ACFA_NEVER FALLEN LIONHEART:EP9-2
EP9-2:家族の絆
深夜の闇が施設の窓を覆い尽くしている。荒野に作り上げられたローゼンタール前線拠点は、ここ数日ほとんど眠る暇もなく稼働し続けていた。オーメルとの決裂によって、いずれ自分たちは大規模な戦争の渦中に突き落とされるかもしれない。それでも今、ローゼンタールの人々を突き動かしているのは、ただひとつ——「人間の意志を守り抜く」という決意だった。
一角の仮設ブリーフィングルーム。そこではレオン・ヴァイスナーが折り畳み式の椅子に腰掛け、少しばかりの書類をめくっている。机の上には夜食用の残り物と水筒が置かれ、そして複数の端末からは絶え間ない連絡が飛び込んできていた。オフェリアが端末をチェックし、必要な情報を厳選してレオンに伝えている。
「……ラインアークのホワイトグリント部隊が明朝には合流できるらしい。こっちとの共同防衛線を築くのが最優先になるみたい。シモーヌたちがネクスト“リュミエール”の試作を進めてるけど、完成にはもう少し時間が必要なんですって」
そう報告するオフェリアの瞳は、深夜にもかかわらず冴えわたっている。人型AIの彼女は、人間よりも長時間の作業に耐えられるが、代わりに“覚醒”を深める過程で苦悩も抱えている。いまはレオンを支え、ローゼンタールを手助けするために意識を総動員していた。
「そっか……。一晩やそこらで完成するわけもないよな。『リュミエール』には俺のAMS適性が必要だけど、どこまで仕上げられるか……。待ってる間に、イグナーツが仕掛けてきたら厄介なんだ」
レオンは肩を回しながら、こわばった体をほぐす。もう逃げるつもりはないと心に決めて久しいが、その重責は日に日に増していた。かつては“孤高のリンクス”と呼ばれ、他者から距離を置き続けた男が、いまやローゼンタールやラインアークの兵士まで背負う形になっている。そこに、不安がないわけではない。
「あなたが背負いすぎないで」とオフェリアが小さく笑って言う。「わたしたちは“家族”でもあるけど、仲間だって増えてる。みんなの力を借りれば、イグナーツのAI制御戦争を食い止められるかもしれない」
レオンは苦笑を浮かべ、机に広げられた地図へ視線を落とす。ドラゴンベインの配置を示す赤いマーカーが増えていて、“暴走”と呼ばれる事件をわざと起こしているイグナーツの思惑が透けて見えるようだ。そう簡単には止められない。
「家族って……昔の俺なら、その言葉を鼻で笑ってたんだろうな」とつぶやき、俯いたまま静かに拳を握る。「でも、いまは違う。俺には戻る場所がある。カトリーヌだって、エリカだって、いまこそ一つにまとまろうとしてる」
「うん。あなたもわたしも、それを拒否する理由はもうないわ。エリカがここに来られないのは残念だけど、まだオーメル内部で動いてる。きっと、最終決戦までには合流してくれる」
彼女の言葉を聞き、レオンは無意識に“家族の絆”を思い返す。自分がかつて捨てた、そして取り戻したいと願うもの。エリカはどんな気持ちで独り戦っているのか。カトリーヌは貴族企業の重責を担いながら、彼をどう見ているのか。オフェリアは人型AIとして苦悩しつつも自分を支えてくれている——それだけでも十分すぎる温もりを感じる。
すると、部屋の外から騎士のような甲冑をまとった兵士が姿を見せる。片手に書類を抱え、深く頭を下げる。「レオン殿、カトリーヌ様があなたとオフェリア様を探しておいでです。通信室へお越しいただけますか」
「ああ、分かった。すぐ行く」
二人は立ち上がり、廊下を足早に進む。要人や軍幹部の部屋が並ぶブロックは、夜中にもかかわらず忙しそうに人が行き交っていた。どこもかしこも、最終決戦を迎える準備に追われているのが伝わる。
通信室に入ると、そこにいたのはカトリーヌ・ローゼンタールと数名の幹部。それだけでなく、大きなモニターには遠隔映像でエリカ・ヴァイスナーの姿が映っていた。青みがかったスクリーンに映る彼女は軍服を着込み、息を詰めたような表情でこちらを見つめている。
「父さん……オフェリア」
声にこもる感情は深い。エリカはオーメル軍事部門を指揮する立場でありながら、いまは内側からイグナーツの暴走を止める道を探っている。しかし、情報操作が激化するなか、いつ自分が粛清されてもおかしくない状況だった。
