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再観測:ゼーゲとネツァフ:Episode 4-3
前線基地を後にしてから、すでに二日が過ぎていた。セラとカイ、そして捕縛されているエリックは、リセット派の護送部隊に守られる形で、砂混じりの荒野を黙々と移動している。目指すはリセット派の本拠地。そこには、ヴァルターが待ち受ける――リセットの是非を改めて巡る“最終の場”かもしれない。
朝日が昇るころ、隊列を組んだ装甲車とトラックが峠道へ差しかかる。周囲は赤茶けた岩肌が連なる荒涼たる景観で、高低差の激しい地形が見通しを悪くしていた。
「ここは要注意だ。ゲリラや盗賊、それに反対派の残党にとっては格好の待ち伏せポイントだ」と兵士の一人が呟く。
セラはトラックの荷台にカイと一緒に腰掛け、今は眠るように目を閉じるエリックを見やる。彼の腕は依然、結束バンドで固定され、憔悴の色が濃い。(家族の生死もわからないまま、こんな過酷な移動を……。私は何もできないまま、ここに乗っているだけ……)
カイがセラに声をかける。「大丈夫? 眠れなかったんだろ? 少しでも休んで……」
セラはかすかに首を振り、歯を噛んで答える。「いいの。今はどんなアクシデントが起こるかわからないし、エリックさんが狙われる可能性だってある。私が目を離しちゃだめ……」
そう話すうちに、トラックが急停車し、兵士が声を荒らげて「何だ……道が崩れている?」と言うのが聞こえる。前方の装甲車が偵察を進め、岩がゴロゴロと転がり、小規模な落石がルートを塞いでいる模様だ。隊長格の軍人が降車して現場を確認し、「回り道か? それとも処理して進む?」と判断を迫られているらしい。
長く続く移動の中で、些細なトラブルのようにも見えるが、セラの胸には漠然とした不安が広がる。(もしこれがただの自然災害じゃなかったら……?) 反対派の残党か、あるいは盗賊らが仕掛けたトラップではないか――。
兵士の何名かが落石をどかそうと作業を始める。銃を構えた仲間が周囲を警戒しながら、車両を防御態勢に配置している。セラとカイはトラックの荷台から降りてエリックを見守るが、隊長からは「足手まといになるな、そこのトラックで待機していろ!」と怒鳴られる。
セラは悔しいが、下手に動いて撃たれたりエリックが危険にさらされるのも困るので、やむなく待機する。荷台ではエリックが弱々しく目を開ける。「また何かあったのか……?」と呟き、警戒の色をにじませる。
「落石だって。でも……どうも怪しい。待ち伏せの匂いがする」
セラが神経を研ぎ澄ませて周囲を見回すと、峠の上部には岩や茂みがあり、銃を構えて潜めそうな場所がいくつも見える。(もし本当に敵がいるなら、ここで奇襲が起こってもおかしくない……)
と、その時、遠くでひそやかな金属の軋む音がする。続いて、隊列の後方から「撃たれた!」という叫びが上がり、銃声が鳴り響く。兵士たちが一斉に対応しようとするが、音の出どころがわからない。岩壁の上や茂みの陰、あるいは目視できない死角から攻撃が来るようだ。
「やっぱり……罠だ! 捜索部隊を出せ!」
隊長が叱咤し、兵士たちが急いで散開する。セラとカイはトラックから降り、エリックの腕を掴んだまま硬直する。結束バンドを付けた捕虜が動き回れば射線に巻き込まれる可能性も高いし、逃げられても困る――そう警戒する兵士が周囲を取り囲んでいた。
