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再観測:ゼーゲとネツァフ:Episode 4-2

Episode 4-2:揺れるセラの心

 リセット派の前線基地に戻ってきたのは、曇天の朝だった。薄いグレーの空が一面を覆い、光が弱々しく地面を照らす。そこには、廃工場での大規模戦闘や、黄昏の街の小競り合いによって引きずられた緊迫感が、まだ色濃く漂っている。

 セラとカイは、エリックを伴っての捜索隊の一員として、車列で正面ゲートへ入る。迎えに出てきた兵士たちは驚愕の眼差しでエリックを見つめ、ざわめきが起こる。 「あれがリセット拒否した代表か……」「ついに捕まったのか」 憎悪や好奇の入り混じる視線が痛々しいほどに降り注ぐ。セラはそんな気配に背筋が凍る思いがした。

 「降りて」 先頭を進む隊長が命じると、エリックは拘束具をつけられたまま、車両の荷台から降りる。彼の目は疲労と落胆に沈み、唇は乾ききっている。 カイがそっと支えてやろうと腕を伸ばすが、エリックは微かに首を振って遠慮する。「いい……もう慣れた。こういう扱いには」と呟き、半ば自嘲的にかすかに笑みを浮かべる。

 セラはエリックの姿に胸が痛む。かつては各国代表の一員として、世界の命運を握る立場にもあった彼が、いまはただの捕虜として扱われている。この皮肉な現実に、セラは言い知れぬ罪悪感を抱く。 (私がもっと早く行動できていれば、こんな形でエリックさんが捕まることも……ないとは言えないか……。だけど、彼が自由に動くことも、また戦いを引き起こしてしまうかもしれない。私はどうすれば……)

 隊長は口調を厳しくして号令を下す。「エリックは特別階級の捕虜として取り扱う。ヴァルター様の指示があるまでは、尋問や拷問は控えろ。――セラとカイは同行を許可する。司令棟へ移動!」

 軍靴の足音が鳴り響き、セラたちは司令棟の前へ連れて行かれる。この基地は廃工場での大規模戦闘の後に設営されたもので、巨大なプレハブ建物やバリケード、周囲に配置された車両が整然と並んでいる。兵士の往来が激しく、まるで前線支配地域の本部のように機能している。

 「セラ、しっかり」 カイが小声で呼びかける。セラは気を張ったまま頷き返す。エリックが再びリセット派の手に渡った以上、次に重要なのはヴァルターとの面会だ。その場で何が語られ、何が決まるのか――そしてセラ自身がどう振る舞うかが焦点だ。

 司令棟の内部は殺風景な鉄骨構造の部屋が並び、仮設の指揮所や倉庫が設けられている。案内された一室は簡素な会議スペースのようで、大きなテーブルと椅子が向かい合って置かれていた。周囲には監視の兵士が立ち、壁際にはモニターや通信機が配置されている。どうやら即席のブリーフィングルームとして使っているようだ。

 指揮官クラスの人物が数名揃い、そちらにエリックが座らされる。手足を縛られたまま椅子に固定され、少しも動くことができない。セラとカイは端の椅子に促され、複数の兵士の鋭い視線が突き刺さる形となる。

 「さて、お前がエリックだな。リセットの承認を拒否した“裏切り者”と言われているが……ここでは敬称は不要だ」 先頭に座る一人が名乗りもせずに言い放つ。彼は前線基地の司令官らしく、軍歴の長そうな渋面をしている。目には厳しさと同時にやや失望の色が浮かんでいるようだ。

 エリックはそれに対し、皮肉気味に微笑む。「裏切り者と言われても仕方ないさ。リセットの承認を拒んだ事実は変わらない。だが、結局はそれで世界は滅びずに済んでいるわけだろ? 違うか?」

 司令官が渋面をさらに険しくする。「お前のせいで、リセット計画が頓挫し、多くの戦争や流血が続いている。人類を救う唯一の手段をお前が台無しにしたと考える人間は少なくないぞ。……だが、それもヴァルター様の最終的な決断次第だ。いずれ本人がここへ来る」

 エリックは一瞬驚きの表情を見せる。「ヴァルターが……?」 セラはすかさず言葉をはさむ。「そうです。ヴァルター様は近々ここに来ると……私も聞きました。エリックさん、あなたはそこで何を話すんですか? 家族のこと……?」

 エリックは唇を噛み、少し考え込む。「ああ、もちろん家族のことを最優先に話す。たとえヴァルターが脅してきても、俺は譲れない。彼らの居場所を確認し、安全を保証することが条件だ。そうでなければ、リセットを手伝うなんて到底無理だ」

 司令官は「ふん」と鼻を鳴らして一蹴する。「貴様に条件を飲む権利はない。リセットは人類のための大義だ。家族がどうこうという私情など、ヴァルター様が考慮されるかどうか……」 その言葉にエリックの瞳が怒りで揺れる。だが、身体を拘束されている以上、反論もままならない。

 (もしヴァルターがエリックを家族と引き換えにリセット承認へ追い込むなら、どうなる? エリックが折れてしまうかもしれない。そうすればリセットが起動し、世界中の命が“痛みなく”消されるかもしれない……)

 セラは頭が混乱する。自分がリセットを止めるために動くなら、リセット派を完全に裏切ることになる。しかし、これまで見てきた戦いやレナの足掻きを思うと、リセットが絶対の正解とは信じがたい。一歩間違えれば、彼女自身が“反逆者”とみなされるかもしれない。 (それでも、私は……どうする?)

