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ゼーゲとネツァフ:Episode 2-3

Episode 2-3:エリックの足取り

夜の闇が溶け、少しずつ空が白み始める頃。
 セラはビルの二階で野宿に近い形で休んでいたが、薄曇りの光が差し込むのを感じて目を覚ました。寝心地は決して良くなかったが、昨日の激闘や長距離の徒歩移動ですっかり疲れ果てていたため、どうにか数時間の眠りを得たようだ。
 床に重ねた毛布を払いのけて身を起こすと、すぐ傍らにカイの姿がある。カイは壁にもたれて微睡んでいるが、セラが動いた気配に気づいて目を開けた。

「……おはよう、セラ。ちゃんと眠れたか?」
「はい、ありがとうございます。カイさんこそ、あまり休めてないでしょう……見張りを交代しなくてすみませんでした。」
 カイは首を横に振り、柔らかい笑みを見せる。「気にしなくていい。俺もそこそこ休めたから。……もう朝だな。昨日あれだけ歩いたのに、まだ道半ばか。」

 二人は立ち上がり、崩れた窓から外を見やる。街の遠くに、また別のビル群が重なって見える。南西方面に広がる灰色の廃墟。その奥には何があるのか、まだ未知のままだ。
 「エリックさん、本当にこの先へ向かったんでしょうか……昨日聞いた話によれば、危険地帯がいくつもあるって……。」
 セラは不安げに呟くが、カイは歯を食いしばるような表情で「だとしても、そこへ行くしかない。彼の名を聞いた住人が“南西方面を進んでいった”と証言してたんだ。あの人(エリック)の足取りを辿るなら、ここで止まってはいられない」と言葉を返す。

 昨日、荒廃した街に住む人々から何とか情報を得た結果、エリックと思しき男が“南西ルート”へ向かった可能性が高いと判明した。ただ、そのルートはギャングや武装勢力の根城になっているため、容易には踏み込めない。とはいえ、他に選択肢も少ない。
 「準備をしましょう。今日も長い旅になりそうです。」
 そう言ってセラはブレスレットを点検し、最低限の所持品――水や乾パン、簡易医薬品などを確かめる。

 ビルの外へ出てみると、朝焼けの空はどこか鈍色を帯び、どんよりとした曇天が広がりつつあった。遠くでカラスが一声鳴くたびに、鉄とコンクリートの街が孤独の響きを増す。
 「昨日の夜に住人たちが言っていた小集落、もう一度寄っていく? 俺たちの出発を見送るかもしれないし、あるいは追加の情報があるかも。」
 カイが提案すると、セラは首を横に振りながら微笑む。「いえ、昨日の襲撃であれだけ大変だったし、私たちがまた現れたら気を遣わせるだけ。ここから出発しましょう。」

 そうして二人は、静かにビルを後にした。夜中に雨でも降ったのか、地面が少し湿っており、靴底が水を含む砂埃を踏むたびにシャリとした感触が伝わる。空気が冷たく肌にまとわりつくが、すぐに体が慣れてくる。
 「じゃあ、行こうか。南西方面、なんだか山のようなものが見えるな……あそこを越えるのかも。」
 カイが指差す方向には、ビル群の向こうに小高い丘か山の稜線がうっすらと見える。地図があれば道を選べるが、既存の地図はもう使い物にならず、地形が崩壊している場所も多いという。闇雲に突き進むしかないだろう。


 歩を進めるごとにビルの数がまばらになり始め、代わりに低い建物や空き地が増えていく。地図も道路標識もあてにならないが、おそらく街の外れに近いエリアだと推測できる。車道には陥没や瓦礫が散乱しており、通行は容易ではない。
 セラは時折立ち止まり、耳を澄ます。人の気配や足音、あるいは車両の音がしないか確認するのだ。しかし、特に大きな物音は聞こえない。昨日のようなギャングとの銃撃戦は今のところ起きそうにないが、油断は禁物だ。

 「カイさん、もしエリックさんがこのあたりを通ったなら、何か目印を残しているとか……ないでしょうか。」
 セラは周囲を見回しつつ問いかける。カイは首をひねる。「彼がそんな行動をとるかどうか……性格上、あまり痕跡を残さないタイプかもしれない。でも、誰かが彼を見かけているかもしれないな。探すなら、人が集まるスポットを狙うしかない。」
 そう言われても、既に街中の住人はほとんど隠れ住んでいる形で、場所は分散している。大型のスーパーや公民館の類いは略奪や争奪が激しく、使い物にならなくなっているだろう。やみくもに探すのは骨が折れる。

 「それでも……行こう。」
 セラは覚悟を決め、足を踏み出す。少しずつ舗装が剥がれた道路を進み、壊れたアーケード商店街の横を抜け、雑木林のように雑草が茂るエリアへ差しかかる。ここはもう街の外周部に当たるのか、建物の残骸がまばらに点在し、視界は開けるが地面の凹凸が激しい。ところどころ大きなクレーターがあり、かつて爆発か何かがあった証拠だろう。

 上空には雲が広がり、風がぴゅうと吹き抜ける。背後に見える廃墟の街は、遠目で見ると蜂の巣をつついたような無秩序の塊にしか見えない。
 セラは振り返って、その街の人々を思う。ギャングに怯える住人、守り抜こうとする小さな集落……どこにも安寧などなく、世界全体がこんな混沌に覆われているのかと想像すると、胸が痛む。

 「これが……私たちが見届けるべき現実なんだよね。」
 セラは呟きながら歩を進める。カイは感慨深げに「うん。リセットを逃れた世界は、こんな形で足掻いている。でも、ここで死んでいくのも一つの現実……俺たちがエリックを追う理由は、ただの任務じゃなくなってるのかもしれないね」と語る。


 やがて小高い丘へ差しかかった。そこには、かつて軍や警察が使っていたと思しき検問所の残骸が見える。鉄柵とバリケード、コンクリートのブロックが不自然に積まれ、幾つかのテントやバラックが倒壊している。
 「ここで何か大きな戦いがあったのかな……」
 セラは壊れた看板に触れながら、弾痕の多さに息を飲む。看板には「検問所:通行許可証の提示を要す」という文字がかすかに読み取れる。

 近づいてみると、地面には薬莢や破片が散乱しており、血痕の跡までがシミのように残っている。明らかに大規模な衝突がここで起こったのだろう。一角には倒れた軍用車両らしきものがあり、車体に焼け焦げの痕がこびりついている。
 セラとカイは警戒しながら探索を始める。もしエリックがここを通ったなら、何かしらの痕跡――例えば落とし物、足跡、あるいは誰かのメモ書きが見つかるかもしれない。
 しかし、見つかるのは廃弾薬や崩れた荷物、無人のテントなど。どれも古いもので、埃と錆がこびりついている。人の気配はない。

