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お祝いと歓喜と悲報がいっぺんにやってきた日

その日は朝から出かけるための支度をしていた。元職場の営業課長が退職をして飲食店を開店したのでそのお祝いに行くために。奇しくも私が転職した日のちょうど1年後に開店したお店でしかもお互い前職を退職した身だ。勝手にほんのりとシンパシーを感じ人様の新しい門出だけど何となく浮足立っていた。電車に乗り、お店の前から1人用の席が空いていることを確認してちょっと緊張しながらドアを開ける。

「いらっしゃいませー」
営業課長がこちらを向いて声をかけてくれる。…あれ?全く気付いてないな。

「ご無沙汰してます、(本名)です」
「ええええええっ!」
「いや、なんかそうじゃないかなと思ったんですよ(ホントかい)」
「え?え?なんでここのこと知ってるの?ってかどうやって来たの?」

盛大に驚かせてしまった。どうやってって電車で来ましたよ。車運転できないし、車が無くても最寄り駅から歩ける距離ですし。

「インスタ?え?俺のアカウントどうやってわかったの?」
「元職場のインスタから辿っていって知りました」

元職場にも公式インスタグラムのアカウントがある。そのフォロワーはだいたい元職場がお客の立場である取引先や従業員ぐらいしかいない。そこから辿っていけばアカウントを持っている人たちに簡単にたどり着く。営業課長は腑に落ちないという顔をしながらも、へーわかるもんなんだねぇと分かったようなわからないような返事をしていた。お昼時なのでこれ以上の立ち話も憚られ、案内された席に座ってビールとランチを注文した。

役職者としての顔しか知らなかったが、ここでは新米店長だ。
しかも個人店なので当然エリアマネージャーもSVもいない(そりゃそうか)。SNSで知る限りではあるが、おそらく研修もどこかの店舗で働くという修行もなしに独学で踏み切ってハイ今日から本番!っていう感じなんだろう。それを50代半ばから始めるって並大抵のことじゃない。

で、どうしてこうなった?本当に念願の店舗開店なの?もしやあそこにはもう居られないとケリなり見切りなりつけた?いばらの道を選ぶ感じも独立志向も全く感じられなかったし、定年まで勤めあげるものだと疑っていなかった。ビールを飲みながらランチを待つ間、店内に並べられた胡蝶蘭を眺めながらそんなことをつらつらと考えていた。

ほどなくしてランチが供され美味しくいただいた。空になったお皿とグラスを所定の場所に下げながら何か話した方がいいのかなと思っていたが営業課長、それどころじゃない。お客の案内や薬味を別皿にしてほしい、味付けはどんなもんなんだと聞かれて慌てていたり。ようやく手が空いた時にお会計をしておつりを受け取ったタイミングで祝儀袋を手渡しお店をあとにして帰り道にインスタを更新した。

前職時代はそれほどの接点はなかった。
それでも、私が新人の時に仕事をほめてくださり、退職の時はねぎらいの言葉もいただいた。私の退職の時なんて表向きは穏便に過ごしていたが実際は一刻も早く小間使いとしてしか認められず味方のいない居場所もない職場を出ていきたいという手負いの中年だったので労いの言葉はものすごくありがたかった。そういう思いがお祝いにつながったようなもんだ。

夜になり日本シリーズにチャンネルを合わせる。
26年ぶりの優勝が懸かった大一番、2021年に三浦監督はじめ1998年のV戦士たちが帰ってきたとなり俄然再びスイッチが入った。相手はソフトバンク、全員が強打者で名手もスピードスターもそろっており勝ち星を上回っていても全く油断はできない相手。筒香選手の先生ホームランから始まったものの4回表には柳田選手にツーランを打たれかなり焦ったが5回裏の大量7得点が決定的な得点となり最後は森原投手が見事な空振り三振!

おめでとうやったよ‼ようやく本当に\横浜優勝/じゃん。選手・コーチ陣スタッフの皆様そして三浦監督おめでとうございます!
結果の出ない辛い時期がこういう形で報われてよかった、とテレビの前で感情大洪水で泣いていたら営業課長からインスタ経由でメッセージが飛んできた。

伝えたいことがあり連絡しました。
西村さん(仮名)が先月はじめにお亡くなりになりました。みかんさんの元上司からのパワハラとそれを知っていて何も対策をしなかった経営陣、さらに上の役職者たちが原因で自らの意志でこの世を去ってしまいました。

加筆や表現の言い換えはしているが概ねこのような内容のメッセージが飛んできて、その瞬間はビールかけもインタビューも何もかも吹っ飛んでしまった。26年ぶりでその次の日本シリーズ制覇の時なんて私は寿命を迎えているかもしれないのに吹っ飛んでる場合じゃないでしょ、いやいやいやいや人様の命が奪われたようなもんだろこれ、ビールかけ言ってる場合か、と脳内が軽くパニックを起こしていた。

西村さんは管理部門の社員さんだった。
それまでは営業部にいらして、営業課長とは旧知の間柄だった。
その一つに展示会というのがある。東京ビッグサイトや幕張メッセのような大きな会場で各メーカーが集い製品や機器を紹介する一大イベントで西村さんはそれを差配していた。

私も1回展示会のヘルプに入ったことがある。
とはいえ右も左もわからずヘルプに入ったはずがヘルプしてもらってばかりだった。その中でも西村さんにはとてもお世話になり、まごつく私にとても親切にしてくれた。その他は社内で時々顔を合わせたときに立ち話をする程度だった。

コロナ禍で展示会も中止になり、不随するセミナーも対面からウェブ形式にどんどん切り変わっていった。その流れの中で西村さんは管理部に異動していった。管理部に行ってからは、心配になるような話も聞こえてきた。実際、営業部と管理部ではやっている仕事も当然異なり勝手も違う。管理部は社内全体とやり取りが発生し、元上司も管理部に色々と物言いをつけていた。私が退職した後も、社内の大きなリノベーション工事での座席配線で西村さんにかなり苦情を言っていたと聞く。

西村さんの話をする中で、営業部長も私も退職原因は私の元上司だったと判明した。営業部長と私以外にも、生産部の部長も元上司と裁判一歩手前までに至ってしまい退職した。元上司ひとりで少なくとも3人を退職に追い込んだわけだが、最後には西村さんの命を絶たせてしまった。西村さんの上司はいったい何をやってたのかというと、状況を知りながら元上司を恐れて何の手も打たなかったらしい。営業部長が元職場への怒りを隠そうともしないメッセージで教えてくれた。

西村さんにはご家族もいて、ご主人やお子さんたちは突然いなくなった奥さんやお母さんのことをずっと思い続け他人には想像もつかないほどの苦しさや重い大きなものを抱えてこれからの日常を生きていかなければならない。それほどのことをしてもまだ、元上司のことは切らないんだろう。そんなにまともな判断もできないほどおかしい会社になってしまった。

働いている人たちもそれに気が付いていると思うけれど、だからと言って辞めればいいじゃんなんて決して思えない。家族、抱えている事情、自由が利く代わりに逃げられないしがらみ、辞められない理由はそれぞれある。

社内報で西村さんがこんなコメントを出していた。
「展示会っていろんなことが起きるからね。だいたいのことは慣れましたよ」
西村さん、あなたがいなくなってしまったことはだいたいのことじゃないですよ。つながりの薄い私でもまだ受け入れられてないんですよ。既に退職した別な先輩にも西村さんのことを伝えたら、ものすごくショックを受けて悲しんでそしてやっぱり受け入れられないって嘆いていましたよ。

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