落石の壁を挟み、上方からパン、パン!と狙撃のような銃撃音が続く。リセット派の兵士が応射し、火花が飛び散る。「いたぞ、あそこだ!」と叫ぶ声がかすれ、岩陰へ向かって激しい射撃が繰り返される。その迫力にセラは耳を塞ぎ、エリックは苦痛に眉を歪める。
「ちょっと……こんなところで撃ち合いしてたら、俺もセラも死ぬかも……!」
エリックが自嘲気味に呟くが、セラは固い表情で首を振る。「死なせない……絶対に。逃げ場は……あっ!」
言いかけた途端、遠方からゴォォッとロケットランチャーの噴射音が響き、落石の真横で激しい爆炎が上がる。隊列の一台が直撃を受けたのか、衝撃が砂埃を巻き上げ、火柱が燃え上がった。
「くそっ……反対派の残党か! 盗賊にしろこんな重火器を持ってるとは!」
兵士が絶叫しながら伏せ、射線を必死にかわそうとする。トラックの荷台でセラもエリックとともに倒れ込み、砂利が目に入りそうなほどの乱戦が始まった。
騒然とする隊列の中、指揮官が必死に無線で指示を飛ばし「落石をどかして進むのは無理だ! 敵を排除しないと袋のネズミだ!」と叫ぶ。周囲の兵士が散開し、岩壁の上を攻撃しようとするが、敵は巧みに隠れ、迫撃砲やロケット弾を次々と放ってくる。
セラの背筋を凍らせるほどの轟音と爆発の連鎖。茂みの陰で死角を突かれれば、いつ流れ弾や破片が飛んできてもおかしくない。カイがエリックを抱えるようにして伏せ、セラも隣で必死に身体を低くする。
「セラ、どうする……? このままだとこっちもジリ貧だ。隊長は戦闘に集中していて、僕らを守ってくれる余裕なんかない」
カイが焦り混じりに言う。セラはどうにもならない思いで唇を噛む。(反対派の残党なのか? それとも盗賊の類がエリックを狙っている?) どちらにせよ、こちらも対抗しなければならない状況だが、セラは戦う手段を持たない。
激しい銃声と爆炎がひとしきり交わった後、一瞬の静寂が訪れる。兵士たちも息を飲み、警戒しながら周囲を見回す。すると、岩陰から声が響く。
「そこのリセット派、我々にエリックを渡せ!」
聞き覚えのある低い男の声。それは、セラが廃工場で会ったことのある反対派リーダー――ドミニクではないか。思わずセラの胸が騒ぎ立つ。
「まさか、ドミニク……」
カイが呆然と呟く。エリックは苦々しい表情で「まだ諦めていなかったのか……」と苦しそうに瞑目する。
兵士たちがどよめき、隊長が怒鳴る。「ドミニクか……お前らはほとんど壊滅したはずだろうが! 今さら何をやっても無駄だ!」
しかし、岩陰から響くドミニクの声には自信すら感じられる。「ネツァフが出てこなければ、人類は足掻き続ける。俺たちはそのために再結集したまでだ。――エリックは“リセットを拒む意思”の象徴。仲間になるつもりがなくても構わん。だが、ここで殺されるくらいなら我々に来い……!」
エリックは小さく首を振る。「また戦いに巻き込まれるのはごめんだ……。家族を探さないといけないし、ドミニクが足掻くのはいいが、俺を使うな……!」と歯噛みするが、声は岩場の上まで届かないだろう。
隊長が暗い顔で兵たちに命じる。「交渉は不要。奴らを叩け! ここで潰しておかねば面倒になる!」
再び銃撃が始まり、閃光が峠道を引き裂く。ドミニク側も反撃の火線を張り、ロケット弾がまた発射される。狂乱の銃声と爆発音の嵐の中、セラはどうにもならない恐怖に苛まれ、ただ伏せることしかできない。
戦況は激しいが、道は崩れているためリセット派の車列は動きが取れない。反対派の残党が有利な地形を活かして攻めているが、リセット派も装甲車の火力や兵士の数では優勢。両者が一進一退の攻防を繰り返す。そこに挟まれる形で、セラたちが身を潜めているという構図だ。
