短編小説『フィラメント』第1話
『人間は島のように孤立するような存在ではない』
イギリスの詩人ジョン・ダンの一節を聞いて人はどう思うだろうか。
人は独りでは生きられない。
その通りだ。繋がって生きるべき。
小学校の道徳の授業中。肯定的な意見が相次ぐ中、その少女――小桜 由衣(こざくら ゆい)は「なんてくだらないっ、ナンセンス!」と言い捨てた。
くりっとした瞳は燦爛と輝き、ミディアムヘアは彼女の動きに伴って軽やかに揺れている。
可愛らしい容姿とは裏腹に攻撃的で怒りを露わにすることも多く、何よりも前時代的な「右へ倣え」の精神が大嫌いだった。
なぜ人と同じではならないのか。
個性を大切にするという教育方針の現代でさえ、無個性のほうが管理しやすいのだ。
そう考える少女は教師や同級生たちがブリキのロボットのように思えてきた。
動きはぎこちなく、叩けばへこみ、切りつければ安易に切断される薄い鉄鋼の玩具。
わたしはああはならない。
誰よりも特別で、唯一の自分になるんだ。
彼女が絵筆を執った理由の一つはそのようなことからだった。
由衣の純粋な承認欲求が拗れたのはそれより数年後。
ある程度形の整ったイラストを描けるようになってからのこと。
彼女がクラスメイトたちに自分の作品をひけらかしている時。
「ヘンな絵ー」
それは何の変哲もない感想に過ぎなかった。
しかし、賞賛の言葉の中に棘を見つけた由衣は頭が瞬間的に血で一杯になり、顔を真っ赤にして「なんで!?」と怒鳴りつけた。
「え、だって思ったことを言っただけだもん」
「どうしてそんなこと言うのっ!」
「思ったことを言ったらダメなの?」
「うるさい!」
頭に血の昇り切った由衣は目の端に涙を浮かべ、感情の許すまま喉が引きちぎられそうになりながら声を張る。
周囲は当然のこと、本人も訳が分からなく、だからといって引くことも出来なかった。
「小桜さん、落ち着きなよー」
別のクラスメイトたちに窘められ、由衣はようやくそこで一呼吸置く。彼女は深く息を吸い、軽い眩暈と共に血が下がっていくのを感じた。
「でも正直さぁ、小桜の絵ってどこかヘンじゃね?」
「うん、形は整っていそうなのにねー」
「ヘンだぁー」
落ち着きを取り戻しかけていた由衣に心無い言葉の槍が降り注ぐ。それは彼女の硝子の心を粉々に砕いてしまった。
彼女は反論する間も無く、失意の谷へと突き落とされる。
そして仄暗い底で彼女は復讐を誓う。
「いつかあいつら全員見返してやる。わたしの絵で『すごい』って言わせてやるんだ!」
立ち直りの早い彼女は重い身体を奮い立たせ、決意を新たにする。
幼い彼女でも物語やドラマの中で知っていた。
――何かを得るには、何かを捨てるしかない。
友達付き合いを捨てて描いた。
――でもまだ足りない。
学校の教室で透明な存在となり、描いた。
――それでもまだ足りない。
捨てろ。
捨てろ。
絵に全てを捧げよ。
――死ぬか、描き続けるか。
幼い由衣は周囲に認められたい一心で絵を描き続けた。
世の中がいかに残酷で持たざる者にとって生き辛いかを彼女は知っている。
わたしは「まだ」持たざる者の側だ。
だからは描くしかないんだ。
描くことでしか自己表現できない。
描くことでしか他人に認めてもらえない。
筆を握り続け、作品を公開し、叩かれ傷つけられて。幾分かの安いハートを貰い、一人満足そうに微笑む。
彼女は充実していた。
大きな代償を払い続けながら。