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メズマライザーは全ての『小麦の奴隷』への鎮魂歌であり、応援歌でもある。【ボカロ】

これは(これも)筆者の書く陰謀論に片足突っ込んだ随筆に近い感想文です。誓って考察ではないので真に受けないようにお願いします。


メスマライザーは社会で戦う者のためのうた

少し古い話題にはなるが、Twitter(現X)で非常にバズった楽曲、メズマライザーに関して書こうと思う。

メズマライザーはVOCALOID「初音ミク」とSynthesizer V「重音テト」使った楽曲だ
2024年4月27日に投稿されて以降、爆発的に流行し、あっという間にボカロ史上最速でYoutube1000万再生を突破した。要するに凄い楽曲なのである。

楽曲はこちら。軽快なメロディーと非常に考えさせられる歌詞、意味深かつショッキングなMVが合わさって非常に前衛的な映像体験になっている。

私はこの曲の歌詞をこの社会を巨大な催眠装置に例えたものだと解釈した。

現代社会は常識改変モノである。


社会なんてものはたかだかここ千年くらいで我々が勝手に作り上げた幻に過ぎない。

我々は生物学的に言えばホモ・サピエンスと言われる動物であり、40万年~25万年前に発生してから、その歴史の大半を狩猟と採取をして過ごしてきた。

我々の歩みのほとんどは狩猟の歴史だ。

しかし約1万年前、我々に転機が訪れる。農耕牧畜の急速な普及である。
間氷期に入り、比較的温暖な気候になった地球で、その文化は花咲いた。

何十万年の時を経て、我々は小麦と出会って「しまった」

ところで、皆さんはサピエンス全史という本をご存じだろうか。

人を一種の動物として徹底的なメタ視点で人類史を追っていくユヴァル・ノア・ハラリの名著だ。その中には以下のような考察がある。

『人類は小麦と出会ったその時から小麦の奴隷となったのではないか?』



農耕牧畜によって確かに手に入る食料は増え、人口は爆発的に増加した。
しかしそれは人間の手綱を小麦に握られるも同然なのである。
増えた人口を支えるため、最早狩猟民族には戻れず、子供を食わせるためには、小麦の収穫を増やすため、「小麦の待遇を改善」するしかなかった。

小麦が取れないと僕ら死んでしまうんや。だから奴隷になるしかないんや….

狩猟時代に比べ、食料確保にかかる時間は格段に伸びたものの、一人ひとりの食事はむしろ減っていく。やがて小麦によって貧富の差が生まれ、国が作られ、戦争が起こった。
よく「人類の歴史は戦争の歴史」というが、くれぐれも間違ってはいけないのは、その前に「農耕牧畜以降の」という言葉が隠されていることだ。
そして最早農耕牧畜無しでは人口を維持できない我々は小麦の奴隷から降りることはできない。
そして、今我々は1日8時間、週に40時間という狂った労働環境を当たり前とし、紙幣とかいう紙くずを数えては奴隷の鎖自慢をしているのだ。全人類、例外なく奴隷なのである。小麦の。

このライオンを見るといつも「お前それ人間社会でも同じこと言えんの?」って言いたくなる。
ちなみにライオンのオスの労働時間(食事含む)は1日3時間だ。

誓って言うが私は「だから狩猟民族に戻ろう」みたいな気が狂った自然派のような主張をしたいわけではない。
しかし我々の社会は、自然界の中では極めて異端の形態をしていることは確かだ。

そしてサピエンス全史は、人間の繁栄の理由の一つに「フィクション」を挙げる。
これは神話や宗教、劇から産まれた、現代の狭義の「フィクション」だけでなく、制度や法も含めた「実在しないもの」全てを指す。
これを作り、信じることができたからこそ、人間は繁栄したんだとハラリは言うのだ。

つまりサピエンス全史によれば、我々の社会はフィクションなのだ。

ここで冒頭に繋がっていく。

我々は「社会という巨大な嘘」を信じているのだ。まるで催眠にでもかけられたように。

曲のMVに戻ろう。
曲中、初音ミクと重音テトが終始ウェイター風のコスプレをして踊っている。

かわいいね

しかし知っているだろうか。彼女らはVocaloid。キャラクターとしても、(実際のソフトウェアとしての)道具としても労働することはない存在だ。
そしてウェイターとは労働者、それも接客業の服装で、労働とか社会のメタファーと言っていい。
つまり、「労働するはずのない存在が、なぜか労働をさせられている」のだ。
そして我々の置かれている状況も実はそうなのだ。先述したとおり、我々は元々狩猟民族であり、労働なんぞは原始的な農耕牧畜を含めてもたった1万年ぽっちしかしていないのである。
ちなみに我々の祖先がチンパンジーと枝分かれしたのが約700万年前と言われている。その700分の1の時間で労働に適応した進化なんてできるわけないのだ。いや、というかこの近現代の狭義の「労働」なんて150年くらいしかやっていない。
このMVの状況はそのまま「我々人類」を揶揄しているのではないか?

さて、歌詞は冒頭から「減っていく安置、傷の切り売り」と精神的、肉体的な苦痛をミクが歌う。
当たり前だ。労働をしないボーカロイドが人間がフィクションとして作り出した「労働」をしても傷つくばかりだろう。
そしてそのミクにセールスする形で「何か」を勧めるテトが歌う…という風に進んでいく。その際のテトの歌詞の一部は以下のとおり。

もはや正気の沙汰では やっていけないこの娑婆じゃ
敢えて素知らぬ顔で 身を任せるのが最適解? 