「ドミニク……どうしてここまでエリックさんを狙うの!」
セラは心の中で叫ぶ。もしエリックを奪われたら、また反対派が彼を利用して戦線を立ち上げるのではないかと危惧する。逆に、リセット派が彼を守り切って本拠地に運べば、今度はヴァルターがエリックをネツァフ承認の駒に使うだろう――どちらも良い結末が待っているとは限らない。
隊長が兵士を指揮してロケット弾の発射地点を突き止めようとする。岩壁の上に数名が配置されているのが見え、そこに集中砲火を浴びせるが、相手も散開して防御を試みる。弾丸が舞い、破片が砂と血を混ぜ合わせる。セラは吐き気を催すほどの恐怖と絶望感に押し潰されそうになる。
「セラ、下がれ! ここは危険すぎる!」
カイがセラとエリックを守る形で前に立つが、流れ弾がトラックの外装をえぐり、派手な火花が飛び散る。エリックも身を低くしながら「くそ……もうこんな逃亡生活はごめんだって言ったのに……」と呻く。
「足掻くしかない人たちの思いはわかる。でも、だからってこんな形でまた戦闘を繰り返すなんて……!」
セラは半泣きで呟く。レナやドミニクが望んでいたのは、新たな戦いではなく足掻くための希望のはず。だが、現実は再び血まみれの衝突を繰り返す。そこにリセット派と反対派の理想論など入る隙がないほど過酷な現実があるのだ。
銃撃の応酬が長引く中、ドミニク側の奇襲隊が大胆な突撃を仕掛ける。側面の岩場を下る形でリセット派の車列へ近づき、煙幕弾を投げ込んで一時的に視界を奪う戦法だ。隊長が「煙幕だ! 伏せろ!」と叫び、兵士たちが混乱の中で射撃するが命中率が落ちる。
「エリックを連れ出せ!」
煙幕越しにドミニクの声が響く。セラの耳には、その声に焦燥と必死さが混じって聞こえる。正面からリセット派に勝つのは難しいが、エリックを奪取できれば交渉材料になると踏んでいるのだろうか。
やがて、黒い影が数名、煙の中から現れ、トラック脇の兵士をなぎ倒す。短い乱戦の末、敵兵が「くそっ、抵抗が激しい……!」と毒づく声がするが、それでも複数人でエリックを狙い、車両周辺に突進してくる。
「やめろ! 撃つぞ!」
リセット派の兵士が絶叫しながら連射するが、煙での視認が悪く、ドミニクの部下たちも素早い動きでかわす。瞬時に至近距離の撃ち合いが起こり、銃火が煌々と夜の帳を切り裂く。実際には昼間だが煙であたりが暗く、視界がほとんどないのだ。
セラは思わずエリックを抱きかかえる形で伏せ、「嫌っ……また戦いなんて……!」と叫ぶ。カイがそれをかばうようにして腕を広げるが、流れ弾がちかちかと金属を削る音が恐ろしい。もし一発でも当たれば……。
「エリックを離せ!」と荒い声がすぐ脇で響く。見ると、黒いマスクを着けた反対派の兵士が拳銃を突き付けている。セラはパニックで目を見開くが、次の瞬間、近くにいたリセット派兵が射撃し、相手は血を吐いて倒れる。
「ひっ……!」
セラは悲鳴をこらえ、震える身体を抱え込む。目の前で人が倒れる瞬間を見るのは、もう何度目になるのか――そのたびに恐怖と悲しみが胸を締め付ける。
「セラ、逃げよう! ここにいると巻き込まれる!」
カイが必死にセラの腕を引き、トラックの下を潜るように移動する。エリックは拘束されたまま苦しげに横を這う。背後では弾幕が交わり、火花と破片が飛び散る。隊長の怒声が響く。「ドミニクめ……! 奴らに一人も捕虜を渡すな!」
煙が晴れかかった一瞬、セラの視界にドミニクの姿が入る。岩場から飛び降りてこちらへ駆け寄ってくるが、その表情には狂気というより切迫感が宿っている。彼は手に短いアサルトライフルを持ち、周囲を威圧するように構えながら、リセット派兵士の射撃を必死でかわしていた。
