、すぐに街へ戻ろう。……こんな時代だから、足掻き続けるしかないんだな」と淡い微笑みを見せる。

 車両が再びエンジンをかけ、傷ついた兵士が応急処置を受けながら乗り込む。エリックは運転席脇に座り、無線でセラたちに戦闘の報告を入れる。「盗賊らしき襲撃を受けたが、死者は出さずに済んだ。これより予定通り家族のもとへ急ぐ」
 セラの応答が聞こえる。「気をつけて。街のみんなもあなたの帰りを待ってるから……!」

 一方、街に残るドミニクは司令所でその報告を聞き、腕を組んで無言のまま窓を見つめている。レナが散華し、ゼーゲも崩壊した今、彼の心は大きな空洞を抱えつつも、街を守るための義務感とESP管理の責任に追われていた。

 「エリックのやつ……戻ってきて何を成すつもりか」
 ドミニクは自問する。かつての逃亡がもたらしたリセット不発の結果、世界は救われたとも言えるが、同時に多大な犠牲も生んだ。その懺悔を抱いて家族を守ってきたエリックが、今になって街に戻る理由と覚悟をどこまで信用できるのか。

 しかし、レナがいなくなった今、街には新たな支えが必要だ。セラやカイも頑張っているが、人手は足りない。もしかすると、エリックが街にとって大事な存在になるのかもしれない、と考える自分を否定できず、ドミニクは唇を噛んだ。

逃亡者だったエリックが、家族を救うため、そして自らの罪悪感と責任に向き合うために街へ戻ってきた。しかし、その帰還を巡る感情は複雑で、ドミニクやセラ、カイらは戸惑いつつも新しい局面を迎えることになる。
 ネツァフの死骸は朽ち、レナは散華し、ゼーゲは崩れ去った。ESPが痛みを共有する社会を支えつつも、真理探究の徒や未知の軍勢の脅威はなお燻る。足掻き続ける世界は、また新たな波乱を孕んだまま、夜明けへと突き進んでいくのだ。

 エリックがこの荒廃した世界で家族を連れ戻し、街でどんな役割を果たすのか。その行く末には、再び苦難が待ち受けるだろう。だが、彼自身がリセットを拒んだあの日から変わらない一つの思い――“家族を守るために足掻く”という行動原理は、今こそ試されようとしていた。
 明け方の冷たい風が街を包み、エリックを乗せた車両は農村地帯へと消えていく。そこには〈ヴァルハラ〉の残党が暗躍しているかもしれないし、真理探究の徒が興味を示すかもしれない。どんな障壁が立ち塞がろうとも、彼は再び足掻く意志を抱いてハンドルを握っている。

 そして街に残るドミニクたちも、新たな動乱と再建を同時に進めなければならない。ネツァフやレナが去った後の空っぽな場所を、今度は誰が埋めるのか――足掻く道がもたらす痛みと希望は、まだ続いていく。

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