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加藤拓の経験”知”~第48回 前向きなメッセージの力~世に蔓延る「おま老」を乗り越えるために~

ユースタイルケア 東京 重度訪問介護 で重度訪問介護サービスを利用されている脳性麻痺当事者の加藤拓(かとうたく)さんの連載コラムを掲載中です。

ユースタイルラボラトリーは、【だれもが互いの可能性を信じ、 自分らしく生きられる社会。】を目指し、すべての必要な人に、必要なケアを届け、その人らしく生きることをサポートしています。障害当事者の方の、音楽・アート・執筆・スポーツなどの活動を応援します!ぜひお問合せ下さい。


コラム著者 加藤拓

加藤拓さんとユースタイルケアスタッフ

1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。ユースタイルケアのサイトで連載してきたコラムが2024年書籍化!


第48回 前向きなメッセージの力~世に蔓延る「おま老」を乗り越えるために~


最近、観光地が外国人で溢れて地元の方が困っているという記事をインターネットで目にした。いわゆるオーバーツーリズムの問題である。代表的なのは京都で、動画や写真で見る限り、私が過去2回(中学校の修学旅行と23歳のとき母と2人で行った時)のようにゆっくり街をまわれる雰囲気ではないようだ。ただ観光客が増えればいいわけでもないことを、改めて感じさせられる。

関東出身であれば、修学旅行で京都へ行った人は少なくないだろう。個人的には京都に行ったことよりも、友達と行くこと自体が楽しかった。大人になってから行った時の方が、京都そのものを楽しめた気がする。歴史的な知識は多少増えただろうが、きっとそれより自分で選んで興味を持って行ったという理由が大きい。人は誰しも、やらされることよりも自らやることの方が楽しくやりがいもあるというものだ。

そして最近、SNSでこんなやりとりを目にすることが増えた。

「将来いくらもらえるかわからない年金なんて払ってられるか!」
「いやいや、お前もいつか老人になるんだからしっかり払っておけよ!」
この、年金制度に懐疑的な意見に対してしばしばぶつけられる「いつかお前も老人になるんだから」という意見は、インターネットの世界では「おま老」と呼ばれている。
年金制度そのものについてここでは論じないが、私はこのやりとりに見覚えがある。

「なぜ働けない障害者の福祉を充実させないといけないんだ?」
「皆さんも、病気や事故でいつ障害を負うかわからないからですよ」
という、障害者福祉や障害者そのものへの理解を求める文脈で見聞きするのだ。「おま老」ならぬ「おま障」である。

これらに共通する点は、将来的に可能性がある(あるいは確実にやってくる)マイナスの事柄を想起させ、それに対して備えるようにかなり強く促し
ていることだ。
反論しづらい事実をぶつけて相手の危機感に訴え、異論を封じつつ無理矢
理行動を変えさせる
のは、実に卑怯だと感じる。言葉こそ荒くはないものの、これは脅しに他ならないではないか。正直に言って、私はこういうやり方は嫌いだ。

この連載で何度か書いているが、我が家が介護事業所や区の理解を得て現在の生活スタイルを作り上げるまでには、粘り強いコミュニケーションが欠かせなかった。

たとえば、私だけでなく同居している母も高齢者介護利用者の立場にあるため、ケアを厳密に切り分けられずルール的にグレーな状態になってしまうという大きな課題がある。
私のケア時間に買い物に行ったなら、原則として私自身の買い物しかしてはいけないし、私の部屋以外掃除してはいけない。
逆に、母の介護保険のケア時間に調理をお願いする場合、私の分までつくることはルール違反だ。
5、6年前までは実際に疑問を呈してくる事業所もあったが、そんな杓子定規な対応では我が家の日常生活が滞ってしまうし、事業所側も非効率なケアとなり困るだろう。
ルールの厳密な運用のためだけに、毎度我が家に2人のヘルパーを派遣するのは現実的ではあるまい。こういった課題について、ケアマネージャーや区、事業所と相談しながら、ルールの柔軟な解釈と運用について理解を得てきた。

私自身のケアにおいても同様だ。20代のころは最低限の日常生活を維持する程度の支給時間で、ヘルパーの人手も足りず、思ったような社会参加ができずにいたのである。こちらも各所と相談しながら、少しずつ私が外出できるようシフトを増強してもらった。そのおかげで様々な場所に出かけて人と出会い、私の生活はさらに充実してきた。そのような“実績”を徐々に積み重ねたからこそ、区にかけあうことで活動時間の増加に合わせて、支給時間を拡大してもらってきたのである(さすがにこれ以上は難しいかもしれないが
)。

私の経験上、「対応してもらえないと困る!」と訴えるだけでなく、満額回答ではなくても前進した対応でより良い状態になったという事実を積み重ね、感謝を伝える方が得策だ。関係者の理解を得て支援を引き出しやすく、後戻りすることも少ないからである。

また、2023年の晩夏に所属団体の仲間と札幌に行ったとき、空港のスタッフの方々の手際の良さには舌を巻いたものだった。
以前のコラムでも触れたが、障害を持った方々が勇気を持って出かけたことで、実践の中でスタッフの技術が磨かれたのである。はじめのうちは、法整備されたから仕方なく対応していたのかもしれない。それでも、旅ができるようになった障害者の楽しそうな姿や、感謝の言葉がスタッフのモチベーションを上げた側面はあったはずだ。

やはり、人は理屈のみでは動かない生き物なのだ。

病気や障害の有無にかかわらず旅することができる環境が望ましいことは、多くの人が賛同するだろう。
その理念を実現するためには、ポジティブなメッセージのやりとりが必須だ。あくまでも、法整備はきっかけに過ぎないのである。

ただし、生命保険や地震保険などの保険商品や保存食などの防災グッズは、将来の不安に備えたいという心理によって成立する商売だ。災害時の避難や防犯対策など、危機感に訴えて即座に(あるいは短時間で)行動してもらわなければいけない場面は、確かに存在する。
それゆえ、危機感に訴える手法をすべて否定するつもりはない。
しかし、立場の異なる相手に理解を求めていくときにこの手法が有効なのか、私には甚だ疑問だ。この種のやりとりをしたとき、その場で異論をぶつけてくる人は少ないかもしれない。それでも、心から共感してくれるとは思えないからである。相手の心を動かすのは、理解を求める側からの前向きなメッセージと行動を続ける努力なのではないだろうか。

広く社会に関わることを変えようとするならば、相応の労力と時間を要する。「おま老」のような短い期間でしか効果のないコミュニケーションに甘えるのは、下の下である。たとえ時間はかかっても、前向きなメッセージによる自発的な共感の方が社会を変えるエネルギーになるはずだ。そしてそれは、身近な人とのコミュニケーションにおいても、きっと変わらない。

価値観の多様化した現代社会では難しいかもしれないが、私は、避けたい未来よりもまずは望む未来を語り合う世の中であってほしいし、そういう人が増えてほしい。前向きな成果は、やはり前向きなコミュニケーションと努力の先にあると、私は信じている。

今回はここまで。
★サムネイル画像は2017年と2025年の写真を並べてみたもの。年齢や障害の有無に関わらず「おまえもいつかそうなるんだから」という対立が減ることを願って・・・
次回のコラムもお楽しみに!


すべての必要な人に、必要なケアを届ける。

ユースタイルケア 重度訪問介護では、利用者様とご家族の生活や希望に伴走するため全国に事業所を開設しています。
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