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教育現場はほんとに困ってる

榎本博明著「教育現場は困ってる」(平凡社新書 2020.6.15 初版)を読んだ。
 引用しようと思ったところに付箋紙をつけながら読み進めていったのだが,40ページほどであきらめた。この調子では付箋紙が足りない。つまり,同意するところが多すぎるのだ。
 ひとことで言って,これほど現場感覚に合った議論はいままでにあまりなかった。
 あとがきで,筆者は

もちろん,本書で私が論じたのは,私自身の視点によるものであり,私見に過ぎない。違う視点からすれば,目に映る教育現場の風景も,まったく異なっていることだろう。

と書いているが,私も同じような視点で見ているということだろう。違うといえば,榎本氏が,「大学生を見ていて」であるのに対し,私が「高校生を見ていて」であることぐらいだろう。

 本のタイトルだけでは,書かれている内容を想像することは難しいと思う。目次を書き上げておこう。細かい項目まで書いておく。

第1章 「授業が楽しい」とはどういうことか
「授業が楽しい」を,安易にとらえる風潮への疑問
「英語の時間が楽しい」という調査結果についての誤解
表層的な「楽しい」「おもしろい」にとらわれすぎる
実用的な授業への転換がもたらしたもの
読解力の乏しさが思考停止をまねく
”知識受容型から主体的学びへ”で何が起きているのか
主体性を評価することへの疑問
学びという孤独な内的活動と向き合う
アクティブ・ラーニングの勘違い
まずは知識の吸収が大切
自信を持つのはもっとあとでよい
第2章 「能動的に学ぶ」が誤解されている
「知識伝達・知識受容型」教育への批判
「教えない授業」が能動的・主体的な学びなのか
知識は思考を妨げない
個人学習の方が学力は高い
講義を聞く学生は受動的に学んでいるのか
「能動的・主体的」は学ぶ側の心の姿勢だけではない
思考力を知識と切り離してどう評価するか
「主体的学習に取り組む態度」の評価に意味などない
欧米の評価基準は日本の教育に馴染まない
内向の価値に目を向ける
内面の学びを外面的形式でとらえる愚
知識や理解度によって求める楽しさは違う
第3章 学力低下にどう対処すべきか
算数ができない大学生
知識を軽視する教育の危うさ
読解力低下の危機ふたたび
教科書が読めない中学生
日本語の意味がわからない大学生
実用文中心の国語教育の先には・・・
読書に没頭する孤独な時間が読解力を養う
薄っぺらい自己主張より思慮深さの方が大切
第4章 楽しいことしかやりたくない
だれだって,好きなことだけしていたい
キャリアデザイン教育への疑問
キャリア心理学の新たな方向性
発想の柔軟性も必要である
「好きなことが見つからない」・・・
「好きなこと」は必死に探すもの?
克服する喜びの先に「楽しさ」はある
フロー体験とは何か?
気晴らしではフロー体験は手に入らない
「楽をして学ぶ」と「学ぶことが楽しい」は違う
学力をつけるにも非認知能力が大切
第5章 学校の勉強は役に立つ
役に立たない勉強は「したくない!」
教養を深めるような授業こそ大事
学校の勉強は社会で役に立たないのか
受験勉強は意味がない?
受験勉強の意外な効用とは
実学志向が薄っぺらな大人をつくる

「はじめに」次のような記述がある。

教育改革を立案している人たちには,おそらくそれぞれに立派な志があるのだろう。だが,教育現場で起こっていることを肌で感じることができないと,見当違いな方向に行ってしまいかねない。

 目次で見た通り,本書で書かれていることは,その「見当違いな方向に行ってしまって」いるものを指摘したものだ。
 最近では小学校の英語教育についての批判だが,(プログラミング教育については言及がない)今から30年も前の,「新学力観」で登場した「関心・意欲・態度」の評価についても批判している。いままで,この「関心・意欲・態度」の評価を批判しているものをあまり見ていないので,まさに「わが意を得たり!」というところだ。要するに,これら,内的なものを評価できますか?(いや,できないでしょ)ということだ。できないしょ,というだけでなく,これによる弊害も指摘している。
 「関心・意欲・態度」といえば,大学の推薦入試における重要な評価基準だろう。しかし,これで入学してきた学生に,実質的な学力が伴っていないという話はよく聞く。その理由についても明快に説明している。ここは,大学生に直接あたっての話だからかなり説得力がある。要するに,本当の「関心・意欲」は外見の態度からは測定できないということだ。
 ましてや,記述の試験問題で「この問題で関心・意欲をみる」といった「観点」の記述などは愚の骨頂であろう。しかし,それがまかり通っているのである。学習指導案でも,「観点」として,これらを書くことになっている。

 アクティブ・ラーニングについても批判している。形式だけのグループ学習では何も身につかないのだ。これは,ん十年前に,その形の「教えない授業」をやってきた経験から断言できる。生徒だけでいくら討論しても,教科書に載っていること以上の知識は得られない。今なら,ICTで,とかネットで検索,というだろうが,実はこれが危険なのだ。なぜかというに,ネット上の情報の真偽を判定する力がないからである。ひとつでなく,いくつかのWebページを参照しなければ正しい理解には到達できないのだが,そのときに,現在のテーマに対してどれが適切か,の判断ができないのである。その実例は,「読解力をつける(12) インターネット時代の読解力」で示した通りである。

 ところで,ほんとに困っている教育現場は2通りありそうだ。教育審議会が立てた方針であれこれと注文をつけられて困っている小中学校と,その結果,十分な学力を持たずに進学してきた学生を扱っている大学。高校はどうか,というと,その両方だろうが,これからはもっと困ることになるだろう。普通科再編で。

 現場の教師や保護者のみならず,教育行政を行う人たちにこそ読んで欲しい一冊である。