視線が交差した瞬間、ドミニクがセラを見止める。
「セラ……そこにいるのか。エリックを出せ! 奴がいれば、リセットなんか阻止できるんだ!」
セラは息を飲み、エリックをかばうように背中を向ける。「やめて……エリックさんを無理矢理連れ去っても、また血が流れるだけ! あなたが本当に望むのは、こんな戦いじゃないでしょう!」
ドミニクの眉がギリッと歪む。「俺だって好きで撃ち合いをしてるわけじゃない。だが、リセット派は強引すぎる。エリックが承認を拒否したせいで世界中が戦争……それでも、奴を捕らえてリセットを推し進めようとしている。だから、俺たちは彼を救い出すんだ。足掻くために!」
セラは頭を振り、嘆きに近い声で叫ぶ。「でも、それでもあなたたちがエリックさんを道具みたいに扱うのは同じ……彼だって家族を探してる。勝手に戦いに巻き込むのは、彼を苦しめるだけ!」
ドミニクの足が一瞬止まり、その手元が微かに震える。「……わかってる。エリックだって、こっちの事情に乗りたくはないかもしれない。だが、リセットを止める力になりうるのは確かだ。レナが倒れた今、俺たちに残された希望は少ない。……セラ、お前もわかるだろう?」
思わず言葉を失うセラ。その隙に、リセット派兵がドミニクを狙って射撃を行い、弾丸が岩肌をえぐる。ドミニクは素早く回避し、「くそっ、時間がない……」と吐き捨てる。
「セラ……もしまだネツァフを起動する気がないなら、エリックを渡せ。そうすればリセットが起きる前に足掻き続けられる。お前だって、リセットを嫌うんだろう?」
セラは叫ぶ。「違う! そんな形でまた戦いを続けても、血が流れるだけだわ……!」
ドミニクの瞳には痛みが浮かぶ。「血はもう充分流した。だが、リセットで全てが消されるよりはマシだと思っている。お前が何と言おうと、俺はエリックを奪う!」
その宣言の直後、ドミニクが突進し、セラに向かって手を伸ばす。彼女をどけてエリックを引っ張り出そうという動きだろう。セラは悲鳴を上げながら身をよじるが、腕を掴まれ、強引に引かれる。「やめ……!」
しかし、カイが割って入り、ドミニクの腕を掴む。二人がもみ合いになり、銃が床に転げる。「ドミニク、やめろ……セラとエリックを傷つけるつもりか!」
ドミニクは苦悶の表情を浮かべ、声を荒らげる。「邪魔をするな! リセットが起きたら、全てが終わるんだ! 何としても彼を救う……!」
乱闘がエスカレートしそうな瞬間、バンッ!という発砲音が至近距離で鳴り響いた。見ると、隊長が拳銃を構えて警告射撃を行い、ドミニクを狙っている。「動くな、ドミニク……そこまでだ!」
ドミニクは悲しげに目を伏せ、ついに力を緩める。カイが息を切らしながら腕を離し、セラも解放されて尻餅をつく。「ドミニク……あなたも、あなたも足掻いているのはわかる。だけど……」
言葉の続きをセラが探す前に、ドミニクは苦々しい唇の動きだけで、「もう遅い……」と呟くように言う。
兵士たちがすかさずドミニクを取り囲むが、ドミニクは機敏に跳ね退き、「まだ終わっていない……我々はまた動く……!」と叫び、短い笛のような合図を鳴らす。すると、残存の反対派が一斉に退却行動に入る。煙幕が再び投げ込まれ、「撤収!」との声がかき消されるように響き渡る。
「くそっ、逃げられるか……!」
隊長や兵士が追撃しようとするが、地形の優位を活かして敵は素早く散開し、あっという間に岩場の奥へ消える。リセット派の装甲車も落石に阻まれてすぐには追えない。数発のロケットや狙撃を交えたにらみ合いの末、やがて静寂が戻る頃には反対派の姿はもう見えなかった。