 カイがまわりの兵士たちへ向けて冷静に提案をする。「いずれヴァルター様が来るにしても、エリックさんとの話し合いは早すぎるほど行ったほうがいい。今、ここで暴力的な尋問をすればかえって情報が得られないし、承認を強要しても失敗する可能性がある」

 司令官は額に刻まれた皺を深めつつ、「わかっている。だが、お前たちに判断権はない。上層部からの指示を待つしかない。とりあえず、エリックを閉じ込めておけばいいのだ」と投げやりに言う。 カイはさらに食い下がる。「しかし、セラがエリックと対話できれば、有益な情報を得られるかもしれない。彼が家族や反対派について何を知っているのか……その解析こそが、今後の戦いを減らす鍵になるのでは?」

 「戦いを減らす……? はっ、リセット以外に人類を救う手段なんてないんだよ。余計な犠牲を出すだけだ」 司令官は呆れたように首を振る。セラとカイの言葉に耳を傾けるつもりは薄そうだ。

 それでもカイは粘る。「ならば尚のこと、急いで彼から情報を聞き出すのが賢明だ。私たちは同じリセット派の一員として協力したいだけだ……」 その論に、司令官はしばし渋い表情を浮かべるが、結局は「わかった、ヴァルター様が到着するまで好きにしろ。俺は責任を負わんぞ」と妥協案を出す形になった。もしカイの提案が失敗しても、司令官には損はないという算段だろう。

 セラはホッと胸を撫で下ろし、エリックへの自由な面会が一応は許可されたことに安堵する。一方で、目の前に横たわるリスク――リセットがいつ起動されるか、ヴァルターがどんな要求を突き付けるか――は依然として不透明だ。

 セラとカイは、エリックが拘禁されているバラックを訪れる。まだ監視兵が数名いるが、会話自体は許されているようだ。夕暮れの光が小さな窓から差し込み、埃が薄赤く舞っている。 エリックは床に据え付けられた椅子に拘束され、腕を後ろに回された状態で息をついている。彼の顔には疲労の色が濃い。

 「邪魔はするなよ。何かあっても俺たちがすぐ発砲するからな」 監視兵が厳しい声で告げる。セラはコクリとうなずき、エリックのそばへ近づく。カイは後ろで見守るように立つ。

 「セラ……来たのか。何か聞きたいことでも?」 エリックはうっすら笑みを浮かべるが、その目は翳っている。セラは一瞬言葉に詰まるが、決意を固めたように切り出す。

 「あなたは家族を守るために逃げ続けてきた。そのせいでリセットが止まり、世界がこんなにも血を流して……。正直、私はどこに正義があるのか、もうわからなくなってしまった。エリックさんは、いまでもリセットを拒むことが正しいと思いますか?」

 エリックはわずかに瞳を伏せ、しばらく言葉を探している様子だ。「正しいかどうかはわからない。……ただ、もしリセットが行われれば、世界の全てが一瞬で消える。そこに痛みはないかもしれないが、今まで築いてきた尊いものまでも一緒に消えるだろう? 僕はそれを守りたいと思ったんだ。家族だけじゃなく、いろんな人々の思いも……」

 セラは心が揺さぶられる。まさにレナが言っていた“足掻くこと”と同じだ。リセットの消去を拒否する意思――それがエリックをここまで苦しめ、また多くの戦いを引き起こしてしまった。

 「でも……あなたが承認を拒んだ結果、多くの戦争や争いが起こって、人々が死んだ。それはどう思いますか?」 セラの声は震えている。エリックも視線を落とし、言葉を詰まらせる。

 「もちろん自責の念はある。これほどの悲劇が起きるとは想像していなかった。ヴァルターがやり方を改めてくれるなら、こんなに血が流れずに済むかもしれない。でも、だからといってリセットに同意すれば良かったなんて、今でも思えないんだ……」

 その苦痛に満ちた告白を聞いて、セラはどうしても責めることができない。実際に目の前で苦しんでいるのは、自分と同じくただの人間であり、完璧な答えを持っているわけではないのだ。だが、リセットを止めるだけがゴールでもない――戦争を収めるにはどうすればいいのか。エリックもそこに明確なビジョンは持っていない。

 「エリックさん、私、リセット派のパイロットとしてネツァフに乗る資格があるのかわからない。こんなに人々が苦しむのを見て、もうリセットは正しいとは思えない。でも、私に何ができるのか……」 セラはこぼれる涙を隠すように俯く。カイがそっと彼女の肩に手を置き、静かに支えている。

 エリックはかすかな笑みを浮かべる。「君がその葛藤を抱いているなら、それは人間として自然なことだよ。リセットが恐ろしい力だとわかっていて、それを簡単に受け入れるわけにはいかない。……君は、レナの“足掻き”を知ってるんだろ?」

 「ええ……。レナさんは大きな犠牲を払って戦い、足掻いていた。リセットを拒むために……。結果は惨いものになったけど、それでも彼女は私に何かを教えてくれた気がする」

 エリックは小さくうなずき、「そうだ。僕もレナも、足掻きが無意味だと思ったことは一度もない。希望が薄くても、命を懸けて守りたいものがあるから……。君が本当にネツァフを動かしたくないなら、その意志を捨てないで。たとえ、ヴァルターがどんなに迫ってこようと……」と語りかける。

 セラはその言葉に胸を打たれる。そして、気づけばこぼれていた涙を乱暴に拭い、「ありがとう、エリックさん。私も足掻いてみる。たとえ道が狭くても、誰かが見ていなくても……」と小さく笑う。

 だが、その一方で、もしヴァルターがエリックの家族を握り、人質のように扱う可能性がある以上、セラもどう動くべきか難しい。ネツァフを封じて彼らを救うか、それとも――。

 そんな静かな会話の最中、外で兵士の足音が慌ただしくなり、「司令官! 報告が!」という叫びが聞こえる。やがてドアが開き、意気込んだ若い兵士が突入し、指揮官に何か耳打ちしている。指揮官の表情が険しく変化し、セラたちにも緊張が走る。

 指揮官は顎を撫で、「そうか……“残党が南方で再集結している”という情報が入ったか。どうやらドミニクと名乗る男が指揮を取っている可能性があるらしいな。ネツァフがいない今、我々が対処するしかないというわけだ」と低く呟く。

 セラの心が動揺する。ドミニクはあの廃工場で死んでいなかったのだろうか。レナの仲間でもあった彼が、何とか生き延びて再起しようとしているのなら、また戦いが起こりかねない。 (こんなにも繰り返されるなら、いよいよヴァルターはネツァフの使用を正当化するかもしれない……。私は……?)

