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毎日誰かの誕生日であり誰かの命日である【失恋から立ち直る方法9】[2024/04/10]
もう1か月経ったのだなと思う。
2024年4月10日
昼休憩でネットニュースを見たときに、
JRAの藤岡康太騎手の訃報が流れてきた。
その前の週末に落馬されていたが、そのまま意識が戻らなかったのだ。
少し競馬を齧っている人なら恐らく必ず知っているレベルの騎手だ。
競馬は危険なスポーツだ。
ジョッキーは命懸けでレースをしている。落馬で命を失うリスクだって承知の上で馬に乗っている。馬だって事故などで予後不良と判断されれば命を失うことになる。
だからこそ、いつも人馬無事にと皆が願う。
この訃報は堪えるものがあった。
丁度その前の週末に初めて訪れたばかりの阪神競馬場が現場。
藤岡康太騎手は、享年35歳。
いわば自分と同世代のジョッキーだ。
実績的にも本当にまだまだこれからもっと活躍を期待されている人。
仲間内、競馬ファンからもそのお人柄は愛されていたし、まだ本当に小さいお子さんもいらっしゃって、さぞ無念だろう。
失恋と同レベルで考えることがおこがましいのだけれど、心が喪失感で弱っていると、本当に色々な感情や考えが頭を巡った。
当たり前だけど、時って戻せないのかな。
一度失われた命は戻らないんだよな。
もっと家族を大事にしないといけないなとか、日々の出会いを大事にしないとな、とか。
はたまた、明日人生が終わっても悔いないように生きていないとという原点に立ち戻ったり。
堪えるというか、感じ入るという感覚が一番しっくりくるかもしれない。
食事も睡眠も仕事も放棄するぐらい落ちた日から約10日。
何とか仕事には行き、早く立ち直らなければと、もがいて行動すればするほど、ひとり緊張感が解けているときに感じるマイナスな気持ちは底なし沼のようだった。
私にとっての一番長い推しはKinKi Kidsだ。
4月10日は、堂本剛さんの誕生日だ。
推しの誕生日会をするほどではないにしても、日付を見ると気になるものである。
周りの人、大事な人の誕生日もそうだろう。
毎日誰かの誕生日で、毎日誰かの命日である。
リアルにそういう風に感じることは、これが初めてではない。
幼稚園の頃、私の父の誕生日に、珍しく家族で外食をすることになった。
普段外食をほとんどしない家庭だったので、ちょっと非日常にるんるんした気分だったと思う。
準備をして、さあ出かけましょうというタイミングで電話が鳴った。
幼稚園の連絡網で、クラスメイトのお父さんが急死されて、そのお通夜とお葬式の日時連絡だった。
恐らくお通夜が翌日だったので、その夜すぐに駆けつけるというような状況ではなかったのだろう。よく遊んでいる友達ではあったが、親子ともにその夜駆けつけることはなかった。翌日のお通夜には行ったし、他のお友だちも来ていたと記憶しているので、直後すぎてその時行動できることはなかったのだと想像する。
後から考えたら、心情的には夕食はキャンセルした方が良かったのではないかと思うが、予約時間が迫っていたこともあり、ご飯は食べないといけないからと、その外食は続行された。
自分の父親は誕生日。友達にとってはお父さんの命日になる。
うれしい日なのに、かなしい日。
幼心に、何とも言えない感情が芽生えた。
その時は、親も同じで、終始重苦しい雰囲気だった。
多分食事の味を半分も感じられていなかったのではないかと思う。
普段人の死と間近に接する仕事をしている友人に、「自分達の仕事を続けられている人は死に対する感覚が麻痺してるから」と言われたことがある。
そういう観点から見ると、人の死に対する感覚が麻痺していない、正常な人間の反応ではあったのだろう。
毎日誰かの誕生日で、毎日誰かの命日である。
これを感じるときは日々ある。
今日は知り合いの誕生日だという日に、ニュースでもたらされる事件や事故、紛争に災害。
大惨事であれば、死者ゼロということは少ない。
だけれども、同じ日に新しく誕生する命もある。
「死ぬとき後悔しないように生きたい」と偉そうなことを言っていたって、結局日々忙殺されて志立てたこともできなかったり、ただただ時間が流れて行ってしまっているときもある。
今年に入ってから、本当に人生味わって生きている感じがするのだけれど、突き詰めれば生きているから味わえるのである。
生きている以上、良いことも悪いことも、嬉しいことも悲しいことも、喜べることも辛いこともある。
食べられて、住むところがあって、働けて、十分に恵まれている。
日々大事に生きましょうなんて、上っ面の言葉を偉そうに言うつもりはない。
ただ、味わえることに感謝して生きていられる人生でありたいと思う。