![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/170938678/rectangle_large_type_2_45a8f6cdad3b7bd46bb120cdba4e1c38.jpeg?width=1200)
再観測:ゼーゲとネツァフ:Episode 6-2
Episode 6-2:リセットを越えた破壊衝動
ネツァフの保管ドームで発生した“自己発光”や“放電”といった異常現象から一夜が明け、リセット派の本拠地は依然としてどこか張り詰めた空気に包まれていた。市街地の混乱も止まず、強行派と懐疑派の対立、反対派の侵入など、あらゆる問題が山積みになったまま。
その朝、セラは医療棟の廊下に立ち尽くしていた。背後の病室には、重傷のまま意識を回復しつつあるレナが眠っている。昨夜、セラはネツァフの異常を直に目撃し、そこにただならぬ破壊衝動を感じ取ってしまった。「痛みなく消す」はずのリセット兵器が、「痛み」すら関係なく暴れ出す可能性がある――そう思うと、恐怖で全身が震える。
「おはよう、セラ……眠れた?」
背後から聞こえる声に振り向くと、科学者のカイが心配そうに微笑んでいる。セラは小さく首を振り、「……眠れなかった。あの衝撃が頭から離れない……もし、ネツァフが勝手に起動したら、どうなるんだろう……」と呟いた。
カイは眉を下げ、「わからない。でも、承認や融合なしでも暴走のような形で動くかもしれない――と専門家が口を濁している。痛みなく消すどころか、想像を超えた破壊が起きる危険性があるってさ」と話す。
(もう時間がない――何とかしないと、世界が壊れるかもしれない。)
セラは胸を押さえながら、「私が“使わない”って決めても、ネツァフが自発的に動くなら意味がない……そんなの嫌だ」と歯噛みする。レナやエリックが何とか生き抜こうとしている中で、リセット以上の破壊をネツァフがもたらすかもしれない――そんな未来はあまりに絶望的だ。
そこへ、情報技術者のマキが駆け足で廊下をやってきた。彼女は夜通し解析を続け、ネツァフのログを追っていた。顔には疲労の影が濃いものの、目は必死の光を宿している。
「セラ、カイ……大変よ。今朝、さらに警戒レベルが引き上げられたわ。強行派が“ネツァフ制御区画を封鎖”して、独自に起動準備を進めている可能性があるって……」
セラは思わず息を呑む。「まだ暴走の兆候があるのに、起動を早めようとしてるの……?」
マキは険しい表情で頷き、「ええ。『不穏な兆候なら、早くリセットを完了すればいい』なんて短絡的な意見が強まってる。ヴァルター様はまだ明確な指示を出していないけど、強行派が事実上、支配的な力を握りつつあるらしいわ」と苦々しげに伝える。
「どうして……そんな、うまくいくわけない……」
セラは悔しさで胸が潰れそうだ。ネツァフがまともに起動したとしても、この暴走の予兆は明らかにリセットが“痛みなく”行われる保証を消し去っている。それでも強行派は突き進むつもりなのだ。
カイが息を吐いて「なら、僕らはもう一度ネツァフ区画へ行って、事態を止めるしか……」と言いかけたところで、マキは首を横に振る。「ダメよ。区画は全面封鎖されたって情報があるの。強行派が領有していて、懐疑派の将校すら入れない状態……」
(行けない……なら、どうやって止めるの?)