 カイがセラに囁く。「反対派がまた動き始めたのか。今度こそ本当に、全滅を狙われるかもしれない……」 彼の言葉に、セラは胸をふさがれるような苦しみを覚える。戦いを繰り返すだけでは、リセットが実行されるか、世界が完全に荒れるかの二択に思えて仕方ない。(だからこそ、エリックさんがヴァルターと話すのかもしれない。でも、どう収拾をつけるの……?)

 指揮官はセラに目を向け、苛立ちを隠せない声で言い放つ。「お前がネツァフを起動すれば、こんな反対派はあっという間に消せるんだろう? ヴァルター様が許可を出せば、俺たちだってこんなに無駄な戦闘をしなくて済む。なのに、いつまでも躊躇している……迷惑な話だ」

 セラは歯を食いしばる。「私は……もう、こんな流血を見たくないんです。ネツァフで一瞬に全てを消すなんて、私には耐えられない……」

 その言葉に司令官は嘆息して机を叩く。「お前たちは“人類を痛みなく救う”機会を持っているのに、それを行使しないから、多くの血が流れ続けるじゃないか。どちらがより残酷か、よく考えろ。まったく、ネツァフが無駄な持ち腐れだ……」

 セラの心は千々に乱れる。確かに、ネツァフを起動すれば今の争いを一瞬で止めることができるかもしれない。しかし、それは言い換えれば世界の全てを消す。足掻く人々も、家族の幸せも、レナの命すら……。それが“人類を救う”と言えるのか。

 「司令官、失礼します。……上層部から連絡、まもなくヴァルター様が到着されるとのこと」 兵士が報告し、司令官は苛立たしげに頷く。「ふん、やっとか。さっさと結論を出してほしいものだ。おい、エリックとセラ、カイ……お前らはここで待機しろ。ヴァルター様が到着したら直接面談してもらう。いいな?」

 こうして、三人――エリック(捕虜)とセラ、カイは、基地の来客ルームのような場所で待機することを命じられる。数名の兵士が出口を固め、彼らの動きを制限する形だ。気配としては、まさに“お前たちがヴァルター様にどう言い訳をするか見ものだ”という雰囲気が漂う。

 そして数時間が過ぎ、日が沈み、またもや夜が訪れる。だが、ヴァルターはまだ来ない。移動ルートや治安状況のせいか、到着が大幅に遅れているらしい。セラは落ち着かない心を抑えきれず、エリックも焦燥をにじませ、カイがなんとか二人をなだめる構図が続く。

 兵士がドアを開けて、簡単な夕食を運んでくる。「ヴァルター様は今夜遅くか、明朝か。いつになるかはわからんが、連絡が来るまで待て」とそっけなく言い残し、すぐ去っていく。

 エリックは苦笑し、「待てと言われて待っているのも、悪くないか……もう逃げる術もないしな」とつぶやく。セラは申し訳なさそうに目を伏せる。「ごめんなさい。あなたを救いたいのに、こんな形に……」 「いや、君の言う通りに抵抗してたら、今ごろ俺は撃たれて死んでたかも。君がいてくれるだけで、少しは……」 エリックはそこまで言って口を閉ざす。

 カイが灯りの下でモノクロの地図を広げ、「もしヴァルター様が本格的にネツァフ起動を進める気なら、エリックさんを利用して承認を取り付けようとするはず。そのとき、僕らがどう振る舞うかだな……」とぼそりとつぶやく。

 セラはその言葉に身が震える。もし承認を押すよう迫られれば、エリックは家族を人質に取られ、折れてしまうかもしれない。だが、リセットによって世界が一瞬で消え去る――そんな“救い”を本当にセラは受け入れるのか?

 (私はもう、リセットは正解だと思えない。ネツァフを使わずに、どうにかこの世界を立て直す方法がないの……? でも、リセット派と反対派の戦争を見てきた限り、それも難しいんじゃ……)

 思考の迷路に沈むセラを見て、エリックが静かに声をかける。「セラ……無理しないでいい。もし君がここで反逆者扱いされるなら、僕はそれを望まない。君が守ろうとしてくれたんだから、僕も同じように、君を巻き込みたくない」

 セラは首を振り、微笑もうとするが表情が苦しい。「大丈夫。私はもう決めたの。たとえヴァルター様にどう思われようと、このままリセットを起動したくない。もしあなたが押しそうになっても、全力で止めるから……!」

 その宣言にエリックは目を見開く。兵士が立ち聞きしているかもしれないが、セラは隠すつもりはなかった。彼女自身の魂が、そう叫んでいるのだから。(レナが死にかけてまで足掻いた意味を、私が無視していいわけがない!)

