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ヨーロッパ的なるもの: 小話22 ヨーロッパはデコボコ

【ヨーロッパはデコボコ】

 ヨーロッパに永く住む日本人が一時帰国した時の感想を教えてくれました。「他の多くの人と目線が合って驚いた」と言うのです。「電車でも通りでも、みんな自分と同じぐらいの高さに目がある」と。これは背が高すぎず低からずの人が、特に経験するようです。初めてこれを聞くと何を言っているのか分からないかもしれません。「日本人だって背の高い人もいれば低い人もいる。目線の高さが同じわけはない。何を言っているんだ」と。
 
 その人は言います。「ヨーロッパでは身長は全くバラバラなので、周囲の多くの人と目線が合ってしまうということがない」 それほどにバラバラの度合いが大きく、デコボコなのです。もちろん身長だけではありません。横幅も、前後幅?も人それぞれ余りに差が大きいので、平均値なんか出しても何か意味があるのだろうかと思ってしまいます。体格だけでもありません。日本人が、「日本では、皆、髪の毛が黒くてショックを感じる」とも言います。自分の髪も黒いのを差しおいてです。
 
 このデコボコ感は、英国の衛兵の行進を見ていても良く感じます。王室関連の行事でよくみられるあの赤い服に巨大な黒の毛の帽子をかぶった衛兵の行進です。その衛兵たちの体格、特に身長が見事にデコボコなのです。多くの人間がいれば身長差があるのは仕方ないとしても、同じぐらいの身長の衛兵ばかりでグループをつくった方が見栄えが良いのでは思うこともしばしばです。しかし英国人には気にならないようです。この一団が行進すると統一感はもう一つです。ただロボットが行進するような気持ち悪さがなく、人間的ではあります。おまけに直線でなくちょっと曲がったりもしてくれるので、癒し狙いかもしれません。しかしおそらく英国人は身長差が目立つことも、行進が直線になっていないこと自身にも気づいていないでしょう。
 
 スーパーマーケットに行きます。そこの野菜や果物も大きさはバラバラです。日本ではバラ売りのキュウリやナスは大きさがかなり似通っていて、どれをとっても損にならないようになっています。英国では野菜の売り方には2種類あります。あるスーパーチェーンではキュウリはバラ売りで一本ごとにラップで密閉され、そこに値段が張り付けてあります。値段が同じなら、キュウリのサイズも同じかと言うとそんなことはありません。日本の細い大根ぐらいのサイズのキュウリですが、同じ値が付いていても細くて長いのやふと短いのやバラバラです。どれが得か考えるのも馬鹿らしいので、適当に取ることになります。
 
 他のあるスーパーチェーンでは、全て量り売りです。レジの機械が重さを計れるようになっていて、キュウリでもトマトでも、どんな野菜や果物でも、好きな大きさのものを持って行けば、重さベースで値段が表示されます。日曜に店を出すファーマーズ・マーケットではこの方式が主流です。ファーマーたちにはおそらく、取れた野菜の大きさを揃えなければと言う発想自体が無いだろうとおもいます。
 
 キュウリも人も同じです。こういう社会では、他の人のことはあまり気にしません。人は人、自分は自分。収入に関しても、「みんなは幾らぐらいもらっているか」と言うような記事は見たことがありません。確かに経済政策を論じたりする記事には、データの一部として平均値は出てきますが、「みんなの収入」を扱った記事にはお目にかかりません。大体「みんな」という発想自体がありません。この「みんな」は「平均的な多くの人々」という意味でしょうが、「みんな」(集団全体という意味で)がデコボコで、平均値にそんなに意味が無いからそんな発想は生まれないのでしょう。
  「平均値」に意味が無い社会では、「価値」の意味さえ変わって来ます。自分の価値は、平均値に近く「みんな」と同じレベルにあること(それでちょっと安心する)にあるのでなく、いかに他の人と違うか、ユニークであるかにあると考えます。ある英国の会社の採用面接で、「あなたはどこがユニークか」との質問があったとか。すでにいる他の社員と同じなら、採用する価値はない。そんな社会では、人々は「自分は凹を極める、私は凸を極める」と違いを磨くことになります。キュウリもトマトも、人の身長も横幅、前後幅も、才能も心の色も多種多様多彩なのがヨーロッパです。

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