煙と砂埃が落ち着くと、隊列の車両は被害を確認する。装甲車の一台が深刻な損傷を受け、何名かの兵士が亡くなっていた。負傷者も多数。反対派側にも死傷者が出たようで、血の跡が岩肌に続いているが、逃げ切った者も少なくないらしい。
セラは身体を震わせながら現場を見渡す。「また……こんなにも死んでる……。一瞬の衝突で、こんな大惨事……」
血が地面を黒く染め、破片や弾痕がまだ煙を上げている。兵士が必死で負傷者を運び、悲鳴やうめき声があちこちで響く。エリックはその光景を見て、閉口したまま目を伏せる。
隊長が激昂して兵士を叱咤する。「こんなことばかり……反対派がまだ追ってくるなら、我々はエリックを守りつつ進まないといけない。早く落石を処理してルートを開けろ! まだ数時間はかかるかもしれんが、ここには長居できん!」
暗い空気が隊列を包む。セラは慟哭したくなる気持ちをこらえ、カイに寄り添う。彼も蒼ざめた顔で、「戦いの連鎖が止まらない……」と震える声を漏らす。エリックは目を閉じたまま無言だ。
「これが足掻きの結末か……? こんなにも血が流れるのが現実ならば、私はどうすればいいんだ……?」
セラの胸中で懊悩が渦巻く。リセットか戦争かの二択しかないのか――レナやドミニクの意志を思い返しても、ただ泥沼に深く潜っているように感じる。
落石を爆破処理し、道を開通させる作業が行われる。何時間もかかった末、ようやく通行可能な程度に瓦礫をどかした。夜になってしまったが、この場所に留まるのは危険すぎるため、隊長は「夜間行軍」で一気に拠点へ戻る決断を下す。
爆破処理による揺れで再び地形が不安定になり、通行にはリスクがあるが、敵が再襲撃してくるリスクの方が大きいという判断だ。灯りを消して暗視装置を活用する形で、車列が静かに動き出す。
セラとカイ、そしてエリックは再びトラックの荷台に乗り、眠れぬ夜を迎える。隊列のスピードは遅く、地面の振動と時折の落石の破片が神経をすり減らす。兵士たちは交互に休むこともできず、疲労が顔に見え隠れしていた。
エリックがぽつりとつぶやく。「……もしヴァルターの本拠まで行っても、またこんな戦いが起きるかもしれないな。彼は徹底してるから、反対派がどこまで足掻いても容赦なく潰そうとする……」
セラはうなずくしかなかった。「ドミニクたちも、これ以上無茶をしないでほしい。でも、彼らも必死なんだろう。もう、どうすればいいの……」
カイはタブレットで地図を確認しつつ、「この先、峠を越えればリセット派の内陸地帯が広がり、本拠地は目と鼻の先だ。追手がまた来るとすれば、そこまでに勝負をかけてくるはず……。もし無事に着けば、ヴァルターとの対話が待っている」と語る。
セラは深い息をつき、目を閉じる。リセットを止める道と、世界の戦争を止める道――どちらも一歩間違えば破滅しか見えない。「追手の到来」はこの峠だけでは終わらないのでは……そんな不安が拭えないまま、夜の荒野を静かに行軍し続ける。
真夜中、隊列が谷あいの平坦な場所に到着し、一時的にエンジンを切って休む。燃料補給や兵士の食事なども必要だ。指揮官が「ここで数時間休んで夜明けに出発する」と決断する。万が一、襲撃があっても地形が平坦なので守りやすいという。
そこでセラとカイは、エリックを見守りながらしばし会話を交わす。監視兵はそばにいるが、距離を取り、最低限のプライバシーを保ってくれている。
「セラ、君はどうしてそこまでレナやドミニクの言う“足掻き”に惹かれるんだ?」