 深夜になって、ようやくヴァルターの車列が基地へ到着するという報が入る。外は濃い闇に包まれているが、複数の装甲車とセダンがゲートを通り、中央施設へ乗り付けたらしい。兵士たちが慌ただしく動き回り、緊張が高まる。

 セラたちは椅子に座って待機していると、ドアが開き、司令官が顔を出す。「ヴァルター様が到着された。エリックを連行して応接室へ移動しろ。セラとカイも同行だ……」 その言葉に、セラの胸がドキリと強く鳴る。ついに来た――リセット派の最高権力者ヴァルターとの対面。リセットの行方を決める重要な局面が訪れるのだ。

 エリックは兵士に突かれ、立ち上がる。カイがセラを支えるようにそっと背中に手を添えて、三人で廊下を進む。遠くから車のエンジン音が消え、足音が近づいてくるのが聞こえた。

 そして、白い髪をきっちり撫で付けた男――ヴァルターが姿を現す。年齢は50代半ばか、それ以上にも見えるが鋭い眼光は衰えていない。整った軍服のような装いを纏い、幾人かの側近が後ろを従える。全体に漂う冷たいオーラが、彼を一目でただ者ではないと感じさせる。

 「……セラ、エリック、カイ。久しぶりだな」 彼は淡々と言い放つ。その声には感情が薄く、まるで事務的な挨拶のようだ。セラは息を飲む。かつて何度か会ったことがあるが、ヴァルターの前ではいつも言葉を失ってしまいそうになる。その威圧感は相変わらずだ。

 エリックが歯を食いしばりつつ視線を合わす。「ヴァルター……俺の家族はどこだ。まさかもう……!」 ヴァルターは視線を返さず、司令官と簡単に言葉を交わしている。やがてエリックに向き直り、冷徹に言う。「家族か……まあ、話は場所を変えてゆっくり聞こう。逃げずにここに来たことをまずは評価してやる。……もっとも、逃げる術などなかったのだろうがね」

 エリックは唇を噛んで黙る。その表情には憤りと不安が滲んでいる。セラは見ていられず、ヴァルターに声をかけようとするが、彼は片手を挙げて制止する。「君も、後で話そう。まずはこの場でエリックが何を望み、何を差し出すか……それを確認するところからだ」

 こうして、三人とヴァルター一行は基地内の応接室へ移動する。外では兵士たちが厳戒態勢を敷き、内部では将校らが続々と集まってくる。皆が見つめる中、“決戦”ともいえる対話が始まろうとしていた。

 応接室は基地の中でも広めの部屋で、簡易ソファとテーブルが設置されている。ヴァルターが中央のソファに腰を下ろし、その左右に数名の軍人や側近が並ぶ。エリックは拘束を解除されないまま向かいの椅子に座らせられ、セラとカイは後方に立つ形となった。部屋の隅には監視兵が銃を構えて待機している。

 夜の空気が重くのしかかり、沈黙が痛いほど長く続く。やがてヴァルターが口を開く。

 「エリック。お前が承認を拒否したせいで、リセットは暫定的に中断した。結果、世界はさらなる争いに飲み込まれ、多くの血が流れた。これは紛れもなく、お前が招いた悲劇だと私は考えている。……それを弁解したいなら、聞く耳は持ってやらんでもない」

 エリックはぎこちなく姿勢を正し、低く唸る。「弁解なんてする気はない。お前の“人類救済”が大量の血を生まないとでも思っているのか? 俺は、お前が押し付けてくるリセットの正しさをどうしても受け入れられなかっただけだ……」

 ヴァルターは微かな嘲笑を浮かべる。「わからぬ男だ。痛みなく消すことが最善だという理論は、科学的にも証明されている。人々が延々と戦争を繰り返すより、いったんリセットして無垢な再生を迎える方が合理的ではないのか? お前の私情が、大勢の命をさらに失わせる結果となった。……どうせ家族がどうのと主張するのだろう?」

 エリックの目に怒りが宿り、拘束された腕が震える。「家族は俺にとって私情なんかじゃない……。愛する人々を勝手に消されるぐらいなら、俺は死んだほうがマシだ。たとえ世界が救われたって、それじゃ何の意味も……!」

 ここでセラは耐えきれず、割り込む。「ヴァルター様、申し訳ありません! でも、私も……リセットが世界を本当に救うのか、疑問を感じているんです。こんなにも血を流してまで、さらにリセットで全てを消すなんて……」

 ヴァルターはセラに鋭い視線を投げる。「ネツァフのパイロットである君がそんな迷いを持つとは……困ったものだ。だが、君が起動しなければネツァフは機能しない。つまり、君の協力を得るためには、それなりの説得も必要だろうな」

 彼は冷徹な笑みを浮かべて続ける。「エリック、お前もだ。家族を探したいのなら、リセットを承認すればいい。私が責任を持って家族を保護し、再生された新世界でも安全に暮らせるように手配してやろう。どうだ、悪い話ではあるまい?」

 その言葉は凍るような衝撃を伴い、エリックの目が見開く。「家族を……再生された新世界で、安全に……? お前は何を言っている? リセットされれば記憶も何も消えるんじゃ……」

 ヴァルターは肩をすくめて首を振る。「痛みなく消すだけで、再生された後どうなるかは未知だ。だが、私の理論では、生命体の本質は再統合される可能性が高い。つまり、お前の家族も存在し得る。少なくともお前が殺されるだけよりは、希望があるだろう?」

 エリックは激昂し、「そんな戯言は信じられるか……! それはただの机上の空論だ。命が再生される保証なんてないじゃないか!」と叫ぶ。兵士がすぐさま銃を構えるが、ヴァルターは手で制し、微笑みながら続ける。

 「では、お前はどうしたい? このまま反逆者として処刑される道もあるぞ。家族の生死はわからないままだ。……セラ、君はどう思う? 彼を処刑するか、リセットに協力させるか……どちらが理に適う?」

 セラは言葉を失う。ヴァルターの選択肢はあまりにも非情だ。エリックにとっては家族を人質に取られたも同然であり、セラが何を言おうと、ヴァルターが本気でリセットを推し進めるなら抵抗は困難かもしれない。