 ちょうどテントの奥に、粗末な木製の十字架が建てられたスペースがあった。そこには数体の遺体を葬ったような痕跡があり、土が掘り返された跡がまだ新しい。
 「誰かが最近までここにいた可能性がある……」
 カイが土を調べながら呟く。「まだ硬化しきってない。ほんの数週間か数日前に埋葬したのかもしれない。……エリックが関わってるかどうかは分からないけど、人が動いている形跡があるのは確かだ。」
 セラもうなずく。「この先に進む人たちが、ここで仲間を失って葬ったとか……あるいは、ここの守備隊だった人が最後に自分たちを弔ったのかもしれませんね。」

 手掛かりは得られないまま、二人は検問所の裏手へ回る。そこにはトンネル状に掘られた車道があり、崩落しかけたコンクリートの屋根で覆われている。
 「……行ってみるか? 崩落の危険性はあるが、遠回りするよりは早いかもしれない。」
 カイがタブレットを覗き込みながら言う。セラは少し考えるが、結局は同意する。エリックを追うためには危険を厭わず進むしかない。


 検問所の奥に続くトンネルは暗く、途中で天井が崩れ落ち、かろうじて通れる隙間がある程度だった。奥から水滴の音が反響し、時折コンクリート片が落ちる嫌な音がする。二人は懐中電灯を頼りに、そろりそろりと足を進める。
 「崩落しないといいけど……」
 セラは緊張のあまり声をひそめる。カイも「大きな音を立てずに行こう。もし敵が潜んでいたら、ここは逃げ道がないから危険だ」と警戒する。

 トンネルの途中、鉄柵で仕切られたスペースがあった。かつて物資を検査するスペースなのか、あるいは避難所として使われていたのか分からない。扉は外されていて、穴の開いた金網が垂れ下がっている。
 「ここには……なんだか、人がこもっていた気配があるね。壁に落書きみたいなのがある。」
 セラがライトで照らすと、そこには「もう限界だ」「リセットは嘘だった」といった殴り書きが散見される。リセットが失敗したあとの絶望が、叫びとして残されているのだろうか。

 さらに奥へ進むと、突然カイが「足元に気をつけろ!」と叫んだ。見ると、地面にワイヤーのようなものが張ってあり、セラは間一髪で踏まずに済んだ。もし踏んでいたら、ブービートラップが作動していた可能性がある。
 「危なかった……。誰かが仕掛けた罠か……?」
 セラは冷や汗をかきながら、慎重にワイヤーを避ける。カイがしゃがみ込んでワイヤーの先を辿ると、奥の鉄柵に繋がり、即席の爆発物や破片が仕込まれているのが見えた。確実に殺傷目的のトラップだ。

 (やっぱり、このトンネルは誰かに利用されている……あるいは通り道を封鎖するために仕掛けたのかもしれない。)

 ワイヤーを迂回してさらに進むと、急に後方からガラガラと物音が響いた。二人が振り返ると、何者かが入口付近で落石を動かしているらしい。
 「まさか……閉じ込める気か!」
 カイが慌ててライトを向けるが、落石の粉塵が舞って視界が悪い。人影が見えたかと思うと、「追い詰めて殺すんだ」と低い声が響く。どうやら、このトンネルに罠を仕掛けた連中が、外部の侵入者を見つけて閉じ込めようとしているようだ。

 「まずい、出口を塞がれる前に抜けないと……!」
 セラはブレスレットを確認しつつ、カイと共にトンネルの奥へ全速力で駆け出す。足場の悪いコンクリートを滑らないように注意しながら進むが、背後でガラガラという落石や金属のぶつかる音が近づく。まるでトンネル全体が破壊されるような勢いだ。
 やがて前方に薄明かりが見え、「出口だ……!」と安堵するが、そこにも複数の人影が動いているのが分かる。ライトの明かりがチラチラと揺れ、男たちの低い笑い声が聞こえた。

 「よう、ずいぶん走ってきたな……ここで終わりだ。中にはワイヤー罠も仕掛けてある。動けば爆死だぞ。」
 リーダー格らしき男がニヤリと笑い、手にしたライフルをセラたちに向ける。周囲には3人ほどの仲間がいるようだ。トンネルの外側には朽ちた門があり、朝焼けの光が僅かに差し込んでいるが、まだ全体的に暗い。
 「くそ……閉じ込める気か……!」
 カイは拳銃を握りしめるが、相手との距離はそこそこあり、しかも背後から来る危険もある。セラは焦りを感じつつ、どう動くべきか咄嗟に考える。トンネル内の形状を活かせば、相手の射線を隠せる可能性もあるが、罠がどこにあるか分からないのが痛い。

 「さて、どうしてくれようかね……。あんたら、ここに来たってことは、うちの縄張りを荒らすつもりか? 俺らの物資を狙ってるのか?」
 リーダー格が茶化すように声を上げるが、セラは思い切って反論する。「そんなつもりはない! 私たちはただ、ここを通りたいだけ! エリックって人を探してるんです!」
 相手がエリックの名にどう反応するか、わずかな期待を抱いて問いかけたが、男は「はぁ? 知らんね。勝手に他人の縄張りを通ろうとしてんじゃねえよ」と嘲笑するだけ。むしろ敵意を増大させる要素にしかならないかもしれない。

 「じゃあ、どうすれば通してくれる?」
 カイが冷静に交渉を試みると、男はライフルを構えたまま肩をすくめ、「このトンネルの管理料を払ってもらうさ。あんたらの持ってる物資、全部置いていけ。そうしたら命だけは助けてやるよ」と言い放つ。
 セラは苦々しい思いで、自分たちの持ち物を思い浮かべる。水や乾パン、多少の薬品、武器など……これらを失えば、先へ進むことはほぼ不可能になる。
 「そんな……私たちにそれを差し出せというなら、死ねって言われてるようなものですよ……。」
 男たちはニヤリと笑う。「知ったこっちゃねえ。ここはそういう世界だ。リセットなんか無くなったんだろ? だったら自分の力で生き残れや。」

 険悪な空気が漂う。背後からも足音が近づき、入り口を塞いだ連中が追いついてきたらしい。セラとカイは完全に挟み撃ちの形だ。
 (どうすれば……)

 このまま奪われれば先へ進めず、戦えば敵は多勢。危険極まりない状況だ。セラは奥歯を噛み、脳裏に浮かぶのは“ネツァフの生体サポート機能”をもう少し強引に使うこと。
 普段は身体機能や感覚を少し補助するだけだが、緊急時には神経反射を極限まで高め、瞬発力や回避力を増幅できる。しかし、負荷が大きく長時間は維持できない。さらに、制御を誤れば自分自身を傷つけるリスクもある。
 カイは横目でセラのブレスレットを見て、「まさか、無理する気じゃ……」と小声で警告する。しかしセラは決意の表情を浮かべ、「ここで奪われれば、エリックを探す旅も終わる……私は……」と呟いた。