セラは立ち尽くす。ネツァフの様子を確認できなければ、暴走か起動かすらわからない。強行派が既成事実を作る前に、懐疑派やヴァルター本人を動かす必要があるかもしれないが、そもそもヴァルターの居場所ははっきりしない。「一体、どうすれば……」と唇を噛む。
その朝、セラの下に一通のメッセージが届いた。差出人は懐疑派の将校で、かねてからセラたちを助けてくれた人物だ。内容は、「午前中に基地の会議室で話がある。どうしても来てほしい」というもの。
カイがメッセージを読み上げ、「行くしかないね。何か動きがあるのかも」と言う。セラも頷き、マキや周囲の医療スタッフにレナを任せるよう指示してから、約束の場所へ向かう支度をする。
道中、またしても兵士の目が光っており、荷物検査が念入りだ。セラはリセット派パイロットの身分証を提示し、どうにか通過を許される。カイも研究支援者としての資格証を見せて、一緒に通ることができた。
しかし、警備の兵士が「注意しろよ。あまり危険な行動を取るな。ネツァフが乱れているからって、余計なちょっかいは出すな」と低い声で警告してくる。強行派の警戒がひしひしと感じられる。
会議室に到着すると、そこには数名の懐疑派将校と、何人かの科学者らしき人物が顔を揃えていた。彼らは皆、疲れた表情を浮かべているが、強い決意を持ってセラとカイを迎える。
「来てくれたか、セラ、カイ。すぐに本題に入ろう……」
リーダー格の将校が椅子から立ち上がり、淡々と語り始める。「私たち懐疑派は、ネツァフの暴走を最も恐れている。強行派はリセットを起動すれば解決すると考えているが、実際には予想外の破壊衝動があの兵器から感じられる。もし本当にリセットどころか、世界のすべてを無差別に粉砕するような事態になれば……人類は終わりだ」
カイが深刻な表情で頷く。「まさに僕らも同じ危惧を抱いています。ネツァフがリセット機能を越えて、破壊衝動を向けるなら……痛みなく、なんて形容できる未来じゃない」
セラは静かに息を吐き、「私……使いたくないんです。ネツァフを動かさずに、世界を救いたい。でも、もし暴走したら、どうやって止めればいいのか……」と問いかける。
将校は一瞬、目を逸らす。「正直、ネツァフを破壊するには同程度の火力か、融合を逆手に取るしかない……だが、融合なしで暴走を止める手段は見つかっていない。そもそも想定外だ」
部屋に沈黙が落ちる。セラが苦しく唇を噛みしめ、(もしネツァフが真正面から暴れ始めたら、誰も止められないの?)という絶望が胸に広がる。
すると、隣にいた年配の科学者が言葉を継ぐ。「……我々も、あくまで仮説ではあるが、“逆融合”という方法を模索している。もしネツァフが暴走しかけたとき、パイロットが“完全には融合せずに”コアへ侵入し、内部から停止コードを打ち込むんだ……」
その声は震えていたが、解決策を探る必死の思いが滲んでいる。セラの心は大きく揺さぶられる。「内部から停止させる……でも、それってすごく危険じゃ……」
科学者は苦い笑みを浮かべる。「ああ、成功する保証はない。しかもパイロットが心身を深くネツァフに触れれば、肉体や精神を喰われるかもしれない。……だが、他に道がないんだよ」
懐疑派とセラがこの危機的状況を話し合う中、会議室にバタバタと足音が響き、通信兵が入ってくる。「ドミニク率いる反対派から、また通告がありました。市街地の郊外に“要塞化した陣地”を築いたようです。リセット派がネツァフを起動するなら、全面衝突も辞さないと言っています……」
将校が呻くように声を落とす。「……最悪だ。反対派も必死だな。ネツァフが暴走するかもしれないこの状況で全面戦争を起こしたら……どれだけ血が流れるんだ……」
セラは頭を抱え、「ドミニクさんも、レナがあの状態じゃ戦わないでほしいけど……彼にはもう止める道がないのかな。足掻くだけっていう……」と嘆息する。反対派だってリセットを阻止するために足掻いている。もはや誰も冷静には戻れないのか。
カイが淡々と言う。「もし反対派が大規模攻撃を仕掛け、ネツァフ区画まで脅かしたら、強行派は絶対に“リセット起動”を急ぐはずだ。……そこに暴走のリスクが重なると、世界は本当に終わりかもしれない」