「エリカ……無事だったんだな。よかった。お前がこっちに来るまで、辛抱してたと聞いたが……」
レオンはスクリーンに近づき、小さく安堵する。「そっちはどうなんだ。イグナーツが仕掛けてる偽情報、どうしようもないのか?」
エリカは唇を噛み、険しい視線を寄越す。「クレイドルでは、イグナーツがほぼ実権を握ってる。反対派は黙らされるか、情報を一切握れなくされてる。ドラゴンベインの暴走が全部ローゼンタールの仕業だって報道されてるし、私が反論しようとしても阻まれてしまう……」
カトリーヌが眉をひそめ、「やはりそうなのね。イグナーツは早くも決戦を望んでいるように思えるわ。あなたは危険ではないの? オーメルが暴走すれば、当然あなたにも疑いの目が向くのでは」と尋ねる。
「ええ、危ないと思う。もう私も監視されてる節があるし、部下の何人かは“裏切り者の娘”を見るような目で私を睨んでる。でも、私は最後まで残るわ。父さんたちのもとへ行くのは、イグナーツが目を逸らしてくれないかぎり難しい……」
スクリーン越しのエリカの声はかすかに震えている。レオンは奥歯を噛みしめ、「お前……そんな危険を冒してまで」と呟くと、彼女は険しい顔のまま首を振った。
「父さん、私だって“家族”を思う気持ちは同じよ。あのときあなたに銃を向けたのは、状況がそうさせただけで……本当は私だって、こんなふうに企業に縛られたくなかった。今度こそ、逃げずに戦うって決めてる」
「エリカ……」
オフェリアが割って入り、スクリーンに向かって静かな声をかける。「あなたも、私たちと同じ“家族”なんだ。無理しないで。合流するときは、必ず連絡を。大規模な衝突が起これば、イグナーツがクレイドルに兵を置いてるとはいえ抜け出せる隙が生まれるかもしれない」
「そうね……。私もそっちへ行けるように準備はしておく。カトリーヌ、あなたも気を付けて。父さんだけじゃなく、みんなを支えてあげて」
その言葉に、カトリーヌは小さく笑う。「分かってるわ。あなたを苦しめてしまった責任もあるから……最後まであなたの帰りを待ってる。ローゼンタールに戻ってきても、誰も文句は言わないわよ」
「……ありがとう。そろそろ通信を切らないと、向こうの監視が厳しくなる」
エリカは少しだけ視線を伏せ、言いにくそうに胸元の軍服を握る。「父さん……必ず生きて。オフェリアも。わたしはあなたたちを……家族を失いたくない」
レオンは大きく頷いた。「お前こそ、死ぬなよ。俺たちは家族だ。見捨てないし、必ずまた会う。ここで待ってるからな」
一瞬だけ微かな微笑がスクリーンに映り、次の瞬間には通信がぶつりと切れた。室内に残ったのは、かすかな電子音と、張り詰めた空気。カトリーヌが息を吐きながら端末を閉じる。
「エリカまであんな状況で……イグナーツがどれだけ恐ろしいか、嫌でも感じるわね」
「でも、エリカの意志は揺るがない。あいつは強い子だ……昔は知らなかったけどな。あれほど大きくなってるなんて」
レオンが目を伏せ、まばたきをする。娘と会話できた安心感と、イグナーツが迫る恐怖が入り混じり、胸がちりちりと焼けるような思いだ。そこにオフェリアがそっと右腕を触れてきて、優しい声をかける。
「あなたがエリカを認めてくれたおかげで、きっと彼女も戦える。ローゼンタールも、家族としてエリカを迎える準備がある」
カトリーヌが小さく頷く。「ええ。この戦いが終われば、わたしたちは再び“家族”を形にできるかもしれない。そのためにも、今は死ねないし負けられないわ」
部屋の中に、家族という言葉が浸透する。彼らは企業の論理ではなく、血と心の繋がりで動こうとしている。そこに混じるオフェリアは機械でありながら、人間以上の情を抱いていた。
カトリーヌはレオンの顔を見て、「……そうだ、あなたも疲れたでしょう。いまは少し休んで」と提案する。だが彼は苦く笑う。
「いや、まだ“リュミエール”の仕上げに呼ばれてる。シモーヌたちがAMS調整をしてくれるから、行かなきゃ。眠れるのはそれが終わってからだ」
「無理しないで。あなたの身体は完璧じゃないんだから……いざ出撃ってときに壊れられたら困る」
「分かってる。……平気さ。お前にみっともない姿は見せたくない。今度こそ守るんだ、家族を」
