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再観測:ゼーゲとネツァフ:Episode 10-2

Episode 10-2:オルド内での決断

 日の出を迎えた市街地は、まるで長い悪夢から覚めようとしているかのように、ぼんやりとした光に包まれていた。廃墟と焦土が広がり、所々で未だ炎の残り火や煙がくすぶっている。昨夜からの大激戦の余波が、痛々しいほど街を覆っている。
 広場の中央付近では、かつて威風堂々の姿を誇ったゼーゲの残骸が横たわっていた。最終攻撃によって自壊覚悟のエネルギーを放出した機体は、脚部と胴体が軋(きし)んだまま溶接が外れ、排熱パーツが燃え尽きている。あたりに煙が立ちこめ、金属が焼ける臭いが漂う。兵士たちが火を消し止めようと動き回っているが、それでも薄い煙を止めることはできない。

 「……レナさん、頼む、死なないで……」
 セラは担架に乗せられたレナの手を握り、涙ながらに哀願している。彼女の装甲服は血と煤(すす)にまみれ、肌の至るところに裂傷を負っていた。必死の救護処置で呼吸は保たれているものの、医師の表情は深刻だ。
 レナがかすかに身じろぎし、弱々しい声で「……勝てたの…かしら……」とつぶやく。セラは泣きそうな笑みを浮かべて「うん、あなたがギャラルホルンを撃破してくれた。街は守られたよ……」と励ます。レナは満足げに口元を緩めるが、すぐに意識を失ったように瞼(まぶた)を閉じる。
 医師と看護師が「急いで医療棟へ運びましょう。今の状態は危険域です」と声をかけ、ドミニクやカイもそれに付き添おうとする。ドミニクは自分も重傷のまま無理に立ち上がり、唇から血をにじませながらもレナのそばを離れようとしない。その姿にセラは目を潤ませつつ、(もう二度と誰も失いたくない……)と悲壮な思いを固く抱く。

 レナが搬送されていったあとの広場には、薄い太陽光が差し込み始めていた。兵士たちは、敵軍〈ヴァルハラ〉が完全に退却したことを確認し、死体の回収や負傷者の救出に追われている。勝利を噛みしめる者もいれば、仲間を失った悲痛さにうずくまる者も多い。
 しかし、街の深部にはまだ緊迫感が漂う。「本当に終わったのか……?」「敵がまた来るのでは?」と人々は怯え、足掻きの希望と不安が入り混じっている。

 一方、ヴァルターの研究施設では“新技術”であるESP(Extended Spirit Program)が最終段階に近づいているらしい。オルドを通じた人々の精神エネルギーを繋ぎ合わせ、痛みや苦しみを和らげる……という理想もあれば、精神支配への転用も懸念される両刃の剣。
 セラは医療棟へ向かう途中で、反対派将校から報告を受ける。「ヴァルターがまた施設で実験を進めていて、試作機みたいなものを動かしてるらしい。何を企んでるのかまだわかりません」と眉を顰(ひそ)めている。
 セラは呟くように答える。「ヴァルターは“痛みなく消す”計画を諦めた、と言ってたけど……何をしようとしているのか、本当に私たちを助けるのか、それとも……」

 その日の夕刻、セラとカイのもとにヴァルターから呼び出しがかかる。「時間が惜しい。オルドの最後の残骸を破壊した今、重大な決断を下さなければならない。」
 セラは疑念を抱きながらも(レナが瀕死状態で、街も危機的状況にある今、ヴァルターが何を言おうとしてるんだろう)と気になり、カイとともに研究施設へ向かう。道中でドミニクが追いかけてくるが、まだ体調が悪そうだ。
 「お前ら、気をつけろ……あいつが何をしでかすかわからん。レナのことは俺が見ておくから」と彼は唸るように言う。セラはドミニクの腕を見て、「大丈夫? あなたも傷だらけなのに……」と心配するが、ドミニクは頑固に首を振る。「レナが目覚めるときに側にいないわけにはいかない……行ってこい、足掻いてくれ」と背を押す。