会議室は沈黙する。誰も答えを持たない中、セラの瞳には決意が宿り始める。「私……やるよ。もし本当にネツァフが暴走する可能性があるなら、その“逆融合”って方法にかけるしかない。それで止められるなら、私は命を賭けても……」
その言葉に、周囲がどよめく。「バカな……そんなリスクが……」「お前が死んだらリセット派はどうなる」と口々に声が上がるが、セラの決意は固い。
「誰かが止めなきゃ、もう手遅れかもしれない。リセットを止めるために動いてきたけど、ネツァフが暴れ出したら、世界がリセット以上の破壊に巻き込まれる。私は足掻き続けたいの……死んでもいいから、世界を……レナさんやエリックさんを守りたい」
カイは驚きつつも、セラの強い意志を感じ取り、静かに背中を支える。「僕も一緒に行く。君を一人にはしない」と低く呟くと、セラは微笑む。「ありがとう……でも、きっと巻き込むことになる……大丈夫?」
カイはまぶたを閉じ、「覚悟はある。ネツァフに触れるのはパイロットである君が主役だけど、僕も技術面でサポートしよう」と応じる。
こうして、ネツァフが本格的に暴走しかけた場合、セラがコア内部へ“逆融合”して停止コードを打ち込む――という方針が、懐疑派の中で一つの賭けとして固まった。
問題は、強行派の厳戒態勢をどう突破するか。彼らは「承認なきリセット」や「無理やりの融合」を画策しているかもしれず、セラを利用する可能性もある。
「作戦は二段構えだ。まず、セラたちがネツァフ区画に潜入し、もし強行派が起動しようとしたら内部から暴走を止める。次に、それまでに懐疑派が周辺を抑えて、余計な邪魔が入らないようにする……」
将校が地図を広げ、簡単な説明を加える。通路や守備配置を確認して、どこを突破すればコア近くへ辿り着けるか。時間がない中での作戦立案だ。
セラは地図を眺め、複雑な思いが渦巻く。(もし成功したら、ネツァフが止まるかもしれない。でも失敗すれば、私がネツァフに“喰われて”世界が滅ぶかもしれない……)
その不安を拭えぬまま、それでも足掻き続けようとする彼女の瞳は、澱んだ混乱の中にわずかな光を宿していた。「レナさんやエリックさんのために……みんなのために……」と心で誓う。
そんな作戦会議中、外の市街地から新たな異変の報せが飛び込む。「また地鳴りがあった! ビルがいくつか倒壊して、市民が騒いでいる。これは自然現象じゃないらしい……まるで地下から巨大な力が伝わってきているかのようだ!」
懐疑派の兵士が青ざめた顔で報告する。どうやらネツァフのドーム震源で起きた振動が、基地周辺だけでなく市街地にも影響を与えている可能性があるという。
「街にも影響……? まさか、ネツァフがここまで遠距離に干渉してるの……?」
セラは震え立ち上がる。リセット派内部だけではなく、外にまで伝わる衝撃。もしこれが本格的な暴走へ移行する前兆なら、ほんの初期段階でさえ市街地の建物が倒れるとは……最終的にどうなるか想像もつかない。
将校は険しい表情で周囲を見渡し、「もう時間がない。セラとカイはすぐ行動してくれ。私たちが何とか強行派の兵を引きつける。作戦は夜になる前に決行しなきゃ、街が崩壊するかもしれない」と宣言する。
カイはソッとセラの手を握り、「わかった。やろう、セラ……行こう」と力強く言う。セラは頷き、胸の奥で微かな勇気を燃やす。
作戦の段取りが固まる中、セラたちは急ぎ医療棟へ戻り、必要最低限の医療装備や通信機を整える。その合間、マキが慌ててやってきて「反対派ドミニクから、密かに連絡が来た」と耳打ちする。彼らは市街地の郊外に陣地を築き、内部にもスパイを残しているため、状況を把握しているらしい。
「ドミニクは『俺たちもネツァフ暴走を止めるためなら手を貸す』と伝えてきたわ。敵対してるとはいえ、暴走すれば反対派も全滅する。だから……協力できるところは協力する、と」
セラは動揺しながら、「ドミニクさんが……本当に?」と問う。あの頑迷なドミニクが、ネツァフ暴走には危機感を感じているのだろう。一方で、いつ敵対が再燃してもおかしくない。
「ただし、エリックやレナを優先して救出することが条件だって。……ドミニクも足掻いてるんだね」
マキが淡く微笑む。セラは唇を結び、(レナを今すぐ移動できないし、エリックも怪我や拘束の問題があるが……それでもドミニクと共闘する道があるなら、利用しない手はないか)と考える。
