【読書レビュー】ひのまどか『モーツァルト』
題名の通り、ひのまどか著『モーツァルト』は音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生涯を綴った小説である。クラシック音楽を深く理解するためには、作曲家が生きた時代背景や生活の有様をよく知っておくことが非常に重要で、モーツァルトしかり、ベートーヴェンや近年のバーンスタインに至るまで多くの傑作を残してきた音楽家(作曲家)には、必ず伝記が存在すると言ってよい。
ただ、この本はあくまで小説であり、モーツァルトの生涯を記述した単なる伝記ではなく、モーツァルト(ヴォルフガング)とその父の生涯にわたる苦労が物語のように描かれている。いち音楽家として独立できなかった18世紀半ばのヨーロッパにおいて、若くして才能を見出された無類の天才モーツァルトであっても、宮廷音楽家としての就職活動に苦労した姿は人間臭い。また、彼によるドンジョヴァンニやフィガロの結婚といったオペラの傑作群も、(よく知られるひどい浪費癖が原因でもあるが)苦しい生活から抜け出すために精魂込めて作曲された様子が描かれている。明るく美しい音楽をいとも簡単に作曲してしまうモーツァルトの一般的な姿とはまた別の、汚濁した俗世から絞り出されるようにして生まれた方のモーツァルトに焦点が当てられている。
モーツァルトは、現代における彼の計り知れぬ名声からは想像もできないほど苦しみや悲しみに満ちた生涯を生きた。この本を読むまでは正直モーツァルトの音楽は苦手な部類だったのだが、彼の暗部に触れてからは、音楽の明るさと美しさは数々の苦しみから生まれた産物の代償としての明るさなのだと考えるようになり、もっと彼の音楽を聴いてみたいと思えるようになった。それは、まるで数学の最適解のような音楽を生み出す天才モーツァルトであっても、俗人と同じように悩み、苦しむという人間らしい一面を見出すことができた、という親近感の表れなのだと思う。音楽の勉強のため、というよりは一人の人間の生き様を描いた長編小説として、この本はもっとたくさんの人に読まれてほしいと強く願っている。