 カイが静かな口調で割って入る。「ヴァルター様、リセットには承認が複数必要なはずです。エリックさんを無理矢理従わせても、世界が救われるわけでは……」

 ヴァルターは手を上げてカイを制し、徐に微笑む。「実は、新たな研究が進んでいる。承認システムを一部改変すれば、エリックの意思表示がなくともリセットは起動できるかもしれない。だが、私は痛みなく消すという理念を尊重したいのでね。あくまで“承認”という形を取りたいんだよ」

 その言葉にカイは驚愕する。「そんな……承認システムを改変? それじゃあ、エリックさんや他の代表の意思は本当に形だけになる……」

 ヴァルターは頷き、再度エリックへ目を向ける。「だが、私は誠意を示したい。家族を探すというのなら、協力しよう。もちろん、君がリセットのための承認を約束するのが前提だがな。どうだ?」

 エリックは沈黙し、体を震わせる。その顔には苦悩の色が濃く、数瞬考え込んだあと、低く漏らす。「家族を返してくれるなら……承認……?」

 「エリックさん、だめ……!」 セラは思わず声を張り上げる。「私だって、こんな形でリセットを進められたくないんです……! エリックさんが承認したら、世界が本当に消えてしまう。あなたはまだ家族と会ってもいないのに、そんなの――」

 ヴァルターは冷ややかに笑い、「セラ、君もネツァフのパイロットとして協力しなければならん。君が乗らなくても、代わりを用意する手段はある。……それがいやなら、リセットに賛同してくれ。君はもう、足掻きを見てきただろうが、それがどれほど悲劇を生むか理解したはずだ」

 セラは唇を震わせながら、「たしかに戦争は悲惨です。でも、だからといって人間の意思を全部無視して、痛みなく消し去るのが“救い”なんて……信じられません」と反論する。

 ヴァルターの目が一瞬鋭く光る。「ならば、君はさらに多くの血を見たいのか? 反対派や無法者が足掻き続けるたびに、何百、何千もの命が散っていく。その責任を君は背負えるのか?」

 セラの心が揺れ、思わず震える声で「背負えるわけがない……」と答える。ヴァルターの問答は非常に巧妙だ。リセットを拒む者に対し、「さらに大きな悲劇をもたらす意志があるのか」と畳み掛けてくる。セラは言い返す言葉を見つけられず、胸が苦しい。

 エリックはそんなセラの姿を見て、歯を食いしばりながら言葉を絞る。「ヴァルター、俺はまだ“承認”を押さない。家族を探してくれるって言うなら、その情報が確かだという証拠を見せてくれ。家族が無事だとわかれば、考えなくもない……」

 ヴァルターは再び笑みを浮かべる。「いいだろう、エリック。契約というわけだ。ここで無理に承認を迫るつもりはない。私も完璧主義者でね、万全の状態でリセットを起動したい。……ただし、時間はそう長くない。次に反対派が動き出すようなら、私も強行措置をとらざるを得ないからな」

 そう言い残すと、ヴァルターは側近に合図し、「セラ、カイ、そしてエリック……しばらくこの基地で待機していろ。家族の所在を探す間に、君たちも“戦わずに済む道”を考えるがいい。リセットがすべてを解決する前にね」と最後に皮肉めいた言葉を投げる。

 会談はここで一旦打ち切りとなった。ヴァルターが部下を連れ、部屋を後にすると、その場には暗い沈黙だけが残る。セラは息を吐き出し、床を見つめ、心臓の鼓動がうるさいほどに高鳴っている。(これが……“猶予”か……? でも、いずれは承認を押せと言われるんだ。どうしよう……)

 会談が終わった後、エリックは再び兵士たちに連れ戻され、独房に近いバラックへ移される。セラとカイも同席して構わないというが、兵士の監視下でしか会えない。ヴァルターが出した条件――“家族を見つけてやるから承認を考えろ”――は、あまりにも厳しい交渉材料となった。

 セラはバラックの外の廊下で、壁に背を預けて頭を抱えている。カイが静かに寄り添い、「セラ、少し休んだほうがいい。これ以上自分を追い詰めても……」と声をかける。だが、セラは首を振る。

 「休んでいる暇はない。エリックさんの家族を、ヴァルターが本当に探してくれる保証なんてないでしょう。いっそ、自分で探しに行きたいくらい……」 カイはそれを聞いて、苦い表情を浮かべる。「そんなことをしたら、ヴァルターに逃亡とみなされるかもしれない。レナもまだ意識不明で……君が今抜ければ、ネツァフを他の誰かに渡すかもしれない。ヴァルターは手段を選ばないと見た」

 セラは思わず涙が浮かんで視線をそらす。「わかってる……。私がいなければ、ネツァフに乗る別のパイロットが見つかるかも。そしたら私が足掻いてる意味なんて……全部台無しじゃない。怖いよ、カイさん。リセットが始まったら、みんな何もかも消えてしまうんでしょ……」

 カイはセラの肩に手を置き、強く握って安心感を与えようとする。「大丈夫、僕がいる。レナやエリックだって、君を必要としてる。ヴァルターが今、急にネツァフを起動するとは考えにくい。彼は万全の承認システムを求めてるから……僕らが時間を稼げば、別の道を探せるかもしれない」

 セラは涙を拭き、震えた声で「そうだね……まだ可能性はある。エリックさんの家族を探すにしても、リセットを回避するにしても……」と呟く。けれど、その“別の道”が何か、誰も確信を持てない。レナは意識不明のまま、ドミニクの反対派が再起すればまた戦闘が起こりかねない。まさに綱渡りの状況だ。

 深夜、基地の外灯が弱々しく点る中、セラとカイは仮設の居住テントに戻っていた。そこに簡易ベッドが二つ並び、最低限のプライベート空間が確保されているが、いつ監視が入るかわからない。