(リセットを越えた破壊衝動――ドミニクも許容できるはずがない。それなら、なおさら私が止める意味がある。)
最終的な行動に踏み出す前、セラはどうしてもレナに言葉を交わしたかった。病室の扉を開けると、レナはまだベッドで息を浅くしているが、瞳は開いていてセラの姿をじっと追っている。
「レナさん……。これから、ネツァフの暴走を止めに行く。多分……とても危険なことになる」
レナは苦しげに唇を開き、掠れた声で応じる。「……本当に、行くの……? あなたが死んでも……いいの……?」
セラは必死に笑みを作り、「死にたくはない。でも、ネツァフが制御不能なら世界が滅ぶかもしれない。あなたやエリックさんを救うためにも、行かなくちゃ……」と伝える。
レナの目には悲痛な色が広がり、「……私のせい、だよね……あなたに足掻きを教えた……でも、そんな危険に……」と自嘲を混ぜた声がこぼれる。
セラは即座に首を振り、「違う! あなたが足掻きを教えてくれたから、私は生きている。世界を諦めないでいる。だからこそ、私がいるんだよ……」と励ますように握手する。レナは涙混じりの呼吸を繰り返し、ほんの少し口元を歪めて笑う。
「ごめん……私には、何も……。でも……生きて、戻って……」
レナの弱々しい声に、セラは力強く頷き、「必ず帰ってくる。そしたら一緒に新しい世界を見に行こう。それが私の足掻き……」と誓いを立てる。レナもまた微かな瞳の光で応えた。
夕刻、懐疑派将校が配下の兵士を動かし、別のエリアで騒動を起こして強行派の注意を逸らす計画が実行に移された。ドミニクの反対派も外部から陽動を行い、基地の入り口付近に衝突を仕掛ける。リセット派の強行派はそちらの対応に大きく回され、ネツァフ区画の警戒が一時的に手薄になる見込みだ。
セラはカイとともに、マキの案内を受けて研究区画の暗い通路を急ぎ、そこから“地下ドーム”へ続く秘密ルートを目指す。強行派が封鎖した主要ゲートは通れないため、旧メンテナンストンネルを使うしかない。
「行き止まりじゃないといいけど……」
セラが不安を口にすると、マキは小声で「ここは昔、解体されず放置された経路と聞いてる。今なら誰も気にしてないわ……」と返す。
頭上では、銃撃音や爆発音が響き始める。おそらく懐疑派と強行派が衝突し、反対派も何らかの陽動を仕掛けているのだろう。基地全体が戦場になりかけている。
「こんな内戦みたいなこと……止めたいのに。でもネツァフが暴れ出したら、もっと大変なことに……」
セラは震える声で呟き、カイが「僕らが止めるしかないね。今、強行派も懐疑派も衝突してるが、結果がどう転んでも、ネツァフが暴走すれば全滅だ」と苦い顔をする。
旧メンテナンストンネルを進み、薄暗い空間を慎重に歩むセラたち。突然、前方の曲がり角から懐中電灯の光が差し込み、「いたぞ!」という怒声が上がった。どうやら強行派がこちらにも追手を差し向けていたらしい。
「くそ……やはり気づかれたか」
マキが叫び、カイが拳銃を構える。セラは両手を構えようもなく、どう対処すべきか迷う。相手は複数のライフルを所持している気配がある。撃ち合いになれば圧倒的に不利だ。
兵士の一人がライフルを向け、ダダダッと射撃。壁に火花が散り、金属の臭いが充満する。セラとカイは慌てて脇の空間に飛び込み、マキもしゃがみ込む。
「降伏しろ! ネツァフ区画に近づけばリセットの邪魔になる。ここで殺されたいのか!」
相手はそう威嚇するが、セラは息を整え、(ここで引き下がったら終わり。私が行かなきゃ、暴走を止められない……)と拳を握る。
カイがセラに目配せし、「時間がない。こっちが動くしかない……」と囁く。彼が転がっていた金属部品を拾い、相手に向かって投げつける。ガラガラと音を立てて転がる音に兵士たちが一瞬気を取られた隙に、カイが発砲し、相手の足元を狙う。弾丸がコンクリートを弾き、相手は慌てて姿勢を崩す。
「今だ、走れ!」
カイの叫びに、セラとマキが猛ダッシュで通路の先へ駆け抜ける。強行派兵士も応戦しようとするが、カイが再度威嚇射撃を行い、視線を逸らせる。
弾丸が頭上をかすめ、コンクリ片が舞う。セラの心臓は破裂しそうだが、足を止められない。ネツァフを止めるために進むしかない。(死ぬかもしれない……けど、私が止まらなきゃ誰がやるの?)
