【ブルアカ】月華夢騒と文化大革命【イベント感想】
ブルーアーカイブのイベント「月華夢騒」の感想です。
イベントストーリーのネタバレと関係ない要素をふんだんに含みます。
月華夢騒、非常に面白かったです。
記事の流れ上最初にちょっとだけ「現実」の話をします。ブルアカのことだけ見たい人は下記の目次で「はじめに」を飛ばしてね。
はじめに
1959年4月27日、毛沢東は大躍進政策の状況が芳しくないことに責任を取り国家主席の座を劉少奇に譲った。在位約4年半であった。
毛は依然中国中央委員会主席であり党内の序列は1位であったが、この時点で政治の実権は劉に移ったも同然であった。
同年7月14日、大躍進政策の反省項目を議題に含む廬山会議を8月に控え、国防部長の彭徳懐はあくまでも個人的な私信として、大躍進政策の問題点を書いた書簡を毛に伝達した。
毛はこの書簡を自らの権力基盤に対する挑戦と受け止め、批語(批評)を加えた形で会議の参加者に配布し、討論の材料とした。結果として、彭徳懐は全ての職を辞すこととなった。
その後、劉少奇は大躍進政策を失敗と明言し、一部市場社会を含めた柔軟な政策で社会の立て直しを図った。
時は流れ、1965年。
毛は遂に政権奪還を企図し行動を開始するが、武力によるクーデターは内戦に繋がりかねないと考え、「文化による革命」を実施する。
その発端となったのが「京劇」だ。1965年11月10日、毛沢東お抱えの政治家である姚文元は上海の新聞『文匯報』に「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」を発表した。
海瑞罷官とは一言で言えば「海瑞の左遷」のような意味で、役人、海瑞が権力者に諫言し左遷される様を海瑞に同情的に描いた京劇である。
そして毛沢東は本来は無関係だった彭徳懐解任と海瑞の罷免を強引に結びつけ、『海瑞罷官』は彭徳懐解任を暗に批判した劇という印象が急速に形成された。
しかし元を正せばこの劇は1959年4月、上海で湘劇(湖南省の地方劇)を見た毛沢東が、「直言敢諫(あえて目上の者を諫めること)」精神を宣伝するように秘書の胡喬木に指示したことを受けて作られたもので、壮大なマッチポンプと言えなくもない。
なお、海瑞罷官の作者である呉晗は文革中の1968年に秦城監獄に投獄され、1969年11月10日に獄中で死亡した。
つまり毛は伝統的なマルクス・レーニン主義に基づく共産主義国家の維持を謡い、劉少奇を始めとする経済政策の調整・柔軟化を唱える党員に、「走資派」というレッテルを貼り攻撃する(というより世論を扇動し「攻撃させる」)ことにしたのだ。
この一件を皮切りに毛一党による「文化大革命」が急速に加速し、結果として(公式発表で少なくとも)2000万人の犠牲者を出すに至ることになる。
ちなみに劉少奇、彭徳懐ともに獄死に近い病死し、毛も1976年に死去、この直後に文化大革命は終結した。
と、ブルアカのイベントエピソードの感想なのになぜ現実の文化大革命の解説なのか?そう思うだろうか。近代中国史に詳しくない方でも、勘のいい方なら気付いたかもしれないが、
この「月華夢騒」というイベントは文化大革命の発端をモデルにしているのだ。
(ここからブルアカ)山海経の状況はまさに50~60年代の中華人民共和国に似ている。悪い意味で。
内憂外患とは山海経を指す言葉なのか。そう思うほど状況は悪い。
無能な官僚、訴求力の不足した中央組織、内向きで、悪い意味で伝統墨守な学校のカラー。
(ミナは頑張って玄龍門員をまとめようとはしているが、なかなか厳しい。)
そして七囚人の一角である元錬丹術研究会のカイが政権崩壊を狙っているという危機的状況の中、指導者であるキサキは外の風を入れるためレッドウィンターとの交流を決意する。
この状況は正に1950~60年代の中国を彷彿とさせるものだ。
典型的な「無能な働き者」である一部の官僚は自身の功績の誇示のため虚偽の報告をし、結果的に民を飢えさせ、大躍進政策の失敗の一因となった。
そして現代では唯一無二の勢力に見える中国共産党も、この頃はまだ地方に党が乱立しており、その中の最大勢力でしかなかった。
そして起こる文革である。ブルアカ世界の山海経がどのような末路を辿るのかはこの先の展開を待つしかない。
しかし山海経の状況は思ってた数倍は酷い。特に中央組織である玄龍門が硬直的過ぎる。
これならたった5人で更に借金もあるけど、
士気が高く全員がしっかり働くアビドスの方が数倍マシである。
正直そこはキサキの指導力不足もあるのだが、今回で明らかになった様々な事情(急な指名、体調等)で「しゃーないな…」となってしまう。
このイベントストーリーの秀逸な点は「現実の文化大革命」をベースにしつつも、それぞれの立場や信条を巧みに変えている点である。
