読書弱者の日々是見えへん③おのれ~
読んでくださっている皆さんありがとうございます。また「スキ」してくださった皆さん、貴note、地道に拝見しています(何しろ根を詰めるとすぐ眼⇒脳と来るので、まことにゆっくりですが)。
今回は、近年あった「あんまりな話」。
交流電流を商用化したニコラ・テスラが主人公の映画『テスラ』。
イーサン・ホーク割と好きだし、と思って劇場で見ました。ところが荒野に「テスラコイル」なるものを設置して強大な電力を発する場面で、今まで見たことがないほどの膨大な光の束が。
――シマッター!
慌てて目を覆ったもののすでに遅し。その数時間後、右目に飛蚊症を発症。絶対に因果関係アリ、だと思います。治療法の(いまのところ)ない飛蚊症を効き目に発症するこの鬱陶しさを、いったい何にたとえようか! 見えづらさに飛蚊症がかぶさって、もうとてつもない踏んだり蹴ったりです。
あれほどの強さの光、映画製作サイドや上映側から事前に注意喚起がまったくないのはいかがなものかと今でも思います。
似て非なるものでしょうが、アニメ「ポケモン」での光過敏性発作騒動を思い出しました。
おまけに『テスラ』、超駄作。100年近く前の人が1990年代のヒットソングにのせて心情を歌う、というアホ抜かせの展開。自ら監督までするイーサンがよくもこんな脚本受け入れたなと思うばかり。
そういえば先ごろ終了した『テート美術館展 光』では、ある小部屋の入口に「この作品は強い光を発します、ご注意ください」と予めうたわれていました。なので目を庇いながら入って、ムリだったので、すぐ出てくる、ということができました。ありがたい。
それとは別に、展示室に入って最初のコーナーにあったウィリアム・ブレイクの「アダムを裁く神」。この絵はなぜか、まるでエンボス加工が施されているかのように立体的に見えました―とくに右斜めからの観賞で。私の眼では視野がかなり潰れて、というか平坦に見えているはずなので、不思議なことです。肉付きの陰影表現やかなり絞られた照明の相乗効果のなせる技かな? こういうことがあると、ちょっとうれしい。
#読書弱者 というのは私の造語ですが、短い言葉で意味内容を表せるもっと良い語が浮かべば変更するかもしれません。というのも〇〇弱者とされる人は世に大勢いると思いますが、そうやって括られることをもどかしく思ったり、反発したりということがあるだろうと想像するので、躊躇するのです(「弱者」ということばにネガティブな要素を感じるのは、私の側の偏見かな)
新しいハッシュタグ(#読書弱者)を入力しても反映されないので、本文に挿入してみました。これでどうじゃ!?
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