 セラは床に座り、ぼんやりと天井を見上げる。カイは小さなランタンを灯し、資料を見ながら何かメモを取っている。しばし沈黙が流れた後、セラが口を開く。

 「ねえ、カイさん……。もし私が“ネツァフを動かさない”って宣言しても、ヴァルター様は別の手段を用意するだろうか。私はそれを止められないのか……?」

 カイは苦悩を滲ませた表情で答える。「ヴァルター様が用意している“強行起動”の可能性は否定できない。ネツァフのシステムは三人の融合パイロットが必要だとされてきたけれど、技術的な迂回策が研究されているのは事実だ。もしそれが完成すれば、セラが反対しても起動されるかもしれない」

 セラの胸が大きく揺れる。もし自分の存在が不要になれば、リセットは誰の意志ででも可能になる――それこそ人類の大半を消すことが現実化してしまう。「でも、それって何のための承認なの……? エリックさんの意思を無視してでもやるなら、最初からそうすればよかったんじゃ……」と言葉をこぼす。

 カイはタブレットを閉じ、穏やかに返す。「ヴァルター様の理想では、“全人類の納得のもとでリセットを行う”ことが望ましい。でも、現実にはエリックや反対派のように反対する者がいる……。だからこそジレンマがあり、ヴァルター様も強行起動までは踏み切れずにいるんだ。つまり、説得――あるいは外形的な合意――が彼にとっても必要なんだろうね」

 セラはその答えに首を縦に振らない。「納得なんて……こんな血みどろの圧力をかけて、家族を人質にして、承認をもぎ取るなんて……私はやっぱり嫌だ!」 その声は悲鳴に近く、カイは抱きしめるように肩を支える。「わかる。僕も本心ではリセットに賛成できなくなってる。でも、ここで足掻くしかない。時間を稼いで、エリックと家族を救う手段を探す。レナが目覚めれば、彼女の足掻きも力になるかもしれない……」

 セラは泣きたい気持ちを押し殺し、カイに顔を埋める。暗いテントの中で、二人の心はやるせない無力感を共有しつつ、一瞬だけ互いの存在に安堵を見出す。大きく溜息をついた後、セラは「ありがとう……」と小声で呟いた。

 翌朝、セラがエリックのバラックに向かおうとすると、兵士から「レナの様態が少し動きがあったようだ。医療棟で確認するか?」と声をかけられる。レナ――反対派のゼーゲパイロット――はいまだ意識不明だが、わずかながら容体が改善しつつあるという報告だ。思わずセラは胸を弾ませて医療棟へ駆けつける。

 医療棟は前線基地の一角に設置された仮設施設で、負傷兵や捕虜が治療を受けている。そこには独立したテントが並び、レナはその中でも比較的設備の揃った一室に寝かされていた。 中にはカイが先に到着しており、医師と話をしている。セラがそっと入ると、レナは変わらずベッドに横たわっているが、心電図の波形がやや落ち着いており、呼吸も安定してきたようだ。

 「まだ意識は戻らないの?」 セラが医師に問うと、眉をひそめつつ「うーん、意識が戻るかどうかは五分五分だ。生命維持が安定してきたのは良い兆候だが、脳へのダメージや臓器の損傷が大きい」と答える。

 セラはレナの枕元に立ち、そっと手を握る。仮面のように痛々しい酸素マスクが装着され、包帯や点滴の管が絡みつく姿に胸が痛む。 (レナさん、もしあなたが目を覚ましたら、またリセットを否定して足掻くの? それとも……もう何もかも諦める? 私はどうすればいいの……?)

 声には出さず、彼女は涙をこぼす。レナの生存を願う一方で、その先に何が待っているか想像もつかない。反対派がまだ生き残りを続けるなら、レナの復活も再び戦闘へ繋がるかもしれないし、リセット派が彼女を脅すかもしれない。

 カイが側でセラの肩に手を置き、医師に静かに言う。「彼女はどうしてもレナを救いたいんです。何か僕たちに協力できることはありませんか? 装置や薬品など、どこかから取り寄せるとか……」 医師は複雑そうに首を振る。「ここは前線の仮設施設だ。装置も限られている。後方の大病院へ搬送できれば可能性は上がるが、反対派パイロットをそこまで送る許可が出るかどうか……。ヴァルター様の裁量だな」

 (またヴァルター……結局、彼がすべてを握っている。この人が全権を持って、世界の運命を決めようとしている……)

 セラは唇を噛みながら、医療棟を後にする。心は重く沈み、この世界が一人の独裁者によって左右されているように感じられてならない。

 バラックの一室で、セラはうずくまるように座り込んでいた。その姿を見てカイが心配げに声をかけるが、セラは顔を上げずに震える声で答える。

 「私、レナさんを救いたいし、エリックさんの家族も救いたい。でも、そのためにはヴァルター様を説得しなきゃいけない。ヴァルター様がリセットを強行したら全部終わり……。どうすればいいの……?」

 カイは彼女の背中をさすり、歯を食いしばる。「もはやネツァフを動かさないなら、それを盾に交渉するしかないかもしれない。ヴァルター様は承認を得たいと言っていたが、君が乗らなければネツァフは起動しない。実際、代替パイロットの研究が進んでいるかもしれないが、まだ完全じゃないだろう。……つまり、君の協力が必要という点では、優位に立てるはず」

 セラはその言葉に一瞬はっとする。「私が“動かない”と明言すれば、ヴァルター様は私を排除しようとするかも。でも、時間は稼げる……? その間にエリックさんの家族を探して、レナさんを後方病院へ送るように求める……? それでも、いつか私が殺されるかもしれない……」