 ブレスレットのスイッチを二度軽く叩くと、薄緑の光が一瞬増幅し、セラの身体に熱が走るような感覚が伝わる。心拍が急激に上昇し、視界がわずかに広がったように感じる。
 相手が「おい、何をやってる?」と怪訝そうに声をあげた瞬間、セラは凄まじい勢いで地面を蹴り、側面へダッシュする。ライフルを持つ男が慌てて銃口を向けるが、すでにセラは柱の陰に隠れ、射線を外している。

 「撃てっ……!」
 リーダー格が怒声を上げ、複数の銃が火を噴く。弾丸がコンクリート柱を砕き、破片が飛び散る。しかしセラの動きは速く、反射神経をフルに活かして次の柱へ移動し、反撃の体勢を整えた。
 「カイさん、今です……!」
 セラの声に呼応するように、カイも地面に伏せながら拳銃で応射を開始。何発かは天井や壁をかすめるが、敵も慣れているのか、簡単には被弾しない。
 「くそっ……あの女、普通じゃないぞ! 早く囲め!」
 背後からも足音が激しく迫り、セラたちは完全なる十字包囲の危機に陥っている。だが、動きを封じられれば終わりだ。

 ブレスレットの効果でセラの身体は軽さを増し、思考も研ぎ澄まされるが、それも長くは続かない。体力の消耗が激しく、心臓がバクバクと悲鳴を上げているのを感じる。
 (やるしかない……今、この場を突破しないと……!)

 セラは柱の陰から飛び出し、側面に回り込む形で銃撃を浴びせるが、持っているのは小さなハンドガン。射程と貫通力で劣るため、敵の防弾プレートに弾かれたり、壁に当たったりで決定打がない。
 「ハッ……甘い!」
 一人の男がセラに突進しようとするが、セラは素早く躱し、相手の腕を捻り上げて奪い取ろうと試みる。ところが、相手も訓練されているのか、逆にカウンターを狙ってくる。
 激しい格闘の末、セラは左肩に衝撃を受けて壁に押しつけられるが、ブレスレットの力を頼りに肘打ちを繰り出し、相手を弾き飛ばすことに成功する。男は呻き声を上げて倒れるが、まだ意識がありそうだ。

 その隙にリーダー格がライフルを再装填し、距離を詰めてくる。「ガキが……舐めてんじゃねえぞ!」
 カイがカバー射撃を試みるが、別の敵がカイを抑え込もうと仕掛けており、自由に動けない。カイも相当な苦戦を強いられている。
 「セラ……やばい……!」
 カイが悲鳴じみた声を上げた次の瞬間、リーダー格がセラの身体を銃口で捉える。逃げ場は柱一本だけ。まさに絶体絶命の形だ。

 (撃たれる……ここで終わるのか?)

 セラは咄嗟に頭を低くし、ブレスレットのサポートを残ったわずかな力でさらに上乗せする。視界が歪むほど負荷が増すが、背後の地面を蹴って横に飛び込み、ギリギリで銃撃を回避する。弾丸が柱を砕き、派手な破片が宙を舞う。
 「チッ……ちょこまかと……!」
 リーダー格が追撃しようと銃を振り向けるが、セラは滑り込むように接近し、銃口を押し返す。二人は銃を挟んで力比べに近い形となるが、セラの身体は既に限界が近い。ネツァフのサポートによるオーバードライブが切れかけており、筋力が急激に落ちる気配を感じる。

 (もう少し……もう少し……!)

 しかし、リーダー格はさすがに荒事に慣れているのか、セラの腕を振りほどき、銃床でセラの横腹を打ち据える。
 「ぐあっ……!」
 セラは痛みで体勢を崩し、床に転倒。リーダー格が再度銃口を向け、「終わりだ、クソガキ!」と引き金に指をかける。

 銃声が響く――かと思いきや、突如として横合いから別の銃声が割り込み、リーダー格の腕を弾くように弾丸がかすめる。リーダー格は「ぐっ……!」と叫んで一瞬怯み、セラへの射撃が止まる。
 次の瞬間、暗闇の中から3人ほどの影が駆け寄り、リーダー格の仲間たちに一斉攻撃を加える。乾いた銃声と鈍い格闘音がトンネルに反響し、ギャング側が「何者だ、お前ら……!」と慌てふためく。
 セラは床に倒れ込んだまま、鳴り響く銃声に耳を澄ます。どうやら、謎のグループがギャングと交戦しているらしい。カイも「くっ……」と声を上げつつ、混乱に乗じて逃れようとする。

 「速く行け、そいつらは俺たちが抑える!」
 暗闇の中で、低い声がそう叫んだ。照明を持たないため、顔は分からないが、声のトーンから男であることは確か。
 「え……? あ、ありがとうございます……」
 セラは辛うじてそう返事をするが、状況が読めないまま、カイの腕に支えられて立ち上がる。ギャング連中もわたわたと応戦しているが、新たに現れた集団は手慣れた動きで銃撃を繰り出し、圧倒している様子だ。

 「セラ、今のうちに……」
 カイがセラを抱えるようにしてトンネルの出口へ駆け出す。足元がぐらつくセラは、オーバードライブの反動で全身が痺れているが、必死に歯を食いしばる。
 ギャングたちの悲鳴が後方に響き、謎の集団も「撤退しろ、追うな!」と声をかけ合う。そのままセラたちはトンネルの外へ逃げ出し、崩れかけたコンクリートの隙間から射す光のなかへ転がり出る。

 「あっ……はぁ……」
 外気を一気に吸い込むと、セラはそのまま地面に膝をつき、大きく深呼吸する。カイは膝をつきながら周囲を警戒するが、どうやら先ほどの謎グループがギャングを足止めしたおかげで、今のところ追撃はないらしい。
 「一体、誰だったんだろう……助かったけど……」
 カイも驚きの色を隠せない。セラは肩で息をしながら首を振る。「わ、わからないけど……私たちの味方ではありそう……。」

 ネツァフのサポートが切れたセラの身体は重く、両脚がブルブルと震えている。限界を超えて身体を酷使したため、しばらく動けそうにない。カイがセラを抱きかかえるようにして、近くの瓦礫に腰掛けさせる。
 「大丈夫か? 立てるか?」
 「うん……ちょっと休めば、何とか……」

 視線を上げると、トンネルの出口付近は崖のように崩落しており、そこから先は森のような雑木林が広がっている。まるで街の外側へ出たかのような光景だ。鳥の鳴き声も微かに聞こえ、空にはまだ雲が多いが、晴れ間がのぞく予感がある。


 少しして、トンネル内から足音が近づいてきた。セラとカイが身構えると、暗闇から出てきたのはさきほどの「謎の集団」の一人らしき男だった。深いフードを被って顔の一部を隠しているが、ライフルを下ろした姿勢なので敵意はなさそうだ。
 「まだいたか。さっきはよく逃げたな。」
 低く抑えた声。背後にもう二人ほど影が見えるが、彼らも銃を構えていない。どうやらギャングを排除した後に様子を見に来たらしい。