エリックが小声で尋ねる。セラは少し考え込み、静かに答える。
「私、リセット派の施設で育てられたようなものだから、“痛みなく消す”が正義だと教わってきたの。でも、実際に戦いの現場を見たら、そこには痛みや苦しみがあって……でも、それは生きるための足掻きとも言えるんだと気づいた。リセットが無理なら、人は足掻いて生きるしかないじゃない……」
エリックは苦い笑みを浮かべる。「そうだな。理想と現実は違う。僕もずっと迷ってる。家族を守りたいだけだったのに、こんな争いが起きている以上、誰かが道を示さないといけないかもしれない……」
セラの胸が疼く。「エリックさん、あなたはヴァルター様に会って、家族を探すためなら承認を押す……なんて言わないで。もし家族が見つかっても、リセットされたら結局……」
エリックはうつむき、肩をすくめる。「わかってる。だけど、ヴァルターを無視してもまた血が流れるだけ。そこからどう足掻くか……僕にもわからないよ。君こそ、代わりにネツァフを起動しないと決めるのか? ヴァルターに刃向かう?」
「……抵抗はする。ヴァルター様に、それでも足掻く道を探してほしいと訴える。でも、それだけでどうにかなるのか……正直、自信がない……」
セラの声が震え、カイがそっと背に手を回す。「大丈夫、少なくともここに三人いる。何とかしよう。ネツァフが動き出す前に、家族やレナをどうにか救う道を……」
話が一区切りついた矢先、再び基地の外周で警報が鳴り、兵士たちの怒号が響く。「敵襲だ! 遠方から接近!」
セラとカイは驚き、すぐに起き上がる。エリックも拘束されながら焦る表情。隊列がこんな夜間に再度襲われるなど、先ほどの追手が追撃を仕掛けてきたのか――ドミニクたちが引き下がらなかった可能性が高い。
短い警戒の後、今度は装甲車が前面に出て迎撃態勢を取る。しかし、敵も再びロケットを撃ち込んできて、激しい爆音が闇を切り裂く。セラは悲鳴を上げて伏せ、カイもエリックを引っ張って地面に身体を沈める。
「またやるのか……!」
兵士が絶叫し、隊長が「応戦だ! 捕虜を確保しろ! 絶対に渡すな!」と指示を飛ばす。辺りは瞬く間に修羅場へ突入し、銃弾が風を切り、火線が咆哮する。
暗闇の中で再度繰り返される散発的な攻防。今度は遠方に隠れた敵が狙撃を多用しているらしく、リセット派の兵士が何人か被弾して倒れる。戦力が削がれていくなか、ドミニクの部下たちが近づいている気配がする。
セラは絶望感に打ちひしがれながら、(リセットを止めたいし、戦争も避けたいのに、またこんな……どうにかならないの……!)と泣き出しそうになる。エリックも顔を歪め、「ドミニク……聞こえてるならやめろ! こんなのは無意味だ!」と叫ぶが、銃声にかき消されるだけだ。
乱戦の最中、セラの視界にまたドミニクの姿が映る。先ほどの突撃よりもさらに必死な表情で、遮蔽物を使いながら、こちらをうかがっている。セラは反射的に声を張り上げる。
「ドミニク、やめて……これ以上血を流したって、エリックさんはあなたにはついていかない。私も、リセットを止めるために戦いを続けるなんて、もう嫌……!」
閃光が断続的に周囲を照らすなか、ドミニクはほんのわずかに目を伏せる。「俺だって好んで血を流してるわけじゃない……でも、リセットされれば、すべてが消えるのだ。それを止めるには、ここしかない。ここでエリックを奪えずにどうする!? ……お前はリセットを動かしたくないんだろう? なら俺たちに協力してくれ!」