その言葉にカトリーヌはわずかに微笑を湛え、「頼もしいわ、レオン。昔とはまるで別人ね」と小さく囁く。彼は鼻先を掻きながら視線を逸らし、「……年を取ったってだけだよ」と照れくさそうに応じる。
そんな二人の姿を見て、オフェリアがこぼれそうな笑みを浮かべる。「これが人間の“家族の絆”……。わたしも入れてくれる?」
「当然だろ、お前は“AIの娘”だろうが、俺たちの家族だ」
レオンが即答する。カトリーヌも苦笑まじりにうなずき、「あなたがいなければ、レオンがここまで変わることもなかったでしょうね」と付け加える。
もはや企業の価値観だけで見れば奇異な光景かもしれないが、この場にいる三人ははっきりと “家族の絆” を感じ取っていた。そこには父と母の姿があり、AIの娘や実の娘がそれぞれ違う形で繋がっている。複雑で、けれど決して断ち切れない結びつき——彼らが必死に守ろうとするものだ。
その後、レオンとオフェリアは工廠へ戻り、シモーヌと技術スタッフと合流した。コアユニットの最終フィッティングや推進システムの調整が進み、リュミエールの外装フレームが徐々に形を帯びている。
ドックには複数の作業用アームが取り付き、火花を散らしながらパーツを溶接している。そこに並べられた武装モジュールはまだ未完成だが、完成すればイグナーツのアポカリプス・ナイトにも対抗し得る力を持つというのが技術者たちの自負だった。
「レオン殿、コクピット内部のAMSリンクをもう一度確認していただけますか。人工神経との相性が上がったことで制御ユニットが過負荷を起こしやすいらしいんです。あなたのフィードバックを反映して調整したい」
短く挨拶を交わしたシモーヌが、凛とした表情でサポート端末を持ってくる。レオンは頷き、「分かった、集中するよ。オフェリア、例の連携モジュールはどう?」と尋ねる。
「わたしの制御部分はほぼ完成。あとは、人間側のAMSストレスをどう緩和するか……。あなたが耐えられるなら、さらに高出力モードも可能かもしれないわ」
「じゃあ限界までやってみよう。エリカと再会するまでには、この機体を仕上げて、イグナーツを叩けるくらいにはなりたい」
そう言い放つレオンの目には、どこか静かな炎が宿っている。家族を守る。そのためにかつて拒絶した企業技術を使い、自分が前線で戦う。新たなる自分の生き方に確信が生まれ始めていた。
周囲のスタッフも、作業をしながら彼らのやり取りを聞き、無言で力を込めている。家族、仲間、ローゼンタール、ラインアーク——そのすべてを背負うような重責が、いまレオンの魂を奮い立たせていた。
一方、カトリーヌは数名の貴族や騎士を引き連れて、応接室へ足を運んでいた。そこには遠方からラインアークの使節がやってきており、最終的な協力プランを詰めるための話し合いが行われる。いずれ最終決戦が起これば、両勢力が合わせてドラゴンベインの群れを叩き、アポカリプス・ナイトとの戦闘に備えなければならない。
だが、カトリーヌの胸中にも苦悩はある。娘エリカは未だオーメルの内部に取り残されており、いつ表に出られるか分からない。夫だったレオンと改めて共闘関係を結んだとはいえ、家族として失った時間の痛みを思い返さないわけがない。
「……母としては、エリカをすぐにでも取り返したい。けれど、経営者としては、ローゼンタール全体を守るのも私の役目。やはり、イグナーツを止めない限りは、どれも叶わないのね」
そんな独り言を漏らしたとき、騎士が声をかける。「カトリーヌ様、よろしいですか。ラインアークの使節が到着しました」
カトリーヌは意識を仕事モードへ切り替える。たとえ私情に悩んでも、いまは貴族企業の当主代行として振る舞わねばならない。家族の絆を守るためにも、この役目を果たす決意を固めていた。
夜が更けて、工廠内の照明が落とされても、レオンやオフェリア、シモーヌら技術スタッフは休む間もなくネクスト開発を進めた。集中テストが終わったころには、レオンはさすがに疲労で足元がおぼつかなくなり、オフェリアが肩を貸してくれる。
テントへ戻る途中、遠くの滑走路ではアームズ・フォートが出撃準備を整えているのが見える。武装をチェックする兵士の掛け声や、推進器の轟音がひっきりなしに響く。ローゼンタールは近い将来、ドラゴンベインやアポカリプス・ナイトとの戦闘が避けられないと感じているのだろう。