 「あなたたちは、あのギャングを追っていたんですか……?」
 カイが静かに尋ねる。男は少し考えるように口を閉ざした後、短くうなずく。「あいつらは、この辺りで暴れまわる悪党だ。俺たちは“ある目的”でここの治安を保とうとしている。……まあ、余所者には関係ない話さ。」
 セラは苦痛に耐えながら立ち上がる。「それでも、私たちを助けてくれた……ありがとうございます。もしよかったら、あなたたちの名前を……」
 男はフードの奥で微かな笑みを浮かべたようにも見えるが、「名乗るほどでもない。俺たちはただ、リセットなんてクソみたいな計画に頼らず、この世界で足掻く連中の一部だ。……あんたらもリセット派ではなさそうだし、ここで死なれても困るから助けただけ。」と素っ気なく答える。

 セラとカイは顔を見合わせ、やはり彼らは反対派か、あるいはそれに近い理念をもつ人々かもしれないと思う。リセット失敗後、各地で「自力で生きる」道を選ぶ勢力が散発的に活動しているという噂は聞いていた。
 「すみません、私たちはエリックという男を探しています。もしご存じなら、教えていただきたい……」
 セラが意を決して問いかけると、男は小さく眉を寄せた。「エリック……? その名は聞いたことがあるが、直接会ったわけじゃない。噂によれば、リセットを阻止した裏切り者の代表……だとか?」
 カイが身を乗り出す。「ええ、そうです。ここへ来たという情報があって……先ほどトンネルで罠にハマってしまいましたが、彼の足取りを追って南西方面へ行くつもりなんです。」

 男はしばし考え込むように黙ったが、やがて周囲の仲間たちに目配せをする。「……あの男、確かにこの辺りを通過したらしい。俺たちの拠点でも名前を聞いた。隣町へ向かった可能性が高い。だが、あんたらに教える義理はない。そもそも、あんたらが奴をどう扱うつもりか分からないしな。」
 セラは必死の思いで言葉を絞り出す。「私たちは彼を捕まえたいわけじゃありません。話をしたいだけ……この世界がこうなった原因の一つはリセットが失敗したからで、そのきっかけを作ったのがエリックさんだけど、彼にも何か理由があるはずだと信じてるんです。」
 男はフード越しにセラを見つめ、微かな苦笑を漏らす。「信じてる……か。少し甘いが、まあいい。もし本気であんたらが奴を探したいなら、この先の廃採石場を越える必要がある。そこは武装勢力の通行所だ。うまく話をつけないと殺されるぞ。」

 カイは地図を頭に思い描きながら、「廃採石場……?」と首をかしげる。男は続ける。「リセットが失敗した後、資源を奪い合う連中がそこを拠点にしてる。いわゆる“軍閥”の一つだ。エリックが通った頃には、彼は何かしら取引か交渉をしたのかもしれん。とにかくそこを抜ければ、隣町へ行ける。」
 セラは希望を感じつつも、軍閥や武装勢力という言葉に嫌な予感が募る。「ありがとうございます……そこを越えれば、隣町にエリックさんの足取りがあるんですね? 私たち、行ってみます。助言をくれてありがとう。」
 男は短く頷き、「その代わり、あまりうろつくな。奴らが本格的に動けば、俺たちも始末しなきゃならんかもしれないんでな」と低い声で釘を刺す。仲間たちも無言のまま背を向け、トンネル内へ戻ろうとしている。

 カイは最後に礼を言い、セラを支えながらその場を離れる。体は限界に近いが、ここで休むわけにもいかない。今ならまだギャングも混乱している状態で再襲撃はないだろう。
 セラは心の中で、謎の男たちに感謝すると同時に警戒を忘れないよう念じる。反対派かどうかは不明だが、彼らもまた“リセットに頼らず生きる”方法を探す一群なのだろうか。


 トンネルを抜けると、周囲はうっそうと茂る雑木林が広がっていた。倒木や枯れ枝が散らばり、獣道のような踏み跡があるのみ。遠くで小鳥や小動物の気配も感じられるが、誰も整備していないので足元は悪路そのものだ。
 セラはブレスレットをオフに戻し、身体の反動に耐えながらゆっくりと歩を進める。先ほどの戦闘で受けたダメージもあり、体力はかなり消耗しているが、何とかカイが背負う形で行軍を続ける。
 「すまない、セラ……俺がもっと早く動ければ……」
 カイが申し訳なさそうに言うが、セラは弱々しく首を振る。「いいえ、私が無茶をしただけ。カイさんこそ怪我はないですか……?」

 二人とも満身創痍に近い状態だが、これ以上時間を浪費すると夜が再び訪れ、危険が増す一方だ。可能な限り先へ進む必要がある。
 森林地帯を抜けかけたところで、開けた場所に出た。遠くに見えるのは巨大な穴、採石場だ。かつてこの辺りで岩石や鉱石を掘削していた跡地らしく、削り取られた地面が段階的に広がっているのが確認できる。周囲には鉱石運搬用のレールやベルトコンベアの残骸が散らばり、投げ捨てられたダンプカーの骨格が錆びている。

 「……あれが廃採石場か。あそこに“軍閥”がいる、という話だね。」
 カイが地形を見回す。低い丘に切り込みが入ったように大きな穴がいくつも並び、段階的に降りる道が何本か伸びている。どこを通っても視界が開けてしまい、隠れながら進むのは難しそうだ。
 「どうやって交渉するんでしょう……私たち、名乗れるような肩書はないし、物資も限られてる。下手に近づくと、さっきみたいに撃たれるだけかも……」
 セラは後ろ髪を引かれる思いで足を止めるが、カイは苦渋の表情で「だが、ここを通る以外の道はない。引き返しても別ルートは無いし、時間も無駄になる。エリックが通ったなら、ここを無傷で抜ける方法があるはずだ」と言う。

 (本当に、エリックさんはこんな危険地帯を通ったの……?)

 セラは疑問を抱きつつ、それでも前に進むしかない。彼女の体はボロボロで、疲労が激しいが、エリックの姿を思い浮かべるたびに不思議と足が動く。


 段階状の道を降りていくと、やがて採石場の最下層近くに広場のような平坦地が広がっているのが見えた。どうやらそこにはバリケードや簡易的な建造物が設置されており、複数の兵士らしき人物が見張りを立てている。
 「軍閥ってやつか……」
 カイが息を呑む。遠目に見ると、10人以上が武装して動き回っているのが分かる。大型のトラックや装甲車の残骸もあり、まるで小さな軍事基地のようだ。
 セラは内心で恐怖を抑えながら、「私たち、どうやって近づくんです?」と問う。カイは苦い顔で「このまま姿を隠しても絶対見つかるだろう。堂々と近づき、交渉するしかない。もし聞く耳を持たなければ……逃げるしかないが、逃げ切れる可能性は低い」と答える。

 (賭けになる……)