 研究施設に着くと、かつての機材がさらに拡張され、大掛かりな装置が並んでいるのがわかる。奥まった部屋で待っていたヴァルターは、鋭い視線をセラとカイに向けて口を開く。
 「君たちが第三階層を制したことで、オルドはほとんど沈黙した。だが、オルドが消え去っても、人間の争いは止まらなかった……そうだね?」
 セラは苦々しい思いでうなずく。「未知の軍勢との戦いは終わらない。ゼーゲの最終攻撃で一息つけたけど、またいつ襲われるか……」
 ヴァルターは短く笑い、「だからこそ“ESP”なんだ。私は次の段階へ移る。人々の苦痛を和らげ、足掻きを支援するための最終手段が、ここにある。だが……」と含みを持たせて言葉を区切る。

 ヴァルターが端末に映し出したのは、複雑な脳波グラフと「ESP統合」のプロトコルらしき画面。
 「この技術は、人々の精神を相互に接続し、苦痛を分散させる。絶望や悲しみを薄め、希望や勇気を増幅できる可能性がある……。一種の“集合意識システム”と言えるだろう」
 カイが目を細め、「それって、要は『みんなの心を一つにする』ようなもの? 危険すぎるよ。ネツァフの精神支配と何が違うの?」と強く問いかける。
 ヴァルターは一度唇を歪め、「ネツァフが目的とした“痛みなく消す”とは違う。これは各自の意志を保ったまま、苦痛を和らげる手段だ。だが、確かに私がアクセス権を持てば制御が可能だし、悪用すれば支配もできる。それを防ぐために、私は君たちの判断を仰いでいるのだよ」と返す。

 セラは言葉を失う。(精神を繋ぎ合わせて苦痛を減らせる……ならばレナの痛みも軽減できる? けれど、集合意識なんて本当に大丈夫なの?)
 ヴァルターはそんなセラの動揺を見透かしたように続ける。「レナの身体は限界だろう。ESPを使えば、彼女の負担を皆で分かち合い、回復を促すこともできる。ゼーゲが壊れた今、彼女が足掻き続けるにはこれが最善かもしれない……。しかし、選ぶのは君たちだ」
 カイが声を詰まらせ、「そんな……彼女の命を救うために、みんなの精神を共有するなんて……。それが本当に『救い』になるんだろうか?」と苦しげに言う。

 セラは記憶を巡らせる。ネツァフとの闘い、オルド第三階層の深い闇、レナの決死の最終攻撃――何度も人々は痛みを経験してきた。それを和らげる手段が目の前にあるのなら、それは一種の“リセット”に近いかもしれないが、今回の“ESP”は意識を保つとも言う。
 (それでも怖い。みんなが心を共有するなんて、本当にいいことだけじゃ済まないはず……)

 しかし、レナが今このまま苦しみ続けるのを放置するのか。それともESPで助かるかもしれないなら、賭ける価値はあるのか――セラの胸は切り裂かれそうなほど揺れる。
 「足掻き……って、こんな形で終わらせていいの? でも、痛みを減らせるなら……」
 ヴァルターは鋭い視線でセラを見つめ、「私が言いたいのは、これが“オルド内での決断”だということ。ESPの起動には再度オルドを介して、世界中の意識を繋ぐ準備をしなければならない。ネツァフが残していった回路を一部用いるからな。君たちの承認が必要だ」と説明する。

 セラとカイは一旦ヴァルターの研究室を離れ、反対派や懐疑派の仲間たちとも意見を交わす。ドミニクはレナの命を救えるのなら賛成したいが、「集団意識化なんて危険すぎるだろう」と不安を漏らす兵士も多い。
 カイが呟く。「精神リンクが完成したら、たしかに憎しみや絶望は減るかもしれない。でも、それって“自分らしさ”までも薄れてしまうんじゃないか? 誰かが意図的に操作すれば、みんなの意思を支配できるのでは……」
 セラはレナの病室を覗きに行き、苦しそうに息をする彼女の姿を見守る。「こんな状況でも、レナさんは足掻いてきた。だからESPで救っていいのか、わからない……。彼女なら、どう思うんだろう?」と混乱を抱く。

 ドミニクは点滴を繋ぎながら、「レナが生きるなら、俺は何だってやる。だけど……彼女が望まないかもしれない。足掻きは自力で突破するものだろうし……」と苛立たしげにうつむく。