 カイは小さく肩をすくめる。「怖いのはわかる。けど、君が妥協してリセットの起動に協力したら、すべてが無に帰す。それはもっと嫌なんだろう?」

 セラは絶句し、微かに首を縦に振る。「そう……嫌。絶対に嫌。私はリセットを受け入れたくない。みんながまた生きる可能性なんて、あまりにも曖昧だし……」

 決意はある。でも、その先に待つのはヴァルターとの衝突か、もしくはリセット派の陰謀か――セラは暗雲を切り裂く具体策を見つけられず、ただ心が擦り減るような痛みに苛まれる。

 夕方、セラとカイは再びバラックへ足を運び、エリックと面会する。監視兵が警戒しつつも、セラの説得で面会を許可している。

 エリックは壁にもたれ、目を閉じている。見るからに疲労困憊だが、顔を上げるとセラたちにかすかな笑みを投げかける。

 「また来てくれたのか……すまないね、君たちには迷惑ばかりかける」 セラは首を振り、「気にしないで。私こそ、あなたをこんなところに連れてきて……。その後、家族の情報は手に入りましたか?」と尋ねる。

 エリックはかすかに唇を曲げて苦笑する。「いや、何も。ヴァルターが調べてくれると言ったが、まだ時間がかかるのかもしれないね。もっとも、彼が嘘をついているだけの可能性もある……」

 カイが口を挟む。「もし家族が見つかったとしたら、あなたはどうするんです? ヴァルターはリセットへの協力を要求するでしょう。あなたはそれを拒むのか? それとも受け入れるのか……?」

 エリックは沈黙し、やがて苦しそうに声を漏らす。「わからない……。家族の命と引き換えに世界を消せと言われても、僕は抵抗するだろう。でも、家族が本当に危険な目に遭うなら……人間は弱いから、何をするかわからない。自分が憎い。こんな状況にして……」

 セラは彼の横に膝をつき、瞳を覗く。「エリックさん、一緒に足掻きましょう。ヴァルター様に承認を押させないようにして、家族を救う方法を考えるんです。可能性は低いかもしれない。でも、諦めたらそこで終わってしまう……」

 エリックは潤んだ目でセラを見つめ、声を詰まらせる。「君のような少女が、どうしてそこまで……。リセット派のパイロットなら、その力を振るって僕を黙らせるのも容易なはず……」

 セラは悲しげに笑う。「私はそんな力を使いたくない。レナさんの戦いを見て、足掻くって何なのかを知ったから……リセットなんて、本当の救いじゃない。だから、私が足掻く手段は“ネツァフを動かさない”こと。でも、それだけじゃ足りなくて……あなたの協力が必要なの」

 エリックは静かに息を吐き、「わかった。僕も協力しよう。もし家族の情報を与えられても、すぐに承認を押すような真似はしない。君の行動に合わせる形で、ヴァルターと駆け引きする……。最悪、家族が人質でも、私は簡単に屈しない……覚悟はいるが」と宣言する。

 セラは安堵で胸が温かくなる。足掻く姿は人それぞれだが、エリックが再び自暴自棄にならず協力を誓ってくれたのは大きい。もしかしたら、薄氷の道でも二人でなら渡れるかもしれない。

 カイがそれを聞き、冷静にうなずく。「二人の決意を尊重する。僕も科学者としてできる限りサポートするよ。ヴァルターの前でどう振る舞うか、しっかり練らないとな……」

 それからほどなくして、医療班から連絡が届く。「レナの容体がまた変化した。多少、意識に反応が見られる可能性がある」という報せだ。セラとカイは急いで医療棟へ向かう。

 医療棟の一室で、相変わらずレナは寝たきりだが、医師が小声で説明する。「先ほど指先が動いて、呼吸が若干乱れたんだ。脳波にも微細な活動の増加が見られる。まだ意識が戻ると決まったわけじゃないが、もしかすると……」

 セラはレナの顔を覗き込み、そっとその手を握る。「レナさん、聞こえますか……? 私よ、セラ……。あなたが教えてくれた足掻きを、私はまだ捨てていない。エリックさんも見つけたし……あなたが目を覚ましたら、一緒に戦わない道を探せるかもしれない……」

 返事はないが、レナの眉がかすかに動いたように見え、セラは期待に胸を締め付けられる。もしレナがここで生還し、再び反対派として戦いを起こすかもしれない。でも、そのときセラはどうするのか。(私はリセット派なのに、レナと手を組むの?) 答えは定まらないが、少なくとも彼女を死なせたくないという一心が、セラの中にある。

 医師は微笑ましい表情で「君たちが声をかけるのも悪くはない。意識回復にプラスに働く可能性がある」と勧める。セラはひたすらにレナへ語りかけ続け、カイも隣で時折アドバイスを加える。(目を覚ましてほしい。彼女の意思が、私の足掻きを確かめるきっかけになる……)

 夜半、再び兵士が医療棟に駆け込み、監視兵にひそひそと報告をする。どうやら外部からの電信で、「ドミニク率いる残党が集結し、新たな拠点を形成した」という情報が入ったらしい。規模は小さいが、反対派として再び抵抗の姿勢を示しているという。

 セラはその噂を聞き、(やはりドミニクが……)と思わずにはいられない。反対派は一度壊滅に近い打撃を受けたが、完全に滅んではいなかった。彼らは再度足掻く道を選んだのだろう。(また血が流れるのか……)

 カイが憂鬱そうに眉を寄せる。「もしドミニクたちがレナの生存を知ったら、救出を試みるかもしれない。あるいは、彼らがエリックを狙って反撃することも考えられる。これ以上の衝突が起きれば、ヴァルターも本気でネツァフを使うかもしれない……」

 セラは小さく震えながら、レナの眠る姿を見つめる。(私がリセット派の施設でネツァフを封じる、あるいは動かす選択を求められる……。そのとき、私はどう答えればいい?)

