南無阿弥陀仏と衝動買い
南無阿弥陀仏
父が亡くなってから毎月の月命日には自分でお経を読むようになった。
毎月お寺さんを呼んでお経をあげてもらう余裕もないし、時間もないのが理由だが、何となくお花とお供えで手を合わせるだけじゃなく見様見真似だとしてもお経を読んであげたいなと思った。
菩提寺はある。ずっと曽祖父の頃からのお付き合いらしい。親族の葬儀など今までに幾つもの葬儀に出席してきたが、実際父もわたしも無宗教といっていいかなと思う。
困ったときに神様仏様と思わず思ってしまうけれど、それは別として今まで仏教に興味を持ったこともないし、父は信じていないと言っていた。
亡くなればそこからはもう無であると思う、と。
でも転生の話や霊の話を全否定できないのでわたしは無であるとは思ってはいない。般若心経は好きだし、仏像も寺社仏閣も大好きだ。
ただ、信仰はない。
けれど、父が亡くなってもし、阿弥陀如来様が本当にいて父を救ってくださって、今父が何も苦しいこともなく魂がそこにあって自分を見守ってくれていたらいいなと思った。
からの「自分でお経と読んでみよう」になった。
一年と数か月毎月最低1度、思い立った時にも読んでいるが一向にうまくならないし、理解しようと色々な本を読んでいるがお経って難しい。浄土真宗は信心の心を持ち、お念仏を唱えて阿弥陀如来さまに救いを求めれば生前どのような悪行を成していても阿弥陀さまはお救いくださる、というものらしいがそこらへんへの理解と納得も未だできてない。
実際ただ無心でお経を読んでいる日々ではあるが、不思議とお経を唱えているときは少し穏やかな気持ちであることが多い。
あの独特の音の並びが心地よいんだろうなあと思う。
般若心経も同様。(こちらの方がわたし的にはまだ理解できるかも・・・)
結局わたしは心地よい音が好きなのだということを再認識する。
音楽、自然の音、人の話し声、生活音・・・
自分にとって心地よい音を聴いていることがとても癒しになるし気持ちが落ち着く。無音ってことは今の生活の中でないけれど、「音」がないと寂しいなと思ってしまう。
というわけで、airpods proを購入した(笑)
嫌な音を遮断して好きな音を聴いていられるって幸せである。
これは手放せないアイテムになると確信した。
ここ数年の買い物の中でも一二を争うアイテムとなりそう。
・・・結局、物欲に負けて買い物したという話になってしまった・・・(苦笑)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?