 結局、セラとカイは再びヴァルターから呼び出される。彼が用意した「ESP起動のための最終アクセス」と呼ばれる装置で、最後にオルドへダイブし、承認コードを打ち込むか否かを決めるのだという。
 「これは私一人では動かない。君たち“足掻く者”の同意と、第三階層を克服した資格が必要。……起動すれば、希望になるかもしれないし、“新たな支配”になるかもしれない」
 ヴァルターの声には微妙な揺れがあるが、彼自身は昔のような“痛みなく消す”狂信者ではないように見える。ただ、彼の科学的な探究と信念は変わらず冷徹な面を残している。

 セラは思案の末、「わかった……私とカイがもう一度オルドへ入って、承認コードを入力するか決める。レナさんを救うかもしれないなら、やってみるしかない……」と決心する。
 カイも覚悟を固めて「僕も賛同する。結局、僕らが足掻きを諦めたら、何も変わらないから」と言葉を添える。ヴァルターは鋭い笑みを浮かべて「では、オルド内で最終決断だ。もし実行しないなら、そのまま装置を破壊してくれて構わない――私は干渉しない」と述べる。

 オルドへの再ダイブ前、セラとカイは医療棟へ足を運び、レナの容体を確認する。レナは意識が朦朧としながらも、セラたちの存在を感じ取っているらしく、微かに手を伸ばす仕草を見せる。
 セラはその手を握り、「私たち、行ってくる……ESPという技術で、あなたを救う道があるかもしれない。でも、それはあなたの意志を無視することになるかもしれなくて……」と涙ながらに語りかける。レナは声にならない声で何か言おうとするが、唇が震えるだけだ。
 カイが静かに続ける。「どちらにせよ、僕らの決断次第。でもレナ、もし嫌だったら、心の奥で拒否してくれ。その意志が届けば、僕らは実行しない。約束するよ」

 ドミニクが横で目を伏せ、拳を握って呟く。「頼む……レナを、そして街を……守ってくれ。俺にできるのはただ願うだけだ……」
 セラはレナの指を離しがたく、しばし見つめ合ったあと、最後に微笑んで「必ず戻ってくる。あなたの足掻きを無駄にしないから」と言い残す。レナは微かに瞼を動かし、涙のような雫が一筋落ちる。

 ヴァルターの研究施設の最奥に、新たに組み上げられた“ESP起動装置”がある。まるでオルドダイブ用ベッドと巨大なタンクが合体したような外観で、周囲にはケーブルやホースが蜘蛛の巣のごとく張り巡らされていた。
 セラとカイはそこに案内され、ヴァルターから再度説明を受ける。「オルドは既に第三階層まで封じられたが、ESP起動には“中枢データ”を参照する必要がある。つまり、君たちが再び一時的にオルド空間へ“仮想アクセス”し、承認コードを入力する必要がある。やり方は以前と似ているが、出力規模が違う……」
 カイが機器に触れ、「すごいエネルギーだ……まるで街一つを支えるほどの規模だね」と背筋を震わす。ヴァルターは頷き、「これが成功すれば、レナの苦痛も皆で支える形になり、彼女は生きる可能性が高くなる。だが、同時に人々の意志が部分的に共有され、境界が曖昧になる危険もある……」と繰り返す。

 セラはこれまで何度もオルドへ潜り、リセットの亡霊や未知の軍勢の片鱗を目撃してきた。しかし、こんな形で人々の心を繋ぐなど想像もできなかった。それが本当に救いになるのか、それとも歪んだ制御になるのか、答えは出ないまま。
 「いまはレナさんを救うことだけ考えよう。もし私が何か違和感を感じたら、そのときは実行をやめる……」と心中で誓い、セラはベッドへ横たわる。カイも隣のベッドに移り、二人の脳波や心拍をモニターが捉える。
 研究員のカウントが始まる。「10、9、8……ESP起動モードへ移行……拡張ダイブシステム再稼働……」 既視感のある宣言に、セラは唇を引き結び、(これが最後のダイブになれば……)と願う。