やがてカイが背後から追いつき、三人で無我夢中で走る。兵士たちは「くそ、待て!」と追撃の足音を立てるが、通路は曲がりくねっていて視界が悪い。運よく逃げきれるかもしれない。
「あっちの扉……!」
マキが指を指す先に、錆びた鉄扉が見える。そこを抜ければネツァフ区画の地下層に繋がる可能性が高い。焦る心を押し殺して扉に手をかけると、幸いにも鍵はかかっていない。セラは力いっぱいそれを押し開け、暗い空間へ滑り込む。
扉を閉めた瞬間、どこかからズン……と低い震動が伝わってくる。暗闇の中に階段があり、上方には薄青い非常灯がちらついている。先へ進むと、ネツァフの保管ドームの下部に繋がるはずだが、そのエリアは通常厳重に封鎖されている。
「大丈夫……? 息、苦しそう」
カイがセラに囁く。セラは激しい呼吸で胸を上下させながら頷く。「平気。……急がないと、強行派が追いついて……。それに、ネツァフが何かまた放電すれば……」
階段を登りきると、非常灯の照明が淡く足元を照らしている。壁際には古いパネルや配線が走り、時折電気火花を散らしている光景が見える。ここもまたメンテナンスされずに放置されてきたのだろう。
そして、より強烈なバチッという音とゴゴゴという脈動が、狭い通路を揺らす。まるで巨大な心臓の鼓動がすぐ近くにあるようだ。
「あれは……」
セラが目をやると、コンクリの壁にひびが入り、その先から有機的な青緑色の光が漏れている。まるでネツァフが壁越しにこちらへ呼びかけているかのようで、不気味で仕方ない。
マキが端末を再起動してログを取りながら震える声で言う。「……ヤバいわ。このパネルの数値がさらに上昇してる。ネツァフの内部エネルギーが臨界に近づいてるのかもしれない……」
さらに通路を進むと、最終的に広い空間へ抜ける扉が見えてきた。ドームの下部、ネツァフの足回りに相当する部分だと推測される。兵士の姿はないが、床や壁にはケーブルが散乱し、過去の整備の跡が雑然と残っている。
扉を開けた途端、セラは息を詰まらせる。そこには、ネツァフの巨大な脚部の一部が露わになっており、有機的な装甲が脈打つように微動している。さらに足元には、床を焦がすような緑の液体が滴っており、まるで何かの体液が滲んでいるかのようだ。
「こんな……普通じゃない……」
セラが震える声で言うと、カイも顔をしかめる。「まるで生体兵器の“血”が漏れているみたいだ。ネツァフがどこかで自己を損傷させ、そこからエネルギーが流出しているのかもしれない……」
マキは恐怖心に耐えながら、端末で記録を取る。「こんなの、公式データには書かれてなかった。リセット用の生体兵器が、ここまで不穏な姿を晒すなんて……」
不意にズズンという振動がまた走り、ネツァフの脚部がわずかに動く気配が伝わる。上方に目をやれば、巨大な人型シルエットの胴体が闇の中にそびえ、一部がドーム上層へせり出している。大きな鎖や拘束具が施されているはずが、ところどころ外れているのが見える。
暗闇の中、セラが震える足取りで進もうとした瞬間、ネツァフの脚部付近からバチッと大きな放電が走り、青白い稲光が彼女を狙うように放たれた。「危ない!」
カイがセラを引っ張り、間一髪で地面に伏せさせる。放電の光が柱を焼き、一瞬にしてコンクリが砕け散る。轟音と閃光、そして焼け焦げる臭いに包まれ、セラは思わず悲鳴を上げる。
「うわあっ……!」
耳鳴りが激しく、視界が一時的に白く染まる。そのあと黒い煙が漂い、粉塵が舞ってむせ返る。
ネツァフが意図的に攻撃しているかは不明だが、この攻撃は明らかに危険だ。マキが端末を死守しながら「は、放電のエネルギー量がやばい……融合どころか、ただの近接者を排除してるみたい……」と声を震わせる。
セラは息を整え、「こんなの……どうやって止めれば……」と目を潤ませる。まるでネツァフは、自分以外の存在を拒絶し、全てを排除しようとしているように感じられた。
慌ただしく身を起こすセラたち。カイが宙を見上げ、「多分、コア部分は胸部から頭部へかけてある。そこにアクセスしないと“逆融合”の術も試せない……でも今は足元だけでこれだけ危険だ。上に行く道は……」と困惑する。