それは切羽詰まった叫びであり、同時にセラへの最後通牒のように聞こえる。反対派が必死にすがる足掻きかもしれないが、セラは首を振る。「そんな戦いでまた多くが死ぬなら……結局はリセットと変わらないじゃない! あなたたちは守るもののために戦っているのかもしれないけれど……ここでやり合えば、何も生まれない!」
ドミニクの顔が苦痛に歪む。数秒の沈黙が走り、銃声や爆発音が遠巻きに響く中、彼は声を絞り出す。「すまない、セラ……。俺たちももはや選択肢がない。引き下がればリセット派に追われて全滅だ。……君が違う道を見つけられるなら、心から応援したいが、俺たちは……!」
無線の雑音が混ざり、仲間が「撤退時間が限界だ!」と叫ぶ声が混じる。ドミニクは悔しげに息を吐き、懐から何かのメモ用紙のようなものを取り出し、遠くからセラへ投げる。「読んでくれ、セラ……! 俺たちの“足掻き”が、これで終わらないことを知ってほしい……!」
セラがとっさにそれをキャッチするが、次の瞬間、ドミニクは狙撃の弾を受けて肩を打ち抜かれたらしく、苦痛で叫びながら岩陰へ転がる。反対派の仲間がすぐに駆け寄って彼を担ぎ、またスモーク弾を投じて退却を図る。隊長の「撃て! 逃がすな!」という声がして、一斉射撃が浴びせられるが、暗闇と地形を巧みに利用して敵は散っていく。
セラは握りしめた紙を見やり、声も出せずにただ立ち尽くす。(ドミニク……あなたも絶望の中で足掻いているんだね……。もうやめて、傷つくのは……)と涙をこぼしたい気持ちを抑える。
煙と砂埃が落ち着き、また多くの死者が転がる荒野が姿を見せる。リセット派兵士が偵察を出すが、反対派はすでに撤退した形跡があり、隊長が「これ以上追撃は無駄だ……」と吐き捨てる。夜明けを待たずに、車列を立て直してまた動き出すしかない。
セラは握りしめた紙を広げるが、暗くて文字が読みづらい。メモのようだが、血や泥が付着し、字が滲んでいる。カイが小型のライトを当てると、そこに乱雑な文字で「Re… …Stop it…」といった英語も混ざった短い走り書きが読める。部分的に消えていてはっきりしないが、「リセットを止めろ」と呼びかける内容らしい。
カイが眉をひそめる。「ドミニクの渾身のメッセージかな……? 『足掻きは続く』とでも伝えたかったのかもしれないね。彼ももう限界なんだろう」
セラは小さく頷き、紙を服のポケットにしまう。改めて、血塗れの現実を見せつけられ、「ドミニクさん……」と苦しげに呟く。足掻きが意味を持つなら、彼女自身も諦めずに動くべきだが、反対派の方法が戦闘しかないのも悲しい。
エリックは車の下で頭を抱えるように座り込んでいたが、ようやく立ち上がる。「セラ……大丈夫か? 怪我はない?」
セラは微苦笑しながら首を振る。「私は大丈夫。……あなたこそ、無事でよかった。ドミニクたちが何をしても、あなたはもう戦わないんでしょう?」
エリックは苦い顔で、「ああ。俺には何も残されていないからな。家族を見つけるまでは、ヴァルターの出方をうかがうしかない。それが足掻きかどうか、わからないが……」と返す。
やがて車列が形を整え、無言のまま出発を再開する。多くの兵士が負傷し、うめき声が絶えない。セラは胸を裂かれるような思いを抱きつつ、ただトラックに乗り込み、カイとエリックを見守る。「こんなの、もうたくさん……」と思いながら、それでも前へ進む以外に道はなかった。
辛く長い夜を過ごし、やがて東の空が白み始めたころ――リセット派の本拠地域が近づいてきた。遠方の地平線に巨大な防壁や施設が見え、セラにはかつて訓練で見慣れたシルエットが蘇る。そこにはネツァフの研究区画や多くの兵器が配備されているはずだ。