 その夜、セラはこっそりとエリックの独房を訪ねる。兵士たちは警戒しているが、彼女がネツァフパイロットであり、司令官の許可も得ているという名目で何とか面会が成立する。

 エリックは依然として椅子に縛られ、うなだれた姿勢だったが、セラが入ると目を上げる。「この時間まで起きてるとは……どうした?」

 セラは周囲を確認し、監視兵が距離を取って立っているのを見てから小声で囁く。「ドミニクたちが再集結したらしい……また戦いが起きたら、ヴァルター様はネツァフを使うかもしれない。私はそれを絶対に止めたい」

 エリックは苦笑を浮かべる。「止められるか? 君がパイロットを拒否すれば、時間は稼げるかもしれないが、いずれ代わりを使うとも聞いた……」

 セラは眉を曇らせつつ、「でも、その研究もまだ完成してないはず。私は必死に抵抗して、時間を稼ぐ。その間にあなたの家族を探して、レナさんを回復させ、ドミニクたちとも話し合いを試みたい……。無理かな?」と弱々しい声で言う。

 「無理かもしれない。でも、足掻くしかないだろう。僕だって、家族を取り戻すまで諦めるつもりはない……」 エリックは真剣な眼差しでセラを見つめる。やがて薄い微笑みが浮かび、「セラ、君がいなかったら、僕はとっくに折れていたかもしれない。ありがとう……」と言葉を紡ぐ。

 監視兵が「何をコソコソ話してるんだ」と怪訝そうに覗き込むが、セラはさりげなく言葉を切り上げ、「もう少し頑張りましょう……」とだけ言い残す。エリックはゆっくりと頷く。

 翌日早朝、司令官からセラとカイに「ヴァルター様が今日、エリックを本拠へ移送する予定」と伝えられる。つまり、リセット派の完全なる支配エリアへエリックを連行し、リセットへの最終的な意思表示を迫る可能性があるということだ。

 セラは息が詰まる思いになる。「私も、一緒に行きます。エリックさんを置いていけない」と申し出る。司令官は最初渋い表情をするが、ヴァルターの了承があるらしく、強くは反対しない。

 「ネツァフのパイロットとして、君がどう立ち振る舞うか、ヴァルター様も見極めたいのだろう」 司令官の言葉は他人事のように冷たいが、セラは決意を固める。これが“最後の場”となるかもしれない。もしヴァルターが強硬策に打って出れば、ネツァフ起動は避けられないかも……。それでも彼女はエリックと共に足掻いてみるほかない。

 カイも同行を許され、車列の準備が進む。レナは重体のまままだ移動できないため、前線基地に残すしかない。セラは涙ながらにレナの寝顔を見下ろし、「また戻ってくるから、絶対に生きてて……」と心の中で願う。

 そして、エリックは再び車両に乗せられ、セラとカイも隣の車へ搭乗する。リセット派の護衛隊が周囲を固め、荒野を抜けて“本拠”へ向かう――そこで彼らが見るのは、人類救済か、さらなる戦乱か。少なくとも、セラの心は限界まで追い込まれながらも、自分が何をするべきか、確固たる答えを求めていた。

 車列が荒野を走る。道は険しく、ところどころで自然の荒廃を感じさせる風景が続く。セラは車内の窓から外を見ながら、胸にぽっかりと穴が開いたような感覚を抱いていた。戦場を見てきたが、それを止める方法を見出せず、一方ではリセットを起動する権限を握る陣営に所属している――まさに矛盾に満ちた存在。

 隣の席のカイが、彼女の肩にそっと触れ、小声で言う。「セラ……大丈夫だ。君は一人じゃない。僕も、エリックもいる。レナの足掻きも、忘れてはいけない。たとえヴァルターが圧力をかけても、僕らは抵抗できるはず……」

 セラはうなずくが、言葉にならない不安が心を覆う。いざ対話となっても、ヴァルターに立ち向かえるかどうか。(それでもやるしかない。ネツァフを動かさないために、私が立ち上がるしかない……!) と、自分に言い聞かせる。

 やがて車列は峠を越え、開けた大地を見下ろす。遠くにはリセット派の大規模施設の一角が見えるようだ。セラが最後の選択を迫られる場所でもあるのかもしれない――。

 車列は徐々にリセット派本拠地へ近づき、日が高く昇る頃には、その外郭がはっきり視界に入る。巨大な防壁、無数の監視塔、そしてネツァフが収容されていると思しき施設のシルエット――かつてセラが招集され、訓練を受けた場所と同じか、あるいはそれ以上の規模の拠点だろう。

 セラの心には幾つもの思いが交錯する。レナが危篤のまま残された前線基地、エリックの家族が行方不明のまま、ドミニクの反対派が再起を図っているかもしれない。ネツァフを巡る陰謀やヴァルターの意図――どれもが重なり合い、彼女の胸を重く染めている。

 (私は……どうしたいの? リセットで世界を消すなんて絶対に嫌。でも、戦争が続くのも嫌。それでも、多くの人は苦しんでいる。足掻きを尊重しても、血が流れる現実は止まらない……)

 車の振動が彼女を揺さぶり、視界が少し霞む。隣でカイがエリックを見やり、静かに頷いているのが見える。そこには絆のようなものが芽生えつつあるのかもしれない。少なくとも、エリックが生きていて、共に足掻く道を探すというのは、この世界のわずかな希望だ。

 そして何より、セラが眠りの中に聞いたレナの声――「足掻くことは、無駄じゃない」というメッセージを思い出す。仲間を失いながらも戦い続けたレナ、血に塗れた反対派……その犠牲が無意味だったとは思いたくないから、セラは自らの意思で行動を起こさねばならなかった。

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