マキが周囲をライトで照らして探索する。「昔のエレベーターが……あったはず。でも今は使えるかわからない」と肩を落とす。
セラはそれでも意を決し、脚部の奥へ回り込むように目を凝らす。そこには古い貨物リフトの残骸があり、一部は崩壊しそうになっているが、梯子状のフレームが残っている。「あれかもしれない……危険だけど登れるかも……」
カイは暗い表情で「うん、でもネツァフが再び放電すれば……」と恐れる。しかし、やるしかない。時間が経てば経つほど、暴走の度合いが増すかもしれないのだ。
「私が行くよ。ネツァフが狂ってるなら、私がパイロットとしてコアへ語りかけるしかない。カイとマキは下で安全を確保して……」
セラが言い終わらないうちにカイは首を振る。「僕も行く。君一人じゃ死んでしまうかもしれない。逆融合のプログラムを入力するなら僕の技術が必要だ」
マキは躊躇して「私も行く……と言いたいけど、足場が崩れそうだし……下で通信を確保する。何かあったら懐疑派の将校を呼び込めるようにするわ……」と提案する。
こうして、セラとカイは貨物リフトの基部へ向かい、錆びた梯子を掴んで上に登ろうとする。周囲ではネツァフが不規則にエネルギーを放ち、バチバチと放電音を響かせている。いつ狙われてもおかしくない絶体絶命の状況だ。
梯子を一段一段昇るたび、鉄が軋む音が耳を刺す。崩壊寸前の足場は滑りやすく、少しの油断で落下すれば確実に重傷か死に至る。セラは恐怖で胸が詰まるが、カイと交互に声を掛け合い、意識を集中する。
「セラ、あと半分……頑張れ!」
カイが上で励ます。セラは必死に足を踏ん張り、「うん……!」と下から答える。だが、その瞬間、ネツァフの胸部が放電し、稲妻が梯子付近を走る。「きゃああっ!」
梯子に帯電が走ったのか、電撃がセラの体をかすめ、思わず指を離しかけるが、カイが上から手を伸ばして引き上げる。「しっかり掴まれ……大丈夫か!」
セラは激しい痛みで声が出ないが、どうにかうめき声を上げながら握り直す。皮膚が焼けるような痛みに涙が滲むが、今は止まれない。
上方で火花が舞い、ネツァフの胸部装甲がうっすらと見えてくる。大きく湾曲した生体部が、ドーム天井の支柱に固定されているが、何本かの拘束具は外れているのが視認できる。
「あと少し……!」
カイが一息つき、最上段まで昇りきる。そこには小さなプラットフォームのような足場があり、ネツァフの胸元へと手を伸ばせる位置に到達する。セラも続き、足を踏み込むが、視界に広がるのは青白い裂傷のような隙間と、不気味に光る生体繊維だった。
セラは前へ進み、ネツァフの胸部に触れられる距離まで近づく。そこには、本来なら完全に閉鎖された装甲板が割れ、そこから筋肉質の生体が剥き出しになっているような裂け目が走っていた。さらに隙間からは、まるで体液にも似た緑色の液が滴り、床を溶かす勢いの腐食が始まっている。
「こんなの……ネツァフが自分で装甲を壊したの?」
カイが絶句する。あるいは、何らかの衝撃が内部から外へ向けて放たれたのかもしれない。いずれにせよ、正常な状態ではない。(これはもう、リセットを行うどころか、ネツァフが自壊しつつあるのかもしれない……)
セラは込み上げる恐怖をこらえ、震える手で装甲の裂け目に触れる。途端に体がビリリと電流を感じ、足がすくむ。「あ……うっ……」
カイが慌ててセラの腕を引き、「無理しないで……でも、コアはこの先にあるんだ。内部に何か通路が……」と、裂け目の奥を覗き込む。
薄暗い穴のような空間が続いているらしく、微かな脈動の光が奥で脈々と灯っている。そこがコアに繋がっている可能性が高い。セラは唇を噛み締め、「私が行く……これが逆融合の……」と言いかけるが、カイも「二人で行くんだろ? 俺も……」と制止する間もなく口を挟む。
「いや、カイ。あなたまで危険に晒すわけには……」
「君一人じゃできない。停止コードを入力する手段、僕がやる。大丈夫、僕も覚悟してる……」
セラはカイの瞳を見つめ合い、もう言葉はいらないと感じる。二人は手を繋ぎ、裂け目へ身を乗り出す。ノート端末や工具類を一つずつ確認して、意を決して内部へ踏み込んだ。
ネツァフの胸の裂け目は、奇妙にうねる生体構造が内壁を形成しており、ところどころに機械的な配線や金属パーツが混在している。まさに有機と無機が融合した不気味な空間だった。
