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笑う門には福来る #毎日ネタ出し63日目

【タイトル】

笑う門には福来る

【あらすじ】

日本一の漫談家になる。

私がそう決めたのは15歳の時だった。中学校の文化祭で友人と漫才をやることにしていたのだが、当日友人は風邪で休み。一人で出るしかなくなり、5分間話し続けたとき、笑ってくれた人がいたこと。これが私にとって大きな感動をよんだ。

それ以来、人前に立っては面白いことを言おうとし、ますます芸の道に進みたいという気持ちは高まっていた。

高校を卒業するにあたり、私は家を出て勝負することにした。しゃべりだけで笑いをとり、そして日本で1番面白い漫談家になる。そう決意した私は単身で大阪へと引っ越した。

やはり笑いの本場は大阪である。大阪で笑いがとれなければ日本一になれるわけがない。そう考えて大阪に乗り込む。

そして、どう漫談家になるのかという部分については我ながらかなりの無鉄砲な作戦があった。

それは、漫談家として有名な「大江戸一家」に弟子入りを直談判しに行くこと。アポイントもとらず、いきなり家の前にいき直談判するのだ。それも、現在日本一と言われている大江戸小町さんに弟子入りすること。

それくらいしか策がなかったというのが本音だが、逆にそれくらいなことをしなければ日本一にはなれない。

そして私は大江戸一家の門の前へに到着する。とてつもなく大きな門。私は思わずつばを飲み込んだ。私がしばらく門の前にいると、

「何か用かい?」

とご老人が声をかけてきた。よくよく見れば先代の大江戸小町だった。私は驚き一瞬声がでなかったが、

「弟子にしてください!」

と大きな声で叫んだ。先代は驚いた表情も見せず

「ええよええよ。ならついておいで」

とあっさりと私を弟子に迎え入れてくれたのだ。こんなあっさりと門の中に入れたことに私の方が棘いてしまった。でも、これでようやく日本一を目指すことが出来る。そう思っていたのだが、私は更に驚かせられるのだった。

先代の大江戸小町は、60歳になった頃に現役を引退し、息子へと大江戸小町を引き継いだ。圧倒的な話術で人気を博した先代だったが、脳の病気を患い話すことに影響が出たための引退と報じられていた。

そして現在は認知症も患っており、たまにこうして弟子を勝手に迎え入れてしまうことがあるらしい。

なので私が門の中に入ってきたとき、中にいたお手伝いさんからそう教えられたのだ。

だから帰ってくれと言われたのだが、ここで引き下がるわけにはいかない。私は断り、先代の弟子になることに決める。

果たしてここから日本一になることが出来るのか。果てしない挑戦が幕を開けた。

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