キサキは上記した文革の役回りで言えば、伝統の破壊者であり、外の風を入れる者という観点から主要なモデルは劉少奇だと言える。
しかしその外から来た「風」がソ連モチーフのレッドウィンターであるという点を見ればやはり毛沢東という気がしなくもない。このあたりライターの痛烈な皮肉が混じっている。
しかしキサキというキャラクターに罪はない。このイベント中の彼女は、山海経のことを心から思っており、その行動はいささか独断的性格を含むものの、概ね善い指導者と言える。
特に印象に残ったのは冒頭の「皆最善を尽くして生きている。」という先生との問答である。
キサキの優しさ、そしてスタンスを感じ取れる箇所で、このイベント屈指の名場面だ。
しかしここも製作陣の多少の皮肉も混じっている気がしないでもない。
というのも、文化大革命で最終的に起こったことは「中国共産党の伝統を乱す者を弾圧する」ことが正義だと信じた者達による暴走だったからだ。
密告合戦、集団暴行、果ては歴史的遺物の焼却等、正義の名の下に多くの残虐な行為が正当化された。
「はじめに」で述べたようにように、毛沢東は政敵排除のために、方便として走資派の弾圧を扇動しただけである。
これもまた、「皆が最善を尽くした結果」なのだ。
カイの行動はまぁ毛沢東に近い。そもそもカグヤを(唆して、それとも何か洗脳に近いやり方で?)政権批判の京劇をさせているが、後で梯子を外す気満々な点とか特にそう。
でも、彼女はあくまでも指導者ではなく錬丹術研究会に戻りたいという点がちょっと違う。ほんとにちょっとだけど。
面白いのは(少なくとも本イベント中では)ミナの立ち位置がまんま毛の腹心で、彭徳懐の後釜として防衛部長を務めた林彪だということだ。
カグヤは彭徳懐であり、京劇「海瑞罷官」の主人公である海瑞であり、海瑞罷官の作者である呉晗でもあるといった感じだ。(今回2回目の京劇を作ったのはカイだけど…)実際彼女のやったことは文化の形を取った諫言であり、歴史上ありとあらゆる場所で行われてきた行為である。しかも彼女の京劇は組織ではなくキサキという為政者個人に対する批判であり、山海経全体の批判ではない点が非常に巧い。
捕縛後の主張(カイは復学させ正式な手続きで改めて退学させるべきだ)も筋が通っている。ミナは極端だと言っていたが個人的な見解で言えば全くそんなことはない、真っ当な意見である。
校則に緊急で退学を承認する緊急事態条項みたいなのがないのが悪いよ…
という訳で彼女の行動は2回目の京劇の最後に武力でキサキを包囲したこと以外は何の問題もないと思う。いやそれで全てが台無しなんだけどさ…
そしてもちろん歴史上の為政者の大半はそうした政権批判の種を力で潰してきたのである。
ちなみにこれを諌めるトモエの言は完全に詭弁(キサキの革新的な方針の是非から、その意見の表明方法の是非への論点のすり替え)であり、歴戦のアジテーターとしての格の違いを感じて非常に痛快であった。
かっこよかったチェリノ!まぁソ連はスターリンのこともちゃんと批判したもんね…
いやーかっこよかったねチェリノ。本当に。
現実のソ連は共産主義国家として中国が(一時期は)モデルにした国であり、国内での大粛清とかまぁやってることはほとんど一緒だが、大きく違う点が一つある。
それは権力者を批判できるかどうかだ。
スターリンと毛沢東の後世での扱いを比較すると、スターリンは(死後ではあるが)批判され、今日において神格化されているとは言い難い。
しかし毛沢東は(死後多少の批判があったとはいえ)未だに天安門に肖像の輝ける「国父」である。ブルアカにおける扱いの違い(チェリノのクーデターキャラ)はその辺りから来ているのかもしれない。
まぁメタ的に言えば、ブルアカの政策陣の文化圏から比較的遠いソ連のほうが面白おかしく描けるということもあるだろうが…
本当にこのイベント単体でも、その背景にある歴史に目を向けても楽しいイベントストーリーだった。
チーパオ姿の生徒もレッドウィンター一行も可愛かったし、今後が気になるストーリー展開もいい。
特に今後はベースになった歴史からどんどん離れていくと思うので、どうなるかが楽しみだ。
偶然にも場外で起こっていた騒動で心配してた僕たちを安心させてくれたイベントだった
ここまで約4千文字、読んでくれて本当にありがとうございます。
またイベストそのものからは少し離れてしまうが、このイベントの真っ最中、ブルアカの元スタッフが中心になったゲーム「プロジェクトKV」が発表され、物議を醸した。
ブルアカの今後が心配される中、このクオリティのストーリーを出してくれたのは感謝の一言だ。
これからもブルアカについていきます。
プロジェクトKV周りについての細部は真偽も不明なのでご自身で調べて頂きたいが、現状分かっている情報からの雑感を以下に書いている。
また、ブルアカの世界観解釈についてメタ的に書いたnoteも以下に張っておく。もし時間があれば読んでほしい。