セラとカイが懐中電灯で足元を照らしながら慎重に進むと、床には粘液状の膜があり、ぬちゃっとした感触がブーツを伝う。独特の生臭さと蒸し暑い空気が肺を焦がす。(ここは……生き物の体内そのものだ……)
「きっともう少し奥にコアがある。そこに“停止コード”を入力する端末があるはず……」
カイは端末を抱え、息を荒くして説明する。理論的には、コア付近の制御端末と直接通信できるはずだが、位置が不明のため、探すしかないのだ。
セラが一歩踏み出すごとに、壁から細い触手のようなものが蠢き、手首に纏わりつきそうになる。「ひっ……!」と思わず声を上げて引き剥がすが、その触手がビリリと電撃を伴ってきて、手首が痛む。腕に赤い跡が残り、軽い火傷のようになっている。
「セラ……大丈夫? 痛い……?」
カイが心配気に見やるが、セラは必死に首を振る。「構わない。……ネツァフが拒絶してるのかもしれない。だけど、私たちが行かなきゃ止まらない……」
有機的なトンネルを抜けると、急に空間が開ける。その中央に“コア”とおぼしき球体が脈動しており、周囲には端末らしき装置が配置されていた。球体は生体組織に覆われ、緑や青の閃光を断続的に放出している。その閃光が時に大きく膨れ上がり、グワッという低音を伴う。
「あれが……ネツァフの心臓部分……」
セラが息を呑み、近づこうとするが、電撃に似た力が彼女を弾き返す。「うっ……!」と声を上げて倒れ込みそうになるが、カイが支えてくれる。
「セラ……! 無理しないで……」
セラは苦しい呼吸を整えつつ、「融合パイロットの私でも……こんな排斥反応があるなんて……」と驚愕する。ネツァフが自分を含む全存在を拒み、破壊しようとしているのかもしれない。
カイが隣の端末を見つけ、「これは……制御コンソールの一部か……?」と急ぎ解析を試みる。カバーを外すと、中には有機ケーブルと機械が絡まり合っており、操作パネルが現れた。
「ここに停止コードを打ち込めば、ネツァフを休眠状態に戻せるかもしれない。セラ、こっちへ!」
セラは心臓が潰れそうな不安を抱えながら端末に近づく。だが、コア球体が激しく光を放ち、ボッと放電火花を噴き出す。高温の閃光がセラの頬をかすめ、軽く焼ける臭いがする。痛みに叫びそうになるが、彼女は歯を食いしばった。
「もう、時間がない……やるしかない!」
カイがキーボード状の入力パネルを取り出し、停止コードの受け付けを開始する。セラは隣で、パイロットとしての生体認証を行う必要があるという表示に気づく。「ここに……私の手を当てろと……?」
端末のディスプレイに、「パイロット 生体認証 → コア接触 → 停止プログラム開始」というメッセージが浮かぶ。まさに“逆融合”の手順らしいが、同時に危険度も高い。ネツァフが拒絶すればセラは意識を呑まれかねない。
セラは一瞬カイを見つめる。カイが悲痛な面持ちでうなずき、「僕がプログラムを走らせる。君はここで手を当てて、ネツァフと意識レベルで“繋がる”んだ……」と説明する。唇が震え、涙が滲むが、セラは迷わずコアへ歩み寄る。
コア表面から放出されるエネルギーは熱を伴い、肌に触れるだけで焼けるような痛みが走るが、セラは叫びをこらえて両手を当てる。すると、ズンという重い衝撃が頭を突き抜け、視界が瞬時に白く染まっていく。
「あ……っ」
彼女の身体が硬直し、意識がどこかへ飛んでいく感覚。ネツァフの生命活動が一気に流れ込む。心の奥で聞こえるのは、“痛みなく消す”という使命を捨てたかのような圧倒的な破壊の衝動――まるで、「世界をすべて破壊して再構築しろ」という狂気の囁きであふれている。
カイはセラの身体を押さえながら、端末にキー入力をしていく。「停止コードを……頼む、通ってくれ……!」
しかし、ディスプレイにはエラーが連続し、「Neural Overload」と赤字で警告が出る。セラ自身が意識を保てなければ、停止が受理されないという仕組みらしい。
セラはネツァフ内部の暗い精神空間に引きずられながらも、必死に心の中で叫ぶ。(やめて……こんな破壊、私は望まない。足掻きの意味を、あなたが消さないで……!)