 意識が揺らぎ、またしても身体感覚が薄れていく。だが、今回は従来のオルド空間とは異なる感触だ。ふわりと暗闇に落ちるのではなく、白い光に溶けるような感覚が大きい。カイが隣にいるのを感じながら、二人は脳裏に浮かぶ扉を開く。
 「ここが……新しい空間……?」
 セラの視界に、明るい純白の部屋が現れる。広大なホールのようにも見えるが、天井も壁も果てがなく、淡い光が満ちている。足元に柔らかな床の感触があるように思えるが、かすかな霧が漂っていてはっきりとは見えない。
 カイが意識通信で「たぶん“ESPルーム”という仮想空間だ。ヴァルターが構築した接続用のステージ……」とつぶやく。前方には大きな円形のパネルが浮かんでおり、そこに「Enter Code」という文字が浮かんでいる。

 「ここに承認コードを入力すれば、ESPが起動して世界を繋ぐ……レナも救われるかもしれないし、みんなの苦痛が分散されるかもしれない。でも……」
 セラは声を濁す。「もしこれが“精神支配”の道具になれば、今度こそ真のリセットや支配が起きるかもしれない……」
 カイが黙って頷き、円形パネルに近づく。そこには「Yes / No / Destroy」という選択肢が浮かぶ。どうやら承認するか、拒否するか、装置自体を破壊するか――三つの道が提示されているようだ。

 パネルを前に迷うセラたちの耳に、かすかな囁きが届く。いろんな人々の声――苦痛を訴える声、救いを求める声、失われた家族を嘆く声、そして僅かな希望を語る声……それらが混ざり合ってこだまする。
 「あれは……街の人たちの思い? この世界に満ちた悲嘆や渇望なの……?」
 セラは震える声で言葉を発する。カイも表情を曇らせる。「オルドが世界の負の感情を溜め込んでいたように、今度はESPルームが人々の声を反映しているのかも。こんなに苦しんでる人が多いんだ……」

 声の中には、レナの呻きも含まれているようで、朧(おぼろ)な影が一瞬現れては消える。「助けて……痛い……でも……足掻きたい……」 そんな囁きがセラの胸を締めつける。
 (レナを助けるためにも、ESPを起動すべきか。けれど、それは危険な賭け……もし誰かがこれを操れば、また新たなリセットや支配が起きるかもしれない……) セラの頭は混乱するが、カイがそっと手を握り、意識通信で「落ち着いて……僕らが決めるんだ。どうする……?」と問う。

 円形パネルには静かに「Yes / No / Destroy」が浮かんでいる。選択によって世界の行く末が大きく変わる。

Yes:承認。ESPが起動し、人々の苦痛が集団的に緩和されるかもしれない。レナも救われる可能性が高い。だが、意志の共有がすすみ、誰かが意図的に操れば世界を支配できる危険がある。
No:起動しない。現状を保つ。レナは苦痛に苛まれ続け、街はまたいつか未知の軍勢に翻弄されるかもしれない。
Destroy:装置ごと破壊し、ヴァルターの研究を断ち切る。これで精神支配の芽は消えるが、同時にレナの救命手段も失われるかもしれないし、世界の苦悩も背負い続けなければならない。
 セラは息を詰め、カイと見つめ合う。この決断は二人に委ねられている。世界を足掻くか、あるいは痛みを共有するか――どの未来が正解かは誰にもわからない。
 「私……レナさんを救いたい。でも、それで世界を縛ってしまったら意味がない……」
 カイは複雑そうな表情で「僕も同じ気持ちだ……でも、足掻きを捨てずにレナを救う道ってあるのかな」と震える声で言う。

 ふと、パネルの表面に映像が走り始める。オルドが二人に“未来の可能性”を見せようとしているのだろうか。

一つの映像は、ESPが成功し、人々が苦痛を分かち合って笑顔を取り戻す姿が映し出される。争いが減り、世界がゆるやかに統合されていく。ただし、そこには個々の意志が薄まり、創造性や自由意志が失われる面も感じ取れる。
別の映像は、ESPを拒否し、従来どおり足掻きや戦いを続ける世界。ネツァフやリセットが消えても、人々は新たな技術を巡り争いを止めない。それでも個々の足掻きが創造を生み、新しい進歩を生むかもしれない。だが、さらに多くの血が流れる未来でもある。
最後の映像は、装置を破壊してヴァルターの研究すら断ち切った場合。オルドが完全に消え去ることで精神干渉技術が消滅し、未知の軍勢もオルド由来の力を失うかもしれない。一方でレナを救う確率もほぼ失われ、街がまた別の脅威に襲われれば足掻きはさらに苦しいものになる。
 幻影はセラとカイの心を深く揺さぶる。どの道を取っても痛みや代償がある。「これが……決断……」とセラは呟く。