 セラは大きく息を吐いて覚悟を決める。既に体力は限界だが、奇襲をかける力などないし、そもそも人数が多すぎて勝ち目は薄い。ここは一縷の望みに賭けて交渉を図るしかない。
 二人は手ぶらをアピールするため、武器をホルスターやバッグに収め、両手を上げつつ下の広場へゆっくりと足を進める。すぐに見張りの兵士が気づき、ライフルを構えながら「止まれ!」と声を上げた。

 「動くな! ここは我々の領域だ! 勝手に入ってくるな!」
 セラとカイは「私たちは通行を求める旅人だ。攻撃の意図はない!」と大声で返す。距離はまだ50メートルほど。相手は続々と寄ってきて、一斉に銃を向けている。
 「通りたいだと? ここは無料で通れる場所じゃないぜ。どういうつもりだ?」
 リーダーらしき人物が先頭に立ち、鋭い目で二人を睨む。中年の壮漢で、サングラスに戦闘服姿。背にはアサルトライフルを背負い、腰には拳銃を挿している。

 カイが両手を上げたまま、「金や物資はあまりないが、何らかの取引で通行を許してほしい」と切り出す。男は興味を示したのか、ふとサングラスの奥で眉を動かす。「物資がないのに、どう取引をするんだ? 命でも捧げる気か?」と皮肉混じりに返す。
 セラは必死に声を絞り出す。「私たちはエリックという男を追っています。彼がここを通った可能性があると聞いたんです。もし何か情報があれば、それに見合った対価を払うつもりです……」

 男は腕を組み、周囲の兵士に目配せする。一人が「エリック? あの噂の……」と口を滑らせそうになるが、男が制止の目線を送って言葉を遮った。
 「エリックねぇ……リセット派の裏切り者って話は耳にしてる。で、あんたらはその男を捕まえたいのか?」
 カイが即座に否定する。「いいえ、話をしたいだけなんです。できれば彼に会って、ある確かめたいことがあって……」
 男はニヤリと笑う。「ふうん……なら、そいつがここを通ったかどうか、俺たちが知っているかもしれないな。だけど、ただじゃ教えられない。ここを通るのにも費用がかかる。」

 セラは覚悟を決め、バッグを開いて中の物資を見せる。「これが全部……水と乾パン、それから少しの医薬品と……」
 しかし男は鼻で笑う。「そんなんで満足すると思うか? 最近、この辺りで手に入らないものがいくつかあるが、あんたらの持ち物じゃ話にならないかもしれない。……やはり体で払うか? この女はまあまあ可愛いじゃないか。」
 男がセラを嘲りながら値踏みするように言い放つ。周囲の兵士が下卑た笑いを漏らし、セラは怒りと羞恥で顔を真っ赤にする。

 「……ふざけないで!」
 思わず声を荒げるセラ。男は拳銃をチラつかせながら肩をすくめ、「冗談さ。そんなに硬くなるな。通りたいならそれなりの“実入り”をもってこい。エリックって奴の情報? まぁ、あるかもしれないが、あんたらには関係ないだろう」と鼻で笑う。
 カイが苛立ちを抑えつつ「お願いだ……医薬品はそれなりに希少だ。多くはないが、包帯や抗生剤もある。これで足りないなら、代わりに何か手伝えることがあれば……」と交渉の糸口を探すが、男は興味がない様子。

 「手伝い? ああ、そうだな……そういえば、ここの“害虫”が増えて困ってるんだよ。あんたらが駆除してくれたら、通行と情報をやってもいいかもしれねえな。」
 「害虫……?」
 セラが眉をひそめると、男は周囲を見回しながら小声で「この採石場には地下坑道がある。そこに変異した動物や怪物じみた連中が住み着いてて、俺たちが行くのは躊躇われる。下手に深入りして死にたくねえからな。もしあんたらが退治してくれりゃ、その報酬として情報も通行も保証してやってもいい」と言い放つ。

 男の言葉が真実かどうか分からないが、選択肢は限られている。セラとカイは互いに顔を見合わせ、苦い気持ちで頷き合うしかなかった。危険を冒して地下坑道へ行き、問題を解決することで通行を認めさせ、エリックの情報を得る……。
 「分かりました。私たちがその“害虫”を駆除してきます。ただし、終わったら必ず情報を教えてください。通ることも認めて……」
 セラは念を押すと、男は笑みを深める。「いいぜ、俺は有言実行だ。ただし、逃げ出したら容赦しねえぞ? そのときは射殺だ。」
 こうして、セラとカイは軍閥が管理する採石場の地下坑道へ向かう羽目となった。背後から数人の兵士が“監視役”として付いてくるが、坑道の入り口までは案内してくれるらしい。

 案内されたのは採石場の脇にある大きな地割れのような通路。鉄柵で封印してあるが、兵士が鍵を外して扉を開き、懐中電灯で中を照らす。「ここから先に“虫”どもが出る。あんたらが行って片付けてこい。もし成功したら教えろ。」
 セラは既にヘトヘトだが、ブレスレットの軽いサポートに頼ってやりきるしかない。カイも拳銃の弾薬を再点検し、追加で兵士たちから古いショットガンを借り受けた。「どうせ死ぬかもしれないんだ、好きに使え」と冷笑されるが、武器はありがたい。

 鉄柵をくぐり、狭い階段を下ると冷たい空気が肌を包み込む。足元はぬかるみがあり、水滴がポタポタ落ちる音が響く。ライトで照らすと、苔や菌類が繁殖していて、不自然に変色した岩壁が連なる。
 「本当に生物が住んでるのか……?」
 カイが神経質に周囲を見回す。セラもブレスレットを少しだけ動かし、瞬発力を必要な時に出せるようにしている。
 「気をつけましょう……。どんな“変異”をしてるか、想像つかない……。」

 歩みを進めると、足跡のような痕跡が幾つも見つかった。泥をかき分けた形跡で、人間よりも小さいが四足で這ったような跡だ。鋭い爪痕かもしれない。
 (本当に何かの生き物がいる……。しかも複数?)

 耳を澄ませば、かすかな唸り声や、水をかき混ぜるような音が遠くから聞こえてくる。二人はライトの照射を最小限にし、慎重に奥へ進んだ。坑道は左右に分岐があり、複雑な迷路状だ。
 「最悪、全部は回れないかもしれない。いくつか巣穴のような場所を潰せれば、十分“駆除”と見なしてくれるかも……」
 カイが囁くと、セラは小さく頷き、進行方向を右へ選んだ。そこは水気が多く、天井が低い場所が続いている。ぬるりとした地面に足を取られそうになりながら、一歩ずつ進んでいく。

 突如、鼻腔を刺すような腐臭が漂い、同時に金属質の引っかき音が聞こえた。ライトを向けると、床に動物の骨のようなものが散乱し、そこに黒ずんだ液体が付着している。
 「なんだ、これ……」
 カイが呟く瞬間、天井の岩場からぬらりとした生物が滑り落ちてきた。
 「キャアッ……!」
 セラが悲鳴を上げ、咄嗟に後退する。生物は人間の背丈ほどの大きさだが、四足で這い、無数の爪を持っている。皮膚は硬い甲殻のようにも見え、長い尻尾を振り回して攻撃態勢を取った。

