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『哀れなるものたち』"非常識"なヒロイン

2024年1月27日映画鑑賞『哀れなるものたち』
監督:ヨルゴス・ランティモス
主演:エマ・ストーン

性別、年齢、職業、、、など、私たちは生きていく上で様々な偏見や差別を見たり体験したりする。

主人公ベラの世間的には"非常識"な価値観によってそれらはぶったぎられ、私の中にある"常識的"価値観ってなにで作られてるんだっけ?本質を考えると"常識"の方がよっぽど非常識だったりして。
世間の常識に振り回されるのは自然なことだけど、本質を見抜いて自分の価値観で判断するそんな人になれたらかっこいいな。そうなりたい。
私は私なりに明日からまたがんばろうと思える映画だった。

ここまでの私の感想は感動的なヒューマンドラマを鑑賞したようだけれどそうではない。
一言でいえば18禁のファンタジー社会派映画(世界観はテリーギリアム風)。
付け加えるなら、甘くない現実を生きる超メンタル強いアメリ、社会に対して攻撃性を抑えたリズベット(ドラゴンタトゥーの女)といった印象。

この映画は子供が大人になる成長物語。
彼女の肉体がまだ『彼女の母親』のものであったとき、母親は彼女を身籠った状態で自殺をはかった。
ゴッドが赤ん坊の脳を母親の肉体に移植して誕生したのがベラである。

主人公ベラは精神は子供でも肉体は大人。大人がやると滑稽なことも子供ゆえにいろいろやらかしてしまう。
なんて手のつけられない"大人"子供なんだろう!"大人"なのに恥ずかしい。
、、、けど、子供なんだから仕方ないか。

一転。そんなベラが精神面でも急速に大人になっていく。ベラが子供心を忘れていくんだなと思うと不思議な寂しさも覚えた。
生きていくために賢くなるってことが大人になることなんだって、人間てせつなくて難しくてバカな生き物だなと何度も思わせられる。

さらに一転。ベラは新たな発見を出来る人生とは喜びに満ち満ちていると感じている。
彼女は大人が不条理、不平等だと感じてもすぐさま「所詮他人事」と判断して見ぬふりすることを許せない。
(彼女は寄付することでなんとか力になりたいと思う。その彼女の善意は他人の悪意によって届かないことを彼女は知らないままだが。)

ベラは自身の境遇ゆえ、俯瞰して自分、他人の人生をみることができるようになり、「他人にはそう映ることは理解した。私はこう考える。」とそれが非常に淡々としてストーリー展開していく。

映像のアーティスティックな世界観(テリーギリアムぽさとダークアメリ感)、、、一瞬一瞬が絵のように美しく(なんといっても美しい衣装!)、魚眼レンズを使った虚構感やモノクロからカラーへの転調で目だけでも十分に楽しくて、取り扱うテーマは重くても映像美のファンタジーさでマイルドにしてくれる。

知らない世界を知りたいベラはどんな境遇に陥っても悲観することはない。そしてそれは彼女が根拠なく『ただポジティブ』なのではなく、その経験が彼女の中で生きていくために糧になっているんだとと彼女自身が感じているし、視聴者もそうかんじることができるからだと思う。
精神面が子供だった彼女が自分で考える知性を身に付けていきその分析力に視聴者は納得させられる。

世間では差別の対象である立場の人だとしても、彼女自身の芯がぶれないので
例え彼女自身が差別の対象となっても真の自分を見失うことはないし、
他人が差別の対象になったらその不条理なことを嘆き
そして彼女は自分自身を理解してくれる人を大切にする術を心得ている。

何にも縛られない自由で愛されるべきベラは今の時代にふさわしいヒロインだと思った。

子供のときの私が見たら「こんな非常識な人、見てると恥ずかしい。大人はなんでこんな人を評価するの?評価するならみんなそうなればいいじゃない!現実に存在したら評価しないのに、映画のなかなら素晴らしいと評価するのって矛盾してるよ。おかしいよ。」って絶対にいってる。
たぶん見終わったあとに「変な映画だった!」って怒ってさえいると思う。
そう思うと私も社会に適応してきたんだ、だからこそそれに真っ向と立ち向かう彼女をヒロインにふさわしいと思うんだろうな。

子供にはまだ見せるのは色んな意味で早いから18禁なわけだ。

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