やがて脳裏にレナやエリック、ドミニク、そして市民たちの顔が浮かぶ。足掻く人々の思い――痛みと苦しみは消えないが、それでも生きようとする希望がある。セラはその感情を力に変え、ネツァフの破壊衝動に抗うように意志をぶつける。(私は……死ぬわけにはいかない! 私が守りたいのは、世界を丸ごと消すんじゃなくて、生きる意志……!)
すると、コアが脈動を増幅させ、ズン、ズンと何度も激しく内部から衝撃波を放つ。セラの身体に激痛が走るが、最後の一念で片手を端末へ動かし、生体認証のボタンを押す。その瞬間、端末に「認証完了」の文字が表示され、停止プログラムが走り始めた。
「やった……! セラ、もう少し耐えて……!」
カイが声を張り上げるが、ネツァフが最後の抵抗かのようにバチバチと激しい放電を繰り返し、ドーム全体を揺るがす。床が崩れ、コア周辺の肉壁から肉片が吹き上がる。セラはそれでも手を離さず、(足掻くんだ……死んでも、レナやエリックを救うんだ……)と絶叫しながら意識を保つ。
停止コードが100%、…100%完了まで数秒が永遠に感じるほど長い。最後に「Shutdown Process…OK」と表示が出た瞬間、ネツァフの激しい脈動が止み、閃光が消失する。セラはそのまま気を失い、カイが慌てて抱き止める。
「セラ! セラ……!」
空間は深い静寂に包まれる。破壊衝動を放っていたネツァフが、今度こそ沈黙したのか。ドーム全体に響く心音のような震動は止み、ただ暗闇と沈鬱な匂いだけが残っている。カイはセラの頬を叩き、「応答して……お願いだ……!」と必死に呼びかける。
エピローグ――一瞬の静寂と足音
時間がどれほど経ったのか、ドームには崩壊した足場の破片や血塗れのような生体液が散在している。やがて懐疑派の兵士や医療スタッフが駆けつけ、通路からライトが差し込む。「大丈夫か……!」という叫び声がこだまする。
カイはセラの意識を探るが、彼女は小さく呼吸をしているだけ。辛うじて脈はあるようだが、呼びかけても反応がない。しかし、ネツァフの動きは完全に止まり、コアも光を失っている。
「セラ……ありがとう。君が、世界を救ったかもしれない……」
カイは涙を流しながら彼女を抱きしめる。仲間の兵士がストレッチャーを持って駆け込み、二人を救護しようとする。マキも遅れて到着し、端末を確認する。「ログ上は停止プロセスが完了してる……一応、今は暴走は止まった……」と震える声で言う。
しかし、安堵の声が上がる一方で、ドーム天井には大きな亀裂が走り、いつ崩落するか分からない。強行派の兵士たちも、敗北感を漂わせながら呆然とネツァフを見上げ、リセットが不可能になったことを悟っているかもしれない。
(リセットを越えた破壊衝動は、セラの犠牲で止められた。だが、それは本当に終わりなのか……?)
外の市街地ではまだ反対派との衝突が続き、市民の混乱も深刻だ。“ネツァフの脅威”が去ったわけではないかもしれない。もし強行派が再起を図り、別の手段でリセットを実行しようとすればどうなるか――世界を襲う危機はまだ完全に消えてはいない。
ネツァフのコア停止に成功したセラは、意識を失ったまま救護される。カイやマキ、懐疑派の将校たちは希望を見いだしつつも、今後の課題の大きさに直面する。リセットが不可能になった今、世界はまた別の局面を迎えるだろう。ドミニクやレナ、エリック、そして混乱する市民――誰もがこの先の未来を模索する中、セラが目覚めるとき、真の戦いが再び始まるのかもしれない。