 変異した巨大な昆虫か節足動物のようだ。顔には複数の眼があり、牙のような突起がうごめいている。ライトが当たると甲殻が怪しく反射し、不気味な音を発して威嚇する。
 「くそっ、こいつが“虫”なのか……!」
 カイがショットガンを構え、ドンと発砲。弾丸は甲殻を砕ききれず、弾かれたような音がするが、一部が剥がれて液体が飛び散った。生物がギシャアッと鳴き声を上げ、逆上したように突進してくる。

 セラはブレスレットを瞬時に動かし、身体を横に跳躍させて回避。同時にハンドガンを乱射するが、弾が刺さっているのかどうかよく分からない。甲殻のせいで貫通が難しいらしい。
 生物はカイを狙って牙を剥き、前足の爪で斬りかかる。カイは間一髪でショットガンを盾にするが、爪が食い込み、ショットガンがメキメキと曲がる。
 「ヤバい……!」
 セラは後ろから生物の背を狙い撃ちし、何度か弾が当たったようで、甲殻が裂けた部分から黒っぽい体液が流れ出す。生物は苦悶の声を上げ、カイへの攻撃を一瞬やめる。カイは隙を突いて距離を取り、壊れたショットガンを捨て、拳銃を抜く。

 「そいつの背中が弱点かもしれない……!」
 カイがそう叫ぶと、セラはさらに背面を狙おうと回り込み、連続で弾丸を撃ち込む。ブレスレットのサポートはほとんど残っていないが、そこそこ手ごたえがあり、生物が痙攣するように動きを乱す。
 やがて生物は大きくのけぞり、最後の力で尻尾を振り回す。尾先がセラの脚を掠め、浅い切り傷を負わせるが、そこまで致命的ではない。カイが横から拳銃で止めを刺すように頭部を撃ち抜き、ようやく動きを止めた。

 「はあ、はあ……倒せたか……」
 セラとカイは全身汗だくで息を切らしている。床には黒い体液が広がり、悪臭が一層強くなった。甲殻の破片を踏むと、硬い殻がパキッと割れる音がする。
 「こんなのが複数いるのか……?」
 カイは恐怖を覚えながら呟く。まさに“変異生物”と呼ぶに相応しい怪物であり、人間の武器で対処するのは相当骨が折れる。特に甲殻の硬さが厄介だ。

 セラは自分の脚の傷をチェックする。そこまで深くないが、出血はある。応急的に包帯を巻き、痛みを堪える。「早く巣を見つけて壊さないと……こんなのと何度も戦ったら、こっちが持たないです。」
 カイもうなずく。「ああ、軍閥が言っていた“害虫”ってのは、これの群れってわけか……。巣穴を潰せば数は減るはずだが、正直、命がいくつあっても足りない。」


 二人は奥へ進むにつれ、同様の生物が徘徊している気配を感じる。通路のあちこちに同じような足跡と爪痕、さらに動物の骨や人間の服らしき切れ端も散見される。おそらく既に何人も犠牲になったのだろう。
 やがて広めの空洞に出た。そこには地面が深くえぐれ、中央に卵のような塊がいくつも置かれている。半透明の膜の中で黒い液体がうごめき、小さな姿が蠢いているのが分かる。
 「ここが巣……!」
 セラは鳥肌を立てながら後ずさる。周囲の岩壁に、変異生物の粘液が広く塗りつけられ、巣のような構造を作っている。まるで巨大な昆虫の巣穴を人間規模で見ている感覚だ。

 「壊すしかない。ここを放置したら、軍閥やこの地域の住民にとっても危険だろうし、俺たちも依頼を果たすにはこの巣を潰すしか……」
 カイは拳銃の残弾を確かめるが、ほとんど弾が残っていない。セラもハンドガンに数発しか装填がない。爆薬でもあれば一気に破壊できるが、そんなものは持ち合わせていない。
 「何とか火を使えれば……炎で焼くとか……」
 セラは辺りを探す。運よく、脇の岩陰に古い燃料缶のようなものが倒れているのを見つける。中身が残っているかは分からないが、もし可燃性なら火を起こすことができるかもしれない。

 近づいてみると、缶の表面は錆びが広がっているが、チャポンと液体の音がする。鼻を近づけると、灯油のような臭いがかすかに漂う。これなら燃料になり得る。
 「やった……これを卵にかけて、火をつければ……!」
 セラの声に、カイも笑みを浮かべるが、すぐに「そんな悠長にやってる間に、親が戻ってきたらどうする……?」と苦悩が浮かぶ。まさに、その瞬間だった。

 鋭い鳴き声が洞窟内に響き渡り、複数の足音がこちらへ近づいてくる。卵を狙う外敵に対し、親が帰ってきたのか――いや、一匹どころではない。複数の個体が甲殻を軋ませながら襲来する音がする。
 「くっ……いよいよか……!」
 カイは覚悟を決め、セラと二手に分かれて周囲の岩陰を利用する。燃料缶をどう活用するか、短時間で考えなければならない。

 やがて、3体ほどの変異生物が姿を現した。先ほど倒した個体より一回り大きいものまでいる。皆、黒い甲殻と牙を剥き出しにして威嚇の声を上げる。
 「時間がない……カイさん、燃料を撒くから、私が囮になります……その間に火を……!」
 セラは震える手で燃料缶を抱え、素早く移動して卵の周囲に液体を撒き始める。生物たちは卵を守ろうと警戒しているのか、すぐにセラを追いかけようとするが、カイが拳銃で牽制射撃を行い、注意を逸らしてくれる。

 「グギャアアッ……!」
 先頭の巨大生物がカイに狙いを定め、爪を振りかざす。カイは横へ飛び退くが、弾が尽きかけており、反撃が難しい。かろうじて相手の顔面を一発撃ったが、甲殻に阻まれたのか効果は薄い。
 もう一匹がセラに向かってくるが、セラは燃料缶を振り回して液体を被せるように浴びせかける。想定外の攻撃に生物が一瞬怯み、甲殻をガチャガチャと鳴らして後退する。その隙にセラは卵の周囲へ燃料を撒き終えた。

 「カイさん、今……!」
 セラが叫ぶと同時に、カイは懐からライターを取り出し、近くに落ちている破布に火をつけて投げ込む。火のついた破布が燃料の溜まった床に落ちると、一気に青白い炎が広がり、周囲を火だるまにしていく。
 「ガアアッ!」
 変異生物たちは炎に驚き、一斉に後退するが、卵の方へ駆け寄ろうとする。既に勢いづいた火が膜を焼き始め、卵が次々と爆ぜるような音を立てて弾ける。床一面に黒い液体と火が混じり、毒々しい煙を発生させた。