そんな殺伐とした雰囲気の中、二人はテントに入って灯りを落とし、かろうじて腰を下ろす。外で響く作動音が鼓膜を震わせるが、ここだけは少し落ち着ける空間だ。レオンは深い息を吐き、「頭が割れそうだ……」と苦笑する。
「この状況で、エリカもカトリーヌも、それぞれ違う場所で戦ってる。オフェリア、お前は大丈夫か? 覚醒に無理してないか」
彼女は目を伏せて、「今のところ平気。自分でもいろいろ検査したけど、まだ人間の感情が大きく損なわれるような変化は起きていない。……あなたのために強くなるって思ったら、怖さが少し和らいだわ」と応える。
「そうか……ありがとな。お前がいなきゃ、俺はもう押し潰されていたと思う」
レオンはオフェリアの手を握り、その細い指先から金属より柔らかい温かみを感じる。機械でありながら、人間以上の優しさを示してくれる存在。それを思うと心が救われる思いだった。
二人の間に訪れた静けさは、外の騒音と対比してあまりにも穏やかだ。まるで一時の春のような安らぎ。しかし、その安らぎも長くは続かないと誰もが知っている。近いうちに始まる“大決戦”が迫っているからだ。
レオンは小さく鼻を鳴らし、「俺がこうして人に頼るようになるとはな」と笑う。オフェリアは優しく微笑む。
「それでいいのよ。あなたは一人で背負い続けるには重すぎるし、家族って、そういうときに手を差し伸べる存在でしょう?」
「家族、か。……いい言葉だ。もう一度、エリカと会えるなら、ちゃんと話したい。カトリーヌとも、そこそこ上手くやれる気がしてる。何より、お前が傍にいてくれるから、俺は走り続けられる」
「うん。わたしもレオンと“家族”でいたいの。……だから勝ちましょう。イグナーツに負けたら、そんな未来すら奪われるんだもの」
そこで二人は意識的に口をつぐみ、ゆっくりと抱き合うように肩を寄せ合う。機械の体を持つオフェリアも、いまは人間らしい感触を保っている。レオンは穏やかに目を閉じ、自分が守りたいものを再確認した。父として、夫として、そして仲間として。
テントの布越しに、夜風が小さく揺らぐ音が聞こえる。どこかで警備兵が声を上げ、見回りを進める様子も伝わってくる。まさに大嵐の前の静けさだ。
しかし、この家族の絆が、いつか訪れる最終決戦での支えになる。エリカが独りで戦うなら、ここにいるレオンとオフェリア、そしてカトリーヌもそれぞれ己の持ち場で力を振るう。そのとき、何が起きてももはや孤立していない。そこにあるのは「家族のため」に戦うという強い思いだ。
レオンは翌朝にはまた作業や作戦準備に追われることになるだろう。だが今だけは、オフェリアに寄りかかりながら、ほんの少し眼を閉じる。心に浮かぶのは、かつての自分が捨てた家族の姿、そしてもう一度取り戻せるかもしれない暖かさ。そこにはエリカの微笑みとカトリーヌの困った顔、オフェリアの静かな支えが確かにある。
彼は小さく呟く。
「……そうか。家族ってのは悪くないな。俺も不器用だから、ちゃんと表現できるか分からないが……大切にしたい」
オフェリアは黙って頷き、穏やかな温もりで彼を包む。外はまだ闇が続き、整備や哨戒の騒音が遠くで鳴りやまない。明日になれば、あるいは今日の夜明けにはイグナーツがドラゴンベインの暴走を加速させ、ローゼンタールやラインアークが迎撃する事態になるかもしれない。
それでもこの一瞬の“家族の絆”が、レオンの心を強くしていた。イグナーツの目論見を崩すには人間同士の繋がりが必要。ネクストやアームズ・フォートの技術だけでは勝てない魂の部分。それこそが、孤高をやめたレオンがいま得た武器であり、彼にとっての希望だ。
夜の終わりが近づいている。カトリーヌも、きっと別の部屋で書類と戦い、エリカはオーメルの深部で苦しみながらも矜持を保っている。オフェリアはこうして傍にいてくれる。
“家族”という言葉に満たされた彼の瞳は、以前の孤独を振り払うように静かに輝いていた。最終決戦前夜の緊迫した空気の中で、レオンたちは今こそ結ばれる確かな絆を確信する。夕闇が深いほど、朝焼けの光は眩しくなる。そう信じて、眠りにつくまでの束の間、二人は寄り添い続けるのだった。