軽井沢視察:ほっちのロッヂ
長野県軽井沢町に位置する診療所・訪問診療、病児保育、訪問看護ステーションの拠点ほっちのロッヂ(https://hotch-l.com/)。軽井沢町の人々や子どもたちの居場所ともなる場に、Everybeingスタッフが訪れました。
診療所と大きな台所があるところ
ほっちのロッヂのHPを開くと、ロゴの部分に「診療所と大きな台所があるところ」と記載されています。実際にほっちのロッヂに伺うと、大きな台所のそばで、医師であるスタッフの方々が朝の打ち合わせをされていました。ほっちのロッヂは、「症状や状態、年齢じゃなくって、好きなことをする仲間として出会おう」を合言葉にしており、診療所というよりは友達の家のような印象を受けます。
全体を見渡すと、壁を登ることができたり、絵本・図鑑・小説・さまざまな種類の単行本を揃えた本棚があったり、アトリエの部屋で絵の具遊びができたり、外には見渡す限り森があり、外で焚き火ができたり・・・。
私たちが訪問した際は、2才の三つ子が来ており、それぞれが好きな場所で好きなように過ごしている姿が印象的でした。
医療・福祉・介護を超えた”ケアの文化拠点”
お話を伺った共同代表の藤岡さんは、ご自身のご経験から病気に罹った人が次第に周りから「病人」として扱われ、その人の大切にしているものがだんだんと失われていくことで、「病気にかかった人は医療」といったように区分することに疑問を覚えたそうです。
藤岡さんとのお話のなかで、特に「”高齢者施設には、なぜ高齢者しかいないのか”という疑問を持っていた」という言葉が印象に残りました。私たちの日常生活の中には、さまざまな属性を持ったり、さまざまな立場である人たちが存在しているはずです。ところが、「高齢者」などと何かの区分けを作ることで、本来出会うはずだった人同士を分断してしまったり、その人たちの行動を制限し、尊厳を踏みにじってしまうことがあるのではないでしょうか。
一方で、ほっちのロッヂの「症状や状態、年齢じゃなくって、好きなことをする仲間として出会おう」といったまなざし・姿勢は、誰かを勝手に他者の思い込みやフレームで切り取らず、その人の中には宇宙のような多様性があり、それが開かれ交差し、その人がその人として暮らしていく可能性と共にある言葉であるように感じました。これは日々さまざまな子どもたちと出会う私たちの感覚ともつながる感覚でもあります。
循環という営みを大切にする
私たちは、それぞれの人生の経験や育まれてきた価値観、生まれ育った地域の文化や状況、そしてさらにその地域の歴史の影響、人という種としての記憶の影響も受けながら、今があります。そのような壮大な氷山のごく一部の見えていることだけを切り取って「この人はこういう人だ!」ということはとても傲慢なことなのではないかと感じることがあります。そのような時、ほっちのロッヂの「好きなことをする仲間として出会う」ということは、その人を切り取るバイアスやフレームを溶かす一つの大切な入り口なのではないかとも感じました。
「自分という存在が丸ごとそこにいて大丈夫である」
そんなちょうど良いご機嫌さが循環していく営みの先に、地域という枠を超えて、時代という枠を超えて循環するあたたかな営みがあるようにも思います。
ほっちのロッヂは、診療所、病児保育室、訪問看護ステーションでありながら、さらに共生型通所介護、児童発達支援、放課後等デイサービスなど町の人々の暮らしに関わるさまざまなサービスを提供する”ケアの文化拠点”であると紹介されています。実際に、ほっちのロッヂでは、利用者との医療の提供者・受け手という関係を超えて、イベントや部活なども開催してさまざまな属性の方が集い、共生することができる、暖かな場づくりがなされていました。
今回の訪問で、私たちEverybeingが目指す、”すべての存在「Every Being/存在」の尊厳をまなざすことをすべての営みの土壌とし、社会が立ち現れるのあらゆるプロセスを再構築し、すべての尊厳とともにある視点を共創すること”と通底する場として、ひとつの在り方を示していただきました。
(菊池・小澤)