 その煙は生物たちにもダメージを与えるのか、キーキーという悲鳴を上げながら、左右に退散する。カイとセラも煙に巻かれかねないため、必死に低い姿勢で炎の輪から離れていく。
 「くそ、息が……」
 セラは咳き込みながら、カイに支えられて巣穴の出口へと走る。後方では変異生物が卵を守ろうとしてのた打ち回っているが、既に火勢が増して止まらない。洞窟の一部が崩れ始め、岩の砕ける音が轟く。
 「撤退だ……ここが崩れるぞ……!」
 カイがセラを引きずるように走り、騒音や崩落の揺れが背後を追う。酸欠や煙のせいで意識が朦朧としてきたが、二人は何とか廊下をたどり、入口付近まで戻る。

 入口に近づくと、あの軍閥の兵士たちが待ち構えている。銃を構え、こちらの成果を確認しようとしているようだ。見ると、二人の姿に驚きの表情を浮かべ、「こいつら、戻ってきたぞ……!」とざわつく。
 セラは膝をつき、肩で息をする。「倒しました……巣穴に火を……もう、卵も……」
 兵士の一人がライトで奥を照らし、煙が充満しているのを見て「本当にやりやがったのか……」と嘆息する。洞窟内の様子から判断して、巣穴が炎上していることは明らかだろう。

 遅れてリーダー格の男が現れ、唖然とした顔で二人を見下ろす。「マジか……お前ら、本当に駆除してきたのか……?」
 カイは荒い息の合間に「約束、守ってくれ……エリックの情報……それを知りたいんだ……」と懇願する。男は苦笑まじりに顔をしかめ、「すげえな……あの化け物どもを二人でどうにかしただと? 狂ってやがる」と呟く。
 しばらく無言が続いたのち、男は大きく溜息をついて「分かったよ。言っただろ、俺は有言実行だ。こっちも助かったよ。実際、被害が多くて困ってたんだ。……ついてこい、あんたらにエリックの情報を教えてやる」と言い放つ。

 セラとカイは全身クタクタだが、何とか立ち上がり、軍閥の拠点へと連れられていく。衰弱が激しいため、兵士の一人が肩を貸してくれたのは意外な好意だった。


 拠点の中央にある仮設テント――かつての工事事務所らしき建物を改装した部屋に案内されると、リーダー格の男は椅子に腰掛け、セラとカイに向き合う形で座るよう促す。兵士たちが周囲を取り囲んでいる。
 「さっきも言ったが、俺たちはお前らを信用してない。でも、あの化け物どもを駆除してくれたのは事実だ。見返りとして、情報をやろう。」
 セラは疲労で声が掠れるが、何とか言葉を出す。「……エリックさんは、ここを通ったんですね? いつ頃……どの方向へ……」
 男は無造作に引き出しから紙の束を取り出す。それは出入りする者の記録か何かだろうか。適当にペラペラめくって確認した後、短くうなずく。

 「一か月ほど前か……確かに“エリック”と名乗る男がここを訪ねてきた。しかもリセット派の代表だったとか。最初は怪しんだが、本人が金と物資を用意して通行を求めたんで、通してやったんだ。」
 セラとカイは身を乗り出す。「その後、エリックさんはどこへ向かったんですか?」
 男は指先で地図のようなものを示し、「ここからさらに南西方向、隣町へのルートだ。だが、その町も今や廃墟の一部さ。ただ、そこで“反対派”の一派が活動しているらしく、エリックはそいつらに会いに行くとか言ってたな」と語る。

 反対派の一派――リセットに反対する勢力が、隣町の一角で生き延びているという噂は聞いていたが、まさかそこへエリックが……。
 「つまり、エリックはその町へ行った可能性が高いわけですね。」
 カイが念を押すと、男は面倒くさそうに「そうだな。あのとき、一緒にいた女が『あそこのリーダーと話がしたい』とか言ってたぞ。詳しくは聞いてねえ。俺たちにとっちゃ金をくれる奴なら誰でも通すし、あんまり興味もなかったからな。」と答える。

 セラの胸が一瞬高鳴る。一緒にいた女……研究者風の男という情報もあったが、ここでは“女”という情報が出てきた。エリックには複数の同行者がいたのかもしれない。
 「ありがとうございます……! これでまた足取りを追えます……。本当に助かりました……。」
 セラが心から感謝を述べると、男は鼻で笑って「お前らが本当にそいつに会いたい理由は分からんが、好きにすればいいさ。とにかく恩は返したぞ。もう用はない。俺の縄張りからは出て行け。」と言い放つ。

 カイも「どうも」と短く礼を述べ、セラと共に部屋を後にする。兵士たちの冷たい視線に背を押される形で、拠点の外へ案内され、再び採石場の地上へ戻ってきた。
 後ろから声が飛んでくる。「次に勝手に入り込んだら撃つからな。もう来るな!」という嫌味な見送りだが、彼らなりに約束は守ってくれたのは事実。


 採石場を後にすると、地形は一気に荒野のような様相を帯びてくる。雑草すらまばらにしか生えず、遠くに見える山々と空の境界だけが色彩を与えている。そこにすら廃墟が点在しているらしく、煙を上げる建物も見える。
 「次は隣町か……。どうやらそこに反対派が潜んでいるみたいだね。エリックはそこを目指した……。」
 カイがタブレット端末に残った地図データを睨みながら道を推測する。どうやら半日も歩けば到着できる距離らしいが、地形が変わっていれば遠回りを余儀なくされるかもしれない。

 セラは脚の傷が痛むのを我慢しつつ、再び歩き始める。この時点で彼女の体は相当の限界に近いが、エリックとの距離が縮まっていると思うと、不思議な力が湧いてくる気がする。
 「ねえ、カイさん……もしエリックさんに会えたら、私たち、何を聞こうか。」
 セラが考え込むように尋ねる。カイはわずかに眉をひそめ、「リセットが失敗した理由、それから彼が“家族を守りたい”と主張した真意……。いろいろあるさ。でも、一番聞きたいのは“彼はどうやってこの世界で生き抜こうとしているのか”じゃないかな。」と言葉を絞り出す。

 セラは心のどこかで、エリックに対して“恨み”より“共感”に近い感情を抱きつつある。リセットによる消滅から逃れた世界を、実際にこうして目にしてしまうと、一概に彼を責められない気がするのだ。
 (私も、誰かを守りたいという気持ちが分かる……それがすべてのきっかけなら、エリックさんの選択は本当に間違いだったのか?)