メズマライザーより

結局この曲中の「状況」はこの部分が全て表しているように思う。
我々が何の根拠もなく当たり前としてやっている8時間のフルタイム労働は、果たして適正なのか?(しかもだいたい8時間では終わらない)
というか我々が信じてる社会って実はイかれてるのでは???
この1万円とかいう紙切れにこんなに価値があるのか???
もはや我々は正気ではないのでは?
でもそれに疑問をもたず身を任せるのが最適解なのか?という問い。
これこそがこの曲の「前提条件」である。
つまり、テトが勧める「何か」は現代社会という幻そのものであると考える。つまりテトは、「現実の社会という一人の力ではどうにもならない「フィクション」に疑問を抱くより、そのフィクションに飛び込んで狂ってしまったほうがマシさ」と言いたいのだろう。

ちなみに余談だが、「娑婆」とは元は仏教用語である。大辞泉によれば、以下の通りの意味だ。

釈迦が衆生を救い教化する、この世界。煩悩ぼんのうや苦しみの多いこの世。現世。

大辞泉より

娑婆は、原語で言えば「サハー」で、その意味を表す「忍土(にんど) 」という意訳語もある。忍土とは、「苦しみを耐え忍ぶ場所」という意味である。歌詞と照らし合わせると、まさに。という感じだ。

そしてサビはフィクションに飛び込んだ彼女らが社会に、人間に染まっていく様が描かれる。

さらば こんなこんな時代に誂えた 見て呉れの脆弱性(きじゃくせい)
本当の芝居で騙される 矢鱈と煩い心臓の鼓動
残機は疾うにないなっている 擦り減る耐久性
目の前の事象を躱かわしつつ 生きるので手一杯
誰か、助けてね

メズマライザー サビ

ここはボーカロイド(ロボット)としての彼女らと彼女らが演じる我々現実の人間が混ざり合うような、そんなイメージの箇所である。
ロボットには脆弱性はないが、人間は精神に脆弱性を抱えていて、それはしばしば精神疾患という形で表出する。
ロボットの彼女らが、社会という「本物の芝居」で騙され、あるはずのない心臓が煩く跳ねる。
残機はロボットの残りの数のことだが、それがもうない。当たり前だが、我々人間に「残機」はない。
そして最後、「目の前の事象を躱かわしつつ 生きるので手一杯
誰か、助けてね。」ここで完全に我々人間と同化するイメージだ。
俺もそう。生きるので手いっぱい。助けてほしい。

そして、歌詞は2番の冒頭に移るが、ここが非常に印象に残っている。
2番のAメロ、ラップのような部分だが、ここが後半一部聞こえなくなる。
ありそうであまり見ない演出だ。でもなぜか覚えがある。
これは完全に私見で自分語りだが、これは労働しすぎてストレスたまった際の一時的な難聴症状を表しているのでは。そう思うほどのデジャブ体験だった。
私は前の職場で月100時間ほど残業していたが、私は軟弱なので80時間ほど残業すると体に何らかの異常をきたしたものである。その一つが耳鳴りのような難聴のようなそんな現象だ。これは非常にそれに似ていた。

そして2番のサビへ行く。歌詞は以下の通り。

どんなに今日を生き抜いても報われぬEveryday
もうBotみたいなサイクルで惰性の瞬間を続けているのだ
運も希望も無いならば尚更しょうがねえ
無いもんは無いで諦めて余物で勝負するのが運命(さだめ)

メズマライザー2番 サビ

「もうBotみたいなサイクルで惰性の瞬間を続けているのだ。」
ここで完全に彼女らが人間社会に「墜ちた」ことがわかる。彼女らはロボットなのに、自身をbotと揶揄するのはもう人間のやることだ。

そしてここからがこの曲の本当のサビだ。

「運も希望も無いならば尚更しょうがねえ
無いもんは無いで諦めて余物で勝負するのが運命」


突如現れるこの熱い歌詞こそがこの曲の本当の姿であり、本当のメッセージなんだと思う。
これまで散々、人間社会を催眠と揶揄したが、この一節だけで「結局、この社会が幻だろうが、催眠の産物だろうが、我々が唯一持つ『ノンフィクション』なこの命を繋ぐためにあるものでやっていくしかない。」という固い決意と、「小麦の奴隷」全員を応援する応援歌になってしまうのだ。

スヌーピー先輩の名言「「配られたカードで勝負するっきゃないのさ、それがどう言う意味であれ」を思い出すな。

そしてMV上ではミクがついに狂ってしまい、ノンストップで踊る。
映像としては非常にショッキングだが、ここまで読んだ方ならわかるだろう。彼女は「成って」しまった。社会の信奉者に。
ある日を境に突然壊れたように働き続け、最後の光を放って数か月後には病欠になってしまう。ああいう人に成ってしまったのだ。(諸説アリ)(心あたりがない?あるんだよ社会にはそういうことが!)

うーん、既視感。

そして最後、「現実を直視しすぎると、失明しちゃうんだ。だから適度にね。」という歌詞でこの曲は幕を閉じる。
ここでいう現実とは、「人間の作ったフィクション」ではない、「本当の」現実の方じゃないかと思う。今更我々は狩猟民族には戻れない。
結局、我々はこの社会という巨大な催眠装置に飛び込んで戦うしかないのだ。そしてこの曲は、その踏みだした一歩を「それって凄いことだよ」と励ましてくれる。そんな曲であると私は思う。

約4300字。読んで頂いてありがとうございます!
また、作曲のサツキ様、MVのchannel様、素晴らしい動画を、音楽を、ありがとうございました。


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