 セラは思わず顔を覆う。かつて彼女は「痛みなく消す」リセットに利用されかけた身分だ。それを必死で否定し、リセットを止めるために足掻いてきた。でも今、ESPは「痛みを共有して緩和する」形で、やや似た香りをはらんでいる。
 「私はリセットを否定した。苦しみがあっても足掻くことに意味があると信じてきた。……だけど、こんなにみんなが苦しみ、レナさんまで死にそうになってるのを見て、まだ痛みを受け止めろって言えるの……?」
 カイは真剣な表情で「痛みだけじゃない、足掻きの中には希望や笑顔もあった。僕らはそれを体験してきたし、ESPがそれを奪うかどうかはわからない。でも……」と声を詰まらせる。

 長い沈黙の末、カイは微かに微笑むような表情を浮かべる。「セラ、もしESPを起動しても、完全に心が一体化するわけじゃない可能性もある。僕らが注意深く監視し、誰かが支配を試みないよう保証すれば、レナを救い、ある程度苦痛を緩和しつつ、人間らしい意志を残す方法もあるんじゃない?」
 セラは戸惑う。「そんな器用なやり方……できるの?」
 カイは肩をすくめ、「わからない。でも、今のヴァルターは昔と違って、“人々の足掻き”を認めている節がある。もしESPが完成しても、一方的に支配することはないかもしれない……。ここでNoやDestroyを選ぶなら、レナは危ないし、街もまた血の海になるかもしれない」

 セラはドミニクやレナの顔を思い浮かべ、(足掻きが生む痛みを引き受けながら、それでも救える命があるなら……私たちはどうする?)と自問する。
 やがて、深く息をついて決意を固める。「私は……ESPを起動する。“Yes”を選ぶ。でも、私たちが監視して、絶対に支配やリセットにならないように足掻く。これが一番レナさんを救う確率が高いし、街のみんなの苦痛を減らせるかもしれない」
 カイは小さく笑い、「僕も賛成だ。何より足掻きを捨てない姿勢で……そう、僕らは道を切り拓こう」と応じる。

 セラとカイは意を決して、円形パネルに浮かぶ「Yes」の選択肢へ手を伸ばす。淡い光が指先に反応し、パネルが白く輝く。「Are you sure?」という文字が一瞬だけ浮かび、二人は無言でうなずくように指を置く。
 次の瞬間、空間が眩い閃光に包まれ、オルドが振動する。意識が弾け飛ぶような衝撃が二人を襲い、強烈な痛みと熱が胸を貫く。「うぁっ……!」と声を上げるが、同時に不思議な暖かさが心を満たしていく。
 「これが……ESP……」
 セラは意識通信でつぶやく。カイもひどい頭痛に苛まれつつ、(これほどの量の精神エネルギーが一挙に流れ込むのか……世界中の苦痛がここに集約されてるようだ……)と思いながら耐える。

 現実世界では、研究施設の上空に淡い球状の光が現れ、四方へ波紋のようなエネルギーが拡散し始める。ヴァルターの助手たちは驚愕しながら端末を操作し、「ESP起動! 世界規模の精神リンクが動き出している……!」と叫ぶ。
 街中でも、多くの人が唐突に“暖かい波”を感じ、と同時に頭の奥がジンと痛む感覚に襲われる。けが人や苦しんでいる者の一部は痛みが和らぐように感じ、反対に意志の強い者は不快な圧迫感を覚える。
 ドミニクは病室でレナの傍にいて、彼女の顔に白い光が降り注ぐのを目撃する。「こいつは……本当に大丈夫なのか……?」と怯えるが、レナの呼吸は少しだけ安定するように見え、彼女がかすかに微笑んだ気がした。