隊列がゲートを通過し、本拠地の広大な敷地に入ると、警戒装備が格段に増えているのがわかる。監視塔や重火器があちこちに配置され、まるで要塞のようだ。セラは血の気が失せる思いで、(ここで私はネツァフを動かすよう迫られる?)という恐怖を覚える。
エリックは車内で疲労困憊の様子だが、口をつぐんだまま視線を外に向けている。その頬には虚無のような感情が漂う。カイは無言でセラの手を握りしめ、「ここからが本番だ……」と心の中で呟いている様子だった。
車列が止まり、兵士の指示でセラたちは車から降りる。広大なプラットフォームのような場所で、複数の幹部らしき人物が待ち受けている。中にはヴァルターの側近と思われる白衣の科学者や、リセット派の将校が含まれる。
「エリックを確保しました。途中、反対派の残党の襲撃を受けましたが、どうにか到着しました。負傷者多数……」
隊長が報告を始め、幹部たちがそれに応じて質問を投げかける。セラとカイはエリックの側で待機し、厳しい検分を受ける。「ここがネツァフのパイロット、セラか。思ったより怯えていないようだな」と揶揄まじりの言葉をかけられ、セラは苦い表情で黙るしかない。
エリックは相変わらず結束バンドで拘束されたまま、憔悴しきった顔でそっと息を吐く。「ヴァルターはどこに? すぐに話がしたい……」と呟くが、幹部は「ヴァルター様は後ほどお越しになる。まずは検査と取り調べが先だ」と冷たく返す。
そう言うと、エリックは再び数名の兵士に取り囲まれ、強引に連れ去られるように連行されていく。セラは慌てて追おうとするが、幹部の一人が手を翳して止める。「君は別の区画で待機だ。ネツァフの開発部門も、君との打ち合わせを望んでいる。……勝手な行動は許されないぞ」
視線を落としてエリックに微かな視線を送るが、彼は背を向けられ、見えなくなる。一瞬だけ、エリックが「セラ……頼む……」と唇で動かしていたように見え、セラの胸は切り裂かれるように痛む。(私が守るって言ったのに、もう何もできないの……?)
カイがそっとセラの肩を支え、医療棟の場所などを教えてくれる技術士官に従って移動を始める。「レナやエリックの行方も気になるが、まずは僕らがどう動けるか確認しよう。ネツァフを本気で起動する前に、僕らの意志を示さなきゃ……」
セラは力なく頷き、歩き出す。だが、心の中は嵐が吹き荒れるように乱れていた。(追手の到来……今度こそ、反対派もドミニクも決死の覚悟で足掻いている。リセット派はそれを武力で抑え込み、ネツァフを使おうとしている……。私は最後まで抵抗できるの……?)
こうして、反対派の追撃を振り切ってリセット派本拠地に到着したセラとカイ、そして捕虜のエリック。道中で繰り返された襲撃は多くの血を再び流し、ドミニクすら負傷してもなお“足掻き”を捨てていないことが明らかになった。
“追手の到来”は、セラの心をさらに追い詰める。足掻き続ける人々と、リセットを推し進めるヴァルターの狭間で、ネツァフのパイロットである彼女が選択を迫られるのは必至だ。エリックも家族をダシに承認を迫られる危険が濃厚。レナは瀕死のまま意識が戻らず、さらにドミニクが再起を目指すなら、戦いは一層激化するかもしれない。
(こんなにも血を流して、リセットで救われるなんて本当に言えるの……?)
セラの胸にはいまだ疑問と懺悔が渦巻くが、そこにほんの少しだけ、“足掻き”という言葉が火を灯す。レナとドミニクの思いを無駄にしたくないから、エリックとともにヴァルターへ抵抗する道を探すのだった。