 考えが巡るままに歩を進めると、地平線の向こうにまた廃ビル群がかすんで見える。そう遠くない場所に街の輪郭が浮かんでいるのだろう。
 「もしかして、あそこが隣町かな……」
 カイはハンドバッグから望遠鏡を取り出し、目を凝らす。「ビルの一部が火事の跡で黒ずんでるみたいだ。煙が上がってる箇所もある。もしかしたら、戦闘が続いてるかもしれない……油断はできないな。」

 夕暮れまでには到着できるかもしれないが、またしても荒れた市街地を通るリスクが伴う。セラは覚悟を決め、「行きましょう。ここで止まっていても会えないし……」と先を促す。


 その街の入り口には古びた看板が立ち、「○○シティへようこそ」という文字が薄く残っていた。下にはスプレーで別のメッセージが塗り込まれ、「リセットを拒む者が集う」と書かれている。どうやら、この町には反対派がある程度の地盤を作っているようだ。
 ビル群は先ほどの街ほど酷くはないが、やはり砲撃か何かの痕跡で壁が崩れたり、路面が凸凹だったりするのは変わらない。車両が放置され、窓ガラスの割れた店舗が並ぶ通りを進むと、徐々に人の気配が増しているように感じられた。どこかの窓から視線を感じる場面が増えたのだ。

 「ここは……“生きてる”街かもしれない。襲撃されてないとも限らないが……。」
 カイが慎重に進むと、曲がり角でバリケードを築いた姿が視界に入る。そこには数名の男女がライフルを手に立っており、二人を見つけると手を上げて止まるよう指示する。
 「ストップ! あんたら、何者だ? ここは反対派のエリアだ、下手に近づくと撃つぞ!」
 声の主は痩身の青年で、目には強い警戒心が宿っている。周囲にも数名が隠れているようで、ライフルの銃口がちらりと見える。

 セラは慌てて両手を上げ、「私たちはリセット派でもありません……エリックという人を探しているだけ……!」と声を張る。青年の顔にわずかな変化が見られ、「エリック? もしかして、代表だったあのエリックか?」と答える。
 カイが胸をなで下ろしつつ、「ええ、その人と話がしたい。彼がここを通ったと聞いて……」というと、青年は周囲に合図を送り、しばし確認し合うようにヒソヒソと会話している。
 最終的に青年が戻ってきて、「ここで待て。今、上の者に確認する」と素っ気なく言う。銃はまだ下ろしていない。

 しばらくして、中からもう一人、中年の女性が現れた。短い髪に鋭い目つき、背筋をピンと伸ばした姿が印象的で、まるで部隊を率いる指揮官のような雰囲気を纏っている。
 「聞いたわ。あなたたち、エリックを探してるのね。彼はここに来たことがあるわ。……私たちの仲間というわけでもないけど、何日か滞在して南方へ向かったはず。会いたいなら案内するけど、条件があるわ。」
 セラは驚きと同時に喜びを感じる。「本当に! ありがとうございます……条件って……?」
 女性は腕を組み、「私たちはリセットに断固反対し、この街を守る小さな組織を作っている。エリックは一時的に協力関係にあったが、彼自身も何か目的があるようで南方へ急いでいたわ。案内に人員を割くには、こちらも余裕がないから、あなたたちにも手伝ってもらいたい仕事があるの。」

 またしても“手伝い”かと、セラは苦笑するが、仕方ない。相手が好意で情報を出すとは限らないし、この世界では対価なしの協力は珍しい。
 「分かりました、私たちにできる範囲でやりますので、教えてください。エリックさんがどこへ行ったのか、その詳細も……」
 女性は険しい表情を崩さず、「本当に大丈夫? 昨日、一昨日と大規模なゲリラとの交戦があって、負傷者が増えてるの。医薬品と人手が足りない。あなたたちは医療の心得がある? それとも戦闘要員として役立つ?」と尋ねる。

 カイは「多少は医薬品を扱えます」と応えるが、手元の薬品はすでに少ない。セラも「戦闘はそんなに得意じゃないけど、お手伝いは……」と控えめに言うが、女性は「足りないよりはマシよ」と肩をすくめる。
 こうして、二人は再び“手伝い”と“情報”を交換する形で、街に受け入れられることになった。一難去ってまた一難だが、エリックの足取りに近づくには避けられない道だろう。


 隣町の街角では、看板に「リセットなど要らない、私たちは生きていく」と大胆に落書きされている箇所もあり、まさに“反対派”の聖地にも見える。人々はリセット計画に失望し、あるいは憎悪を抱き、残された世界で“足掻き続ける”道を選んでいるのだ。
 セラはビルの一角に用意された即席の医療室で、カイと共に処置を手伝うことになる。負傷者の包帯を変えたり、消毒をしたり……思うように医薬品が揃わないが、少しでも苦しむ人を助けたいと必死に動く。
 戦闘が絶えないこの街で、彼らは幾度も救いを求め、リセットが消えた世界で血を流しながら必死に生きている。その姿を見て、セラの心には複雑な感情が渦巻く。

 (もしリセットが成功していたら、この苦しみは消えていた……? でも、同時に彼らの足掻きや命の輝きも、すべて消え去っていた……。)

 作業を終えた頃、街の女性指導者が戻ってきて二人に声をかける。「助かったわ。あなたたち、エリックに会いたいのよね……。彼は確かにここを通過したわ。南方の山岳地帯へ向かった。そこにはもう少し規模の大きい反対派の拠点があるらしい。」
 セラの瞳が輝く。「ありがとうございます……! これでまた足取りを追えます。」
 「ただ、そのルートはかなり危険よ。ゲリラや略奪者がひしめく森を抜けなきゃならない。彼がどうやって突破したのかは分からないけど、装備も人手も足りてたんじゃないかしらね。あなたたちが行くなら、しっかり準備しなさい。」

 セラとカイは礼を言い、必要な物資を整えようとする。女性指導者が「私たちも余裕はないけど、少しだけ弾薬や食料を融通するわ。あんたたちがエリックに会えば、こっちに何か情報をもたらしてくれるかもしれないし」と言い置く。
 荒廃した街で、何とか人々が助け合いながら生きている。この街の雰囲気は前の街よりも組織立っていて、反対派という意志のもと集まった仲間の結束が見え隠れする。セラはその光景にわずかな希望を感じる。

 (リセットが消えて、世界がこんなに悲惨になっても……まだ人は助け合って生きている。私たちも、この先でエリックさんに会えば……また何かが変わるかもしれない。)

 そう胸に抱きながら、セラは“南方”を見つめる。そこにはさらに険しい山岳地帯が控え、ゲリラや武装勢力が待ち受けているだろう。しかし、エリックの足取りをたどれば、いずれ真実に辿り着けるはずだ。
 結末――さらにその先へと続く道筋を示唆する終幕である。セラとカイは再び危険を顧みず、荒廃した世界のなかを進み続ける。リセットが失われた世界で、多くの血や涙を目撃しながら、それでも希望を見いだそうと足掻く。その足取りはエリックを追いかけ、やがて大きな選択を迫られる日が来るのだろう。

 夜風が町を吹き抜け、反対派の人々が眠りにつく頃、セラはひとり空を見上げ、エリックの姿を思い描く。
 (あなたは、どうしてこの道を選んだの……? あなたが見ている先に、私たちが求める未来があるの……?)

 答えはまだ分からない。けれど、セラはもう迷わない。リセットという“嘘の救い”に代わって、自分の目でこの世界を見極め、エリックの選んだ道を確かめるために歩みを止めはしない。
 そう決意した彼女の表情には、わずかながら確かな意思の光が宿っていた。

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