 激しい閃光の中心で、セラとカイはオルド空間から弾き出されるような感覚を味わう。ESPが世界規模で起動し、意識ダイブの必要性が失われつつあるのだろう。白い渦が二人を押し出し、視界が眩しさに溺れていく。
 次の瞬間、まぶたを開けると研究施設の装置に横たわっており、周囲の研究員が慌ただしく計器を見ている。セラは息を乱しながら、「終わった……?」と呟く。カイも咳き込みながら「僕らは……Yesを選んだ。ESPを起動したんだ……」と確認する。
 ヴァルターが無言でモニターを見つめ、計器の数値が青白く脈打っている。「成功した。少なくとも私の計測によれば、世界中でESPの波紋が広がり、人々の苦痛を緩和し始めている。逆に言えば、君たちが“苦痛を拒む道”を選んだとも言えるが……どう見るかは自由だ」と冷たく告げる。

 セラは頭痛に苛まれつつ、(本当にこれが正解なのか?)という不安を抱えるが、今はレナが少しでも救われていることを願うしかない。「……後悔はしてない。たとえ危険があっても、私たちがちゃんと見張る」と意志を示す。
 カイも微笑して「世界規模の精神リンクなんて、実際どう機能するかわからない。でも、支配されないように僕らが努力すればいいんだよ。足掻きは続く……それは変わらない」と応じる。

 その後、数時間が経過し、ESPが本格的に人々へ浸透し始める。街で負傷していた者は痛みが緩和されたと感じ、心に巣食っていた不安や絶望が少し軽くなったと口々に語る者も出る。一方、「頭の中にノイズが生まれた」「自分の心が他人と混じり合うような違和感がある」と訴える者も多い。
 セラが廃墟の一画で避難民に食糧を分け与えていると、ある少女が笑顔で「なんだか気持ちが楽になったよ。お腹は空いてるけど、みんなが苦しいなら私も我慢しようって思えるの」と話す。セラは戸惑いつつ「そ、そう……良かったね」と微笑むが、(これって、単なる優しさか、ESPの影響なのか……)と分からないままだ。

 カイは別の場所で兵士たちと話しており、ある兵士が「俺は……仲間の死がこんなに悲しくないのが怖いんだ。嘘みたいに気分が軽い。そのぶん、自分の感情を失った気がして……」と青ざめているのを見て胸を痛める。ESPが確かに苦痛を抑えているが、個人の意志までも薄めてしまっているのではないかと不安を覚える。
 ヴァルターはそんな状況を冷静に観察し、「これが私の求めた『痛みのない世界』の一形態かもしれないが……本当に正解かどうかは未知数だ」と難しい顔でこぼす。

 Episode 10-2「オルド内での決断」はここで幕を下ろす。
 セラとカイはヴァルターの提示するESP起動を承認し、オルドを介して世界を繋ぐ道を選んだ。その結果、レナの痛みも和らぎ、再び生きる可能性を掴んだが、多くの人々が精神を部分的に共有することで、本来の個性や意志まで揺らいでしまうリスクを背負うことになった。
 この世界はリセットもネツァフもなくなったが、新たにESPという形で“苦痛の軽減”が実現されつつある。人々が喜びを感じると同時に、自分自身を失う恐怖も抱いている。ドミニクや反対派、懐疑派の面々は、都市の再建と同時にESPをどう運用するかの管理に迫られ、未知の軍勢が再び現れるかもしれない緊張感も消えない。
 そして、ゼーゲは最終攻撃で事実上の崩壊を迎え、レナは辛うじて生き延びた。世界がこの先どのように変貌し、足掻く価値がどう維持されていくのか――そのすべてが、セラたちの新たな挑戦へ繋がっていく。

 痛みを和らげる手段を得たからといって、苦しみや争いが完全に消えるわけではない。
 ESPが新たな支配を生み出すか、あるいは人々が自らの意思で歩む平和への道具となるのか――それは足掻き続ける人々の決断にかかっている。
 だが、今確かに言えるのは、セラとカイがこの決断をしたことで、レナに生きるチャンスが与えられたこと、そして街が未知の軍勢への対抗と精神的な連帯を手に入れたことだ。その先の未来は、また新たな戦いと再生の物語を連れてくるのだろう。

 こうして、束の間の安堵に包まれた街の空に、今日も薄い夕日が差し込む

どこまでも青く透き通る空の下、足掻き続ける人々の歩みが次へと繋がっていく――。

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